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嫁様は魔女

嫁様は魔女

硝子窓(入院)

女心となんとかってヤツなのか?

ワケわかんねー、とムカつく気持ちが沸いたけど
でも面倒くさい話しなくて済んでラッキーとも思った。

解放された安心感で、オレはベッドに横になりそのまま寝入ってしまった。

翌朝、由香子に起こされるまでまったく目を覚ますこともなく
夢を見た覚えすらない。

昨日着てたシャツはヨレヨレだ。

ズボンは履いてない・・・・あれ?

「やっと起きた。何回呼んだと思てんのよ。」

「・・・んー、ごめん。ズボンは?」

「自分で脱いだやん。」

「そうなの?」

「ベッドで虫の脱皮みたいに。」

「虫ぃ?」

怒った顔はしていないけどやっぱり機嫌は治ってない・・・よなぁ。
そんでもキチンとハンガーに吊るしてあるのが由香子のエライところだ。

「シャワーしてきたら?
 モーニングブッフェ行こうや。」

「えー、このままで」

「あかん!くさいっ!!」

マンガだったら由香子の頭の上に「バッサリ!!」とでも書くんだろう。

あっさりきっぱり却下されたオレはまだ少しぼぅっとした頭を振りシャワーに向かう事にした。

「あれ・・・サンドイッチ。」

「うん。食べたっ。」

コーヒーも他のものも、きれいになくなっている。

「ひょっとして全部食った?」

結構な量だったと思うんだけど。

「うん、お腹すいてたもん、昼ぜんっぜん食べてへんかったし。」

「寝る前にそんなに食ったら太るぞ。」

「だぁいじょーぶ大丈夫、寝てへんもーん。」

ケロリと言うけど別に機嫌がいいって感じじゃない。
言うなれば徹夜明けのハイテンション状態か。
そう言えば、いつもより顔が白いような・・・?

