漏
1)<エピソード提供>3・11が落ち着き、コロナがやってくる前、私は市内で一番の観光地、伊達政宗ゆかりの史跡の観光ガイドをしていた。伊達藩士会など、ハードな歴史愛好者で構成されていて、郷土史愛好者というより、もっとコアな強面の高齢者達の集まりである。2)大阪夏の陣の敗残兵である豊臣軍の子孫である私には、ちょっと肩身の狭い集まりである。感情移入も薄く、いまいち歴史知識も不足がちで、研修とかあると、積極的に手を挙げて参加してきた。3)ある時、日帰り研修があり、絶好のチャンスと、私は最初に参加を決めた。中央駅に着いたのは、ピカピカの新車の観光バス。室内の香りも、新車そのもの。こちらは伊達藩士御一行様である。バス会社の歓迎も半端じゃない。4)県南から福島沿岸部にかけての研修は、素晴らしかった。普段は透すぎてしまうような、さもない風景に、重実に重要な史跡が眠っていたりするのである。目立たぬ石碑があったりするが、説明板どころかトイレもないようなスポットがほとんどだ。5)道の駅での昼飯も終わって、夕方近く、最後の史跡見学も終わって、観光バスに戻り、乗員をカウントすると一人足りない。何度計算しても足りない。グループ重鎮の80才のDさんがいないということが判明した。6)携帯に電話したり、バスから🚌降りて、みんなで林や階段を手分けして探しても、手がかりなし。これは大変なことになった。崖から落ちたのではないか。みんなで、大声で探し始めた。捜索の輪が広がった。7)そしてDさんは間もなく、ようやく見つかった。いやーよかった、よかった。みんな、バンザイした。これでみんな笑顔で街まで帰れる。再出発したバスの中は、談笑の渦が巻き上がった。8)しかし、それも短時間で静寂に戻った。乗員全員明らかに異変に気づいてしまったのだ。異臭?というべきか、これは新車のバスの匂いではない。断片的なヒソヒソ話で、バスの乗員は、ことの次第を理解することになる。9)Dさんは、次の石碑の史跡にはトイレがあるだろう、と期待していた。しかし、なかった。ここに到達する前、小学校があった。あそこでトイレを借りよう、と、お腹の調子の悪かったDさんはグループを離れ、道を戻った。しかし、車での走行距離は、思ったより長い。小学校に着く前に、タイムリミットが訪れてしまったのであった。10)ご本人は、バスに戻らず、一人タクシーで帰ろうと、したらしい。なるほど、最初は携帯の呼びかけにも、すぐに反応しなかったわけだ。しかし、こんな田舎道、タクシーなどすぐ捕まるわけがない。Dさんは、同年輩の同僚たちに説得されてバスに戻ったのだ。11)現地から街中の中央駅に戻るまでの2時間弱、バスの中は、実に静寂そのものだった。いつもの熱気は消えていた。漂っているのは、同病愛憐れむ、という雰囲気と、異臭だけだった。12)ようやく、中央駅に辿り着いた時、おそらく、Dさんは救われた気分になっただろう。私たちも、同様な心境であった。あとは、新車バスを提供してくれた観光バス会社には、感謝するしかない。真ん中のシートについてしまった異臭だけは、無人の室内に濃厚に残ってしまったが。鯉のぼり政宗兜風薫る 把不住