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すりいこおど-1970年代周辺の日本のフォーク&ロック

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 J佐藤@ Re:KEEBOW「GIVE ME A KISS」(1975.11.21 ポリドール MR5069)(07/15) 私も高校の同級生から本盤を76年にもらい…
 石川Q右衛門@ Re:「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」(1970.3 ユーゲント)(03/02) 何度もこの記事を読んでますの。正解も出…
 ごむてつ@ Re:ノラ「ノラ VOL.1」(1973.5.10 アードヴァーク AV-3004)(11/10) デビューした頃、テレビ神奈川のヤングイ…

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2009.08.10
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カテゴリ:1970
五つの赤い風船の1970年は始まった。その始まりの最初のコンセプトが「フォーク脱出計画」であった訳だ。


関西フォークシーンは、秦政明という一人の野心家の出現によって作られたとも言える。
秦政明は1930年生まれ。大坂国際フェスティバル協会に数年勤務したのち独立。62年に外タレの関西公演を取り仕切る、いわゆるイベンター会社アート・プロモーションを設立。
66年このアート・プロモーションが主催していた「フォーク・フォーク・フォーク」というコンサートに高石友也が飛び入りで歌ったことで、秦政明の命運は大きく変っていく。

東京同様にカレッジフォークが花開いていたこの時期に、高石友也は貧困・労働・戦争といったものを歌に持込んでいた。秦政明はその歌に衝撃を受けドヤ街暮しをしていた高石友也を自分の家に居候させて、二人のフォークソング行脚が始まっていくのだ。
秦政明は67年7月「高石事務所」を設立。ここに高石友也の影響を受けた中川五郎、「フォーク・フォーク・フォーク」に出演していたフォーク・クルセイダーズが合流。
さらに68年1月には原宿のセントラルアパートに東京事務所を開設、そして秦政明のビジネス才覚で原盤版権会社・アート音楽出版も設立している。

68年3月には高石事務所の主催で大坂と神戸で「アンダーグランド音楽祭」を開催。ここには五つの赤い風船、フォーク・クルセイダーズと付合いがあった東京のジャックス、そして飛び入りで岡林信康が参加。彼等も高石事務所に所属していく。
東京ではまだまだカレッジフォーク華やかりし頃。
68年8月には、東京で活動の場を見出せないでいた日本語オリジナルを歌う連中が京都に遠征する。この第3回フォークキャンプにおいて初めて、関東と関西のフォークが交流するのだった。関東からやってきたのは高田渡・遠藤賢司・南正人・小室等ら。
彼等はここに自分の歌を発表する場を見い出して、高田渡・遠藤賢司は高石事務所に合流する。南正人はそのビジネス臭を嗅ぎとり、所属を固辞している。

更に69年2月のURCレコード設立と、秦政明はアーチストの所属事務所・原盤版権会社・レコード販売会社(一般販売は8月から)の3本柱を揃えてしまったのだ。


しかし68年10月のフォーク・クルセダーズ解散、69年8月のジャックス解散、そして69年9月の岡林信康失踪、12月の高石友也渡米によって転機を迎えることになる。

70年1月には「高石事務所」から「音楽舎」に名称変更、更に会社経営に疑問を呈した高田渡が事務所を辞めている。アメリカから帰ってきた高石友也も辞めている。


という訳で70年半ばに岡林信康・はっぴいえんどが台頭してくるまでは、五つの赤い風船がその屋台骨を担っていたということになるのか・・・



説明が長くなってしまいましたが、こうして70年3月に3rdアルバム「巫OLK脱出計画」を発表した五つの赤い風船は、3月に初めてのリサイタルを開くことになるのだった。
3月27日京都シルクホール・五つの赤い風船リサイタル。
そして3月31日、4月1日新宿厚生年金会館小ホール。さらに大阪で1回、東京で2回、計6公演行われたようだ。
3月31日、4月1日の東京での実況録音盤がこの「五つの赤い風船イン・コンサート(第4集)」だ。


この盤は初リサイタルの歓びであふれた、とても楽しいアルバムだ。
東京公演ということで西岡たかしは共通語だが、実によく喋る。客席を取り込むのが、ホントに上手い。
楽しいライブ盤というと僕はよしだたくろうの「ともだち-たくろう・オン・ステージ」(71.6)やかぐや姫の「かぐや姫おん・すてーじ」(72.10)なんかを思い浮かべてしまうのだけれど、西岡たかしは桁違いによく喋る。


レコードはベスト盤的な選曲となっている。
当日の曲順がライナーに載っている(喋った内容まで載っている)。このうち番号をふってある曲が収められている。


(深い海に沈んだ魚)
(恋は風に乗って)
1/これがボクらの道なのか
2/遠い世界に

2曲とも客席は一緒に歌っている。東京においても既にファンを得ていることが良くわかる。
また東祥高サンには失礼とは思うのだけれど、12月と1月に録音された3rdアルバム「巫OLK脱出計画」と較べると、ビブラフォンが格段に上手くなっているのがわかる。