「奏人、寝てくんなかったの?」

「ううん、1回は起きたけど。」

「そう。」

何で寝なかったの、とは聞かなかった。

・・・・聞くまでもないし。

黙ってシャワーに行くほうが得策だ。

「ぱっぱとしてなー。もうすぐ8時やし。
 ゆっくり食べたいけど、チェックアウトぎりぎりなってもイヤやしー。」

「んー。」

ちょっと位過ぎたって大目に見てくれるって言いかけたけど、
どっちでもいいような気がしてやめた。

このトイレと一緒になった風呂ってどうもなぁ・・・。

なんとなく目に付くものどれもに文句つけたい気分。

ノド乾いた、そんな事も腹が立つ。

シャワーを済ませて出て行くと、由香子は奏を抱き
バッグとカードキィも持ち、準備万端待ち構えていた。

ドライヤー・・・・まぁ、いいや。

タバコは持って行こう、電話・・・・あ。
着信増えてる。

「電話鳴ってた?」

「鳴ったけどウチが出てもしゃあないし。」

「まぁ、そうだろうけど。」

起こしてくれたっていいじゃん。

「かけたら?」

「いいよ。ほらメシ行こう、オレなんか飲みたい。」

ケータイとタバコを突っ込んで、奏人を抱きエレベーターに乗り込んだ。

昨日のカフェでの朝食だった。
パティスリーにいたあの店員の顔もあった。

「朝から晩まで大変だなぁ。」

「なに?」

あまくないクロワッサンを食いながら、夕べのパティスリーの話をする。
どうでもいい話なんだが、菓子好きな由香子にはいい話題だったようだ。

結婚してしばらくの間、喫茶店(と、言うと怒る)でバイトしてた事があるからか
ケーキの在庫管理や商品展開には、ずいぶん納得がいかないようだった。

「あのおにーちゃん?ヒトコト言うたろか。」

冗談かと思ったが由香子は件のボーイに向かって合図をしてしまった。

「よせよ。」

「えー、だってウチ機嫌悪いんやもん。」

「そんなのただのヤツ当たりじゃないか。」

ひそひそ声で話しているとスっとボーイがテーブルに来た。
・・・カンベンしてくれよ。

「あのねー、哺乳瓶に白湯もらえる?」

「かしこまりました。」

由香子から哺乳瓶を受け取ったボーイは、
ソファでまだ眠っている奏人を見てにっこり微笑んだ。

「かわいいですね。今、何ヶ月さんですか?」

「もうすぐ4ヶ月かな。」

「すぐに白湯をご用意します。少し冷ましてお持ちしたほうがいいですか?」

「そうやなー。うん、カンカンじゃなくってちょっと熱いくらいで。」

改めて笑顔を浮かべボーイは席から離れた。

「・・・ほんまに言うと思ぉた?」

くすくすと笑いながら由香子が言う。

「まさかとは思ったけどね。」

「どうしよっかなぁ。もうちょっと食べたいかなぁー・・・・。
 あ、オムレツ焼いてもらお。」

「まだ食うの?」

フルーツにパンケーキにソテーしたハムにサラダ・・・・散々食ってるよ、お前。

「そんなパンと飲みもんだけやったらモト取られへんやん。
 お昼の分までいっぱい食べるねん。」

「せっこー!!」

「ええやろー、貴信はいらんの?」

「・・・うーん。うまそうだったら貰ってきて。」

「おっけー!」

いそいそと席をたって片隅でフライパンを振っているコックのところに行ってしまった。

・・・いくらなんでも食いすぎだろ。

わざと陽気に振る舞い、無理やりたくさん食ってる感じがする。

と、ポケットのケータイが鳴った。

「山梨・自宅」

・・・理恵か・・・かあさん?
着メロは当然「渡る世間は鬼ばかり」のテーマだ。

はぁ・・・ゴッドファーザーか必殺にしようかな。

心の中でため息をつき、小さく覚悟を決めて電話に出る。

席を立ち歩きながら返事をする。

「もしもし。あ、理恵かぁ。よかった。」

「何よっ!!昨日から何回かけてると思ってんの。」

「悪い悪い。なんかゴタついちゃってさ。」

「今どこ?大阪?」

「いや、品川。もう少ししたら出るけど。」

「じゃあ、すぐ戻って。」

「えー?かあさんやっぱり何か言ってんの?」

言わないはずはないけど、と思いつつ聞く。
どうせ目ぇ吊り上げて怒ってんだろーとたやすく想像できた。

「ちがうよ。おかあさん倒れたの。血吐いて。」

「え・・・・っ!?」

「昨日お兄ちゃんが出てった時、いきなり真っ黒い血吐いてお腹イタイって。
 すぐ救急車呼んで、昨日はそのまま病院で泊まったの。
 今日アサイチから検査とかするって。
 だからすぐ戻って来てよ。」

「・・・血って・・・・。」

「救急の先生は胃痙攣起こしてるみたいだから
 急性の胃潰瘍と思うとは言ってたけど。
 でもその先生、胃とかは専門じゃないからって。
 ねぇ、高津会病院、わかるよね!?」

「あ、ああ・・・。」

「来てよ!はっきり言ってお兄ちゃんたちが原因なんだからね!」

そう言って理恵は一方的に電話を切った。

血・・・って。
入院って・・・・なんだよ、それ。

今更ながら、かあさんを振り切って出てきたことが
罪悪感の形になって頭の上に覆いかぶさってきた。

やばい。

ごめん。

でも。

オレのせい・・・・?


