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2018年07月26日
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私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎

河童橋そばの売店に一流の山用品が揃えられていた。
私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎

(本文)
 登山は英雄主義とロマンチズムだ。天然自然の美を歌うのは感傷主義でもある。感傷主義は英語の方が伝わりやすい。センチメンタリズムである。このようなものがないまぜになっての山と山登りである。登山雑誌はこれを煽(あお)る。都会に暮らす若者は昭和40年代には山に繰り出した。夜行列車を塩山駅で降りて、そのまま歩いて大菩薩峠いく人が多くいた。大衆登山の黎明期には穂高でもそうだ。穂高岳や槍ヶ岳そして剱岳に登ることが英雄であった。登山はヒロイズムであったのだ。

 登山雑誌に登山をするモデルになっている若い女性を知っている。稽古事をつうじて妻と娘の知り合いだ。応募して選ばれた。夏山登山の編集は一年前に行われる。あの山にはこの人ということでモデルを振り分ける。NHKテレビは女優に登山させて山の番組をつくる。雑誌版のモデルである。妻と娘は雑誌に掲載されたモデルの活躍をうらやましい。その人は東京の下町の出身だが大阪に転勤した。妻は大阪にでかけて食道楽の大阪を楽しんだ。

 ある知り合いは何気なく上高地に遊びにいってそのまま奥穂高岳に登ってしまった。手回り品はない。若い力は奥穂高はものともしなかった。好天であった。

 この人は本式に登山を始めた。そして登山クラブをつくった。登山クラブには妻になる女性がいた。活発な活動をしたあとでの長い休みがつづいていた。2年前に夫人が槍ヶ岳に登りたいといった。夫婦と昔の登山仲間で表銀座を縦走した。中房温泉から燕岳、大天井岳、槍ヶ岳へと尾根筋を歩いた。表銀座コースだ。大天井岳から槍ヶ岳に向かわずに常念岳を経て安曇野に下る順路も表銀座コースになるらしい。70歳を前にして夫婦は山に登った。

 山に目覚めたその人は給与を前借してまで山に足を運んだ。登山用具はゴローの靴をいくつもそろえ山スキーにも熱中した。ザイルを使っての岩登りもするようになった。一人前の山男に変っていった。

 表銀座コースで槍ヶ岳に登る一年前に事件があった。南アルプスの宝剣岳登山の基地となる千畳敷カールのホテルに滞在して山を楽しもうと計画した。ロープウエイで行けるホテル千畳敷に山登りなどしない友人を誘った。意気込んで千畳敷に向かっているときに急変がおきた。身動きが取れない状態だった。甲府市の公立病院に駆け込んで。そのまま一ヵ月入院した。退院後しばらくして原因がわかった。肺疾患であった。病院を探して治療をおこなった。この夏に肺疾患のため倒れた。別の臓器に疾患が原因だっかかも知れない。

 肺疾患がわかった翌年の5月には諏訪地方は7年に一度の御柱祭りがあった。私は塩尻駅前の宿に1週間泊まっていたの。蓼科山麓の佐久側にその夫婦の別荘がある。御柱の合間に夫婦を訪ねた。5月の真っ青な空の日であった。思い立って秋にも行った。

 夫婦の遅い秋の別荘滞在の水道の凍結防止など冬支度のためであった。肺疾患のことを夫人が語り身体を冷やしてはいけないのだと冗談のように言っていた。病を苦にしていない気配であった。一時間の滞在の間に鹿教湯温泉に宿を手配して辞去した。

 この夫婦の楽しみは老後に別荘で過ごすことであった。とくに夫人はこの願いが強い。普段は東京の下町で暮らしている。

 あくる年、つまりこの5月に夫婦の別荘の近くまでいった。別所温泉への道が別荘の近くであった。迷ったが投宿の時刻を考えて通過した。この2カ月のち、7月に終止符が打たれた。この人は編集の技が優れていて定年後も乞われて職場にでていた。また編集の仕方などの講習を頼まれることもあった。職場ではただ一人髭を生やしていた。生き方に誇りを持っていた。お洒落であった。

 知人のもう一人は脳溢血に襲われた。つづいてに難病を併発した。身体の動きが悪くなった。八ヶ岳連峰の東側に別荘で寛(くつろ)ぐことを楽しんでいた。身体が効かなくなると出かけるのに助けがいる。この人は地方公務員を勤め上げた人であり、人の世話をすることを生きがいにして過ごしてきた。

 人の明日はわからない。明日がわからないからは不安である。明日がわからないから人はだれもが不安なのだ。イエス・キリストはいう「汝、明日を煩うな」と。

 人には大きな願いもあれば取るに足らない楽しみもある。好きだった音楽も心が閉ざされると取り合わなくなる。好きな料理だってそうだし、好きな所にだって行きたくなくなる。

 人の心はいつも悲しい。面白おかしくふるまっていても心の奥底は悲しさに沈んでいる。

 空の輝や、流れる白い雲をみても、森の深い緑に抱かれていても、風の歌を聴いても、人は悲しい。人はやるせなさ、むなしさ、苦しさにもだえる。サトウハチロウが詩をつくり加藤和彦が曲をつけザ・フォーク・クルセダーズが歌う。苦しさは明日につづき、むなしさに救いはない。やるせないモヤモヤは、空をながめ、空に告げて慰めて涙を流すしかない。北山修は精神科医になった。「あの素晴らしい愛をもう一度」と歌う。

 山に行くのも林を散策するのも感傷と諦念が入りまじる。北原白秋は水墨集の「落葉松」で「からまつはさびしかりけり、たびゆくはさびしかりけり、世の中よ あはれなりけり、常なれどうれしかりけり」と歌う。寂しく哀れであるのが世の中である。

2018-07-23-2-kamikochi-hymn-part-2-mountaineering-and-romanticism-and-sentimentism-writing-tetutaro-kai-

(写真と文は甲斐鐵太郎)

私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎






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最終更新日  2018年07月26日 00時05分14秒
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