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カテゴリ:IVF
妊娠してからも、過去に流産したことや辛い不妊治療、切迫流産で入院したとこを考えると、まだ安心してはいけないんじゃないか?このままお腹の赤ちゃんは無事に産まれてきてくれるのか・・・と、赤ちゃんの生命力を信じる一方で、やはり心の中では時々不安がよぎっていました。 病院でお腹にエコーを当てる瞬間は毎回「どうか心臓が動いてくれてますように・・・」と祈る気持ちで画面を見ています。
そんな精神的な事もあり、つわりもあり、出血もあり、入院もあり、で なかなか過去の治療のまとめを書けずにいましたが、やっと妊娠5ヶ月になり安定期に入ったことで少しは安心してもいいのかな?という気持ちになってきました。 結婚して丸3年。子作り解禁から2年半。不妊治療歴1年。 採卵3回(全て顕微授精)、移植5回 男性不妊と不育症(同種免疫性異常)という二つの不妊原因を持つ私たち夫婦が、結婚してから妊娠するまでの経緯を記したいと思います。 (長くお付き合いのある方はご存知の内容だと思うのでスルーしてくださいね)
H17年8月 結婚 H18年2月 子作り解禁 H18年8月 妊娠するも科学流産(胎嚢見えず) H18年11月 流産してから左腹部違和感があり、産婦人科や胃腸科・消化器科など を受診。原因は不明=医師からは問題なしという診断。
H18年1月 とある総合病院で「子宮腺筋症」と診断される 慌ててネットで子宮線筋症の専門医がいる京都の大学病院を見つけて 受診したら そこで子宮腺筋症は誤診だと言われる。 (もし京都の専門医に診てもらっていなければ、間違った病名を付けられて半年間生理を止める無意味な治療をしなければならないところだった。医師も誤診するんだ、と思い知らされた。)
H19年3月 不妊治療専門病院Oクリニックに通う。 ここでも子宮腺筋症ではない、と診断され、 MRIや卵管造影、男性の精〇検査など一般的な検査を受ける H19年7月 男性不妊が発覚したため、顕微授精しかない、と言われ はじめての顕微授精にトライ 9個採れたうち5個受精、3個が移植に適した卵で G2を一つ戻すが結果は→陰性 H19年9月 前回凍結してあったG3を戻すが陰性
H19年11月 転院し、Iクリニックへ。 流産のことや移植2回して陰性だったことを伝えると 着床障害(不育症)の可能性があるので、念のため調べてみましょう、 とのこと。 H19年12月 不育症(同種免疫性異常)と診断され夫のリンパ球を私に移植 (夫リンパ球免疫療法:2週間おきに4回移植すると、半年~1年効果がある)
H20年2月 顕微授精 採卵した3つのうち1つだけ正常受精するが G3ギリギリの卵で結果→陰性 H20年5月 顕微授精 前回ロング法でダメだったので、ショート法にする 9個採れたうち4つが正常受精 G3の9分割を1つ移植→陰性 (残りの卵3つは凍結)
H20年7月 2段階移植を決意 (前回3つ凍結していたうちの2つを移植。一つはグレード低く破棄) 5日:凍結していた受精3つのうち、まずは2番目によいG3を移植 7日:一番分割が良かった卵が胚盤胞(G5ab)になり移植 14日:早期妊娠検査薬で陽性反応 (3週5日) 15日:病院で妊娠判定 (3週6日) 16日:追加のリンパ球移植 22日:5mmの胎嚢を二つ確認(4週6日)
今思えば、私の場合、転院したことが妊娠への近道だったと思います。 もし転院していなければ、Oクリニック(最初の病院)では2回の移植が陰性だったことにより、腹腔鏡検査も視野に入れられていました。結果的に私は転院先の病院で血液検査により不育症だという事が分かったので、お腹を切ってまでする腹腔鏡検査は無駄な行為になるわけです。 転院が絶対に良い、というわけではないでしょうが、少なくとも私は「子宮腺筋症が誤診だと発見できた事」と「腹腔鏡手術をしなくてよかった事」のしなくてよい2つの治療(検査)が、妊娠を1年は早めてくれたのではないかと思っています。
「医師にも間違いはある」ということと、「違う医師に違った目線で診てもらう大切さ」を身をもって実感したわけです。
次回は妊娠したときの状況をまとめたいと思います。 (今回と次回だけ「赤欲し」のテーマで書かせてもらいます。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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