ソンジェは病室でただ一人、佳織を見つめていた。
葉子はまだ戻ってこない。
「パパ!」
幼い男の子の声がした。
ソンジェはハッと振り返る。しかしそこには宗太の姿はなかった。
ゆっくりと立ち上がって、病室の扉を開いてみる。廊下に宗太くらいの男の子が立っていた。隣には父親とおぼしき男がいる。
「パパ、抱っこ」
「よ~し、肩車をしてやろう」
男は目を細めながら男の子を抱き上げ、肩車をしてやった。
「どうだ?高いだろう?」
「うん、パパ。よく見えるよー」
父子はソンジェの前を笑いながら通り過ぎていった。
ウルトラマン・ショーをスーパーに見に行った日。ソンジェは、宗太にせがまれて肩車をしてやったことを思い出した。
『宗太・・・』
事故の日、病院に駆けつけたソンジェは、佳織が手術中だと知った後、宗太の姿を捜し求めた。
しかしやっと宗太に会えた場所は・・・。
震える指で顔に乗せられている白い布を取ったソンジェの瞳に映ったのは、まるで眠っているかのような表情の宗太だった。
『宗太・・・宗太・・・』
ソンジェは肩車をする父子の姿を目で追ったが、もう彼らの姿はなかった。
ふらふらと病室を出て、ソンジェは廊下を歩き始めた。今、彼らの姿を見失えば、もう2度と宗太に会えないような気がした。
『宗太、どこにいるんだ、宗太・・・』
病院内をさんざん歩き回って、気がつくと屋上に立っていた。
すっかり日が暮れている。
屋上から、町のネオンがよく見える。瞳を凝らすと、ネオンの輝きに照らされた宗太が立っていた。
「宗太!」
にっこりと笑った宗太がこちらを見ている。
「宗太、こんなところにいたのか。さ、ママのところへ一緒に行こう」
ソンジェが差し出した手を見つめながら、宗太はゆっくりと後ろに下がっていく。
「宗太?どこへ行くんだ?」
だんだんとソンジェから遠ざかる宗太の姿に、ソンジェは焦った。
「宗太、待ってくれ!宗太!」
宗太を抱きしめようと、ソンジェは思い切り前に乗り出した。
ふいに暖かい手がソンジェを掴んだ。ふわりと花の香りに包まれる。
「ソンジェ!!ダメ!死んじゃだめ!なんてことするの!」
「葉子さん!?」
「ソンジェ!」
頬をぶたれて、ソンジェは気がついた。宗太がいた方を向く。暗い夜の空が広がっているだけだった。
「バカ!佳織さんは生きているのよ!あなたがそんなでどうするの!?」
葉子が泣いている。
ソンジェはただぼんやりとその姿を見つめていた。
葉子と2人で、ソンジェの住んでいたマンションに戻ってきた。ソンジェの疲労を心配した葉子の勧めだった。
誰もいない部屋は、ヒンヤリとしている。
ソンジェは葉子に背を向けて座った。
「あなたのせいじゃないわ。宗太くんが亡くなったのも、佳織さんがあんなふうになったのも。あなたのせいじゃないのよ。だからあんなまねしちゃダメ」
葉子は優しく諭すように言う。
「葉子さん」
ソンジェは口を開いた。言わなければ、これだけは葉子に伝えておかなければ・・・そんな思いがこみ上げてきた。
「なあに?」
「僕はひどい人間です」
「どうして?」
「ボク、自分に嘘をついていました。ボクは佳織のこと、心から愛してはいませんでした」
「ソンジェ・・・」
「弟が死んで、佳織がかわいそうだから助けたいと思った。宗太がいたから結婚しようと思った。ほんとに、ほんとに好きな人は佳織ではなかった。」
本来ならば、葉子の目を見て言うことだったが、ソンジェはどうしても葉子の目が見られなかった。
いや、葉子の顔も見られなかった。
そんなソンジェの背中に向かって、葉子もぽつりぽつりと話し始めた。
「あたしだって、ひどいこと考えたりした。ソンジェと佳織さんの結婚を祝福したいと思う気持ちとはうらはらに、だめにならないかなぁって。そんなこと考える自分がすっごくいやだったけど。人って残酷ね。心のそこから人の幸せを祈ることなんて出来ないのかもしれない。私ね、佳織さんが元気になったら謝ろうと思ってます。だからソンジェ、佳織さんにすまないって気持ちがあるなら、生きなきゃダメ。佳織さんのためにも、私のためにも。生きて欲しいの。」
以前にもこんなことがあった。ソンウが死んでいたとわかった時、葉子を連れてソンウの部屋に行ったときだった。自分のことを嘘つきでずるい人間だと言ったソンジェに、葉子は「ずるい人間は自分のことをずるいなんて言わないわよ」といって慰めてくれた。
『葉子さんは、いつもボクを包んでくれる。彼女がいなかったらボクはあの時、立ち直ることは出来なかっただろう。でも、ボクは彼女に何をしてきたんだ?』
自分と関わりがあった者たちが、次々と不幸になっていく。その事実にソンジェは愕然としていた。
『ボクさえいなければ・・・』