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臨時教員を考える 加藤ブログ

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June 5, 2011
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カテゴリ:臨時教員
さいたま市の市費採用の方の仕事がなくなるかもしれない!
例年なら、サポートとして来年度も仕事の継続が予定されていたのだが、今年は採用の面接すらおこなわれていない。厳しい年末年始となった。教育委員会との話し合いで次のようなことが明らかになった。
1、 体育サポーター、学級学校支援員、サポート臨時教員補助員が統合されて、少人数等支援員となったこと
2、 4月からの学級学校支援員の採用数はかわらない。
3、 まだ、予算はついていないが、少人数等支援員として各校1名ずつ158人の募集をする。
 私にも校長から、面接の書類が渡された。それには、今までのサポート臨時教員補助員という名前から、「少人数等支援員」という名前に変わったこと、また指導できるものとして1、教育相談2、生徒指導3、体育の補助4、特別支援の補助の中で指導できるものを選ぶようになっていた。ねらいはサポートの仕事を今までのものから、体育サポートや支援員の仕事を兼務させるものだった。そのことについてはつぎのような問題点があった。
1、 今までさいたま市の教育を支えていた、体育サポーターや支援員の方々の仕事がなくなるかもしれないということ。ただでさえ劣悪な待遇で子ども達への情熱のみでやっていた方々なのにその方々の仕事を奪い生活を成り立たせなくしてしまう。
2、 今まで体育サポーターや支援員の方々がかかわることにより教育効果をあげていたのにその仕事をなくすということは関わっていた子ども達にとり大きな損失、子どもにとり大きなマイナスとなる。
3、少人数サポート教員は30人学級を実現しない代わりとして8年前に配置された。教育効果をあげるために配置されたのにも関わらず、いろんな仕事を兼務することは教育効果を押し下げることになるのではないか。今でさえ、サービス残業せざるを得ない勤務時間なのに、これ以上あれこれと仕事がふえることは担任の先生方とのコミュニケーションを取りずらくさせ、教育効果はあがらないと思える。(今でさえ、担任の先生との打ち合わせの時間が5時間の勤務時間ではとれない)
4、体育のサポートや特別支援の子ども達を個別にみる先生がいなくなるということは、正規の先生の負担を増すことになる。また、私達が体育や特別支援の子ども達の対応を兼務するということは、担任の先生の方でも予定がたてずらく、その時間だけとにかくいてもらえたらというような対応になりはしないだろうか。






Last updated  June 5, 2011 02:28:48 PM
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April 30, 2011
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3、自分の働きづらさをお互い語り合った
 自分の働き方に疑問を持ちながら、その都度同じ立場のサポートの方々と集まり話し合った。先生の中には私達の存在を「必要ないです」というような態度をする先生もいて、心が傷つく。しかし、仲間と話す中で、「加藤さんを必要としている子どもはきっといるはず・・・。担任の先生には言えないことを訴えてくる子どもはいるはず・・・。」と言われ、何か自分にできることはないだろうと思い返す。「とりあえず、使ってもらえないかもしれないけれど教材やプリントなど準備をしておきます。」という仲間の働き方を聞きながら、自分の働き方を振り返ってみる。管理職や正規の先生の対応のひどさに共感してもらいながら、その話し合い中から本来の教育のあり方が見えてくる。「指導しないでください。」といわれ、目の前の子どもをほっておけるのか?時間から時間と割り切って、果たしてそれが子ども達のためになるのだろうか?常に、まわりの先生の状況をみて、担任の先生がやりやすいように配慮しながら、何をしたら良いのか試行錯誤している。自分のおもうとおりにはならないことは多いけれど子ども達にとり良いことであればと自分を納得させている。しかし、このような立場の中で私は教師のあるべき姿を教えてもらった気がしている。常に自分中心に物事を考えてしまう私なのだが「子ども達や先生方のサポート」というこの仕事を通して教師として、人間として鍛えられ、成長させてもらった気がしている。
「皆で集まるとサポートの仕事の大切さを確認することが出来ます」と集まりに参加しているKさんはいう。自己肯定感をもちづらい今の働き方を私達は仲間で集まってお互いの働き方や仕事に対する思いを聞く事で、教師としての自分を取り戻してきた。