ケータイを握ったまま席に向かうと、もう由香子は戻ってきていた。

「電話?理恵さん?」

「うん。」

「戻れって?」

フォークでソテーされたキノコをつつきながら
こっちを見ないで由香子は話し始めた。

「やっぱりお義母さん怒ってるやろしなぁ。
 今度こそ有無を言わせず離婚って話になるかもねー・・・。」

一晩、由香子なりに悩んだり考えたり思い返したりしてたんだろう。

「もうウチらの意思とかは関係ない話になるんかなぁ・・・。」

「違うんだ。かあさんが・・・。」

「・・・んー。」

「入院したって。多分急性胃潰瘍みたいなんだけど。
 昨日倒れたって・・・理恵から・・・・。
 今日検査するから来いって。」

一瞬目を見開いた由香子だったけど、その声はあくまでも静かで・・・冷たかった。

「そう・・・・。
 でもウチは今更顔出せる立場じゃないし。
 行っても余計お義母さんの負担になるやろから・・・。」

「・・・。」

「貴信は?」

「うん・・・・。」

「行くんやろ?」

心配なのは当然だ。
すぐにでも行ってやりたい、と思う。

もう離婚やむなしなんて考えてる嫁さんを置いて
その原因作ったかあさんの所に戻るなんて。

完全消滅だ。

「やめとく。」

「・・・ムリしなや。」

「いや。多分そんな大したことないと思うし。
 オレが行ったってどうにかなるもんじゃないし。
 検査結果も理恵に聞けばわかるし・・・・。」

「かまへんで。別に。」

心の中で天秤がフラフラ揺れている。

今、選ぶべきなのは由香子だ。

わかってる。

それでも息子なのか!?

わかってるよ!!

どっちを選んでも大して違いはない。

選ばなかったほうに恨まれるだけだ。

だったら。

「帰ろう、由香子。」

かあさんはわかってくれる。

いつか・・・・だってかあさんだし。

「ホントに大変な病気だったら改めて出直すよ。」

由香子は。

二度と戻らないだろう。

「仮に往復したって知れてるよ。」

ソファの奏人を抱き上げて立ち上がった。

「チェックアウト、もうすぐだ。」

せっかく焼いてもらったオムレツを残して伝票を持った。

「・・・別に・・・ええねんで。帰って。」

「良くないだろ。」

オンナの「別に」が、全然「別に」じゃないこと位
経験上、身にしみて知っているよ。

理恵と話すのは気が重かったから
理恵が病院に行った頃を見計らって家に電話を入れた。

オヤジに一旦、大阪に戻る事を伝え、
かあさんの検査結果を教えてくれるように頼んだ。

「気にすんな。」

と、オヤジは言った。

「さんきゅ。」

空々しい会話だ。

「でもオレ、ハゲそう。」

「父さんも入院したい。」

「うん。」

「じゃあな。」

・・・ハゲると思ったのは冗談じゃない。

ふぅ。

帰んなきゃ。

フロントでチェックアウトしてJRに向かった。

オレが荷物全部。
由香子は奏人を抱いている。

「代わろうか?トランクのほうがラクだろ?」

「ううん。ええよ、大丈夫。」

にこっと笑った由香子の顔が
なんだかスッキリ明るく見えたのはオレの気のせいだろう。

病気の母親より私を選んだ。

そんな事で優越感を覚えるような女だなんて
・・・そんなはずない。

すさんでるのはそんな風に嫁さんを見るオレだよな。

ラッシュアワーは過ぎているのに駅の人出はずいぶん多かった。

山手線も混んでいたけど
大阪の環状線と違うのは優先座席に空きがあることだ。

奏を抱いた由香子を座らせ、ボンヤリ窓の外を眺める。

流れるビルの中、ホントにこのまま帰っていいのかなと思いながら東京を後にした。


*

息子の貴信が、自分を振り切ってあの嫁を追いかけたと言う現実は
私のプライドを粉々に打ち砕くのに充分だった。

私に文句があるくせにじっとりと腹にためて
お父さんや親類の前ではおとなしぶる嫁。

私はいつも耐えていますって言うあの態度!

