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カテゴリ:音楽とオーディオ
「ハッピーエンド」を聴く 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
![]() 「ハッピーエンド」左から大瀧詠一,細野雅臣、鈴木茂、松本隆 (タイトル) 「ハッピーエンド」を聴く 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞 (本文) メインにするための買ってきたパソコンにウイルス対策ソフトを入れた。手間取ったが手探りでなんとかした。 YouTubeにアップされている音楽を聴いていくうちに「ハッピーエンド」というバンドの音楽が切れ目なく流れ出した。細野雅臣(ベース)、大瀧詠一(ギター)、松本隆(ドラム)、鈴木茂(ギター)の構成で、ドラムの松本隆は作詞、ほかのメンバーはボーカルも。 大瀧詠一のギターがあまり聞こえてこないのは何故なのだろう。細野雅臣のベースは歯切れがよく、また斬新にロックのリズムを刻む。鈴木茂のギターは秀逸である。他のメンバーに遠慮してかですぎない。後ろに引きながらも松本隆のドラムと重なって、この連中はロックをしていたんだと思わせる。 YouTubeの音源をBOSEのアンプとスピーカーにつないで聴く。たわいのない音楽再生装置である。 突然に聞えてきた「ハッピーエンド」である。素朴で深みのある曲にしばし聴き入った。 はっぴいえんど フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』は「はっぴいえんど」を次のように説明していた。 はっぴいえんど(HAPPY END)は、1969年から1972年まで活動した日本のバンド。活動期間中には、レコードがヒットしなかったバンドとしても知られている。つのだひろ、宇崎竜童らは、はっぴいえんどは「フォーク」であると発言した。また松任谷由実は、当時はっぴいえんどを知らなかったと証言している。 概要 彼らは、ビートルズを英語で歌うGSのような音楽性ではなく、日本語で歌うことを目指した。バンドの作詞担当だった松本隆が、ダブルミーニングなどの技法を歌詞に取り入れ、日本語ロックを構築した。松本は後年、ジャックスの楽曲「からっぽの世界」の歌詞に影響を受けたことを公言し、この曲がなければはっぴいえんどはなかったかもしれないという趣旨の発言をしている。 大瀧と細野は音楽性を重視していたため、ロックに日本語の歌詞をつけるこの提案に反対した。またサウンド面においてはアメリカのバッファロー・スプリングフィールドなどに影響されたサウンドだった。メンバーは宮沢賢治に影響を受けており、その世界観がバンドの音楽性にまで影響しているようである。全日本フォークジャンボリーの第二回に登場し、第3回全日本フォークジャンボリーにも出演した。 しかし、ブリティッシュロックの人気だった当時の日本において、フォーク、フォーク・ロックの音楽性を標榜したのは、日本のロックを作るためにはアメリカのロックをやらなければならないという考えがあったためである。はっぴいえんどがとった方向性は後続のバンドに少なからぬ影響を与え、乱魔堂、センチメンタル・シティ・ロマンスなどの後継者を生んだ。 『月刊平凡』1980年6月号に「日本で作詞・作曲家になる方法」という特集があり、この記事で松本隆の紹介に「今をときめくテクノポップ『Y・M・O』の細野晴臣さんや鈴木茂さんと一緒に、"はっぴー・えんど"でドラムをたたいていたのは知っていたかナ?」と書かれている。 はっぴいえんどは、1970年代には一般的な知名度がないことは勿論、『月刊平凡』のような影響力の大きな音楽誌の編集部にもバンド名を間違えられるほど知名度が低かったものと思われ、『月刊セブンティーン」1979年8月号のニューミュージック特集の1970年代「ニューミュージック年表」にもはっぴいえんどの名前はない。 1970年代は、テレビやラジオを通じて、歌謡曲や演歌、フォークの大ヒット曲が続出した時代であり、ロックより先にフォークがオーバーグラウンドに浮上し、これを契機としてロック色の強いニューミュージックも市民権を得た。 はっぴいえんどは全く売れなかったバンドで、よっぽどのロックファンしか知らないようなバンドが今日より遥かに情報量の少ない時代に於いて、後続ミュージシャンや後の音楽界にどの程度の影響を与えられたのか分かりにくい部分もある。 はっぴいえんどは、「日本語ロック論争」を誌面に残せたことで、1980年代以降に元メンバーの活躍があり、「彼らが昔、日本語でロックをやっていた」と発掘され、『ミュージック・マガジン』を中心とした「はっぴいえんど史観」などの影響で、先駆者的評価が高まり、音楽評論家にもてはやされるようになったもので、元メンバーの活躍が無ければ、はっぴいえんどの今日的評価は全く違っていたものになっていたと見られる。 つのだひろや宇崎竜童、恩蔵茂は、「はっぴいえんどはフォーク」と述べている。当時フォークは普通に日本語で歌っていて、フォークシンガーやフォークグループの中にはロック寄り、フォークロックのような音作りをする者もいた。 つのだひろは「ここ何十年で、日本のロックのルーツがはっぴいえんどだと喧伝しているヤツがいて、評論家でもそれに加担している一派が多いものだから、いつの間にか、日比谷野音(10円コンサート)やニューロックの時代が歴史から消されましたよね。