Last updated  April 30, 2011 05:17:23 AM
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April 9, 2011
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 学校内の研修にも参加できる雰囲気でなく、音楽集会の職員の出し物の練習のために時間外の練習に参加していても管理職の先生に嫌な顔をされるのではないかと気になってしょうがなかった。
運動会の打ち上げに参加しようとしたら、用務員の方から「ほんとに参加するのですか?大丈夫ですか?」と何度もいわれ、「自分は参加してはいけないのか」と思ってしまった。同じ立場の教員として同じようにいろんな行事に参加したいと思っているし、子どもからみたら同じ「先生」ではないだろうか・・・。なんともいえないやるせない気持ち・・・。
「自分の存在ってなんだ?私は果たして役に立っているのか?」今年はT1をやらせてもらえず、クラスの人数を2つにわけてその1つを担当したり、T2としての関わりしかできない。1人で責任をもって授業をやらせてもえたらと思う。
補助員だから「指導をしてはいけない」「ただそこにいるだけでいいのです」「運動会や音楽会は参加できません。あくまでも授業の時の勤務ですから」「あなたがやっている○付けは担任の仕事ではありませんか?」「時間ですから帰ってください。」(運動会の準備の仕事を色んな先生とやっているときに私だけに言われた)音楽集会の教師の出し物の練習に出ようとしたら「時間外ですから無理しないでください」「勤務時間をいつもオーバーしているけど、お給料は時間までしかもらっていないのだから、考えたらどうですか?自分で線を引かないと・・・」「職員会議だから出て行って!」と先生方の前で大声で言われたこと。担当する授業がなく職員室にいると、担任の先生に「手伝って欲しい」といわれたが、校長に空き時間は「教材研究をしてもらう時間だから」と言われ、手伝うことができなかったこと。まわりの先生も私に対して、どう対応して良いか戸惑っていたこと、私もだんだんやる気をなくし、文句をいわれないよう最低限のことしかしなくなったこと、そうすることでますます、先生方との距離が広がり、自分の遣り甲斐、存在感を感じられなくなり職場でも働きづらくなっていった。






Last updated  April 9, 2011 11:18:49 PM
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March 6, 2011
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 1、サポートとしての働き方
 今までの悩みや苦しみ、様々な葛藤の中で、思ったこと、それは、同じ職員としてやれることは精一杯という思いで仕事にむかっていこうと思ったことだ。今年はO小で2年目、1年目は1年生の授業をT1でやり、2年生はT2、そのほか、放課後の「勉強の保健室」というところで勉強がわからないところを子ども達が勉強する所を任されている。勤務時間は9時40分から3時25分の5時間勤務なのに、毎日5時、6時までの仕事となり家では教材研究と教師の仕事に専念した。研修も認められず、夏休みなどの長期の休みは仕事を切られ、身分は一般職員の扱いという教育現場になじまない制度としての矛盾は抱えてはいたが・・・。
 今年は同じ学校で2年目、T1はできないが、T2として4年生、1年生に関わっている。4年生の授業の単元がとても多く、行事も多く、担任の先生が教材研究や授業準備ができない分、担任と授業についての話をしながら、教材の準備をした。教材研究をし、ポイントを自分なりに押さえ、時々、「それなら授業をやってください。T1とT2でわかれてやりましょう。」といわれることがあり、とても遣り甲斐を感じたりして1年生では、自分の作った紙芝居や教具をつかってもらい、算数サークルで学んだことを話し、取り入れてもらうこともあった。授業の中で、大切なポイントを分かりやすい教具で説明したりさせてもらったりしていた。担任の先生の考えを聞きながら、自分も共に授業を作っていくという姿勢は忘れないようにと思いながらT2として関わっていった。
 「勉強の保健室」では毎回5、6名の子ども達と楽しく勉強している。転校してきて居場所が見つからずにいるAちゃん、「私、転校しなければ良かった。」と勉強はしないで私に愚痴を言う。Aちゃんは毎日帰りの遅いお父さんやお母さんをお兄ちゃんと待っている。乱暴ばかりしてしかられてばかりのHくん、家に帰っても、仕事で忙しいお母さんはいない。休み時間に私のそばで安心したようにプリントをやっている。「先生は心の支えになっています。」とお手紙をくれた子育てで悩んでいるお母さん。「教室でY君はやる気がなく他にも手のかかる子ども達がたくさんいて、思うようにみてあげられないのでY君たちがここで勉強してくれて助かります。」という担任の先生もいる。その先生は時々、クラスの子ども達の勉強の様子を見に来てくれる。
 人数は少ないけれど、時給1210円の劣悪な待遇の中で、私を必要としてくれる子ども達やお母さんに支えられてなんとか教師の誇りを失わず、やる気を失わず、子ども達のために頑張ろうという思いをもち続けることができた。しかし私達を取り巻く現実は厳しかった。






Last updated  March 7, 2011 12:22:46 AM
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November 14, 2010
カテゴリ:カテゴリ未分類

1.なぜ母親大会に参加するのか
 10月に入り、毎週のように埼玉県内の母親大会に参加しています。わたしは、「何のために、なにを求めて、母親大会へ参加するのだろうか」と考えます。今の世の中が「どうなっているのか?どうなっていくのか?そのことを学んだ中で、自分の生き方をみつけていきたい。」そんな思いで母親大会へ参加しています。そして、今自分が臨時教職員として生きていること、生活保護を受けてまでなぜ、教師にこだわるのか・・・?そのことを深めようと思っています。同時に臨時教職員の問題を、矛盾を色んな立場の方に訴える活動を通して人間的な生き方とは何かを自分のものにしたいと思います。

2.記念講演を聞いて
 和光の母親大会の記念講演として「ジャーナリストから見た今の社会」-報道の裏と表―という講演がありました。まず語られたことは、「今のジャーナリズムが陥っている限界として、「情報独占にあぐらをかいて情報がオープンにされていないことがある。情報を暴露していれば、真実がみえてくるのに、一般の人に真実を知らせない、あるいはゆがめて知らせていることが問題だ」と指摘されました。