いかにも頑張っていますって、これみよがしな所がいやらしい。

計算高く猫を被るのが目に付いて・・・・
本当に、いくら貴信が望んだとはいえ結婚させたのは失敗だった。

やっぱりあの子が良かった。

貴信が高校時代から付き合っていた・・・久美子?
そうそう、久美子さん。

地元の、別段大きな家ではないけど
ご主人はちゃんとした会社にお勤めで、奥さんは元は学校の先生で。

おとなしいおっとりした様子だけど
キチンとした感じのいいお嬢さんだった。

大学はあの子は女子大へ行って別々だったけど。

それでもお付き合いしていたから
そのまま結婚するんだとばかり思っていたら
貴信が就職して転勤して、疎遠になってしまったらしい。

ああ・・・・もう!
強引にでも結婚させればよかった。

地元で結婚して家族が山梨にいるとなれば
会社だって関東の店に配置換えしてくれたかも知れないのに。

ここから東京店なら充分通勤圏内なんだし、
仮に都内で夫婦で住むとなっても、
あの嫁みたいに遠いのを幸いとばかりに親をほったらかしにはしなかったんじゃないかしら。

きっと。

久美子さんならそんな不義理はしないわ。

あんな嫁みたいに親を邪険にするような人じゃないもの。

本当にに貴信の事を大事に思ってくれるいい子だったのに。

まったくあんな薄情で計算高い人のどこが良いんだか!!

何かというと私にはさからうのよ。
あの口の利き方ったらもう!!

とうとう本性が出たわね、わかっていたけど。

ええ、ええ。
私の言う事なんてうるさいとしか思ってないの、あの人は!
なにが昔の考えよ!

親を大事にするのに今も昔もあるもんですか。

我が強くって、人の意見なんて馬鹿にする。

何かって言うと「今時は」なんて言い方をして
素直に目上の人間を経験を聞くってことを知らないのよ。

いくらお嬢様だかなんだか知らないけど
お里が知れるって言うのはああ言うのを言うんだわね。

甘やかされて、感謝なんてしたことがないんだわ。

いつでも自分が一番オリコウで、一番頑張ってると思ってるのよ。

夫婦同権なんて、夫に食べさせてもらってるくせに言う言葉じゃないわよ。
何様のつもり?

はぁ・・・・イライラする。

こんな何もないところで横になっていたら、つまらない事ばかり思い出してしまうわ。

胃はキリキリとするし、
背中や腰には重い痛みがある。

吐き気がしてムカムカする。

頭もぼぅっとするし、点滴の後が痛い。

水を飲んだら変なにおいがして飲み下す気になれないし
検査があるから朝は絶食でって。

別に食べたくないけど何もすることがないのも、持て余す。

看護婦さんでも誰でもいい。

誰か来てくれないかしら。

今朝方、検温に来た看護婦さんと少し話しをして・・・・
9時から検査と言ってたわね。

理恵かお父さんでも来てくれるのかしら?

一人でこんなところにいたら余計に息が詰まる。

ひとつ向こうのベッドで眠っているおばあさんはとても話し相手になりそうにないし。

さっさと検査して早く帰りたい。

ベッドサイドの時計を見るとまだ1時間以上も前だった。

テレビは無料らしくカードを入れる機械もなく
リモコンを押せば普通に点いたので、カーテンを引き
くだらないワイドショーじみたニュースを見ることにした。

子供同士とは思えないイジメと自殺。
介護に疲れた夫が妻の介護を放棄。
借金が膨らんだ末のコンビニ強盗。

どれもこれも暗い気分に拍車をかけるような話ばかり。

そうかと思えばデキちゃった結婚からたった2年で離婚した若い女の子の歌手。
W不倫だなんて、何を考えてるの?

全然、もう道徳観てものが欠落してるのよ、今の世の中。

目上の者を敬い、家庭を守り、お互いに助け合う気持ちが無いの!!