無かったことにされてるんです。僕の中では、はっぴいえんどはフォークでしたよ。彼らは「唄の市」コンサートとかのフォーク・イベントに出ていたバンドで、僕たちロックをやっている仲間にいなかった。これは、ハッキリと言っておきたいですね」と述べている。 長戸大幸は「日本のロックの元祖は何かという議論になると、たいていはグループサウンズよりも後に出たはっぴいえんどになっています。しかし、テレビを見ていた少年たちがエレキギターやエレキベースの音を生まれて初めて耳にしたのはグループサウンズです。エレキの音を来た少年たちがその後、イギリスやアメリカのロックを聴くようになっていき、そのうちの何人かが自分たちのバンドを組んで、日本の音楽シーンに入ってきたのです。それが事実です」などと述べている。 「風をあつめて」は、2003年のアメリカ映画『ロスト・イン・トランスレーション』と2009年の日本映画『おと・な・り』のほか、漫画『うみべの女の子』でそれぞれ取り上げられた。 遠藤賢司、岡林信康、加川良、高田渡、小坂忠らのバックバンドとしても、コンサートやスタジオ録音などを行っている。 メンバー 細野晴臣(ほその はるおみ 1947年7月9日 – ) - ボーカル、ベース、ギター、キーボード、作曲。東京都港区白金出身。 大瀧詠一(おおたき えいいち 1948年7月28日 – 2013年12月30日 ) ボーカル、ギター、作曲。岩手県江刺郡梁川村(現奥州市)出身。 松本隆(まつもと たかし 1949年7月16日 - ) - ドラムス、パーカッション、作詞。東京都港区青山出身。 鈴木茂(すずき しげる 1951年12月20日 - ) - ギター、ボーカル。東京都世田谷区出身。 年表 1969年 3月、“エイプリル・フール”結成。 9月27日、エイプリル・フール、アルバム『Apryl Fool』発売。 9月、はっぴいえんどの前身“ヴァレンタイン・ブルー”結成。 10月、エイプリル・フール解散。 10月28日、ヴァレンタイン・ブルー、デビュー・ライブとなる“ロックはバリケードをめざす”(お茶の水全電通会館ホール)に出演。 1970年 3月6日、遠藤賢司『niyago』レコーディングに参加。 3月、ヴァレンタイン・ブルー、バンド名を“はっぴいえんど”に改名。 3月23日、岡林信康『見るまえに跳べ』レコーディングに参加。 4月、アルバム『はっぴいえんど』レコーディング。 4月12日、“ロック叛乱祭”に出演(文京公会堂)。 8月5日、アルバム『はっぴいえんど』発売。 8月8日、“第2回全日本フォークジャンボリー”出演。 10月、岡林信康とのコンサート・ツアー開始。 12月1日、“岡林信康コンサート”をライヴ録音。 1971年 1月16日、高田渡『ごあいさつ』レコーディングに参加。 4月1日、シングル「12月の雨の日 / はいからはくち」発売。 4月10日、加川良『教訓』レコーディングに参加。 4月14日、“加橋かつみコンサート”出演。 5月7日、アルバム『風街ろまん』レコーディング開始。 8月7日、“第3回全日本フォークジャンボリー”出演。 8月21日、“ロックアウト・ロック・コンサート”出演。 11月20日、アルバム『風街ろまん』発売。 12月10日、シングル「花いちもんめ / 夏なんです」、大瀧ソロ・シングル「恋の汽車ポッポ / それはぼくじゃないよ」同時発売。 1972年 5月6日、“第2回春一番コンサート”出演。 6月25日、大瀧、ソロ・シングル「空飛ぶくじら / 五月雨」発売。 7月1日、“ラスト・はっぴいえんどツアー”開始。 10月、渡米してロサンゼルスでアルバム『HAPPY END』をレコーディング。 11月25日、大瀧、ソロ・アルバム『大瀧詠一』発売。 12月31日、はっぴいえんど、正式解散。 1973年 2月25日、アルバム『HAPPY END』、シングル「さよならアメリカ さよならニッポン / 無風状態」同時発売。 5月25日、細野ソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』発売。 9月1日、ベスト・アルバム『CITY ⁄ HAPPY END BEST ALBUM』発売。 9月21日、はっぴいえんどラスト・ライブ“CITY-Last Time Around”に出演。 9月25日、細野ソロ・シングル「恋は桃色 / 福は内鬼は外」発売。 1974年 1月15日、“CITY-Last Time Around”での模様を収録したライブ・アルバム『ライブ!! はっぴいえんど』発売。 6月25日、ベスト・アルバム『SINGLES』発売。 1985年 6月15日、“国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW”に出演。 9月5日、“ALL TOGETHER NOW”での模様を収録したライブ・アルバム『THE HAPPY END』発売。 2019-03-30-listen-to-happy-end-japan-musician- お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年03月30日 23時47分26秒
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