 そのことを突破するためには、まず、「日本の現実を知り、なにが問題かをときほぐしていくこと」と話されました。例えば、「沖縄の問題がある。日本の国土の中で沖縄は0、6%しか占めていないのにその沖縄に在日米軍基地の74%が集中していることや普天間基地は「世界一危険な基地」といわれているが、普天間基地のような基地はアメリカ本国ではありえないこと。唯一の地上戦の被害者である沖縄にたいして真実を伝えないことで、沖縄にたいする差別と分断を作っている。」と語られました。

 また、「派遣労働者、下請け企業から見える日本の現実や農村、過疎、シャッター通り商店街から見える日本の現実を知り、厳しい現実の中で色んな人がいろんな努力をしていることを学ぶ必要がある。そして、それらの現実を最終的には日本国憲法と結びつけて考えていく必要があると」語られました。「メディアというものはそのようなきっかけを作り、地域を越えて人間同士がつながり世の中に変える可能性を持つのではないか。人間同士を分断する支配者としてのマスコミとなるのではなく孤立化、分断化をなくし互いに結びつける働きをマヌコミはするべきではないか」と話されました。

 「大局的な立場に立ち、第三者的な立場に立つ報道が新聞の価値であるが、(実際にはありえないが)しかし、今、マスコミに求められているのは、なにが大切か、本質を見る目をいかに育てるかということである。次から次へとという客観的な行動主義の訓練はするが、当事者の目線でみるという教育を記者はしていないという。これからは、マスコミは、差別され、貧しさの中で苦しんでいる人の立場に依拠して立つという大転換をしていく必要があるのではないか」と話されました。

 私はこの講演を聞いてこんなことを考えました。どんな職業であれ人間としてなにを大切に生きていくのかを考えていくことが必要ではないかと思いました。常に、苦しんでいる人、差別され、弱い立場にいる人、そんな人達に対して思いをいたらせる生き方を貫いていくことが、大切ではないかと考えました。自分に与えられた仕事の中で、何を大切にしていくのか、仕事をとおしてなにをしていくのか、自分の足跡にはなにがのこるのか、「弱い立場の人達の立場にたつ」という生き方を確立していくことこそどんな仕事につこうと大切にされなければならないことだと思いました。







Last updated  November 15, 2010 08:59:03 PM
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October 22, 2010
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1.就学援助について

 生活と健康を守る会のSさんから「就学援助について」問題提起があり、そのことについて、みんなで学習しました。

Sさんの説明によると、「川口市では、生活保護を受けている人が市民の1%を超え、ここ2、3ヶ月で2000人の方が、生活保護を受けました。そのことは、現実問題として、自立して生活ができない人たちが増えているということと、生活保護を受けることに抵抗がなくなったのではないか」と考えられるそうです。

生活保護費は国が85%、市が15%を負担しているそうです。就学援助に関しても、受給したいと思う人が増えているにも関わらず、地方分権の流れの中で、国庫補助を、要保護世帯に限定しそれ以外の準要保護世帯については使い道を限定しない交付税交付金にしたそうです。そのために、交付税交付金を、生活保護費の方にお金を廻したり、道路の整備などにも廻したりして就学援助に廻すお金が少なくなるそうです。

就学援助の対象世帯の収入の目安は年収350万円とするそうですが、その中にクラブの活動費や修学旅行の実費全部を支給するように働きかける必要があるということです。

Sさんが最後に強調したことは、「今後、まず、広く市民に就学援助のことを知らせ、利用してもらうことが大切だ」ということでした。



2.憲法25条の精神を学ぶことが大切

私は、この学習会の中で次のようなことを感じました。国は、憲法25条に在るように、人間として生活できる最低の賃金を保証しなければならない義務があるのです。

そのことは、国に「保証しろ」と要求することが、生活保護や就学援助を利用するということになるのではないかと思います。

しかし、一方では、どうしても「生活保護や就学援助をもらうことは恥ずかしいこと」という思いがまだまだ多くの人たちの中にあると思います。「生活保護なんて」という意識や「なるべくなら就学援助はうけないようにしよう」という意識があるとしたら、私達はもっと生活保護、就学援助について学ばなければならないと思います。憲法に保証されている人間らしく生きていくことを守りぬくためにも、生活保護や就学援助について学ぶ必要があると思いました。



3.生活の困窮を克服するために

不況が続いていますので、貧困の中で苦しんでいる親や子ども達をこれからもっともっと目にする現実があると思います。その時に人間の幸せに向かって、生活保護や就学援助について正しく伝え、援助する必要性を感じています。

私も自分が生活保護を受けるようになってから初めて生活保護について学ぶ機会を持つことできました。そして教師として何とか心落ち着けて仕事ができることが可能になりました。友人や親戚に「考えが甘い。もっと働いたら。」といわれ、悩んだこともたくさんありましたが、生活保護を受けることで多くのことを学ぶことができました。とても得がたい貴重な経験だと思っています。

