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すりいこおど-1970年代周辺の日本のフォーク&ロック

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 J佐藤@ Re:KEEBOW「GIVE ME A KISS」(1975.11.21 ポリドール MR5069)(07/15) 私も高校の同級生から本盤を76年にもらい…
 石川Q右衛門@ Re:「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」(1970.3 ユーゲント)(03/02) 何度もこの記事を読んでますの。正解も出…
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2010.02.28
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カテゴリ:1978
「深夜食堂」という漫画を、安いラーメン屋で毎週読んでいたのはどの位前だったろうか。
今時ラーメンが300円で、ビックコミックオリジナルやスピリッツを置いていて、僕は「深夜食堂」の連載が始まった時から、掲載誌であるビックコミックオリジナルを読むために、毎週発売日の昼はそこでラーメンを食べていた。3、4年前になってしまうのだろうか。
10回か15回か、その位連載が進んだところでちょっとした残念な出来事が続いて、それからもうかれこれ3年ほどそのラーメン屋の暖簾をくぐっていない。
よって「深夜食堂」を読むのもそこで終ってしまった。

テレビドラマになっているのを知ったのは、放送が始まってからずいぶん経ってからで、最初に見たのはあがた森魚出演の回で、調べてみると第5話のようだ。
漫画さながらの暖かい展開と、大好きなあがた森魚を見られたこともあって、録画したその回は何度も見てしまった。だが、あまりに放送時間が合わないことと(僕は早寝早起き。だいたい朝5時位から机に向っている)、録画してもあまり見ないこともあって、結局3話分位しか見ないうちにドラマは終了してしまった。

そのドラマでもっとも気になったのが、オープニングに流れる曲であった。朴訥としていて、それでいてドラマチックな男性ボーカル。鈴木常吉がうたう『思ひで』という曲だ。
なぜかとても懐かしさを感じるその歌声と、曲の持つ世界。素晴しい曲であったと思う。

それから何ヵ月か経った先日、僕はふとその懐かしさの原因に思い当たる。
そこで引っぱりだして来たのが、この五堂新太郎の「FADE IN」というアルバムだ。


五堂新太郎が如何なる人物で、何をしてきた人なのか、僕は全く知らない。
このアルバムも、買った当時は、ジャケットの雰囲気のみで選んだと思われる。聴いた印象も忘れてしまっていた。勝新太郎サンの歌う雰囲気に似てるのかな位にしか思っていなかったと思う。
それが、「深夜食堂」の何度かの視聴を経て、しかもそれから何ヵ月かを経て、この五堂新太郎の声を思い出したのだ。



この「FADE IN」というアルバムは『六月』という曲で静かに始まる。

6月の雨に濡れる少女を客観的に描いた作品。それはまた3曲目の『雪景色』も同様で、

『雪にうもれてる ちいさな駅で
 やさしいえがおの少女をみた』
(『雪景色』詞・曲/五堂新太郎)

といった調子で、あくまで客観的で淡々とした風景が描かれている。とても詩的だ。
朴訥とした大人の声。素朴なメロディ。


4曲目の『飛んでった日曜日』では、その視点が子犬に向けられている。

『かよいなれた この路地裏
 雨も重い夜
 君は捨て子か仔犬 ビショぬれ
 おいでこちらへ 軒はせまいけど
 夜はながいようで かならず明ける
 もしもお互い待ちぼうけだったら
 踏切りこして 左に3ゲン目
 僕の部屋がある
 よければ寄っといで』
(『飛んでった日曜日』詞・曲/五堂新太郎)

あまりに淋しくて、あまりに優しい。


そして5曲目の『移り香ほどの感傷』。
この人のデビューにはかぜ耕士が関係しているようで、この素晴しい楽曲の作詞はかぜ耕士の手による。
詞・曲、素朴なアルペジオ弾き語りの静かな世界。そのどれもが余りに素晴しい佳曲。

『なぜか淋しく酔いそうな雨の夜だよ
 さっきそこの細い路地で
 泣いている女の子がいたのさ
 行きつけの店の
 おかしがりやの子だったよ
 赤い傘がその指を哀しく染めていた
 うつり香ほどの感傷だけど
 深爪切ったあとのような
 渋い痛みが胸を駆けたよ』
(『移り香ほどの感傷』詞・かぜ耕士/曲・五堂新太郎)


どの曲も水のように心に沁みるけど、この曲の沁みいり具合は格別だ。


A面の残る2曲A-2『秋の匂い』、A-6『秋よ終れ』は通り過ぎてしまった女性のことを歌っていると思われるが、そこにおいても主観よりは客観を漂わせる作風が続いており、そこはかとない淋しさが残る。


B面は『踏切り』から。

『この秋も通り過ぎ
 哀しささえ凍るなら この街を出てゆける
 ふと止める放浪の
 踏切りさえない道を 今度こそ見つけよう
 足元を走る 枯葉の群れ
 追いすがる 黄金の光り
 人の世を あざ笑い
 戯れる 季節に 立ちつくす
 私の歳などは 誰れもしりはしないさ』
(『踏切り』詞・曲/五堂新太郎)

自分の言葉で自分を表す。素晴しい詞であると思う。


続く『青い涙』は、この曲だけ聴かされたら、みなみらんぼうかな、と思える歌声。
他の曲とちょっと世界が違うなと思ったら、作詞がみうらぶんぺいという方。


『冬の半(なか)』では、ほんの数語で世界を確立している。

別離 弟 ざん悔 ほろろ 冬の半・・・・

これはすごいことだと思わずにいられない。


B-4『石楠荘二号室』もかぜ耕士の作詞になる。
かぜ耕士の詞はとても映像的で、五堂新太郎の歌がまた映画の語り口のようで、味わい深い。


『吊り橋-亡妻よ-』

これはシングル発売もされたようだ。
これがはたしてフィクションなのか、あるいは私小説なのか、それはわからない。
20年前に亡くなった妻。今年嫁にいく娘。亡くなった妻に会いに今年も吊り橋に来る僕。
なんとも言い難い世界が展開されている。


ラストナンバーは『蒼身』。

『恋は きれいな絵のように
 画いては消して 画いてきた
 鉛筆の よごれにも 気づかずに
 疲れて 果てて
 夜明の街に
 何を 探しに いくのだろうか

 秋の朝風 身にしみる
 並木の梢に 何を見た
 枯葉の あわれは 誰れの姿か
 疲れて 果てて
 ベンチに掛けて
 始発電車を ボンヤリ見てる
 この俺は』
(『蒼身』詞・曲/五堂新太郎)

人生の哀れを『蒼身』とまで名付けながら、そこまで孤独を言い尽くしながら、あまりに美しいメロディを歌う五堂新太郎という男。
孤独を漂わせながらも、絶望を感じさせない五堂新太郎という男。

そしてそれをFADE OUTではなくFADE INと名付ける五堂新太郎という男。




『思ひで』しか聴いていないけど鈴木常吉サンがそうであるように、五堂新太郎サンもまた、人生経験を経てある程度の年齢になった者でなければ出せない味をもって、このアルバムを残していると思われる。
いわゆるフォークソングに在りがちだった貧乏臭さはみじんもなく、かといってつつましやかで、ひたすら静かな歌たち。


五堂新太郎がこの時何歳で、何処から来て、何をして、そして何処へ行ったのか。


残されたこの味わい深い「FADE IN」を少しは楽しめる歳になり、その味わいはこれから更に深まっていくだろうと、そう思う。





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Last updated  2010.02.28 11:15:37
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