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2017/01/15(日)06:27

下呂市萩原町西上田2259-9のオテル・ド・マロニエの6階から東南方面に見える下呂温泉を写す。

旅行(旅と自然の日記)(562)

東海旅客鉄道(JR東海)高山本線下呂駅(最速の特急ひだ号の場合)が走る。 2017‎年‎1‎月‎12‎日、‏‎15:33:42 高山本線下呂駅付近を最速の特急ひだ号が走る。 2017‎年‎1‎月‎12‎日、‏‎15:41:48 下呂市萩原町西上田2259-9のオテル・ド・マロニエの6階から東南方面に見える下呂温泉を写す。このホテルには自家源泉があり、温泉街から離れた閑静な宿で高台から見る風景に心癒される。 ‎2017‎年‎1‎月‎14‎日、‏‎11:10:34 1265年(文永2年)に山頂からの湧出は止まったが、現在の温泉地である飛騨川の河原に湧出しているところを発見された。写真はその源泉を祀る源泉灯である。 ‎2017‎年‎1‎月‎14‎日、‏‎16:55:02 下呂温泉では冬場でも土曜日の夜に10分間花火が打ち上げられる。 ‎2017‎年‎1‎月‎14‎日、‏‎20:37:28 下呂温泉では冬場でも土曜日の夜に10分間花火が打ち上げられる。 2017‎年‎1‎月‎14‎日、‏‎20:40:52 (タイトル) 下呂温泉では冬場でも土曜日の夜に10分間花火が打ち上げられる。 (本文)  下呂温泉に3泊することになった。移動つづきの旅行をしていたので落ち着いて過ごす場を求めたからである。  安い料金を求めて少し奮闘した。正月明けの空いたときなので驚くほど安い宿泊料である。  正午に8000円であったのが午後1時には5500円であった。百貨店地下売り場における食品の割引と同じことが宿泊料金にもあった。時間とともに物の値段は変動する。その変動の状態はインターネットに現れスマホなどの端末に表示される。  上のことがその料金の事情を物語る。  3泊したのは1月14日の土曜日の夜に10分間の冬花火が打ち上げられるからである。  安い料金であれば街にでて弁当を買って食べて、ゆっくりと湯につかることができる。下呂温泉の泉質はpH9以上、アルカリ性の単純温泉である。これは下呂温泉のどこの宿も同じである。よい湯である。  下呂温泉(げろおんせん)は、岐阜県下呂市(旧飛騨国益田郡)にある温泉である。林羅山が有馬温泉・草津温泉とともに、日本三名泉に数えた(ただし、当時は下呂ではなく湯島と表記)ことから、「日本三名泉」と称されていた。  この地を流れる川は飛騨川であるが、下手で馬瀬川で合流してから飛騨川と地元ではいう。下呂市を流れている間は益田川(ましたがわ)と呼ばれている。  釣り好きには益田川漁協の電子メール通信が届く。ヤマメ、ニジマスの放流と釣果情報であり、夏には鮎の情報に変わる。  自家用車利用では中央自動車道中津川インターチェンジより国道257号経由と東海北陸自動車道郡上八幡インターチェンジより国道256号・国道41号経由があり、郡上八幡経由では2016年にトンネルが二本通されたことによって25分の時間短縮となった。  この地を走る鉄道は高山本線であり特急ひだ号や特急ワイドビューひだ号が走る。富山、高山、名古屋、米原、京都、大阪からの便などである。  下呂温泉は1000年前の延喜年間から天暦年間のころに、現在の温泉地の東方にある湯ヶ峰(1,067m)の山頂付近に温泉が湧出したのがはじまりである。泉効があり、当時から湯治客があった。  1265年(文永2年)に山頂からの湧出は止まったが、現在の温泉地である飛騨川の河原に湧出しているところを発見された。このことは開湯伝説における白鷺伝説(薬師如来が一羽の白鷺に化身し、湧出地を知らせたという伝説)として伝わる。湯口の移動により、湯ヶ峰に安置してあった薬師如来像を村里に移動し、温泉寺とした。  室町時代に、五山僧・万里集九が草津・有馬とともに天下三名泉として全国に紹介した。1621年には林羅山が著書の中で草津・有馬とともに名湯として挙げている。  中根山の山麓に建つ温泉寺は江戸時代の創建と言われる(1671年)。当時の泉名は「湯島」と言い、その後、湯之島温泉が下呂温泉の別名としても使われた。  温泉地は飛騨川の氾濫の度に壊滅的な被害を受けてきたが、その度に復興してきたものの、安政の大洪水で湯脈が破壊されて湧出口を失い、明治時代にわずかに出たものの寂れてしまった。  復活をかけて地元民により大正時代にボーリング採掘が始まり、昭和初期には、高山本線下呂駅開業を見据えて、名古屋の実業家・岩田武七(現・マドラスの創業者)が採掘事業に乗り出し、1931年に湯之島館を開業した。当旅館建物は国登録有形文化財になっている。  「下呂」の名の起源は律令制の時代にさかのぼる。  「続日本紀」によれば、776年(宝亀2年)下呂温泉の付近には美濃国の菅田駅と飛騨国大野郡の伴有駅(上留駅)があった。しかし、この2つの駅間は遠い上に道も険しかったため、間に駅を新たに置くこととなり、下留駅(しものとまりえき)を置いた。  やがて、下留(げる)と読むようになり、時代が進むに従い音読みする様になり、転じて現在の音と表記になった。  菅田駅は、現在の下呂市金山町菅田、伴有駅は下呂市萩原町上呂にあったものである。  高山は「さるぼぼ」の街であるが下呂市もまた「さるぼぼ」の街であった。「さるぼぼ」は「猿の赤ちゃん」のことで、赤い服を着た人形である。赤いといえば飛驒特産の「赤かぶら」の漬け物が土産品である。赤がつづくが郡上八幡を含めてこの地では冬には南天が赤い実を付けていて家の庭先に植えれている。

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