八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞 八ヶ岳連峰。左が赤岳2,899m、右が横岳。川上村から。 八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞 山梨県境にある八ヶ岳(赤岳)2,899m。川上村から。 八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞 八ヶ岳連峰。左が赤岳2,899m、横岳と右が硫黄岳。 八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞 川上村のレタス畑からよく見える男山 1,851m。3月8日撮影。 八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞 瑞牆山2,230m。右の白い山が山が金峰山2,595m。 八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞 八ヶ岳連峰。左から権現岳中央が赤岳2,899m、右が硫黄岳。 八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞 山梨県境にある八ヶ岳(赤岳)2,899m。川上村から。 (タイトル) 八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞 (八ヶ岳(赤岳)2,899mは見るぶんには川上村と野辺山高原(南牧村)が一番だ) (本文) 野辺山高原や川上村から八ヶ岳をみる。南部富士でもない、富士山でもない、大地の向こうに広がる雪の八ヶ岳はそこに立っていみているのが申し訳ないほどに神々しい。このような八ヶ岳をみた人は生きること、すなわち人生はすてたものではないと思う。 八ヶ岳に魅せられて人生は山に登っていればいいのだと決めてしまう人がいる。昭和30年代のおわりころにはそのような人が多かった。働くのは山にでかける費用を稼ぐためだ。人生を山にすてた人が格好よくみえた。そのすて具合が男の魅力となっていた。女は男のために働いた。そのようなことがあった。 人は暮らしが豊かになるにつれて危険から逃げるようになる。命と引換えのような登山をしていた者が山を忌避するようになる。そのまま山に突っ込んだ者の命の残存率は5割にもなる。同じ思いでアタックをかけた登山で何人かが死んだ。死んだ人の姉は生きているあなたがうらやましいと言った。英雄主義の発露としての登山が広がっていた時代があったのだ。 野辺山から見ている八ヶ岳はそれだけでいい。川上村のレタス畑からの八ヶ岳も同じである。「高原にいらっしゃい」というテレビドラマはできそこないであった。シナリオを書いた人が野辺山高原と八ヶ岳を理解できなかったからだ。できの悪いシナリオ舞台は八ヶ岳でなくてもよかったのだ。シナリオ・リオライターがいけなかったのか制作スタッフが駄目だったのか。知識が不足するとそのようなことになる。 野辺山高原が位置する南牧村の人口は3,435 人、隣接する川上村は人口4,858人だ。レタスと白菜の栽培で農業経営が順調である。予冷庫と保冷車が普及し、高速輸送ができることになったことが要因の一つである。 川上村には金峰山2,595mと瑞牆山2,230mがある。山梨県境にある八ヶ岳(赤岳)2,899mは領地の外だが見るぶんには川上村と野辺山高原(南牧村)が一番だ。友人の何人かは定年を機会に八ヶ岳山麓に東京から移り住んでいる。私はそれが羨ましかったが今は安曇野が良いと思う。 農業を上手くやっている村があるのは良い。しかし農業人口はごくわずかであり生産高は小さい。野辺山高原と川上村のレタス畑をみて美しいと思ったら農家と自然に感謝したい。掲載の写真は3月8日に撮影した。 2019-03-26-views-of-yatsugatake-nobeyama-plateau-and-kawakami-village-in-bssho-onsen-