副題に「9歳で失明、18歳で聴力も失った、ぼくが東大教授となり、考えてきたこと」とある。もちろん彼のことは以前新聞で読んだ記憶がある。その時は、『見えない聞こえないとは、いったいどんな世界にいるのだろう。とても孤独だろうな』と、ただ漠然と思っていた。ちらりと想像してみたが、暗黒な世界が脳裏を過り、怖くなったものだ。なので、今回彼の著書を手に取ったのは、彼がどういう世界で生きてきたのか、何を考えてきたのか、知りたかったからだ。
彼が18歳で聴力も失い、盲学校の寄宿舎に戻ってきたとき、ある友人が福島氏の手のひらに、次の言葉を指先で書いた。
「しさくは きみの ために ある(思索は君のためにある)」
この一言が、福島氏をよく表している。まさに彼は思索の人であった。
著書の中で、彼はさまざまな書物からあらゆる言葉や文章を抜き出し、彼の思索について説明する。その書物のジャンルが多岐にわたっているのだ。哲学書が多いのは、必然であろうか。
盲ろう者になり、暗黒の宇宙に放り出された彼は、それでもどこか突き放したような気持ちで、そういった状況をもおもしろがろうとする。なんという強靭な心だろうか。
その暗黒の世界で孤独を感じていた彼は、他者とのコミュニケーションで自分の存在を実感する。
そんな彼が説く幸福とは。以下、本文より抜粋。
【本来幸福は「絶対評価」で考えるべきものではないでしょうか。他者との比較で自分が何を持っているかが重要なのではありません。他者とは比較できないもの、すなわち、自分の生き方や心のあり方をどう捉えるかが大切なのだと思います。】
まさしくその通りだと思う。また吉本隆明氏が雑誌で、幸せになる秘訣を聞かれ、「そんなものがあるなら、僕が聞きたいよ」と言ったあと「わたしたちはまえを向いて生きているんですが、幸福というのは。近い将来を見つめる視線にあるのではなく、どこか現在自分が生きていることをうしろから見ている視線のなかに、ふくまれるような気がするんです」と答えているのを紹介し、その意味を考察する。私も彼とともに思索にふける。
最後に著者による、平成19年の東京大学入学式での祝辞が掲載されている。これも必読だ。
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最終更新日
2015/10/20 09:52:18 PM
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