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2018年09月22日
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紀州犬物語166 良い犬とは人に従順な犬であり、そのように仕付けられた犬だ(横田俊英)
(副題)「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」これが紀州犬の定義だ
(副副題)繋いで飼うことが正義であるという間違った観念が再生産される日本社会
第166章 良い犬とは人に従順な犬であり、そのように仕付けられた犬だ 執筆 横田俊英



紀州犬の子犬。生後3カ月ほど。オス。
わが人生の伴に仕付けるのは飼い主。

(本文)

1、人の暮らしと伸びやかさの感覚は夏目漱石の坊ちゃんに代表されます。

 松山の宿の大きな部屋に入って、畳に手足を大の字に伸ばして仰向けに寝ることです。
 誰もがこのような状態は気持ち良いのです。それが人間が覚える伸びやかさです。

1、犬に坊ちゃんの宿に似たような条件を与えたらどうでしょうか。

 広い広い庭を犬に与えて放して飼うことが坊ちゃんの宿の畳の部屋にたとえられるでしょうか。

 そのようにしていれば人は犬は伸びやかで自由だろうと考えます。その庭で犬はどのようにするでしょうか。紀州犬を飼った経験がある人々が共通して言います。はじめの30分は駆け回る。しかしそのうちにそれを止めてしまう。二日もすると縁の下に潜り込んで食事のときに出てくるという生活になる。そのように言います。

 人の思いとしての広い部屋とか広い庭に感じる伸びやかさとか自由というのは、犬の世界の犬たちに共通した思いになってはいないのです。

 したがって犬には庭の条件の良い場所に畳一畳ほどの犬舎を与えて、状況が許されるのであればその先に畳3畳か5畳ほどの遊び場を用意して、急なオシッコなどのときにそれを処理する場所にするとよいでしょう。遊び場は日光浴の場所にもなります。遊び場がなくても冬に陽が当たるようにしてあれば犬舎が日光浴場になります。

 畳3畳か5畳ほどの遊び場をつくるというのは人の側の伸びやかさ、自由さという欲求を満足させるためであると考えたらよいでしょう。

1、伸びやかさとか自由というのは人の感覚と犬の感覚では違います。

 犬を広い庭とそれの続きの家の周囲の門扉の内側に放して飼っていたらどうなるでしょうか。

 広い庭と塀の内側は犬が死守すべき縄張りになります。縄張りに近づくもの、縄張りに侵入するものへの警戒で神経をピリピリと張りつめているというのが広い庭に放し飼いにされている犬の状態です。庭に鉄線(鋼線)を張ってそれに輪を通して犬を飼うということがされていました。この状態は広い庭に放し飼いにされているのと同じであり、犬の神経は侵入者への警戒のためにピリピリと張りつめているのです。

 ですから広い庭を与えることも長い鋼線に輪を通して繋いでおくことも犬の安らぎにはなりません。伸びやかさとか自由というのは人の感覚と犬の感覚では違います。

1、縄張りに侵入するものを排撃するという犬の行動につながります。

 広い庭に放し飼いにすること、長い鋼線に輪を通して庭を駆け回らせるという飼い方は犬に強い緊張を強いているのです。近づくものへの警戒と侵入するものへの攻撃につながります。同じことは家の中で放し飼いにしている犬が訪問者に吠え、時に咬みつくという行動の原理は広い庭に放し飼いにするのと同じです。縄張りに侵入するものを排撃するという犬の行動につながります。

1、犬の世界の社会関係序列関係あり、犬の世界は序列社会として形成されています。

 犬の心が安らぐ状況とはどのようなことでしょうか。

 人は人を友と思い友情や愛情を交わし合います。しかし戦争をおこし大量の殺戮を行うのをみると人の行動の原理を考えさせられます。

 犬の性質は原理としてオオカミの性質とほとんど変わりません。オオカミは集団で狩りをするために群れ・組織の統合のために縦の序列社会を形成しております。犬の序列行動は子犬と母犬との間でも教育的に実施されています。子犬同士でも序列争いの真似事をして過ごします。子犬同士の序列争いがそのまま序列にはなりませんが真似事は育つ間ずっとしております。母犬は子犬に強いものに無暗に攻撃することをたしなめるために子犬に手荒な行動に出てそれを教えます。

