日本母親大会へ参加!
1,日本母親大会へ参加! 8月28・29日と福島県で日本母親大会が開催されました。私の日本母親大会への参加は、今年で3回目の参加となります。今回は、自分から「すすめる会」事務局会議で「参加させて欲しい」とお願いしました。その理由は、「教育をよりよいものとするために、臨時教職員の多くの矛盾点、問題点を更に広く知って欲しい。全国の皆さんと共に考えたい」という願いからでした。 全国から13,000人もの参加がありました。2、全国の母親達の闘いに感動! 全体会では、「平和と健康は幸福の必要条件―憲法的人間像を求めて」という演題で講演がありました。 戦争は特に、子育てや生活を背負っている女性の健康を損ない、負担を強いるものであるということから始まり、1814年以来ずっと戦争をしていないスウエーデンと比べると、日本は1814年の明治維新から50年間ずっと戦争をしていたため、福祉にかけるお金のストックがなかったそうです。スウエーデンは、戦争をしない代わりに財政をストックし、福祉のためにお金を使うことができました。今、社会保障の機能が充実しているスエーデンと比べて、日本の場合、所得格差はそうでもないが、社会保障や税に格差があります。しかも、「構造改革はどのような人間をモデルにしているか、それは物事を金のあるなしで決める人が良い人、金儲けが大切という人たちを作ってしまった」と話されました。私はこの話を聞いて、真実を知ることの大切さ、その中で人間らしく生きることは何なのかを考えました。 次に、この1年間、全国各地域で闘っている女性達が舞台にあがって自分達の闘いの報告がありました。不当解雇をたたかっている社会保険庁の方、資生堂で働く中国の方は、口紅を作る仕事に誇りを持ち、同じく不当解雇に対して闘いを挑んでいました。闘いに立ち上がった7人のうち、4人は子どもがいて、子どもと共に舞台の上で自らの状況を訴えていました。また、別の会社で闘っている女性の半数はシングルマザーだということでした。福島の農民連の方や遠く宮崎からは、「口帝疫の問題はあるが、私たちは負けない」と発言されていました。 高齢者の年金者組合からの話し、福島で墓石屋や林業をやっている母ちゃんたちは、年間の消費税を支払うために3ヶ月間弁当屋で働いて支払っているという実態をコミカルに話されました。 子どもと教育の問題では、「東京は、オリンピックのための土地を確保するための埋め立てのお金には相当のお金をかけました。しかし、認可保育所はお金がかかるために、民間に任せ、そこでは、延長保育の時は子どものタイムカードがあり10分単位でお金が加算される」という報告がありました。また、北海道の特別支援学校の先生は、「学習指導要領から逸脱すると市民からの通報があったり、52項目もの聞き取り調査をしたりして、学習指導要領からの逸脱をチェックしている」と話されました。 男女の健康格差が世界101位の日本では、子宮頸ガンで命を落とす女性が年間3,500人もいること、何とかそれを救おうとワクチンの投与を始めている自治体が増えてきたことの報告もありました。 平和の問題では、戦争中に、兵士を慰め、暴力的に監禁され性奴隷とされた従軍慰安婦の問題、962億円もの支給漏れのあった戦没者の遺族年金の問題、治安維持法の問題なども高齢者の方々が暑い会場で署名活動をされていました。 死の灰を浴びた第五福竜丸が戻ってきた焼津の町が長崎、広島に続いて、被爆三県の認定を受けようとしていること、焼津の町の過半数が「核兵器反対の署名」をしてくれ、一人ひとりの草の根から平和の運動を広げているという話、また、奄美大島を代表して、「鹿児島の徳ノ島は、長寿日本一、子どもの出生率の上位を徳ノ島の町が独占しているこの町に絶対米軍の基地は作らせない」と発言されました。「アメリカの世界戦略に巻き込まれるのは絶対にいや!」「日米合意を撤回させるまで、沖縄を孤立させてはならない!」と話されました。 子育て、教育の問題、医療の問題、高齢者、平和の問題いずれも女性として生活の問題と深く結びついて考えざるを得ない切実な問題だと強く感じました。「小児マヒを予防するワクチンを欲しい」という運動を広げていった母親運動が様々な矛盾が吹き出ている現代こそ必要ではないかと感じました。 