恥知らずが多すぎる。

躾が悪くて羞恥心のかけらもない、そんな人ばっかりだから
こんなどうしようもない事件ばっかり起きるのよ。

ワイドショーが終わり、若い主婦向けの情報番組に変わった頃
カーテンが開いて看護婦さんと、その後ろに理恵が姿を見せた。

「どう、具合。」

「ええ・・・まぁ、なんとか。」

「先に検尿をして、それから検査に向かいますね。
歩けそうですか?車椅子持ってきたほうがいいですか?」

「そんな・・・、大丈夫です。歩けます。」

重病人でもないのに、みっともない。

「歩けるの?大丈夫?」

「一緒に行ってくれるんでしょう。」

「そりゃあね。」

起き上がってみるとフラリと来たけれど
理恵に肩を借りて歩く事はできた。

「無理なさらないでくださいね。」

「ええ。」

「じゃあエレベーターへ。」

胃の検査って、カメラだったら嫌だわ・・・・。

連れ立ってくれている看護婦さんに言ったところでしょうがないけど。

「検査ってやっぱり胃カメラなのかしら?」

「そうみたいですね、ああこちらでお待ちください。」

安いビニール張りの長椅子を勧めて
看護婦さんは検査室に入っていってしまった。

「どうしても検査しなきゃだめなのかしら。
もうそんなに痛まないんだけど。」

「当たり前でしょ!昨日みんながどれだけ心配したと思ってんのよ!」

「・・・みんなじゃないでしょ。」

「お兄ちゃんだって来るよ!?
今朝まだ東京にいたから戻ってって言ったんだから。
血吐いたって言ったらマジでびっくりしてたんだよ?」

「血なんてもう、大げさなんだから・・・・そう。帰るって?」

「多分ねー。」

「・・・あの人は来ないでしょうね。」

「さぁ?」

「ねぇ。今更言っても仕方ないけど。
やっぱり久美子さんと結婚させておけばよかったと思わない?」

「なんで?」

「なんでって。」

「だっておかあさん久美子さん大嫌いだったじゃん。」

「何言ってるの?理恵。」

私が久美子さんを嫌ってた?

そんなことないはずだけど、と思いながら看護婦さんに連れられて
検査室に入って行った。

胃カメラを飲み下すために、のどの奥に麻酔を浸透させるというので
妙な苦味のある液体を口の奥に含まされた。

「飲み込まないでくださいねー。」

返事が出来ないのでうなずいた。

肩の近くに打たれた筋肉注射のせいで腕がだるい。

「いいですよ、こちらに吐き出してください。」

洗面所に薬を吐き出し、また待つようにと言われた。

なんでこんなに待ち時間ばかりなのかしら?

麻酔も注射も、検査の時間なんてわかってるんだから前もってしておけばいいのに。

いつ来ても患者さんがいっぱいで待たされるのは、
こう言う人を人とも思ってないやり方のせいだわね。

しばらくして、やっと担当の先生が入ってきた。

「お待たせしました、内田です。じゃ、はじめましょうか。」

アナタが先に来て待ってるべきでしょう・・・・と思ったけれど
病院の先生の心証をわざわざ悪くしてちゃんと診てもらえなかったら困るし。

言われるとおりにベッド、と言うにはあまりにもお粗末な台に横になった。

「はいー。ラクにして・・・・咳はガマンしてくださいね。
 オエっとしないでー。
 いいですよー、もう少しですからね。」

太いうどんみたいな管をぐいぐいおノドから押し込んでくるって言うのに
「オエっとならないで」なんて無理に決まってるでしょう!!

「ここ・・・とこっちもですね。
 潰瘍ができてます。
 うん。でもキレイですよ、悪いデキモノはないでしょう・・・っと。」

モニターを見せながら説明してくれるものの、
痛くて気持ち悪くて苦しくて、それどころじゃない。

「じゃあ、抜いていきますねー。」

どう返事すればいいって言うのよ!!
それでもガクガクと首だけ動かしてみる。

抜くのはあっという間だったけどどうしようもなく不快だわ、気持ち悪い。

「後で診察室のほうへいらしてください。」

それから看護婦さんと二言三言話して内田先生は検査室を出て行った。

「このまま行きましょうか。」

看護婦さんに言われるままに立ち上がる。

ああ・・・疲れた。
もう何も考えたくないわ。

看護婦さんは診察室の前まで付いてきてくれたけど
カルテを待合の事務員さんに渡したら次の仕事に行ってしまった。

1診と書いたプレートのドアの外で理恵と待つ。

「ねぇ。ここでいいのかしら?」

プレートの下の先生の名前は「三宅」になっていた。

「看護士さんがここで待っててっていったんだからいいんじゃない?」

「でも検査してくれたのは内田って先生だったのよ?」

「あたしに言われてもわかんないよ。」

「・・・まぁ、そうねぇ。」

釈然としないまま、名前を呼ばれて入ると内田先生じゃない年配の先生が座っていた。

胸の名札は「副院長・三宅」になっている。

副院長ならさっきの内田って言う若い先生より、ずっとしっかりしていそうね。

「胃カメラは初めてですか?」

「ええ・・・。」

「じゃあ大変でしたね。」

なんていいながら、レントゲン写真を蛍光灯のついたボードに広げて説明を始めた。

「胃に穴があく、って言うでしょう?
 それが胃潰瘍ですね。
 実際胃袋に穴があいてしまう状態でなくて胃壁と言って
 胃の内側の壁が胃酸で削れたりえぐれたりする、と言う様子です。」