1、犬同士で無駄な争いをしないためにコロリとひっくり返って腹を見せる賢い犬。

 大人になった犬のうちあるものは相手に降伏あるいは無抵抗の意思を示すために、コロリとひっくり返ってお腹を見せることをします。ある意味でこの行動は賢いのです。襲えば逆襲にあって命を落としたり大傷を負うことがわかっていて攻撃してはならないことを知った行動です。イノシシ武者のように向こう見ずな行動をして犬死してはならないのです。犬と犬とでは犬の世界のなかの社会関係を築きますがそれが犬の世界の序列関係です。

 人は人との間で友情を信じて行動します。友情はあるいは信義であります。信義とは人の世界での正義の実行を裏付けに成立します。犬の世界の正義は社会秩序保持のための序列の厳守です。このことを理解していることが大事です。序列なしに犬の社会は形成されません。

1、犬が人の上位にいると勝手気まま人の言うことなど聞きません。

 犬の世界の序列といっても普通の飼われ方では犬と人だけの世界です。人がつくる人間の社会としての家族と犬という関係になります。家族と犬の関係です。

 犬への慈しみは犬を飼う人なら人一倍お持ちです。おれは犬が好きで愛情も十分にかけて飼っていると人は思います。犬への深い思いのあまり家にいれば犬をソファーにあがらせて人が床にいるということがおこります。高い場所にいること、つまり犬がソファーという特別席で人が床という関係は、犬にはそのまま上位の位置におかれ、人が犬の下位にいることにつながります。

 人の上位に犬がいるという社会関係が成立しますと犬は人の言うことを聞きません。犬のしたい放題、人の側からは勝手気ままな行動を犬はします。

 犬と人との社会関係の築き方については幾つかの手段と方法があります。

1、赤い屋の家で庭には白い犬がいるというのが幸せの図式です。

結婚して子供ができてこれ以上幸せなことはないという人がおります。上京して家も持てた。次に幸せを象徴するのは白い犬だということで犬を欲しがります。犬は子供とも遊ぶし人のこの上ない仲間であり、その人は家族だと思うのです。

 親が病気になってもどれほどの医療を施すこともできない人は鬼かも知れません。そのような鬼が犬の病気には治療費を惜しみなくだすのが日本人です。犬が家族であるというのは言葉のあやかもしれません。

1、馬とともに命をかけて山仕事をする人がためらいなく言いました「馬は馬で人は人だ」

 馬は馬で人は人だ。これまで馬に名前を付けたことがないと宮城県で山仕事をする70歳過ぎの人がおりました。馬と人とは木材を斜面から降ろすときに死の危険を伴います。人も馬も命がけです。命をかけた仕事をする人と馬との関係を「馬は馬で人は人だ」と述べるのです。馬への慈しみがないわけではありません。私などがその解釈で踏み込むことは僭越です。

 「馬は馬で人は人だ」というののはテレビ番組のディレクターが馬に名前を付けないのかと聞いたときの言葉です。8代も馬を飼ってともに命をかけた仕事をしてきた人の言葉です。馬と同じほどに危険な仕事を体を張ってしてきたひとです。質問したディレクターは若造です。まともな苦労をしたことがない甘っちょろい感覚の若造の失言にも近い問いかけでした。

1、「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」これが紀州犬の定義だ。

 紀州犬の命を賭すことに躊躇(ちゅうちょ)はありません。有色紀州犬復活のための取り組んだ和歌山県日高郡旧美山村村長の池本功氏が述べました。「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」な紀州犬と。この言葉が紀州犬を定義付ていると考えます。そのような性質を維持し保存することが大事です。

 『高安犬物語』での直木賞を受賞した戸川幸夫氏は西郷隆盛が伊豆でイノシシ猟をしたときに、腹からはみ出した腸が動きの邪魔になるので食いちぎって、イノシシを追ったことを文章にしております。生ちょろい人の感覚で動物を計ってはならないのです。

1、近藤啓太郎さんと安岡章太郎さんの紀州犬への慈しみ。

 紀州犬を愛好した人として芥川賞作家の近藤啓太郎さんが有名です。近藤啓太郎さんは同じ芥川賞作家の安岡章太郎さんに紀州犬を世話して、同じ時期に紀州犬を飼っておりました。近藤さんは自分が飼う犬に安岡さんのあだ名からゴリと名付けました。安岡さんは同じように近藤さんのあだ名コンタを自分の犬の名前にしました。ともにオス犬でした。