生活の困難さを個人の問題にするのでなく、ひろく制度の問題としてとらえ社会的に解決していこうとすることは、生活の中でたたかうことになるのではないかと感じています。人間を社会的に捉え、さまざまな矛盾を社会的に解決していこうと考えることは大切なことではないかと思いました。






Last updated  October 22, 2010 11:22:38 PM
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October 9, 2010
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 1.分科会にて

 9月26日、草加の母親大会に仲間とともに参加しました。そこの事務局には「すすめる会」の会員の人がおり、私達「すすめる会」のチラシを「とてもよい資料ですね」と言って、母親大会に参加された皆さんに配ってくれました。        

 分科会のテーマは「居心地のいい、一人ひとりが楽しく、気持ち良く生活できる学校を」というものでした。分科会では、お母さんやお父さんたちの子育ての悩みが語られました。

 1年生の子どもを持つお父さんは、「子どもが体育着を忘れて、パンツ1枚で体育をやらされ、学校に行くと担任は何も言えずしどろもどろだった。」という話や「我が家の次男は授業についていけず、40分間の家庭学習がとても苦痛で、学校の勉強についていけていないようだ。自宅に帰ってから、放課後のタイムスケジュールを書かせるが、そのやり方についていけずに家庭の団欒のようなことまでは書きたくはないと連絡帳にこちらのペースで書かせてもらいます。」と書いたそうです。

 「勉強の方もとても難しくなり、以前は4年生の3学期で勉強した円と球という内容が、今は3年生の1学期に出ている」と話されたお母さんもいました。

 また、子どもの様子から、「学校では子どもは疲れているのではないか?」「ゆっくりする時間がないのではないだろうか?」「学校の中で楽しみをみつけられないのではないか?」「どうにかして、次の日に希望をもてるような楽しみをもてるような学校にならないものか?」という意見もありました。

 先生に望むこととして「親が誉めるより先生が誉めることが、子どもはとてもうれしがるから、先生はもっと子どもたちを誉めてほしい。子どもは、誉めてもらい、自分に自信がつくと自然に落ち着いてくると思う。」というような要望もありました。さらに、「先生は、どんなクラスを作っていくのかきちんとした方針を持ってほしい。」という意見などもありました。

 私はこの分科会に参加して、改めて「教師とは何なのか?教師の仕事とは何なのか?教師としてどんなときに誉め、どんなときに叱るのか?をはっきりさせることが大切だ」と思いました。また、「どんなクラスを作るのか?子ども一人ひとりにどのように対応していくのか?」を考えていくことも大切であると思いました。

 人間としてどう生きるのか、「そこには臨時の先生も正規の先生もありません。人間として豊かに生きることを追求していくことが教師として求められている。」と感じました。

 私が仲間と共に取り組んでいる、臨時・非常勤の教職員制度の改善運動もそこに自分の教師として、人間としての学びがなければ意味がないと思います。そして、人間的に豊かになる運動を仲間とともにめざしていきたいと思いました。

2.全体会にて

 全体会での講演は、「学校、地域で、今、子ども達は」という演題でした。

 今の子どもたちは、PISAの学力調査によると30ヵ国中6位という結果にマスコミも便乗し「ゆとり路線」から授業時数も増えていきます。

 学力テストに54億円もかけ、民間に○付けまでしてもらっています。一方、教科書も変わり、次のような変化があるのではないかと言われました。

1.国語の学習では、心を豊かにする文学教材というよりも活用力をつける教材が増え、雑学的な内容に変わっていく。

2.神話が教材として入ってくる。

3.ふり仮名をふれば、習っていない漢字も入ってくる。

 などの問題点が話されました。

 しかし、今現在でも問題点もあり、その一つに国語では1年生でひらがな、カタカナ、漢字を習いますが、「短期間のうちに、濁音、半濁音などあわせると600字も書けないと作文が書けない。」ということになっています。だから、高校生になってもていねいに字を書けない、書き順もめちゃくちゃ、ひらがなもきれいに書けないということがおきています。

 また、性教育が大切にされていないために「人間に対する愛」について学ぶ場がないということです。

 さらに、「子どもの貧困、孤独化だけではなく、子ども達は大きな声をあげて、のびのびと、怒られながら育っていくというのが本来の姿なのですが、エアコンのきいた部屋でゲームをし、活気があるのは、ディズニーランドで、町が子どもにとってゴーストタウン化しているのではないか」という話もありました。

 子ども達が大切にされていない困難な現代をどう生きるかは難しい問題ですが、「学校においては、大人が子どもに合わせるのではなく、子どもに大人が合わせて、授業の工夫をしながら大人も含めて、お互い、つながりあうことを大切にしていこう」という話になりました。

 格差が拡大している現在の社会の中で、人と人が繋がりを作ることで、支えあいながらお互いの困難さを乗り切っていけるのではないかと感じました。







Last updated  October 17, 2010 07:13:47 AM
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September 26, 2010
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 1,日本母親大会へ参加!
 8月28・29日と福島県で日本母親大会が開催されました。
私の日本母親大会への参加は、今年で3回目の参加となります。今回は、自分から「すすめる会」事務局会議で「参加させて欲しい」とお願いしました。
その理由は、「教育をよりよいものとするために、臨時教職員の多くの矛盾点、問題点を更に広く知って欲しい。全国の皆さんと共に考えたい」という願いからでした。
 全国から13,000人もの参加がありました。