「今まで胃なんて悪くした事はないんですけど。 
 痛くなったのは初めてなんです。
 そんな穴があくなら、ずっと症状があるはずですよね?」

「胃はね。結構デリケートなんですよ。
 強いストレスで数十分で潰瘍が出来たと言うケースもあります。」

「ふふっ、強いストレスって。」

「理恵。」

「でもただの胃潰瘍なんでしょうか・・・。
 血を吐いて・・・・それで救急で来たんですけど。」

「出血性の胃潰瘍でしょう。
 急激に潰瘍が出来たときに胃の血管が破れて出血するんですね。
 真っ黒な血でした?」

ちょっと思い出せないので理恵のほうを見る。

「黒っぽかったです。最初はコーヒーを戻したのかなってー?」

「胃酸でね、黒く変色するんです。
 潰瘍は2つだけですし、他に腫瘍なんかはありません。
 血液検査も、ちょっと白血球が多目だけど、すぐ安定するだろうし。
 1週間くらい薬出しますんでね。
 来週また様子聞かせて下さい。」

「え?・・・・帰れるんですか?」

「心配だったら、もう1日二日入院して様子見てもらっていいですけどね。
 どうされます?」

「どうって・・・。」

自分で判断なんかできないわよ。
医者なんだからそっちが症状見て決めてくれればいいのに。

「んじゃあ、2日ほどお願いします。」

横から理恵がアッサリと決め付け、
副院長は小さく「んー。」とつぶやきながらカルテに何か書き込んで
「じゃあ、明後日退院前にもう一回ね。」と言った。

病室に戻るのに歩いていると、入院はおおげさなんじゃないかしらと思えてきた。

「やっぱり帰りますって言ってこようかしら・・・。」

「いーじゃん、ついでと思ってさぁ。」

「なんのついでよ。」

「ほらぁ、忙しかったしさぁ。色々あったしね。
 きっと疲れてんのよ、三食昼寝つきの別荘と思ってのんびりしたら?」

「でもお父さん一人じゃ・・・・。」

「大丈夫よー、ご飯くらい。それよりお兄ちゃんもう病室来てるんじゃない?」

「どうかしら?
 由香子さんが来させないでしょ。」

「あ、ねぇ、売店で雑誌かなんか買う?」

「いらないわ。 
 それより入院になったら看護婦さんや先生に差し入れ用意しないと。」

「えーっ、そうなのぉ!?」

「だって、たとえ二日でもお世話になるんですもの。
 お見舞いだって同室の人に配るからその分も持ってきて頂戴ね。」

「でもさぁ。ほらココ。
 お気遣いは遠慮させていただいておりますって書いてるよ。」

確かに。
ナースステーションのガラスには院長名でそう貼り紙されていた。

「こう言うのはね、建前よ。建前。
 大人の社会は、ちゃんと建前の裏を見なきゃ。」

「・・・・めんどくさいなぁ。やっぱ退院するぅ?」

「いいわよ、もう。」

病室に戻ってみると、貴信はまだ来ていないようだった。
お父さんすら来ていない。

「ふん。やっぱりね。」

同室のおばあさんはイヤホンをつけてテレビを見ているので
あまり気を使わずに話す事ができる。

「もうこんな時間なのに。お兄ちゃん何してんだろ?」

「来るわけないでしょ。
 あの女の言いなりなんだから・・・・情けない。」

みぞおちがシクシク痛んできた。

「由香子さんの言う事もわかんなくはないけど・・・・。
 でもこう言う状況だったらお兄ちゃん・・・来れないかなぁ・・・?」

「結婚したらね、親なんてうるさいだけの邪魔者なのよ。
 尻に敷かれて嫁の言うなり。
 
 そう言えば。さっき変な事言ってたわね、理恵。

 私が久美子さんを嫌ってたとか何とか。」

「覚えてないのぉ!?」

理恵は途中の自販機で買ったペットボトルの飲み物を開けながら
さも驚いたように言った。

