毎日は愛と不安のくりかえし
きょうのテーマ愛と不安でできている、というお話これはほとんど受け売りそれを長い間、わたしの判断材料としてきて失敗したことがなかった。だからきっとわたしにとってこれはいいのだと思う。よくセールスやら保険やらで苦しんでいたそれは払えもしないし、いつ死ぬかもわからないから別に払わなくてもいいものだし、守るものもないのだから必要ないものだったこれらの人の手口と言えば、欲を刺激してかわせようとするか不安にさせて買わせるというものだねずみ講なども同じようは自分が必要なのかわからないまま、不安になってしまい大切なお金を使ってしまうことに問題が有ると思う日常の行動や決断はすべてを「愛か不安」にわけることができるそのどちらに始まって決断しているのか、だとおもう愛情からくる決断か、不安からくる決断か(これを保険というひともいるけどね)不安からいろいろとお金をかける人はおおいそれよりも心配ばかりして前進しないでいる自分は嫌いである。そんなことは神様しかわからない出来事なんだから、あまり心配し過ぎるのは時間の無駄だろうよく「それはできない、自分にはできないと思う」というけれど、やりもしないでできないというのは悔しいとは思わないのだろうか家庭のかんきょうもあるとはおもうけれど。こういう人は「安全に進むほうがいい」といってけして冒険しなかった親の子供におおい。反骨精神の有る人は逆に「やってみなければわからない」という。でもほとんどの場合、親に愛されたいから親のいいなりになるのが普通だろう。問題なのは大人になった今でも、親の言うことは正しいと決めていて『疑わないままでいること』に問題がある。あなたの決断が愛からくるものなのか、それとも不安になりたくないから決断したものなのかその差は大きい。わたしもまだ、実験中の段階だから大きなことはいえないけれど不安に流されて決断したことには終わりなく不安がつきまとう。だから果てしなく終わりの見えない「保険をかける行為」にお金と時間をつかわなくてはならないそんなの我慢ならない!!私のお金はもっともっと・・なんだ?(笑)そうなのだ、わたしはまだこのあたりのビジョンが見えていない。ただ不安にばかりお金をつかって、自分が自由になるための資金がなくなるのは我慢ならないそれだけはわかっているこれからさき、どうなっていくのか楽しみだあるていどは神様が用意してくれるところへいくのだろうとおもう助けてくれるのは自分の良心。それに判断してもらって、自分だけの利益でなくみんなの利益になるようなこと、していけたらと願うそれはいったいなんだろうね