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すりいこおど-1970年代周辺の日本のフォーク&ロック

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2009.07.29
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カテゴリ:1977
久しぶりに更新して、なんとなくラジオを聴き流していたら、番組のゲストがあんべ光俊。

これはさっそく取り上げなきゃと、仕事は後回しにして、再び更新作業へ。あぁ、締切りが迫っているのに・・


希有のシンガーあんべ光俊がかつて組んでいたバンド、それが"飛行船"であり、このアルバム一枚を残して解散してしまった。



あんべ(安部)光俊は1953年9月16日、岩手県釜石市大橋生れ。県立釜石南高校卒業後、上京して早稲田大学に入学。
(ちなみに県立釜石南高校は大瀧詠一の卒業校としても知られる。大瀧詠一は花巻北高校に入学したが、授業料を全部レコードにつぎ込んでいたため、1年で退学させられ、釜石南高校卒業に再入学したというつわものだ。脱線。)

『釜石といっても、大橋なんです』と安部はいった。遠野から仙人峠を下りに下って釜石に入る地点に大橋はある。鉱山と社宅の街、庶民のつましいくらしが、山あいにひっそりと息づいている大橋で安部は育った。高校へは汽車で通学した。(ライナーの岩手放送ラジオ・北口惇夫の紹介文より)

東京に出たあんべ光俊は、早稲田のキャンパスでベースを担当することになる萩原誠と出会う。そのうち岩手の後輩・小野寺進がキーボードとして加わり、さらにドラムスで小島光浩が加わり"飛行船"を結成。1972年頃のことだろうか。

アマチュアバンド活動を続けていた"飛行船"だったが、やがて卒業後のことを考える時期も見えてきて、解散前に自主制作のレコードを作ろうということになった。
こうして出来たのが「しょうよう歌/白夜」というレコードだった。ところが、この自主EPがレコード会社のディレクターの目に止まり、75年7月フィリップスから「しょうよう歌/大和めぐり」でメジャーデビュー。

売れ行きは芳しく無かったようで、"飛行船"は活動拠点を岩手に移している。
地道な活動を続けていたところ76年8月、東芝EMIから「遠野物語/ブラックコーヒー」で再デビュー。これが岩手で「局地的」に大ヒット、ラジオのリクエストもレコードの売上げもトップに立つ。そして岩手の若者たちが遠野に向かうことになるのだ。
シングル「悲しみのイエスタディ/やさしさはほしいけれど」「ロンリー・ボーイ/東北本線」を経て、満を持して発表したのが、このアルバム「風の時刻表」だ。と言いたいところだが、実質的に解散・引退が決まっていて(遠野物語以外はたぶん売れていない)、ファースト&ラストアルバムで出されていたのだった。


ディレクターは74年松尾一彦・大間ジロー(共にのちにオフコース入り)らがいた"ジャネット"を手掛けたあと、事故で半年休業したのちに75年から"オフコース"を手掛けていた武藤敏史。
オフコースの5人が全面参加している。


ボーカルのあんべ光俊は歌声そのものがドラマ性を持っている。まさに希有のシンガーだ。

その声をして、やけにほろ苦い青春って奴を歌ってみせる。


傷口を舐め合うのは もうよそうよと俺達は
かなしみを捨てた はずなのに
小春日和を背にしょっても 虚しさが道端に
転がってる そんな毎日さ
 何を求めたのかも 今は知らないけれど
 大人になれば 笑って云える時が来るだろか
(青春の踏切で)


結婚式の招待状が 私のもとに届きました
私の部屋で 暗い顔して泣いた
「一生結婚なんて」と言った友達からでした
学生時代の頃が 頭の中を駆けめぐります

 夜通し語り合った 恋人の話
 大人ぶってためした タバコの煙

 みんなみんな あの日に 置き忘れてきたまま
(悲しみのイエスタデイ)


ここに一枚のリクエストカードがある。
『入院中です。ひまなのでラジオ聞いています。いつものようにラジオ聞いていたら、いい曲が流れてきたのです。曲名も歌っている人も判らないのです。歌詞は、いくらか覚えています。たしか初めが"結婚式の招待状が"、中間ころに"学生時代のころが"、終りになって"大人ぶってためしたタバコのけむり みんなみんなあの日に置き忘れてきたまま"だったかな。この曲聞いてたら涙が出ちゃって・・・』(ライナーの岩手放送ラジオ・北口惇夫の紹介文より)

みんなラジオで曲を聞いていた頃の良きエピソードだ。


闇が訪れて 君のその胸に
絶望の痛みが つき刺し始めたら
ツイてないなんて 首をうなだれて
ふさぎこんだ君の 姿を見た時 
 心を晴らして あげよういつだって
 くよくよしたって 始まらないさ
心の重荷を分け合えば 少しは楽になれるさ
(サンライズ・サンセット)


君と暮した アパートのドアを閉めると
僕は旅立つ 住みなれた町を離れ
二人でくちずさんだ あの歌が町に流れて
にぎわう夕暮れが かすんで見えるよ
 今頃君は何にも知らずに
 ささやかな夕げの買物してるんだろうか
 安い指輪さえ買ってやれない
 そんな男のために
(三年目の決心)



やけに切ないじゃないか。そんな歌と歌声。




時刻表の地図を指でなぞっていくと
心のアルバムにしまってた なつかしい駅につく
最后の夏だから 思い出だけがほしかった
人を傷つけても それを思い出にした

遠野の町に 白い日記を ボストンバックに
つめて来た僕に
昔々のおとぎ話で ページをうめてくれた君

明日は帰るという 月夜の晩の福泉寺
好きだと口づけた すすきの野辺よ
(遠野物語)




アルバム発売後の77年7月、"安部光俊&飛行船"と名義を変えて「青春の踏切で/花嫁泥棒」をシングルリリースするが、ほどなく解散してしまった。


アマチュアに戻ったあんべ光俊は、諦めることなく自作曲を作って、谷村新司がDJをしていたニッポン放送「ライオン・フォーク・ビレッジ」にテープを応募。第100回の記念の「フォーク・ビレッジ・オリジナル曲」に150曲の応募作から選ばれている。
そして78年5月25日、再び東芝EMIと契約して「 風は知っている/雪の日のひとりごと」でソロデビュー。
ディレクター武藤敏史+オフコースの組合わせでアルバムを制作していくことになる。




今日ラジオで生歌を聴かせてくれたあんべ光俊は、ほんとにあの頃のままの歌声で、「 ああ、やっぱりラジオだったんだな」って。そう思った。




あぁ、もう夕方だ。締切りが・・・






Last updated  2009.07.29 16:53:58
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