研ぐ
1)このカテゴリが一番少ないので、これで行こう。画像もいい意味もなく、気に入ったから、これでいく。どうかね、まだ生きている。選挙はやだね。10票持っているなら、全員に入れてあげる。一票しかないから、ほんとに好きな人にしか入れない。でも、本当に好きな人なんていない。本来なら、白票。あるいは投票拒否。それでは民主主義にならないので、近似値に入れる。嫌な奴は、絶対入れない。でも絶対嫌な奴が当選する。みんな騙されているのか。あるいは私だけが、別な道を歩いているのか。2)投票日は会場で立会人を務める。人々を見つめるのは楽しい。意味もなく、朝7時から、夜8時まで、ひたすら見つめる。面白い。だから、不偏不党、旗色は明確にしない。全ての誘いを聞き流し、絶対、参加しない。だが、人々は、私の真意を知らない。私の心は狼。牙を剥いている。触るなオレに。怪我したくなければな。だが、私はひたすら隠す。3)道具はほぼ揃った。あとは研ぎだ。砥石も揃っている。研ぐべき刀も数十本揃っている。あとは研ぐだけだ。再開だ。大型のアートはそろそろ限界。やりかけている作品だけは、最後まで仕上げよう。あとは小品へ撤退。撤退と言っても、面打ちは楽しそう。いろいろ楽しみは残っている。飽きはしない。まだまだやるぜ。4)人事は難しい。難しいが、楽しい。考えようによっては。陣容を構えるのに、配置図が必要だ。何でもかんでも、一人でやってしまっては、縮小プロセスにハマるだけ。人に任せる。信頼する。やってもらう。人を引き出す。人の能力を引き出す。組み直す。面白さは、確かにある。人事は難しい。楽しさは、その難しさの中にある。5)ひょんなことで、自分の過去ブログを読む。数万記事を書いているので、全部読み返すなど、無理。ないし無駄。だが、時たま、一つの文脈を追ってみると、これがなかなかに楽しい。5000冊の読書ブログを書いた当時には戻れない。読書そのものの意味が、3,11、15年前に変わってしまった。それ以前はスピリチュアリティ。それ以降はエコロジー。今は、無手勝流。意味もなく、転がる。6)自らを和尚と呼んでみる。自らをOSHOと呼んでみる。それはできる。簡単だ。和尚として行動し、OSHOとして生きる。もちろん簡単ではない。だが、誰にことわるでもなく、誰に遠慮するわけでもなく、そう生きる。そう生きることはできるはずだ。悟りやエンライトメントは、誰の許可をもらうものでもなく、誰に遠慮するものでもない。それを生きる。生きるだけだ。7)立春もうすぐ春だ春が来る 把不住