コミューン
1)コミューン。わが人生を翻弄し続けてきたキーワードの一つ。そもそもは生い立ちにあろう。地域の中核農家。常に10数人の家族で暮らし、住み込みの種々の働き手たちとの共同生活。農本主義の国家体制の中にあって、藩政時代の封建制度を引きづりつつ、今で言う中小企業的役割を担う空間に生を受けた。2)成長するにつれ、時代の激流の中で、若者文化の一つとして、コミューンというシンボル、アイコンと出会う。時代はスティーブ・ジョブズがリンゴをかじって山中のヒッピー集落にこもったり、インドを旅した時代と重なる。叛乱の時代、学生運動といわれた時代の中で、網走から沖縄までヒッチハイクで駆け回り続けながら、ミルキーウェイ・キャラバンなどとともに、不可視のコミューンを求め続けていたのだ。3)その夢は、やがて、インド・プーナやアメリカ・オレゴンのOSHOコミューンへと導く。その広大な実験は、ある種の理想ではあったが、その可憐なお花畑は、長期には続かなかった。テーマは内面への旅、瞑想へ、とライフスタイルを変容しつつ、やがては、我が人生は、妻あり、子あり、仕事もせにゃならぬという個的生活へと定着していったのだ。4)1975年、アパッチと北海道から帰ってくる時、帰郷庵というロック喫茶で出会った、ジョージ秋山の「浮浪雲」。あれからずっと、あのスタイルが大好きになった。カメさん、新之助、お花ちゃん、欲次郎サン、青田先生、渋沢センセイ、春秋オヤブン。あれから、単行本で数えると50巻頃まで、(つまり20年くらいか)、私の人生のお手本は、浮浪雲、だった。私は老いたら渋沢センセイになりたいと、思った。縁側で渋茶を啜りながら、「新之助くん、美味しいヨーカンがありますよ」。そういうと、みんなは、お前はまだ青田先生だ、と笑った。5)還暦を迎え、古希にも達そうという時期になって、町内会の役割が巡ってきた。我がカメさんの猛反対を背にしながら、受けてみようか、と思ったのは、コミューンという地上天国の幻想と、浮浪雲という漫画の魅力のせいだった。女物の着物を着て、マゲを前に縛りながら、「おねいさん、あちきと遊ばない?」とやりたかった。それでも、街道筋の雲助どもを500も600も束ねる、剣の達人、なのだ。6)私は、今や、地域の5000世帯の住民を抱える連合町内会の「副」会長である。(エヘン)。呼び名も、あべさん、から、セイコウ会長、に変わって定着しつつある。本当に忙しい。国民年金の地味生活で、我が家のカメさんと手分けして、生活費を稼ぎながら、多忙な日々を送る。旧農村共同体、高度成長下に次々と造成された建売住宅、マイホーム群、その後に集約されて乱立した高層マンション群、再び交通の便を求めて繁殖するタイニーハウス、Z世代。7)ここに何の「共同性」があるものか。絶望するのは簡単だ。でも引き受けた限りは、やれる範囲でやってみようじゃないか。 This very body the Buddha, This very place the Lotus Paradise. 十牛図の十番。剣の達人じゃぁないけれど、心はまだ、新之助のままだ。 ランリュック子から奪うな花畑 把不住