2、全国の母親達の闘いに感動!
 全体会では、「平和と健康は幸福の必要条件―憲法的人間像を求めて」という演題で講演がありました。
 戦争は特に、子育てや生活を背負っている女性の健康を損ない、負担を強いるものであるということから始まり、1814年以来ずっと戦争をしていないスウエーデンと比べると、日本は1814年の明治維新から50年間ずっと戦争をしていたため、福祉にかけるお金のストックがなかったそうです。スウエーデンは、戦争をしない代わりに財政をストックし、福祉のためにお金を使うことができました。今、社会保障の機能が充実しているスエーデンと比べて、日本の場合、所得格差はそうでもないが、社会保障や税に格差があります。しかも、「構造改革はどのような人間をモデルにしているか、それは物事を金のあるなしで決める人が良い人、金儲けが大切という人たちを作ってしまった」と話されました。私はこの話を聞いて、真実を知ることの大切さ、その中で人間らしく生きることは何なのかを考えました。
 次に、この1年間、全国各地域で闘っている女性達が舞台にあがって自分達の闘いの報告がありました。不当解雇をたたかっている社会保険庁の方、資生堂で働く中国の方は、口紅を作る仕事に誇りを持ち、同じく不当解雇に対して闘いを挑んでいました。闘いに立ち上がった7人のうち、4人は子どもがいて、子どもと共に舞台の上で自らの状況を訴えていました。また、別の会社で闘っている女性の半数はシングルマザーだということでした。
福島の農民連の方や遠く宮崎からは、「口帝疫の問題はあるが、私たちは負けない」と発言されていました。
 高齢者の年金者組合からの話し、福島で墓石屋や林業をやっている母ちゃんたちは、年間の消費税を支払うために3ヶ月間弁当屋で働いて支払っているという実態をコミカルに話されました。
 子どもと教育の問題では、「東京は、オリンピックのための土地を確保するための埋め立てのお金には相当のお金をかけました。しかし、認可保育所はお金がかかるために、民間に任せ、そこでは、延長保育の時は子どものタイムカードがあり10分単位でお金が加算される」という報告がありました。また、北海道の特別支援学校の先生は、「学習指導要領から逸脱すると市民からの通報があったり、52項目もの聞き取り調査をしたりして、学習指導要領からの逸脱をチェックしている」と話されました。
 男女の健康格差が世界101位の日本では、子宮頸ガンで命を落とす女性が年間3,500人もいること、何とかそれを救おうとワクチンの投与を始めている自治体が増えてきたことの報告もありました。
 平和の問題では、戦争中に、兵士を慰め、暴力的に監禁され性奴隷とされた従軍慰安婦の問題、962億円もの支給漏れのあった戦没者の遺族年金の問題、治安維持法の問題なども高齢者の方々が暑い会場で署名活動をされていました。
 死の灰を浴びた第五福竜丸が戻ってきた焼津の町が長崎、広島に続いて、被爆三県の認定を受けようとしていること、焼津の町の過半数が「核兵器反対の署名」をしてくれ、一人ひとりの草の根から平和の運動を広げているという話、また、奄美大島を代表して、「鹿児島の徳ノ島は、長寿日本一、子どもの出生率の上位を徳ノ島の町が独占しているこの町に絶対米軍の基地は作らせない」と発言されました。
「アメリカの世界戦略に巻き込まれるのは絶対にいや!」「日米合意を撤回させるまで、沖縄を孤立させてはならない!」と話されました。
 子育て、教育の問題、医療の問題、高齢者、平和の問題いずれも女性として生活の問題と深く結びついて考えざるを得ない切実な問題だと強く感じました。「小児マヒを予防するワクチンを欲しい」という運動を広げていった母親運動が様々な矛盾が吹き出ている現代こそ必要ではないかと感じました。