3、熱心な話し合いに考えさせられた分科会!「子どもの生きる権利と貧困」という分科会に参加しました。そこでは、様々な貧困の実態が話されました。 例えば、活動を選択する際に「中学時代にブラスバンド部でトロンボーンを吹いていたが、その部は遠征もあり、毎月5,000円もお金がかかる。お金のかからない陸上部に入った。それほど足は速くはないのだが・・・」という話や、「父親は行方不明、母親は定職につけない。上に兄弟はいるが、自分の周りにめざす大人がいない。そんな絶望感から、毎日学校へはくるが、何も持ってこない。どのような家庭に生まれたかで、その子の人生が決まってくる。何とか学校で希望を持たせたいと思う。そのために教育の無償化は必要なのではないだろうか。」という切実な意見もありました。また、高い収入があるのに、夫が妻にお金を渡さない、離婚に近い夫婦関係で経済的な夫からの暴力を受けている場合もあるという。一方、サラ金で身を隠している家族もいる。 そういった中で、いろんな人が就学援助を受けられない状況にある。そのことは、「子どもの発達が阻害されていることに繋がっているのではないだろうか?」という意見もありました。「大変に厳しい社会状況の中に、保護者が生きているということを、もっと教師は実感すべきなのではないか。」「学校に学用品を持っていかなくとも授業が受けられる世論作りをしていく必要があるのではないか。」また、「父母負担のことも教師が良く知ってどんな教材が必要かを考え、支給方法などを考える必要があるのではないか。」「教科書以外のワークブックは無償と認められないのになぜ学力テストは公費でやれるのだろうか?」という意見もありました。 食育とは、同じものを食べて会話がはずむこと。弁当を隠して食べた時代から給食の時代になった。しかし、時代は逆行して、例えば、高校のランチルームで食べる弁当はプリペードカードを購入してから事前に予約しないと食べられないところもあり、そうなると、そのカードを買うお金かないということが生まれ、昼食を食べない生徒がいるそうです。 「娘の夫がリストラに会い、子どもの支援を祖父母の立場でしようと思ったが、ずっと続けて援助できるわけでもないので、娘夫婦は就学援助を受けるべきではないかと思った」というような発言もありました。また、「憲法26条では『義務教育はこれを無償とする』とある。就学援助を受けることは、生活の中で闘っていくことにつながるのではないだろうか?」という意見もありました。「以前、インドネシアに行ったときに、貧富の差がとても激しいと感じた。レストランに行く観光客に傘を差し出す子どもがいた。」「今の日本も経済的な格差が大きいと感じる。図工の作品を見ても、親は忙しくて学校のことに関われないと、そんな子どもは図工の材料が揃わず、道具も少なく創作意欲も沸かないため、できた作品に差が生じるのではと感じる。」「一部の子どもというのではなく、すべての子ども達、誰でもが安心して教育に関われるようにすることが大切ではないかと感じる。」との発言もありました。このように分科会では、今の現実の厳しさが多く語られました。 私は、いろんな発言を聞いて、「誰でもが安心して教育に関われるように、教育費の無償化は大切ではないか。」と思いました。大人が作った貧困と格差の社会に中で、苦しんでいるのは、弱い立場の子ども達ではないのだろうか・・・。その中で、就学援助を申請し、安心して教育が受けられるようにすること、自分自身が行動をする大切さを感じました。そのことは、生活の中で闘うことになるという意見がありましたが、今まさに生活保護を受けながら教師を続けている私も生活の中で闘っているということのなるのではないかと思いました。 より良い教育を求めて、また、労働者として生きる権利を求めて、就学援助や生活保護をうけることは、広い意味で社会をかえることに繋がっているのかもしれないと感じました。 すべての子ども達が安心して教育を受けられるようにするということと臨時教職員が雇用不安を感じることなく、安心して教育に専念できるということは、つながっていると感じました。臨時教職員の雇用の継続や待遇の改善は、子ども達により良い教育を保証するためになくてはならないことだと改めて感じた分科会でした。