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カテゴリ:ひとりごと
先ほど、ある方のブログであるお店(食べ物屋さん)の紹介があり、そこは学生時代によく通ったお店でした。とても懐かしく思い、すぐさまコメントを付けてしまいました。そのあとも昔の思い出に浸りいろいろな記憶がよみがえりました。
そのあと、別のある方のブログを見たら、司法試験と自己犠牲についての書き込みにも目が留まり、学生時代から現在にいたるまでの自分の生き様についても思いをめぐらすはめになってしまいました。 同時に、古い映画なのですが学園祭でリバイバル上映された「ペーパーチェイス」・「青春の蹉跌」という映画のことも思い出してしまいました。 「ペーパーチェイス」→ハーバードロースクールの学生であるハート君? はある美しい女性(名前は忘れた。リンゼイワグナー が演じていたと思う)に恋をした。 しかし、彼女は指導教授の娘。そこで教授の歓心を 引こうと一生懸命勉強した。 そのあといろいろあって、映画の最後のシーンが 忘れられない。 定期試験の成績表が送られてきたが、ハート君は 彼女と海岸に行きその成績表で紙飛行機を作り 海に向かって飛ばした。 自分の努力の成果をしるしたものを事も無げに とばしてしまうとは、なんとも「粋」だった。 「青春の蹉跌」 →反逆児のカリスマ?萩原健一、桃井かおり主演。 暗い日本的映画。司法試験受験生の萩原が合格後 社長令嬢と婚約。彼が家庭教師をして深い関係 になってしまった教え子の桃井が邪魔になり とうとう殺害。合格も水の泡となる。 司法試験に失敗し郷里に妻子ともども帰るはめに なった受験生役の森本レオがいい味を出していた。 見終わると何とも暗い気持ちになるので お勧めではありません。だからこそ、その設定 を含めて記憶に残っているのでしょう。 あー、随分書き込んでしまった。例の悪い癖。大展開。一時間程度で書こうと思っていたのに。ここまできたら最後まで書かないと。 思い起こせば、私も受験生としては都落ち?断腸の思いで郷里に帰ってきた。 勉強を続けるのには東京にとどまっている方がいいに決まっている、という思い込みが頭の中に刷り込まれており、最初は随分悲観したものだった。 でも経済的にも、そのたの諸事情からも東京での生活は困難だと分かっていても。 時を同じくして、失恋もしてしまった。その彼女にこう言われてしまった。 「司法試験がダメになってしまったから私のところに来たのでしょ!」と。 決してそのつもりではなかった。弱気になった私を見てそう感じるのも無理はないと思う。だから今となっては彼女を恨むこともない。いい思い出としょうとしている(本当のことを言うと今でもそれが出来なくてこまっているが・・・・)。 そんな訳でしばらくの間は勉強には全く身が入らず状態。頭では、勉強しなければと思っていても、もう一人の自分が邪魔をする。本当に身も心も疲れ果ててしまっていたのだろう。いままでの人生のなかで最悪の事態だった。情けないことに。 でも、そんな私を見るに見かねて救いの手を伸べてくれた人がいた。 塾の教師の仕事(現在は家業の手伝い)を紹介してくれた人。 純粋な子供達と接することで心の中が解凍しまた前向きの自分を取り戻すことができたのだ。人との出会いとは素晴らしいものだ。人生の財産だ。 両親をはじめ兄弟、周りを取り巻いていつも応援し励ましてくれる人達に感謝しても感謝しすぎるということはない。 「人生いたるところに青山(墓場)あり」。どこで勉強しても勉強することにはかわりはない。まして、今はインターネットの時代、予備校も通信で受講可能。ちょっと遠出をすれば講義も模試も利用できる。 また二ヶ月前ほどからこのブログを始めたことも今のところ良かったと思っている。当初タイピングが遅くて(いまは少し上達)難儀。 でも、コメントのやり取りをしている人たちは今のところ同じ受験生の方々がほとんどだけれども、皆さん本当に真面目に応答してくださるのには驚きです。 ブログという匿名性のあるツールなのに。もっともそうだからこそ、ある意味では本音を語ることが出来ることもある。 その意味では、周りに同じ受験生の知り合いがいないという地方受験生の悩みもブログ仲間で解消できている。しかもみな優秀な方ばかりで日々啓発されまくりなのがうれしいのです。私も負けずに勉強しなければ!と、反対動機の形成ばかりしています。 今日の皆さんのブログをみて学生時代のことをビビットに思い出しました。 ハーバードロースクールで勉強しているハート君に憧れて彼になりきって一生懸命勉強したり、青春の蹉跌を見て、映画なのに、あれは真の受験生の実相を表現していない、と疑問に思ったり。また明日から純粋な心を取り戻して勉強できそうです。 確かに、受験勉強が長く続いてしまうと、どうしても犠牲になったり、してしまう事柄が増えていきますね。 この点、各個人様々なので、なんともいえませんが・・。 私事でも、日々の生活が勉強中心なってしまうので、日々の生活でも周りの人に迷惑ばかりかけています。マクロ的にも、人生を振り返ると、ある年齢にしておかなければならない事柄を放棄したり、失敗したり、なかなかに残念なことばかりです。スパーマンではないのでしたいこと全ては出来ませんでした。 その結果をいま流行の自己責任という言葉で語りつくすつもりもありません。 試験に合格しても、もう過去に戻れませので、犠牲は犠牲のまま自分の履歴に残ってしまうとも思います。 やはり、過去の様々な自己決定の結果、現在の自分があるので、素直に受け入れるべきなのでしょうか?現在のところはまだよく分かりません。 でも、これだけはいえると思います。 前向きに生きることによって犠牲が犠牲でなくなると思いたいし、そう思わなければならないと思います。 そうしないと犠牲が犠牲のまま終わってしまう。その犠牲の結果(おかげで)現在があると思いたいからです。 独白もしてしまいましたが、たまにはこういうブログもいいでしょう。 見返ししませんので、誤字・脱字はご勘弁!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.06.28 00:53:45
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