20日(水)に、大阪国際交流センター大ホールで催された「碧い眼の太郎冠者 上方文化を遊ぶ」に行って来ました。
今、読売新聞の毎週土曜日朝刊に、ドナルド・キーン氏の「私と20世紀のクロニクル」という自伝的小説が連載されています。この連載を読んでいて、すっかりキーン氏のファンになった私は、この催しを見つけたとき、狂喜しました。だって生キーン氏(笑)に会えるんですもの。
それだけではなく、なかなか凝った内容のプログラムだったんですよね。
プログラム
ビデオ上映「狂言・千鳥」
狂言「月見座頭」 茂山千作 茂山千之丞
小舞「細雪」 茂山千五郎
対談 ドナルド・キーン&瀬戸内寂聴
「碧い眼の太郎冠者」というサブタイトルがついているのは、ドナルド・キーン氏が1953年に京都大学に留学していた当時、日本の文化のより深い理解のために、狂言を習っていたところからでしょう。キーン氏は、なんと大蔵流の茂山千之丞氏に師事していたのです。
その集大成が喜多能楽堂での「千鳥」の太郎冠者を演じた時だそうです。1956年のことでした。そのときの様子を、「私と20世紀のクロニクル」から抜粋します。
「狂言師」としての私の短い経歴の頂点は、1956年9月13日に喜多能楽堂で「千鳥」の太郎冠者を演じた時だった。酒屋の主人の役は、「武智歌舞伎」で有名な武智鉄二が務めてくれた。5分ばかりのビデオで、その当時の上演の一部を見ることができる。(当時はビデオ・フィルムが極めて高価だったので、極度に倹約して使われた)。(中略)もっと信じ難いのは、ビデオに写っている観客の顔ぶれである。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、松本幸四郎(先代)を始めとする著名な人々が居並んでいる。それは、私の生涯に一度の晴れ舞台だった。
今回の催しでは、このときのビデオを舞台上のスクリーンで見ることができました。
小説のこの部分を読んだ時、ビデオを見たいな~と思っていたんですよね。もちろん映像は昔のものですから、今のようにクリアに見ることはできません。でも著名な作家や役者たちが動いているさまを見られたのは、とても興味深かったです。
谷崎は松子夫人と並んで座っていましたし、川端はあのギョロリとした眼をして立っていました。先代の松本幸四郎丈は、大好きな染五郎さんのおじいさんです。残念なことに三島の姿はありませんでした・・・。
狂言の「月見座頭」は、今の季節にぴったりの番組です。座頭(眼の不自由な人)が名月の夜に外に出て、見えない月の替わりに虫の音を愛でて、秋を感じています。そこへ同じく月見にやってきた男が座頭に話しかけます。2人は意気投合して、男は持参した酒を座頭にも振る舞い、酒宴となります。2人は舞をまい、謡をうたい、いい気分になって別れます。座頭は上機嫌で歩き始めます。すると、さっきの男が今度は別人を装い、座頭にぶつかってけんかを仕掛けてきます。同じ男だと気づかない座頭は、突き飛ばされて転んでしまいます。男が去って行ってしまった後で、座頭は酒を振舞ってくれた男のことを懐かしみます。同一人物だとは気づかないままです。そして自分の身を嘆き、大きなくっさめ(クシャミ)をして退場します。
千作さんの座頭がなんともユーモラスで、盲人の哀しみを、見ていて辛くなりすぎない程度にさらりと演じていたのがさすがだと思いました。
小舞「細雪」は、タイトルを見てもわかるように谷崎の小説「細雪」に関係するものです。谷崎は茂山一家がご贔屓だったので、「細雪」の中の平安神宮花見のくだりを、狂言小歌風に、新たに短く作詞したものだそうです。
15分の休憩の後、ドナルド・キーン氏と瀬戸内寂聴さんの対談がありました。
実は私、寂聴さんが苦手だったんですよね。彼女の小説は未読なのですが、イケメンたちとの対談集や新聞記事、TV番組でのコメントなどは見ていたんです。
イケメンを前にしたときの話の内容や態度が、なんだか好きになれなかったし、彼女が理解できない理由の大きなものは、彼女が自分の子どもを捨てて、若い男に走ってしまったということに対してなのです。同じ娘を持つ母親として、自分の新しい恋のために娘を捨てるという行為が、どうしても理解できないんです。
(すみません。激しい睡魔に襲われています。続きはまた明日アップします・・・。途中ですが・・・)
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