「覚えてるも何も。私、別に久美子さんは嫌いじゃなかったわよ?」

「嘘よぉ!すっごいイヤがってたじゃない。
 お兄ちゃんが高校ん時とか、久美子さんから電話かかって来たら
 おかあさん、いないって言って勝手に切ってたし。
 
 それからおかあさんが電話出たら、電話無言で切れるようになってさー。
 久美子って子の仕業だってめちゃくちゃ怒ってたじゃん?」

「それは高校生なのに男の子の家に電話なんて早すぎるし。
 無言で切るなんて失礼じゃないの。」

「陰気で何考えてるかわかんないって言ってたしー。」

「無言電話なんてされたらしょうがないでしょ?」

「大学行ったら行ったで、文句タラタラだったじゃん。」

「大学?」

「お兄ちゃんと同じとこ受けたけど、久美子さんダメでさぁ。
 で、女子大行ったら、あんな大学とか。
 親は学校の先生なのにたいしたことないとか散々だったよ?

 そんでもお兄ちゃんがウチに連れてきたら
 彼氏の家に挨拶に来るのに手ぶらだったとか、
 手作りケーキ焼いて来たらこんな素人料理を持ってきて恥ずかしくないのかとか、 
 お兄ちゃんの部屋に入って襖閉めたとか、そりゃあもぅボロクソ。」

「女の子が独身の男の子の部屋に入るのに全部閉めるのはおかしいわよ。
 非常識にも程があるでしょ。」

「ほらね。だからおかあさん。
 久美子さん嫌いだったじゃん?」

「間違いを正してあげるのと好き嫌いは別です。
 おとなしい優しそうな感じで、嫌いじゃあなかったわよ。
 少なくとも由香子さんよりはずっとマシだったと思わない?」

「そぉかなぁ・・・・。」

「就職して転勤させられる前に結婚させておけばよかったって思うのよ。
そしたら今、借家で貸してる土地のところに家建てて
貴信、ずっとこっちにいられたのに。」

「そんなのわかんないよ。
会社入ったら結婚してようが家があろうが転勤なんて当たり前だし。
第一、卒業までに別れてるし。久美子さんは。」

「そうなの?そんな話聞いてないわよ。」

「いちいち親に言わないって。」

「なんで別れちゃったのかしら。」

「・・・おかあさんが怖いからじゃない?」

「バカ言わないの。」

「えー。でももしシュートメだったらマジきついけどぉ。」

「それは自分の不出来を棚に上げてるだけです。
きちんとした人になら何も言わないわよ。」

「由香子さん連れてきたときには、お兄ちゃんよくやったってー思ったけどね。」

「どこが!?」

「しっかりしてるし、ハキハキしてるしー。
結構美人で、いいとこジョンでしょー?
お兄ちゃんにしたらかなり上出来っつーか。
おかあさんの文句がでなそうな人、よく捕まえたよねーって。」

「上出来って。
そんな大した人じゃないわよ、あんな人。」

「お兄ちゃんにしたらよ?」

「えらくあの人の肩持つじゃないの。
私のことは鬼姑みたいに言うくせに。兄妹そろって・・・・。」

「アタシは別に由香子さんは好きでも嫌いでもないなぁ。
ただもうちょっとうまくやってくれると思ったのにアテ外れ。
わざわざ怒らせんなよーって感じ?」

「・・・あんな薄情な人はいないわよ。
今もきっと貴信を脅かして来させないようにしてるんだわ。
あなたと本条の時だってねぇ!」

「・・・嫁なんてねぇ、どこも同じですよ。」

同室のおばあさんがいつの間にか、イヤホンを外してこちらを向いていた。

「年寄りなんて邪魔者なんです。」

退屈な病院生活にいい話し相手が来た、とばかり話し始める。

そのおばあさんは榊原、と名乗った。




















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