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2018年08月06日
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カテゴリ:紀州犬物語

紀州犬のメス犬。欲は無く、怒らず、静かに笑っている。

紀州犬物語162 「丈夫な体を持ち」「決して怒らず」「よく見聞きよく分かり」て人の心を和ませる(横田俊英)
(タイトル)
「丈夫な体を持ち」「決して怒らず」「よく見聞きよく分かり」て人の心を和ませる
(サブタイトル)
「長幼の序」と犬の性質から学ぶ犬のシツケ方
第162章 「丈夫な体を持ち」「決して怒らず」「よく見聞きよく分かり」て人の心を和ませる 執筆 横田俊英


(本文)

 犬が人の生活に馴染んで人に好ましい行動をする。人に好ましい行動とは人によって変わる。普通の人が飼う犬では、部屋にいても、犬舎にいても粗相(そそう)などせず大人しくしていること、むだ吠えせずに人を咬まないこと、一緒にいることで人の心を和ませる、似たことだが愛嬌があること、などである。

 人の在り方を宮沢賢治は語る。

 雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けず、丈夫な体を持ち、欲は無く、決して怒らず、何時も静かに笑っている。一日玄米四合と、味噌汁と少しの野菜を食べ。あらゆることを自分を勘定に入れずに、よく見聞き分かり、そして忘れず。野原の松の林の陰の、小さな茅葺(かやぶ)きの小屋にいて。東に病気の子どもがあれば、行って看病をしてやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い、北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないから止めろと言い、一人のときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、みんなに木偶の坊(でくのぼう)と呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういうものに、私はなりたい。

 上の言葉が当てはまればのその犬はのぞましい。夫婦が口論するとおろおろし「つまらないから止めろ」と部屋の隅でうずくまる。「丈夫な体を持ち」「自分を勘定に入れず」に「欲はなく」「決して怒らず」「よく見聞き分かり」「そして忘れず」「ほめられもせず」「苦にもされず」に生きている犬がいる。

 「欲はなく」「決して怒らず」「よく見聞きし分かり」「苦にもされ」ない犬を育った犬を何頭かみている。そのように育つ要素は、慈しみの情を持って飼い主が接すること。強く打(ぶ)つこと、あるいは打つをしない。シツケとして打つことをしない。孟子は「五倫」の徳として「長幼の序」と「朋友の信」を説く。「長幼の序」とは年少者は年長者を敬い従うこと、「朋友の信」とは友はたがいに信頼の情で結ばれることである。これを実行する。

 犬と人のあいだに保持される秩序がある。犬は人ではない。犬には犬の行動原理が貫通する。群れをなす狼の社会の序列はそのまま犬と人との間の秩序になる。母犬が子犬を育てるときにしていることは序列の教え込みである。狼の世界では群れにリーダーがあって群れに序列が形成される。このことがあって群れは狩りを実行できる。狼から分離したか狼そのものであるかする犬の性質は分離後の日数では行動原理に変化をもたらすことがない。狼の社会は序列によって形成されている。人と犬がつくる社会でもこの原理が貫かれる。飼い主は犬に対してリーダーの地位にいることが大事だ。

 上で述べたがオオカミ(狼)あるいはその類縁は、人に寄り添うようになり、人に飼われるようになった。犬の行動の様式には狼の行動様式が保存されている。人によってはこのことに異議あるかも知れないが、犬の行動様式は狼のそれと瓜二つであることは野犬の群れをみればわかる。

 次が躾(しつ)けられない犬のようすである。人が通ればワンワン・キャンキャン間違いなく吠える。どのように飼われてきた。家では勝手に駆け回っていて夜には飼い主の布団にくるまって寝る。飼い主には犬は動くおもちゃである。可愛ければそれでよい。ワンワン・キャンキャンは犬が生きている限るつづく。この犬にとって外を歩く人も玄関ドアを開ける来訪者も侵入者である。それは縄張りへの進入として理解される。犬は縄張りをもつ動物であるから縄張りへの侵入者を撃退する。

 どうすればよいか。まずは犬が穏やかでいられる状態をつくること。犬が穏やかに心情になるのは狼と同じで巣穴に籠(こ)もることである。昼には巣穴に籠もる。巣穴はぎりぎりの大きさである。侵入者を撃退しやすく進入を防ぎやすいからだ。広い庭に放しておかれること、家の中をうろうろさせられていることは、この防御壁が取り外されているのと同じであるから落ち着かない。

 広い庭は犬が守るべき縄張りとなる。歩き回る家のなかも同じである。広い縄張りを守るために何時もイライラしている。侵入者が近づけばワンワンやる。侵入者が縄張りに入れば噛みつく。これが郵便配達人がピンポンとベルを押すと庭にいた犬が飛んできて噛みつく。玄関を開けて入ってきた訪問者にガブリと噛みつく。多くの事例がある。

 対処する方法は何か。単純な方法は家のなかで犬を放し飼いにしないこと、庭でも犬を放し飼いにしないことである。人と遊技するとき以外には犬舎のなか、ケージのなかで過ごさせることだ。狭い犬舎、狭いケージは犬には苦痛ではない。なぜなら犬の生活と連動する狼の生活は極小の巣穴のなかであり、この巣穴のなかが最上の安心空間なのだ。犬の行動様式と人の行動様式は違う。感覚も違う。来客時も飼い主がリーダーとなって「控えよ」と諭す。