(一つの言葉)
3/まぼろしの翼とともに
4/もしも僕の背中に羽根が生えてたら

西岡たかしと藤原秀子の美しいハーモニーが心を打つ。西岡たかしの声が高いのか、藤原秀子の声が低いのか、混声とは思えない絶妙ハーモニーだ。


ここで加藤和彦がゲストで登場。しかしレコード会社が違うため、もちろん収録されていない。
(ラレーニア)
(日本の幸福)
(小さな夢)
(ささ舟)
(一度だけでも)
(赤い風船)
(二人は)

ここで「まぼろしの翼とともに」は完全に盗作なんです、とか「遠い世界に」のコード進行はこの曲のまねなんです、とかアメリカの原曲をわざわざ示して披露。こんなことを笑い話にしてしまうあたりが西岡流。

5/いやなんです
(貝がら節)
6/夢見る女の子
7/一番星見つけた

「一番星見つけた」は藤原秀子の自作弾き語り。凄い歌い手だと思う。

8/遠い空の彼方に

藤原秀子の歌がすごくいいのに、収録時間の関係でなんとフェイドアウト・・・CDではちゃんと入っているのだろうか・・・


そしてB面へ。


ゲストに早川義夫が登場して
(前口上)
(花が咲いて)
9/からっぽの世界

69年8月第1回フォークジャンボリーを最後にジャックスを解散後、URCレコードのディレクターに転身。69年11月にソロアルバム「かっこいいことは、なんてかっこ悪いんだろう」を発表したものの殆ど人前に姿を見せなかった早川義夫の貴重なライブ音源。
ジャックスの代表曲「からっぽの世界」を風船の演奏+やはり元ジャックスの木田高介のフルートに乗せて、藤原秀子が一番を、早川義夫が二番を歌っている。
木田高介のフルートと長野隆のウッドベースがとてもジャズっぽい。

(フォーク脱出計画)
(時計)
(青い空の彼方から)
(おとぎばなしを聞きたいの)
(殺してしまおう)

10/母の生まれた街

僕の好きなこの曲。2ndアルバム「おとぎばなし」同様に木田高介がドラムを叩いている。
クレジットによると藤原秀子がピアノを、東祥高がオルガンを弾いている。

(どこかの星に伝えてください)
(まるで洪水のように)


『どうもありがとうございます。この歌だけは、どこへどんなコンサートへ行っても僕達はこの歌だけは最後じゃなくても一曲だけしか歌わせてくれなくてもこの歌だけは、歌って帰ろうと僕達で決めている歌です血まみれの鳩です』(ライナーより)

11/血まみれの鳩

血まみれの 小さなハトが
私の窓辺で 日の暮れに死んだ
彼がとんだ お空に
平和を見る事もなく 長い旅をつづけた
平和を見つけた時にも
偽りの平和を見て 雲にかくれ泣いたろォ
それでも翼を広げて とんだのだ


12/唄

『僕達が何かの拍子に演奏活動が出来なくなったとしても、五つの赤い風船だけは解散しないでおこうと決めました』という語りに続いて、最後は「おとぎばなし」のラストナンバーであるこの名曲。


(悲しい街角)
(これがボクらの道なのか)
(遠い世界に)



4月22、23日のリサイタルではURCからデビューしたばかりの遠藤賢司(シングルデビューは早かったがURCからのアルバムデビューは70年4月)、斉藤哲夫がゲスト出演している。



五つの赤い風船の4人がついに一体となったと、そう感じられる素晴しいライブ盤だ。
語りは長いけど。



また音楽舎の秘蔵音源として79年2月にSMSレコードから発売された「五つの赤い風船ライブ・レッドバルーンメモリアル'70」はオミットされたカッコ内の演奏曲の大半が収録された2枚組の豪華盤だ。しかも「五つの赤い風船イン・コンサート」に収録された曲もすべてテイク違いというお宝盤。





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Last updated  2009.08.10 16:34:26
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 Re:五つの赤い風船「五つの赤い風船イン・コンサート」(1970.8 URC URG-4002)(08/10)   key-san さん

URCレコード関西フォーク史そのものですね!
知らないこともあって面白く
かつ読み応えある内容には脱帽ですね
ついついあの頃に帰っていってしまいます・・・。


SMSレコードから発売された「五つの赤い風船ライブ・レッドバルーンメモリアル'70」
前にも言いましたが
存在自体知らないのがなんとも悔しいというか
不覚だったというか残念です!ボクにとって!!

このアルバム聴いてみたいなあ!
テイク違いは本当にお宝盤です!!


(2009.08.30 14:41:06)

 key-sanさん!   すりいこおど さん
いつも本当にありがとうございます (2009.08.31 09:35:05)


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