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カテゴリ:エッセー
写真は松本市内を巡って4月16日に撮影しました。
松本市を巡っていたらハカリ資料館があった。古い時代のガソリン計量器が郷愁を誘う。 松本市の中心街から西の方面に白い雪を被った北アルプスの山並みが見える。 松本市の中心街。信州で一番を争う都会だ。正面に美ケ原が見える。 松本城は桜が終わりかけていた。塩尻市の地元紙は熊本地震になぞらえてこの地が糸魚川静岡構造線(いといがわしずおかこうぞうせん)の上にあることを述べていた。熊本城の見事な石組みが崩れたが松本城は堅固なのだろう。松本城を世界遺産する運動が地元では行われている。松本城の左手に美ケ原が見える。 (タイトル) 安曇野の水田に写る雪のアルプスの景色は日本の美しい風景だ。 (本文) 東京の桜が散って甲州街道のケヤキの新緑が広がると春をこえて初夏の装いになる。 このころになると春浅き安曇野の風景が思い浮かぶ。常念岳から右手に伸びる後立山連峰の雪の稜線と裾野の水田と川の流れは日本の風景といってよい。安曇野の水田に写る雪のアルプスの景色は日本の美しい風景だ。 ここには碌山美術館(安曇野市安曇)があって東京の下町「亀戸」の戦前の風景を描いた絵画が展示してある。 5月の連休になると安曇野に春がやってくる。 名のみだった春はウグイスの鳴き声で本物になり、ワサビ田は色青く、水を引いた水田の水鏡には雪の山が映る。 一足飛びにその安曇野に行くよりも松本市で焼き鳥とホルモンを食べて蕎麦でもラーメンでも食べて一晩遊べば最高だ。 その昔、千曲の旧制中学校から松本にでて旧制の松本高校に入学したある人は、松本が東京並みの都会だと思った。松本高校時代の北杜夫が物理の試験に短歌などを沢山書いて答案とした担当の教員がその人である。この教員は後に地元の私立短期大学の学長をしていた。 松本には登山用品の石井スポーツが店をだしており、カモシカスポーツも松本市和田に出店している。登山とスポーツ用品を持ち出すのを忘れたときにはここに寄る。 上高地に行くにも美ヶ原に行くにも松本市は足場になる。霧ヶ峰方面もその範囲である。茅野市も諏訪市も駅前は都会ではない。中央線を西に進んで夜が賑やかなのは松本市であり、路線がずれると長野市だ。上田市はどうかな。 大町市まで足を運んで小さな喫茶店で昼のランチを食べるのが私の密かな楽しみである。父が赴任してこの地で高校教員をしていたために大町市に縁があり、現在この地に住んで湖日に住んで『私だけの安曇野』朝日新聞社(1978年)ほかを執筆しているのが丸山健二だ。 松本市のことを文章にして世間に広めたのは松本市を舞台にした小説『どくとるマンボウ青春記』の北杜夫である。この小説は長野県出身の知り合いに教わってその昔に読んだ。 そのようなことを考えながら松本市の盛り場で3,000円だけ手にして少し酒を飲み昭和横丁でホルモン焼きをつつくのである。 (文章を読み返していないので変換ミスほかをご容赦ください) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年04月21日 11時54分33秒
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