小袖の歴史と趣味の部屋

2005/06/21(火)01:24

大河ドラマ~義仲がキレた!

義経(46)

だんだん義仲がおかしくなってきましたね。彼は木曾でのびのびと育ったに違いなく、裏表と陰謀に渦巻く都とはそりが合わなかったのですね。 先週の続きで、義仲邸を辞し帰る義経です。 それを巴らが襲います。義仲がかけつけ事なきを得るのですが、もしこの時、義経を討ってたら歴史が変わってましたね! ぶたれたけど、惜しいですよ!巴ちゃん。もしかして超お手柄だったかもしれないのにね!! 木曾軍の横暴に怒る都の人々ですが、それを全て義仲のせいにして、行家との決裂を謀る法皇と丹後局です。 今回も天狗と妖怪のコンビは絶好調ですね~。 調子に乗った行家は平家追討に出かけるんですが、知盛らにコテンパンにやられてしまいます。 勢いを回復した平家は福原に拠点をと考え始めます。 え~ここでちょっと思ったのですが、ドラマを見ていると義仲軍が平家に勝ったように思えましたが、 義仲軍は水島で負けているんですよ。 1183年10月1日、備中水島(倉敷市玉島)でのことです。 9月20日水島へ向けて都を発った義仲ですが、自ら出陣せず矢田(足利)判官義清を総大将に七千馬で出陣しました。 簡単に勝つだろう~とたかをくくっていた義仲ですが、 知盛、教経に率いられた一万の兵は、無謀にも慣れぬ船で押し出してきた源氏軍を叩き伏せてしまったのです。 総大将の矢田義清は討ち死にです。 倶梨伽羅峠では考えられないほど、平家軍は強かったのです。 そりゃ~海戦では山育ちの木曾が、何の準備もなく勝てるはずがありませんね! この敗戦の報に唖然とした義仲は、約一万の兵を連れて備中に出て行くのです。 そこで、義仲は平氏の計略のため、自分の旗本倉光三郎が討たれた事を知り、弔い合戦として、備前福輪寺畷に攻め入るのです。 ここで勝利した義仲は気を良くして、平家の本陣の屋島を攻めようとしていた所、都に不穏な動きありという事で、 急遽帰るんですよね。これがドラマでいう義仲が勝ったて事ですかね?? その後、行家叔父が播磨で知盛軍にやられてしまうのです。 大体、行家は弱いです。今までにまともに勝ったためしがないですからね。 そして、鼓判官知康の登場となる訳ですが、この会見の様子は良かったですね~。 もうこの頃になると義仲はだいぶ頭にきてますから、何を言っても聞く耳持たない上に、 勅使である知康を愚弄するのです。衣服を改めようともしません。 義仲はこの院宣にプッツン切れてしまったのですね! あの鼓のまねをした「シッテン」は愚弄の仕方でもピカいちですよ!今回の一番の見せ場ではなかったかと思います。 都に入った時の爽やかだった義仲が、変な人になっていく様子がかなり面白かったです。 キレた義仲は法皇のおわす御所を襲います~。この様子は、また時間があればアップしますね! 二女の浴衣を木曜日までに仕上げないといけないので、♪か~さんは~夜なべをして~♪状態です(笑) まだ、すその始末と衿と袖が付いてないんです~(:_;)果たして出来るでしょうか~?? すみません追加です! 気になった事がもうひとつ、義仲が入京してから登場する『猫間中納言』こと藤原光隆がドラマでは出てこないんです。 どんな役者さんが演じるのか期待していたんですよね~! 「めずらしい、猫が人間に会いに来たのか?」という義仲のウィットにとんだ台詞が聞きたかったのに~~! それと、義仲が摂政 藤原基房の娘を略奪婚のような状態で強引に娶っちゃうわけですが、 巴ちゃんのお叱りはなかったんですか~? いえ、この時代のことですからこんな事は珍しくないんだけど、ドラマ的に嫉妬場面があった方が面白いかもと 思っただけです~~!! 良かったらクリックしてくださると嬉しいです!人気blogランキングへ

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