 犬は人ではない。犬には犬の行動原理がある。人の世界の平等感覚を犬との間に持ち込んではならない。そのうえで、友はたがいに信頼の情で結ばれる「朋友の信」を考慮すればいいではないか。

 人の感覚をそのまま犬との暮らしや躾けに持ち込んではならない。犬には犬の行動様式と感情・感覚があるから、これに見合う付き合い方としての躾(しつ)けを施す。犬を飼う、そして躾けするために誰でもが簡単に実行できる方法がある。犬の住まいは扉の付いて犬舎のなか、ケージにする。おやつや遊びのときには外にだす。終わったら住まいのなかに戻す。

 母犬が子育てるときにしていることは序列の教育である。強いものと弱いものとの関係をどのような形で伝えるか。子犬は育つにしたがって母犬に噛みつくなどして挑む。執拗に噛みつく。そうさせておいて母犬はガッと声をだして口吻を大きな口でおさえる。子犬を裏返しにして口でおさえる。子犬はそれ以上攻撃するともっと痛い眼にあわせる。傷つけない加減はされている。大人になった犬でもコロリと仰向けになって服従の姿勢をとる。服従の姿勢に対して攻撃はしない。これが犬と狼の世界の約束事である。狼の世界の掟は犬の世界の掟でもある。掟(おきて)は相互に守られる。

 狼や犬の掟、つまり犬の行動様式を利用して犬を躾ける。犬を扉の付いた犬舎にいれケージにいれて飼うことは、犬の心を穏やかにすることにつながる。飼い主と犬との間には折り目をつける。子犬と遊びながら何食わぬふりで子犬の口吻を包む。子犬を裏返してソケイ部をなでる。子犬を後から抱える。この三つを何気なく繰り返してやる。

 子犬同士で遊んでいるのをみると後に回って跨って腰を振る。マウントというのであるが子犬の間での強さの競い合いがマウントだ。飼い主が子犬にマウントと似たことをして強さを示す。そのようなことをしておくことによって飼い主に刃向かい飼い主に噛みつくことを抑制できる。子犬を後から抱えることの意味だ。

 犬は可愛い。可愛いから犬を飼う。飼っている犬が飼い主を咬み、よその人を咬むだら犬は飼っていられない。可愛さが転じて恨みの対象になる。

 孟子の「五倫」の徳があり、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の五つである。さきに長幼の序、朋友の信をがそれだ。人と犬のあいだに用いられてよい。「五倫」の徳をいきなり引っ張り出すと犬と人とは不平等であると言いたいのかと誤解されかねない。狼の世界のこと、犬の世界のこと、その行動様式と心情のことを説明した。犬と人の世界は孟子の「五倫」の徳によって形成される。

 「父子の親」とは、父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない。「君臣の義」とは、君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。「夫婦の別」とは、夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。「長幼の序」とは、年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。「朋友の信」とは友はたがいに信頼の情で結ばれなくてはならない。

 犬と人とは慈しみの心で結ばれ信頼しあう。基底にあるのは親愛の情であり、人は犬に対して年長者の位置にあり敬われるように行動する。犬と人にはそれぞれの役割があり、人は犬が社会で問題行動をおこさないように責任を持つ。

 偶然に大人しく、むだ吠えせず、人も咬まず、一緒にいることで人の心を和ませる犬が育つ。「丈夫な体を持ち」「自分を勘定に入れず」「欲はなく」「決して怒らず」「よく見聞きし分かり」「そして忘れず」「苦にもされず」に生きている犬がいる。これを偶然ではなく確実なものにしたい。

 犬が社会の決まりどおりに振る舞う犬に育てたい。普通に育つことは当たり前のようであるが普通に育たない犬もいる。持って生まれた性質や賢さに差があることもある。人に病気があるように犬にも病気がある。偶然がまぐれこむ。難しいことである。

 犬に対処するのに、とくに子犬に対処するのに自分の知識や思い込みといった観念を絶対のものにしないこと。子犬は可愛い、子犬を人の子と同じに扱いたい、子犬に人権と同じ感覚で接したい、という感情は自然である。自然な感情であるからといってその感情のままで子犬に接すると悪い結果を招くことが多い。理由は明確である。犬の行動様式は人とは違う。犬の世界に形成されている掟(おきて)を抜きにして犬のシツケはできない。犬のシツケは人の子のシツケとは違う。たがいに信頼の情で結ばれる「朋友の信」は貫かれるけれども、年長者の立場にある人と年少者の立場にある犬との間で、年少者は年長者を敬いしたがうという「長幼の序」があることが大事だ。

 「長幼の序」をいきなり述べるとあらぬ誤解を受けかねないので遠回しに述べ、また犬の行動様式にも言及した。

 「ほめられもせず」「苦にもされず」に生きている犬がいる。欲深く、勘定も高く、聞き分けなどなどなく、何時でも怒っている飼い主は多い。

 「丈夫な体を持ち」「自分を勘定に入れず」「欲はなく」「決して怒らず」「よく見聞きし分かり」「そして忘れず」「苦にもされず」といった良くできた犬に巡り合うか、そのように育てることができれば幸甚なことだ。残念なことに人はそのようにはなれない。

(誤字、脱字、変換ミスなどを含めて表現に不十分なことがある場合はご判読ください。)





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最終更新日  2018年08月06日 18時20分21秒
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