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カテゴリ:古典芸能・観劇
万作・萬斎新春狂言は、萬斎さんのファンになった2年前のお正月から見るようになった。これを見たら「年が明けた」な~んて感じるようになった・・・とまではいかないけれど、(笑)やっぱり年の初めには見たいな。
2004年「万作・萬斎 新春狂言」日記はココ 2005年「万作・萬斎 新春狂言」日記はココ 「番組」は以下の通り 独吟 雪山 野村万作 レクチャートーク 野村萬斎 犬山伏 山伏:野村万之介 僧:石田幸雄 茶屋:竹山悠樹 犬:月崎晴夫 後見:時田光洋 しびり 太郎冠者:野村万作 主:高野和憲 後見:破石普照 素囃子 神舞 煎物(せんじもの) 煎物売:野村萬斎 当人:深田博治 太郎冠者;月崎晴夫 立衆:高野和憲 竹山悠樹 破石普照 時田光洋 後見:石田幸雄 まず最初はいつも通り「独吟 雪山」 「春ごとに 君を祝いて若菜つむ 我が衣手に降る雪を 払わじ払わで そのままに愛くる袖の雪 はこびかさね雪山を 千代に降れとつくらん 雪山を千代とつくらん」 野村家では毎年元旦に、このおめでたい謡の「雪山」で謡始をするとか。 2004年は萬斎さんの独吟、2005年は萬斎さんの謡と他5名の地謡つき。今年の「雪山」は、ちらしには「独吟 野村萬斎」と書いてあったと思うのだが、実際は万作さんの独吟だった。 もちろん万作さんはベテランで、深みのある謡は味わい深かったのだが、私はやっぱり萬斎さんの独吟が好き。ハリのある声が清清しいから、まさに「雪山」を彷彿させるのだ。万作さんの独吟を聞いていると、なぜか“干し柿”を思い出してしまった私。あの微妙な甘さを感じる独吟だったというか・・・。 レクチャートークは毎度ながら、萬斎さんの軽妙な語りが聞いていて面白いし、心地よい。彼は演じている時は高めのハリのある声なのだが、地声は低めのような気がする。あの地声がいいんだよね。(笑) ところどころで観客を笑わせながら、きちんと番組の内容はわかりやすく説明してくれて、このレクチャートークが一番の楽しみ・・・かも?(笑) 犬山伏・・・茶屋に立ち寄った僧と山伏のいがみあいを、茶屋の亭主がうまくとりなすお話。山伏の態度が大きく、僧に無理難題を押し付けるので、茶屋の亭主は僧が勝つような試合を提案。それとは知らない山伏が、自分の法力を信じ込み、一心不乱に祈る姿が笑いを誘う。茶屋の亭主が飼っている犬が出てくるのだが、着ぐるみ(笑)の犬役は黒いたてがみ姿で、萬斎さんのレクチャーがなければ、すぐに犬だとはわからなかったかも。 毎年、干支にちなんだ番組を見ることが出来るので、とても興味深い。 2004年の申年は「靱猿」、2005年の酉年には「小舞 鵜之舞」(うのまい)、そして戌年の今年は「犬山伏」。さて亥年の来年は、何が見られるのでしょうか。 ちなみにこの「犬山伏」と「煎物」は、どちらも“遠い”番組とか。この場合の遠いとは、めったに演じないと言う意味だそうで、今年は珍しい番組は2つも見られたということ。ラッキーだったかも。 しびり・・・太郎冠者は主に、来客用の魚を買ってこいと命じられる。しかし行きたくない太郎冠者は、足がしびれて歩けないから行けないと断る。主はまじないをして、歩けるようになっただろう?と言うが、敵もさるもの、太郎冠者は「親譲りのしびりなので、そんなまじないでは治らない」と開き直る。しびりの声まねもする太郎冠者に大爆笑。 万作さんの太郎冠者は、やはりじっくりと魅せる舞台で、じわじわと面白みが湧き上がってくる印象を受けた。この「しびり」は、狂言を習い始めの人が最初に演じる番組らしく、太郎冠者役は年少者か、万作さんのような熟練者かどちらかが演じるそうだ。萬斎さんのような壮年期の演者はしないらしい。 煎物・・・祭りの世話人(この祭りは、大蔵流では祇園祭りだと決まっているらしいが、和泉流では祭りというだけ)が町の衆を集めて、囃子物の稽古をしていると、煎物売りがやってくる。煎じ薬はのどにいいといって、さかんに売り込むが、囃子物の練習に熱中している世話人と町の衆たちは、煎物売りがうるさくてかなわない。いやな顔をして断っていると、今度は囃子にあわせた売込みをする煎物売り。そのやりとりが面白く笑わせる。 いよいよ萬斎さん登場。お持ちいたしておりました。今回は若手の役者を起用しているようで、萬斎さんはこの「煎物」にしか出ていない。(涙) この「煎物」もあまり演じる機会がない番組で、そういうものはやはり面白みにかけるらしい。それで今回は、萬斎さんがいろいろと改良したという。煎物売りが、世話人の舞をまねして不器用に舞う姿が面白い。 萬斎さんも言っていたが、まさに「狂言レビュー」という感じ。(笑) それぞれの演者が謡を吟じながら舞い、囃し方の笛や鼓、太鼓の音色が賑やかで華々しい。 ラストで煎物売りが、商売道具の焙烙(ほうろく)を腹にくくりつけて側転するが失敗し、壊してしまう。唖然として起き上がるが、粉々に割れた焙烙をみて一言。「数が多なって、めでたい」 まさに萬斎風味付け狂言。現代の笑いにも通じるものがあると見た。劇場を出たところで年配の男性が「あれは狂言じゃないな」と同行者に言っているのを聞いたが、私はあれもイイと感じた。狂言の番組も、時代によって淘汰されていくものではないだろうか。当時生きた人が面白いと感じたものと、今の私たちでは、感じ方が違うだろうし。もちろん古典も守りつつ、時代に合わせて成長し続ける狂言があってもいいのではないかと思う。 とにもかくにも、やはり萬斎さんの狂言は面白い。今年もいいモノを見たな~。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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