 3、熱心な話し合いに考えさせられた分科会!
「子どもの生きる権利と貧困」という分科会に参加しました。そこでは、様々な貧困の実態が話されました。
 例えば、活動を選択する際に「中学時代にブラスバンド部でトロンボーンを吹いていたが、その部は遠征もあり、毎月5,000円もお金がかかる。お金のかからない陸上部に入った。それほど足は速くはないのだが・・・」という話や、「父親は行方不明、母親は定職につけない。上に兄弟はいるが、自分の周りにめざす大人がいない。そんな絶望感から、毎日学校へはくるが、何も持ってこない。どのような家庭に生まれたかで、その子の人生が決まってくる。何とか学校で希望を持たせたいと思う。そのために教育の無償化は必要なのではないだろうか。」という切実な意見もありました。また、高い収入があるのに、夫が妻にお金を渡さない、離婚に近い夫婦関係で経済的な夫からの暴力を受けている場合もあるという。一方、サラ金で身を隠している家族もいる。
 そういった中で、いろんな人が就学援助を受けられない状況にある。そのことは、「子どもの発達が阻害されていることに繋がっているのではないだろうか?」という意見もありました。
「大変に厳しい社会状況の中に、保護者が生きているということを、もっと教師は実感すべきなのではないか。」「学校に学用品を持っていかなくとも授業が受けられる世論作りをしていく必要があるのではないか。」また、「父母負担のことも教師が良く知ってどんな教材が必要かを考え、支給方法などを考える必要があるのではないか。」「教科書以外のワークブックは無償と認められないのになぜ学力テストは公費でやれるのだろうか?」という意見もありました。
 食育とは、同じものを食べて会話がはずむこと。弁当を隠して食べた時代から給食の時代になった。しかし、時代は逆行して、例えば、高校のランチルームで食べる弁当はプリペードカードを購入してから事前に予約しないと食べられないところもあり、そうなると、そのカードを買うお金かないということが生まれ、昼食を食べない生徒がいるそうです。
 「娘の夫がリストラに会い、子どもの支援を祖父母の立場でしようと思ったが、ずっと続けて援助できるわけでもないので、娘夫婦は就学援助を受けるべきではないかと思った」というような発言もありました。また、「憲法26条では『義務教育はこれを無償とする』とある。就学援助を受けることは、生活の中で闘っていくことにつながるのではないだろうか?」という意見もありました。
「以前、インドネシアに行ったときに、貧富の差がとても激しいと感じた。レストランに行く観光客に傘を差し出す子どもがいた。」「今の日本も経済的な格差が大きいと感じる。図工の作品を見ても、親は忙しくて学校のことに関われないと、そんな子どもは図工の材料が揃わず、道具も少なく創作意欲も沸かないため、できた作品に差が生じるのではと感じる。」「一部の子どもというのではなく、すべての子ども達、誰でもが安心して教育に関われるようにすることが大切ではないかと感じる。」との発言もありました。このように分科会では、今の現実の厳しさが多く語られました。
 私は、いろんな発言を聞いて、「誰でもが安心して教育に関われるように、教育費の無償化は大切ではないか。」と思いました。大人が作った貧困と格差の社会に中で、苦しんでいるのは、弱い立場の子ども達ではないのだろうか・・・。その中で、就学援助を申請し、安心して教育が受けられるようにすること、自分自身が行動をする大切さを感じました。そのことは、生活の中で闘うことになるという意見がありましたが、今まさに生活保護を受けながら教師を続けている私も生活の中で闘っているということのなるのではないかと思いました。
 より良い教育を求めて、また、労働者として生きる権利を求めて、就学援助や生活保護をうけることは、広い意味で社会をかえることに繋がっているのかもしれないと感じました。
 すべての子ども達が安心して教育を受けられるようにするということと臨時教職員が雇用不安を感じることなく、安心して教育に専念できるということは、つながっていると感じました。臨時教職員の雇用の継続や待遇の改善は、子ども達により良い教育を保証するためになくてはならないことだと改めて感じた分科会でした。







Last updated  September 27, 2010 12:08:30 AM
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September 4, 2010
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1.記念すべき宮城集会

 全臨教への参加は今年の宮城で15回か16回目の参加になると思います。最初の頃の1、2年は、私は子ども連れの参加でした。私にとっては、今回の全臨教は、特に「6年ぶりに採用試験が受けられるようになった」という点で、自分にとって、記念すべき集会でした。又、夜の分科会に初めて、「非常勤のしゃべり場」ができたこともうれしいことでした。
 早速、胸躍らせて、「非常勤のしゃべり場」へ参加したものの(当日は書記のような役目をする予定であったのだが・・・)、進行が難しいと感じました。非常勤として、参加者は色々な思いを抱え、仕事をしているが、その思いを率直に語って欲しかったが、どのようにすれば、もっとそれができたのだろうか・・・。制度の問題を語ればきりなくあると思うが、それだけでは、不十分だと感じました。「自分自身のこの取り組みに対する考え方が安易すぎたと反省しています。どんな集まりにし、それを受けて、どんなチラシを作るのか、更に、深く考えるべきであったと思います。参加者の「非常勤としての思いをもっと聞きたい」「思いを語りたい」という期待にあまり答えられなかったのではないかという課題を残したのではないかと思います。どのようにすれば、お互いの思いがもっと語れたのか、今後の課題にしたいと思います。

2.文科会での熱心な討論に感動

 翌日の分科会は分科会の1、「採用制度の改善」に参加しました。人数も多く、難しい分科会になるのではと思っていましたが、司会者の「受験している人の思いを受け止める。自分の思いをぶっちゃける(温泉に入って、ゆっくり体を解放するように?)ような分科会になるといいと思います。」という発言から始まりました。参加者の思いを語ることが大切にされた分科会であったので各県から色々な発言がありました。
 
 A:採用試験は10回受けた。二次までいったのは4回。試験に落ち、「自分は教師にむいていないのか」と思う。高校で臨時教員をやっているが、採用試験の時期と文化祭が重なり、準備は生徒達とやるが、文化祭当日が採用試験と重なる。そのために、臨時教員が文化祭当日いない。ごそっとぬける。生徒に説明しても、生徒はよくわからないかもしれない。一次合格した人は、翌年は、一次免除にしてほしい。
 
