独身の頃は感じなかったのだが、母親になってから怒ることが多くなった。
それは子どもに対しての怒りではなく、社会に対しての怒り。
幼い子どもを持った母親が、いかに生き難いかを身をもって体験したのだ。
そろそろ子どもも大きくなった来たが、社会に対しての怒りは、消滅することなく、今も私の心の中で燻っている。
この「怒り」という感情は、少々厄介なシロモノである。
喜びや悲しみという感情は、まだ社会的に認知されていると思う。
しかし怒りはどうだろう?
会社ではもちろんのこと、学校や家庭でも「怒り」の感情をあらわにすることは恥かしいことだという、暗黙の了解がなかっただろうか。
その結果皆、怒りの感情を、自分の中に押し込める。
そして、積もり積もった怒りの感情は、自分のキャパを超えたとき暴発する。
ある者はキレて他人に矛先を向け、ある者は自分に矛先を向け、自殺する。
辛淑玉さんの書いた「怒りの方法」は、間違った怒りの発散をしないよう、上手な怒りの表現方法を指南している。
以前の日記で、私は世論の恐ろしさについて書いたことがあるが、その世論の一部が、誤った怒りの結果なのかもしれない。
例えばイラク人質事件や北朝鮮拉致被害者の家族に対する、驚くほどのバッシングなど。
権力に対しての、過度なバッシングは、ある意味理解できるところがある。
しかし、個人に対しての、激しいバッシングは理解できなかった。
ある新聞には、メディアに露出する個人は、権力に匹敵するほどの影響力を持ちうるので、それを恐れた世論がバッシングにかかるのだろうと書かれていた。
なるほど。
が、感情のみに流された、エキセントリックな怒りは、恐ろしい世論になりうる。
そこで、この本が役に立つ。
在日朝鮮人として、女性として、マイノリティーとしての理不尽な扱いばかり受けてきた著者の怒りは、どのように昇華されてきたのか。その過程が心を打つ。
怒りベタを自認する人ばかりではなく、怒り上手だと“勘違い”してきた人にも、ぜひ読んで欲しい1冊だ。
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