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2019年03月21日
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出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

複製された五合庵。良寛記念館に建てられている。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

五合庵では「秋萩帖」を手本にして書の修行をする。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

良寛記念館を訪ねて良寬を考える。清貧の思想がある。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

良寬の像があったのかなかったのか、絵からつくったのか。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

雨と雪の長い一日も夕方の晴れ間に心が開く。温泉に入る。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

雨の日であった。三条から上田に行き別所温泉に泊まる。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

上田の行き別所温泉に泊まる。

(タイトル)
出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
(「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」と良寬は自分を述べる)

 良寬とはよい名である。曹洞宗僧侶としての名である。良寛は勉強が大変好きな少年であった。勉強をしていない時は物思いにふけって、ぼんやりしていた。のんびりとした良寛は大人になると尊敬された。良寛の書は美しい。余白に美がある。良寛の生き方はどうであったか。

 良寛(りょうかん)は宝暦8年10月2日(1758年11月2日)から天保2年1月6日(1831年2月18日)。江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。号は大愚。

 良寛は越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)に生まれた。四男三女の長子。父 以南はこの地区の名主・橘屋。石井神社の祠職を務め、俳人でもあった。良寛は出雲崎の名主であった父の後を継ぐ名主見習いを初めて2年目の18歳の時、突如出家し、子供のころに勉学を積んだ曹洞宗海嶽山光照寺(出雲崎町尼瀬)で修行をする。

 米騒動が頻発した時代である。越後にも天災・悪疫が襲い、凶作により餓死者がでた。村人の争いを調停し、盗人の処刑に立ち会わなければならなかった。救いのない人間の哀れな世界であった。両親の説得にも関わらず、良寛は修行を続けた。

 出家後、安永8年(1779年)22歳の時、良寛は備中玉島(現・岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚に師事する。「一日作らざる者は、一日食わず」というように国仙和尚は日を変え言葉を変えて説く。寛政2年(1790年)印加を受け、34歳になる明くる年、国仙和尚の「好きなように旅をするが良い」により諸国を巡る。

 48歳になって越後国蒲原郡国上村(現燕市)国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)の五合庵で暮らすようになって、このときに改めて「秋萩帖」を手本にして書の修行をする。

 農家から一日五合の米のほどこしを受けて暮らす住まいだから五合庵といった。囲炉裏があって外に厠が備えられて茅葺きの小屋である。五合庵の良寛は筍が顔を覗かせれば居間を譲り、子供にせがまれれば、日が落ちるまで鞠付きをした。「この子らと 手鞠付きつつ遊ぶ春 日はくれずともよし」(良寬)

 五合庵の階段がつらくなりだした61歳になると乙子神社境内の草庵に移る。書は心のはけ口であった。これまでの書法では心を表せないために独自の書法を用いるようになる。上手に見せようとしない。一つの点を打つ、一つの棒を引く、その配置の妙を追う。残された良寬の書は、現代でもこの道を究めた人がもう一度書を学び直す手本になっている。

 70歳になると島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内にも庵をもうけた。無欲恬淡な暮らしぶりにみえた。生涯寺を持たなかった。難しい説法はしない。質素な生活を無言の教えとして、わかりやく物事を説くのであった。

 子供の純真な心こそが誠の仏の心と良寛は子供達と遊んだ。かくれんぼや手毬をついた。子供が凧(たこ)に字を書くようにせがまれると「天上大風」(てんじょうたいふう)のと書いた。その凧がある。

 「うらをみせ おもてを見せて ちるもみじ」は円通寺にある良寛の句碑である。俳人 山田杜皐(やまだとこう)に宛てた見舞文に「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」とある。

 「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」と良寬は述べている。すすんで世のなかと交わることよりも、好きなことをしているような人であるというのである。

良寛記念館
〒949-4342 新潟県三島郡出雲崎町米田1番地
TEL. 0258-78-2370
FAX. 0258-78-4748
[ 開館時間 ]AM9:00〜PM5:00
[ 休館日 ]4月〜10月:休館日なし。11月〜3月:毎週水曜日は休館(祝日の場合は翌日)。年末年始:12月29日〜1月3日。

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最終更新日  2019年03月21日 20時23分03秒
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