映画館で公開当時、激しい性描写の方が話題になった作品、
「ラスト、コーション」を見ました。
今回はWOWOWでのオンエア(R-15)を見ました。
トニー・レオン、けっこう好きなんですよね。
1990年公開の台湾映画「非情城市」で聴覚障害者の写真技師役を好演していたんです。
この映画、大好きで、おかげで台湾旅行をしてしまったほど。
で、「ラスト、コーション」ですが、確かに激しい性描写はありましたが、それだけ突出した演出ではなく、ストーリー上必要だったのではないかと感じたんですよね。
抗日運動家の女スパイ、ワン・チアチーは、日本軍に協力する特務機関のイーの暗殺を狙っていたんですが、なかなか好機に恵まれず、一時は暗殺計画も白紙に戻ります。
それから3年、再びチアチーはイーの命を狙うように命令を受けます。舞台は香港から上海に移っていました。
病的なほど慎重なイーも、次第にチアチーに関心を持つようになり、ある日映画を見に行くという彼女を映画館まで送ってやれと運転手に命じます。しかし運転手が彼女を連れて行ったのは映画館ではなく、とある部屋。不審に思いながらもチアチーは部屋に入り、そこに待っているイーの姿を認めます。
彼女はレイプまがいの行為を受けますが、それから急速にチアチーとイーの関係が進んでいくのです。
最初私はイーがそのような性癖があるのかと思ったのですが、それ以降のチアチーとのセックスは至ってノーマル?というか、前回のようなSMチックなものではなく、濃厚な愛の交歓でした。
ではなぜ彼は最初彼女を手荒に扱ったのでしょう?
私が思ったのは、猜疑心が強いイーのこと、色仕掛けの女スパイの扱いは知り尽くしていたのではないかということです。最初あのように乱暴に扱われたら、本当に彼のことを愛していなければ、また少しばかりの愛だけなら、すぐに彼から離れていってしまうと思うのです。
彼への愛のリトマス紙として、あの乱暴なセックスがあるのではないかと思いました。女スパイなら、それくらいのことは承知の上かもしれませんが、やはりその後の態度でイーに感づかれてしまうように思います。
それからイーとチアチーはお互いを激しく求め続けますが、一方のチアチーはいつ自分のスパイ行為がイーにばれるかと、不安に感じつつ生活をしています。
彼女には香港時代から想いを寄せていた仲間クァン・ユイミンがいたのですが、彼の気持ちがいまひとつ掴めずにいました。が、どんどんイーとの情事を重ねていくチアチーに対して、堰を切ったようにユイミンは彼女にキスをするのですが、時はすでに遅く、チアチーの心はイーの方へ傾いていたのです。
最初は任務としてイーに抱かれていたチアチーですが、肌を重ねるにつれ、イーへの愛が目覚めていきます。彼らは多くの会話を交わしません。肌を重ねる事でお互いの全てを知っていくようです。
でもこの作品はセックスを奨励するものではなく、むしろある愛の形を知らしめる作品のような気がします。
もちろん会話は大切ですが、それが許される状況ではなかったら、肌を重ねる事も会話の一つではないかと感じました。
チアチーがイーに呼ばれた日本料理店で、彼のために歌った中国の歌「天涯歌女」は印象的でした。イーがそっと涙する姿に感動してしまいました。この時代、中国、香港、台湾は本当に混乱していましたから、イーが中国人としての自分を考えた時、涙してしまうのもわかるような気がします。
ラストは悲しい結果になってしまいました。
イーを助けた時、むろんチアチーは死を覚悟していたでしょう。
でもどうして上層部から渡された毒薬を飲んで自害しなかったのでしょう。私は彼女がカプセルを握った時点で、自害するものだとばかり思っていました。
でもチアチーは仲間達と一緒に処刑される道を選びます。仲間達と処刑場に並んだ彼女は、もしかしたら香港の時のように、自分だけ逃げる行為を避けたかったのではないでしょうか。死ぬのなら、仲間と特にクァン・ユイミンと一緒に死にたいと思ったように感じました。それは男女の愛ではなく、長い間同じ目標に向かって(イーの暗殺という皮肉なものでしたが)活動してきた仲間としての気持ちだったように思います。
この「ラスト、コーション」を見ながら、ずっと思っていたのは、東方神起の「呪文」の歌詞と重なる部分が多いという事です。映画を見ながら、ずっと「呪文」が私の頭の中を流れていました。(笑)
東方神起
呪文の歌詞