 近藤啓太郎さんは一家をあげて犬と散歩にでる飼育をしていたことがあります。散歩させない犬は殺してしまえ、というほどに犬にとって散歩が重要であることを説きました 安岡正太郎さんの飼い犬のコンタは書斎にあげても散らばった原稿を踏むことをしませんでした。そして安岡さんが賊に襲われた素振りをするととっさに二階の窓から飛び出したのでした。多摩川の散歩中に蛇をつかまえたり、野良犬の大将をたちまちやっつける武勇もありました。コンタは「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」な紀州犬だったのです。

1、紀州犬を慈しみ、その証のように散歩に連れ出す。

 日本人の犬を飼う感覚を物語る光景があります。NHKの朝ドラ「半分青い」の茶の間の向こうに片側だけ穴が空いた小さな犬小屋が設置してありました。私にとっては嫌な光景です。

 多くの人がこの映像にあることを当たり前として受け入れているのが日本です。犬小屋の付近の杭に鎖でつないで飼うというのが日本人の犬を飼う感覚です。この感覚をNHKは再生産しているのです。

 犬を犬舎に入れておくことは子供を小屋に閉じ込めておくのと同じで虐待だと思っている日本人は多いのです。事実は犬は小屋の中のほうが外敵を警戒しなくてすむ安らぎの場なのです。

1、間違った観念に受け入れやすいことだけを受け入れて間違った観念を固着させる人々。

 紀州犬を飼おうとする人、犬を飼おうとする人は自分が持っている犬への感覚に適合した情報はそのまま受け入れます。自分の思い描く情報だけを集めようとするといってもよいでしょう。犬を仕付けるのにふさわしくない間違った観念のままにその観念と同じ情報を集めるてしまいます。そうすると調べても調べても間違いを増長させるのです。

 すなわち犬は小さな小屋のところに繋いで飼う。あるいは広い庭に放して飼う。庭に鋼線を長く張ってそこに輪を通して行き来させる。このような観念が再生産されます。

 答えは簡単です。犬は畳一枚ほどの扉の付いた犬舎にいれて飼う。そして一日二度ほど散歩に連れ出す。散歩する時間は30分を二回でもよいし、それが一時間になっても15分のときでもよい。扉の付いた犬舎に入れて飼い、そして散歩をする。

 つまり犬が居ればうれしい。そして犬と散歩をすることが楽しみである。そのような犬との生活をするということです。

1、犬の性質や犬の社会の掟である縦の序列が決めているのです。

 犬を家族であると考えることに積極的に異論を差しはさむつもりはありません。しかし犬と人とが平和に暮らすには犬と人との間に序列を付けておくことです。序列を意識させるための技術は難しくありません。母犬が子犬に接しているその方法を人も子犬にすることです。

 どのようなことか。徹底的に遊んでやった後で子犬をひっくり返して鼠蹊部(そけぶ)といわれるお腹の付近をなでてやることです。そして犬を跨(また)ぐようにして後ろから抱きかかえることです。もう一つは犬の吻(ふん)を手で握ることです。これは徹底的に遊んでやった後でするのが望ましいのですが、ある程度遊んだ後にということにしてもよいでしょう。この三つのことは序列を明確にするための方法です。それをしなくても序列を意識して人に服従し、なつく犬もおります。

1、良い犬とは人に従順で飼っていることが嬉しい犬です。

 いろいろとみておりますと、犬の仕付けは、その犬が持って生まれた性質の良さを飼い方で上手に伸ばしてやるということのようです。その結果として犬には良い犬と悪い犬とができあがるのです。

 良い犬とは人に従順で飼っていることが嬉しい犬です。そして一緒に散歩することが楽しい犬です。

1、その犬が居ればうれしい、その犬と散歩すると楽しい、この二つがあればよい。

 紀州犬を含めて犬を飼うことを私は次のように考えております。
 一つにその犬が居ればうれしい、二つに一緒に散歩すればうれしい。
 この二つのことです。一番目は犬への慈しみと言えましょうか。二番目は犬と暮らし散歩する楽しみです。

1、性質の良い美しい姿をした紀州犬が居たら良いと思う。

 紀州犬の愛好家は性質のよい犬、紀州犬として日本犬らしい美しい姿などを追い求めております。そして子犬を生ませるにあたっては性質の良いことの一つとして咬む要素を排除します。犬は歯があるからどのような犬種でも咬むことができます。そのような中において人と上手に暮らすことができる犬を生ませたいのです。そのように考えても思い通りに行かないのは世の常です。犬は吠えることができますが人は犬のことで大きなことを言ってはならないようです。

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(誤字、脱字、変換ミスなどを含めて表現に不十分なことがある場合はご判読ください。)






最終更新日  2018年09月22日 15時20分05秒
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