 B;私は20回も採用試験を受けて、不合格だった。採用をあきらめていたが、愛知で特別選考が実施され、「やっぱり自分は採用されたい」という要求に気づく。
 特別選考で自分も含めて、長期の臨時教職員が採用され始めて、職場の雰囲気が変わってきた。いままでは「採用試験に受かるように勉強しなさいよ」と言われていたのが、「なんであなたがとおらないの?」職場の校長も「なんであなたが試験にとおらないのか校長会で聞いてみる」というようになってきた。面接試験も、「どんな先生が必要なか」を問う面接試験でなくてはならないと思う。勉強はしたほうが良いが、「教師の質は勉強ができることが大切なのか、それとも、経験が豊かで子どもに寄り添える教師が欲しいのか」を面接官に聞いてみたい。特別選考で50歳代の方が2名合格した。そのことは、教育の充実に繋がっている。

 C:毎年6年生をもつ経験のある臨時の先生が合格しない。1年毎に臨時の先生がかわり職場では、やりにくい。自分は正規だが、少しずつ勉強して、改善していきたい。

 埼玉で行われている特別選考は本来の特別選考にはなっていないのではないか。試験の成績の前に実際の学校での経験が何より尊重されるべきなのだと思いました。現場でのそれぞれの頑張りをもっとお互い尊重しあうことが大切ではないかと思ったし、多くの人達にもっと現場での自分の働き方について話し、自分の思いを訴えるべきだと思いました。
 1.採用試験に対する思い 2.正規採用に向けた思い 3.教育実践への思い 4.長いスパーンでの自分の人生の中での採用試験の位置や思いなどを語りあう必要性を感じました。仲間との話合いの中で、自分の考えも深めていきたい。自分だけの正規採用化ではなくて仲間とともに正規をめざす、そのような取り組みを今後埼玉でもやっていきたいと思いました。
 愛知のように、粘り強くやっていけば、応援する組織や、応援する人がいれば必ず、正規採用は、勝ち取れると感じました。
 特別選考をかちとることがまず大きな第一歩になったのだと思い、サポート教員の特別選考の意味の大きさを感じさせられました。
 「一般職員の位置付けでしかなかったサポート教員が特別選考の対象になったことは、教員であるということを認めさせことで、すごいことだ」と指摘され、初めてサポートの特別選考の意味がわかったような気がしました。今後このことを大切にして採用試験のことを仲間の問題として考え、みんなで話し合いをしながら大事に進めていきたいと考えています。






Last updated  September 5, 2010 08:34:24 AM
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August 22, 2010
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 1、サポート教員が必要な状況だが・・・。

 私はさいたま市の小学校でサポート臨時教員補助員として働いて今年で6年目になります。勤務時間は9時40分から3時25分の5時間です。時給は1210円です。夏休みなどの長期の間は仕事がきられるので、年収が80万円にもなりません。ダブルワークもしましたが、教育の仕事に専念したくて、サポートの仕事についた6年前から生活保護を受けてなんとか生活しています。                                                

 職場では算数の授業に担任の先生と一緒にクラスに入り、わからない子ども達に個別に算数を教えたり、時には、先生と交代して授業を進めたりもしています。忙しい先生のかわりに、授業の導入で使う具体物や復習用のプリントなどを準備したり、教室にはる学習している単元に必要な掲示物を作ったりしています。
 サポートに入っている正規の先生方が「忙しすぎて、自分のやりたいことの半分もできない」「提出する書類や親との対応など体面ばかりを保つことばかりが、重視され、子どもとの関わり方こそが大事なのにそれは大事にされない。こんな教育現場でやっていけるのかと辞表をかばんに入れて毎日学校にきている。」と話しをされる方もいるのです。このように、忙しすぎる現場で悲鳴をあげている先生達を目の当たりにして、なんとか負担を軽くしたいと、授業のことや、子ども達のことなどなるべく話をしながらまた、先生達の話も聞きながら、サポートの仕事をやっています。

 また、勉強の保健室という所で、放課後の補習を任されています。勉強をもっとわかりたいという子ども達が10人前後やってきます。なかには2年生なのに、1年生の足し算、引き算ができないという子どももいます。お母さん方がお迎えに来て、勉強に遅れがちな子どもの話や子育ての不安など話をされていきます。中には、授業中に教室にいなくて、保健室に来るMちゃんという子どもがいて、担任の先生とその子の対応について話をしながら「一緒にMちゃんをみていきましょう。」と担任の先生から話をされたりしています。大変な子ども達が増え、忙しい現場では、私達サポートの必要性は、年を追うごとに大きくなっているのではと感じています。当然勤務時間はオーバーし毎日サービス残業となっています。

