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悲しいお知らせが入ってきてしまいました。。。
私のひぃおばあちゃん、風&みこちゃんにとっては なんと やしゃおばあちゃんにあたるのだけど 4日の昼過ぎに96歳で亡くなったとの知らせ。 クリスマスぐらいに母から「ばあちゃん、年を越せないかも。。。」と聞いていたけれど 少し容態が落ち着いたらしく、無事に新年を迎える事ができて喜んでいたのに。 そして「一両日中と先生にいわれたみたい」との連絡が入り・・その後すぐの訃報。 私が小学生の頃はしばらく一緒に住んでいた(長期で泊まりにきていた?)こともあり いっぱいお世話になったおばあちゃん。 おばあちゃんの作る芋餅 南瓜餅 美味しかったなぁ。。 入院するまでは毎日お散歩して体操をして本当に健康的な生活をしていました。 100まで生きるね~と本気で思ってました。 でも気がつけば入院してからもう8年ぐらい経つかも。。。 病院に8年、長いよね。 その8年間の間に 何度病院に会いに行っただろう?? 私なんて1ヶ月でも とても退屈で長く感じたのに。。。 もっと面会に行けばよかった。。それがとても心残りです。 車で5時間程かかるため なかなか行けませんでしたが 風は3回、みこちゃんは1回会うことができました。 風とみこちゃんを妊娠中にも大きなおなかをばあちゃんに見せて 触ってもらい 子供を9人産んで育てたばあちゃんの安産パワーももらったんだっけ。 これはかなり効果があったのかも! 赤ちゃんだった風も抱っこしてもらい、「かわいいねぇ」って言ってもらいました。 でも去年、みこちゃんを初めて連れて行った時は ばあちゃんがずっと眠っていて 起こしても起きてくれず・・・(T-T) みこちゃんのお顔を見せてあげることはできませんでした。 写真だけは他の誰かから見せられていたかな? 最後までボケていなかったなんて本当にすごい。。 だから余計辛い部分もあったと思うけれど。 内臓自体は先生もびっくりするほど まだまだいけるぐらい丈夫だったとのこと。 だったらなんで、、、って思いますが 年を取れば 悲しいですが色んな所にガタがきてしまうんですよね。。 長期間寝たきりだったため足が壊死してしまい発熱して苦しがっていたそう。 それが直接の原因なのかは不明で 老衰ってことになるのかな、すごいことだよね。 祖母(ひいばあちゃんの長女)の事を一番頼っていたようで 面会に行っても いつも祖母が声をかけると反応は特別。 ウトウトしていたはずなのに 目をパッチリと開けて 呼びかけにもきちんと答え、手をしっかり握っていました。 熱でうなされ辛い中、その祖母に「もうがんばらなくていいよ」といわれ ホッとしたんでしょうか、、 なんでそんなこというのよ。。。と孫の私は思ってしまいますが きっと長い間一緒に暮らして お互い一番に支えあってきた母娘だからこそできるやりとりだったのかな、、 誰かが亡くなるのは悲しいことだけれど、こればかりはどうしようもない事。。 若くして病気や事故で亡くなったり 恐ろしい事件が溢れる中 96歳でボケることなく老衰で、8人の子供達(1人だけ来られなかったそう、、、)に それぞれの連れ、孫、ひ孫まで駆けつけて 皆に看取られて逝くのはとても幸せなことなのかな。 でも、やっぱり悲しい。。。 実際身内の死を目の当たりにすると とても複雑な気持ちです。 実は私の身内が亡くなるのは今回が初めてです。 自分が成長し、その分親や、親の親の代の人たちが老いていく、 仕方がないけれどわかっていても この事実はとてもせつないです。 1日1日を大切に、人と人の係わり合いを大切に、家族を大切に、、、 新しい年を迎えて 気持ちを新たに考えさせられました。 そして私もひいばあちゃんのような可愛いおばあちゃんになりたいなぁ。 年を取ると理屈っぽくなったり頑固になりがちですが ひいばあちゃんは そういう事が全くなく 昔から 口数は少ないけれどいつもニコニコ、真面目な人でした。 でも旅行が好きで色々と積極的に参加していたり。 人を悪く言うことなく 平和主義。 それが長生きの秘訣だったのかな。 そういえばイライラしているところなんて一度も見たことがない。 なんでもお嬢様育ちだったそう。 旧姓が真田で、遠い昔に真田ゆきむらという有名な?先祖がいるそう。 歴史に弱いのでよくわからないけれど・・ おばあちゃん、ゆっくり休んで下さい。 やしゃご達の成長を見守っていてね。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.01.07 23:41:58
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