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ただいま復職中(うつ病から社会復帰へ・・・)

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2005年10月15日
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テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:鬱病
 今日は私がうつになってから、一番辛かったことを書きたいと思います。もし、感情移入してしまいそうでしたら、今日の日記を読むのを飛ばしてください。それでは。



 私がうつと診断され、それでも会社に行きながら治そうと試みましたが、結局はダウン、そのまま休職となりました。

 そして、全く動けず布団をかぶっていた段階から、少しずつうつのことを勉強し始めました。ですが、その頃から私の症状で顕著に表れてきたのは、「いらいら・怒り」の感情のコントロールができないことでした。

 それは日常生活でも結構出てきました。車の運転で前の車が下手くそだったり、逆に後ろからあおられたりすると、プッツン。。。とてもここでは書けない言葉です。

 日常生活でもいらいらが続き、妻と些細なことで大喧嘩となることもしょっちゅうでした。医者に行き、その症状を話して薬を追加(バレリン)しましたが、なかなか効果がでませんでした。

 会社は休職しているため、さらに携帯電話の電源は切りっぱなしで、外部との接触を避けていましたが、その分家の中でいらいらしていますから、一緒にいる妻はたまったものではありません。

 妻が勤めていればまだ避けられましたが、辞めていて、その後私がうつで倒れていたので、働ける状態ではなかったのですが、私が家に引きこもっていらいらしていては、すぐに大喧嘩になるのは目に見えています。

 そこで妻に、経済的な面も含めて、アルバイトでもして外に出る用事を作ってもらおうと提案しましたが、私のことが心配だといいます。私は逆にそれぞれの時間があるほうがいいのでは?と提案しましたが、心配の一点張りでした。

 それでは、友人と会ったりして妻は妻の自分の時間をもってもらおうと思い、遊びに出て構わないと伝え、最初はそうしていました。

 ところが、それでも大喧嘩が絶えません。私は思うようにいかないことと、妻はうつについて勉強しているのだから少しは対処方がわかっているのでは?という疑問から、いらいらがさらに増えていきました。

 そうして、我々夫婦間の会話がいつしか大喧嘩が当たり前になってきました。どちらかが実家に帰り、冷静になった方がいいのでは?と提案しても、妻は聞く耳をもちません。理由は私の両親は世間体ばかり気にして、病気と向き合わないことと、私が実家に寄って帰ってくると顔色が悪くなり、調子を落とすということでした。


 しかし、喧嘩はどんどんエスカレートしていきます。妻からは「もうこんな生活はいや!」と喧嘩の度に言われるようになりました。私は別々になったほうがお互いのためでは?と提案しますが、病人だから冷静さが無いということで、聞き入れてもらえません。

 ですが、お互い言葉の暴力の応酬となっていました。私のうつはこれでは良くなるどころではありません。そこである時、妻が出掛けているうちに実家に戻りました。置手紙でその旨書いておきました。

 私としてはこのままでは共倒れになると、調子が悪い中で考えた末でしたが、妻は「いないうちに出て行くのは卑怯た!」の一点張りです。

 2週間程して、私は実家から帰りました。そして、なるべく事を大きくせず、何かあったら多分自分が悪いのだろうから、そのときは早く謝ろうと心掛けました。

 その後妻の実家に行って、今回の件を謝りました。なんで病気の私が一方的に誤らなければならないのか?・・・こんな疑問もありましたが、病気ゆえ私の考えが間違っているのかと思い直し、とにかく大事に至らないようにしよう、そのためには自分を抑えなければ、全て病気が災いのもとなのだ、と思うようにしました。


 その後も大喧嘩は続きます。妻からは相変わらず「もうこんな生活はいや!」と言われます。私の本心は、ならば別居した方がいいのに、と思いますが、こらえて、謝ります。

 そんなことが続いて、私はどんどん追い詰められていきました。もう自分が病気でいることで迷惑がかかるのだから、終わりにすれば皆この苦しみから解放されるから、人助けだな、と訳が分からない論理が私の頭の中で出来上がっていました。


 そして、ある時また夫婦で大喧嘩をしました。私はもはや我慢できなくなり、「それなら俺は死ぬから、生命保険が慰謝料代わりだ!」と言いました。すると妻は、「受取人が私になっていないから、その旨残しといて!」とのこと。私は「わかった。じゃあそうするから俺の部屋に入ってくるな!」といって、こもりました。


 私はもうどうしようもない自分が嫌になりました。そして、抗うつ剤をはじめ、睡眠薬も全部飲みました。たまたま置いてあった市販の風邪薬も飲んでしまいました。妻が部屋を開けようとします。鍵が付いていないので、開かないよう自分の左手でドアを押さえ、右手では生命保険の受け取りについて、遺書みたいなものを書きました。涙はあふれてきます。


 一通り終わったところで私の記憶はなくなります。

・・・続く・・・





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最終更新日  2005年10月15日 23時09分48秒
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