所長サンの哲学的投資生活(西安不動産篇)

2011/05/26(木)01:46

ゼロにする力。

人生について(3)

ぼくは「ゼロにできるひと」が好きだ。つくったものを捨てるのって勇気のいることだけど、捨てることができるひとは、また同じものをつくる自信があるんだ。このときゼロにするパワーやマインドは、あたらしいことに注がれるんだから素敵なことだよね。 あたらしいことをやれるひとが、今を白紙にできる力も持っている、そうかんがえると、ぼくの周りを見たときに腑に落ちる。退却、転進、突破、どれも潔くできるかたの思考は、ベースがゼロなんだなあとおもう。 ちなみにこの思考の特徴は、マイナスという概念がないこと。凹んだものすべてゼロとかんがえる。ようは何もなかったと。マイナスをひきずることはよくないからね。ゼロは気持ちがいい。あたらしいことが何でもできる。 広告代理店時代、能力の出し惜しみはこっぴどく注意された。すべて出し切って仕事をしろと。たとえば今月必要以上に契約があがったら、 翌月に「保険」として確保したくなるもんです。毎月コンスタントに契約をあげたほうが一見スマートにみえるから。余力を残したほうが、急な仕事を頼まれても受けれるしね。でもすべて出し尽くして、空っぽにしてしまえ、と教わった。 これ、今ならよく判りますね。小さな成果を守るひとに、成長する機会は与えられないんだ。失うことを恐れず、ゼロにしてしまうと、もう次が始まっている。何かやらなきゃいけない。 新入社員にかぎらず、誰でもそうですね。今を守るということは、新しい出会いから目をそむけること。古いものを捨てないと、新しいものは入ってこないんだから。中身の入れ替えもしないひとは、器の大きさもたぶんそのまま変わらないんじゃないかな。いちどゼロにして、空っぽにして、こんどはどれくらい中身を詰められるかやってみる作業は、とっても愉しいのにね。いろんなモノが入ってきて出てゆくことを繰り返すと、失うことが怖くなくなるし、溜めこんで澱むほうが生理的に嫌になる。 ぼくは、動かないもの、変化しないものが嫌いで、完成してしまうとじぶんで壊したくなってしまう。そのプロセスのほうが好きで、終了に関心がないのだとおもう。         

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