2、サポート教員としての働き方は・・・

 今年は1年生と4年生の算数の授業に担任の先生と一緒に授業に入っています。同じ学校に2年目ということもあり、管理職の先生が代わったとはいえ、人間関係ができている先生もいて1年目より自分の居場所を感じることができ気持ちの点で随分と違います。立場が正規の先生と異なるだけに、同じ学校で仕事ができ余計な気苦労(自分は役にたっているのだろうかという思い)が少なく、その分、何か自分にできることはないかなと回りの様子をみることができるようになりました。

 1年生や4年生の算数では、授業について「こんな所で子ども達が躓いているようですね」とか「こんな用具を使ったらどうですか?」と自分の意見を言ったりしています。先生がやり易いようにというより少し意見が違っても子ども達にはこれが大切とおもうことについて話すようにしています。その点が昨年と違う点です。そのような対応でよいのか分からないのですが、自分が主で教えた場合はどう教えるかということを考えながら授業に関わっていると、知らず知らずのうちに先生に自分の感想や子ども達の様子など言ってしまいます。

 ある時、4年生の先生に、子ども達がわからない様子なので、「別のやりかたでやってみては・・・」といったので「月曜日は加藤先生が授業をやってくださいと言われサポートなのに余計なことを言ってしまったかと悩みました。しかし、当日は「加藤先生の授業を楽しみにしています」と担任の先生にいわれ夢にまで見た授業ができとても幸せでした。

 サポートは、「あくまで、担任の先生の補助であり、担任の先生がやり易いようにやるべきなのでは」と同じ仲間のサポートの方に言われたりもしました。しかし、私は、「同じ教育を担う教師としては、対等ではないか」と考え、自分の意見や指導方法などサポートという立場ではあるけれども、自分の意見をだすようになっていきました。

3 仲間づくりがすすまない!  

 いろいろな働きかけをしましたが、なかまづくりは思いように進みませんでした。
その大きな理由は私自身の中にありました。「仲間を大切にする」「仲間と話し合いをしながら、仲間の願いを大切にする」と言うことを全臨教の集会に来るたび全国の仲間から教わりながらここまできたのだが、どうしても自分の思いで仲間を引っ張ってしまうことが続きました「何のために話し合うのか!」という位置づけもできず、仲間にも語ることができず、それぞれの思いを大切にできず何年も経ってしまいました。きちんと自分の思いを語り、相手の思いも充分に聞き、一致する所はどこなのか、どこが違うのかはっきりさせながら、話合いを積み重ねていかなくてはいけないのではないかと思いました。
 私の中に埼玉の仲間に言われるように、「0%か100%か」という考え方が根強くあり、「どうしても自分と意見が合わないと、駄目な人、」「この人と自分は違うから駄!というように相手を切ってしまいます。そんな私にとって、人と関係を作っていくのが自分の大きな課題でした。自分にとって都合がよければ良い人、一緒にやっていける人という考えからどうしても抜け出すことができずにいました。どんな人とも手をつないでやっていくことや、例え30%でも良いから進歩したことを大切にしてやっていくことができないでいました。
 

4、本当の自立を求めて

 試行錯誤を続けながら、サポートの仲間作りを続けてきましたが、教職員の組合で私達非常勤だけでなく、さいたま市で働く28種類もの非常勤、派遣の方を対象とした「話しを聞く集い」をひらいてくれることになりました。それへ向けて、サポートの方の意見を聞きました。自分の意見だけでなく、仲間の意見として次のような意見をまとめることができました。

 このまとめた意見を教職員組合で開いてくれる「話を聞く集い」にもっていくつもりでいます。

 自分の思いを大切にするのではなく、「自分はさておいて、相手を大切にする中に本当の自立がある」と仲間にいわれ、その言葉の本当の意味はまだ分からないのですが、目指すべきは、長い間自分がそうなりたいと願っていた「本当の自立」です。

 これまで、埼玉の臨時教職員の仲間や、「埼玉県臨時教職員制度の改善をすすめる会」のメンバーを中心に臨採の雇用年齢撤廃、採用試験の受験年齢撤廃と次々と運動を推し進めてきました。その運動のお陰で、私は6年ぶりに採用試験を受けることができるようになりました。しかも、教員ではなく一般職員の扱いとしかみなされていなかったサポート教員が、特別選考の対象になり筆記試験が免除となり、受験できました。それは、「臨教運動というのは加藤さん自身の成長にある」といわれそれぞれ不充分なものを抱えながら、仲間が、協力し、支えあったからこそ、少しづつ、前進してきたからこそと思います。また、「自分自身のそれぞれの課題をお互いが、学びながら、運動を、より良い方向へ向かって、改善していった」ということの中にあると思います。

 臨時教職員の運動は決して一人ではなしえない事です。だからこそ、お互いがそれぞれの良さや不充分性を認め合いながらやっていかなければ本当の前進はないものだと思いました。一人でもこの運動をやるという思いと仲間の思いを大切にしながら思いを重ねて、つなげていくことが大切ではないかと思いました。その運動の中に「本当の自立」があるのではないかと思いました。まだまだ不充分な自分ですが、仲間と共に成長しながら、サポート教員の待遇改善を求めて、仲間を信頼し、運動を進めていきたいと思います。







Last updated  September 5, 2010 08:20:03 AM
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