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2019年05月27日
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放射線と健康被害 原発被害が及ぼす社会影響とどのように向き合うか-その4-

第四話 用途としての放射能と放射線の単位があり震災復旧では物を見る目になる

 人の生活は縄文人ほどであることが平和である。ことに地震と津波と原子炉事故のあとでは無造作な文明よりも縄文時代の暮らしが勝るのではないかと素朴な疑問が湧く。日本は明治以降は戦争に明け暮れた。第二次世界大戦の戦乱上手に避けることができなかったものか。屈辱はあっても負けるが勝ちであった。

 地震と津波の事故は忌まわしい。三陸地方の大地震で東日本が被害を受けた。被災地に赴くと「国破れて山河在り」の言葉が浮かぶ。東京電力福島第一原発の事故後には飯館村に人はいなかった。放出された放射線物質は原発から離れた飯館村に大量に降り注いだ。原発から遠くても放射線量が多かった。放射線物質は福島県の中通り地方に思いのほか多く降り注いだ。原子力事業従事者の年間許容被曝量20ミリシーベルトを超えていたし今も超えている地域が多い。国は許容被曝量を引き上げて中通りの人が戻れるようにに法令を変えた。

 元京都大学原子炉実験所助教小出裕章と東京大学アイソトープセンターセンター長児玉龍彦は放射線被害は小さくないと考える。ならば、せめて子供の放射線被害を防ごうと力説する。子供によりましな食品を与えて、自分は汚染度の高い食品を進んで食べると小出裕章はいう。低線量被曝ならびに内部被曝は遺伝子を傷つける。東京電力福島第一原発から飛び散った放射線物質の量は広島原発の100個分を超える。そして現在も放射線物質放出し続けている。

 放射能の量ベクレル(Bq)と放射線の線量グレイ(Gy)ならびにシーベルト(Sv)は国際単位系(SI )で規定された単位である。

 ベクレルは単位の名称であり(単位記号はBq)1秒間に1個の壊変(自然崩壊)を起こす放射線源の放射能。名称はアンリ・ベクレルの名に由来する。基本単位による表現は
s-1。ベクレルは(放射性核種の)放射能の量である。SIが規定する量としては吸収線量·カーマ。

 グレイ (gray、単位記号はGy) とは、放射線によって人体をはじめとした物体に与えられたエネルギーを表す単位。吸収線量またはカーマの単位として主に単位当りの物質が放射線を吸収し発生したエネルギー(温度上昇)で計測する。1ラドは0.01 J/kg に相当し、国際単位系では吸収線量はグレイ (Gy) で表す。1グレイ=100ラドに相当する。基本単位による表現としての組立はJ/kg(m2·s-2)。SIが規定する量としては吸収線量·カーマ。単位の名称の起源(語源)はルイス・ハロルド・グレイによる。

 シーベルトは生体の被曝による生物学的影響の大きさ(線量当量、dose equivalence・等価線量、equivalent dose)を表す単位。組立単位は J/kg。定義は 1Gyに修正係数を乗じた量。名称の起源(語源)は ロルフ・マキシミリアン・シーベルトに由来する。基本単位による表現としての組立はJ/kg(m2·s-2)。

 レントゲンは1895年にX線の発見し、1901年に第一回ノーベル物理学賞を贈られる。キュリー夫妻は新元素ラジウムの精製に成功し、キュリー夫妻は放射線の研究で1903年のノーベル物理学賞をアンリ・ベクレルとともに贈られた。「アンリ・ベクレル教授が発見した放射現象に対する共同研究において、特筆すべきたぐいまれな功績をあげたこと」による。キューリー夫妻は1911年のノーベル化学賞を贈られた。キュリー夫妻は後に娘夫婦を加えると家族で通算5度のノーベル賞を贈られている。

 英国の大物理学者ケルヴィン卿は、ラジウムが元素ではなく化合物だと主張していた。キューリー夫人はウランの約300倍の放射能を持つ純粋なラジウム金属0.0085グラムの分離を1910年に成し遂げてケルヴィン卿の主張を退けた。

 夫のピエール・キュリーは、イオン結晶の誘電分極など電荷や磁気の研究で成果を挙げ、キュリー天秤開発や後にキュリーの法則へつながる基本原理などを解明していた。1893年にはイギリスのウィリアム・トムソン(ケルヴィン卿)がわざわざ面会に訪ねていた。

 田中館愛橘は東京帝国大学教授をしていたときに物理学校の卒業式で祝辞代わりにラジウムの実験をしている。田中館愛橘はケルビン卿の下で学んだ人である。各方面の国際学会に日本代表として出席していたからキューリー夫妻とも交流があった。キューリー夫妻が発見した新元素ラジウムの公開実験を物理学校の20名ほどの卒業生を祝う場で行ったのである。

 ドイツの医学者ヴァルクホッフとギーゼルは1900年に、放射線が生物組織に影響することを報告する。ピエールがラジウムを腕に貼り付けると火傷のようになった。ラジウムが発する放射線が細胞を壊すことが確認された。このときには悪性腫瘍を治療するキュリー療法の方向に進んだ。マリ・キューリーの手はラジウムによって火傷のようになっていた。放射線が人の生命を危険に陥れることまでは理解できないでいた。

 新渡戸稲造はユネスコの前身に当る国際知的協力委員会(International Committee on Intellectual Cooperation, ICIC)では、キューリー夫人とともに12人の委員の一人であった。着飾ることをしないキューリー夫人に対して新渡戸稲造は第1回会合時の彼女の印象を「見栄えもしない愛想のない人物」と著している。

 田中館愛橘と新渡戸稲造は盛岡藩の藩校で学んでいる。田中舘愛橘は安政3年9月18日(1856年10月16日)の生まれ、新渡戸稲造は1862年9月1日(文久2年8月8日)の生まれであり、6歳の差がある。少し時期がずれるがともに東大予備門にいた。

 新渡戸稲造の進級は早い。1875年、13歳になると、できたばかりの東京英語学校(東大の前身の一つ)に入学した。15歳になった1877年9月になると札幌農学校(後の北海道大学)の二期生として入学した。このころの進路振り分けの事情を田中館愛橘が語っていて面白い。田中館愛橘は官立英語学校から明治9年(1876年)9月に官立東京開成学校予科3級生へと編入する。田中館愛橘と新渡戸稲造の6歳の年の差が東京英語学校では縮まっている。田中館愛橘は回り道して東京大学理学部に入学している。

 この二人がキューリー夫妻と交流していたのである。新渡戸稲造の妻は米国人である。田中館愛橘は早くに夫人を亡くしている。婦人に接する態度におのずと違いがあった。田中館愛橘は外国人婦人に愛嬌を振りまいていたことを弟子が語る。ケルビン卿、キューリー夫妻、田中館愛橘、新渡戸稲造と人のつながりはこの時代の物理学と国際交流を物語る。新渡戸稲造は京都帝国大学法科大学教授、東京帝国大学法科大学教授(第一高等学校校長との兼任)、国際連盟事務次長を務め、『武士道』を著した。

 キューリー夫妻、田中館愛橘ともラジウムの放射線が人の健康に及ぼす影響には無頓着であった。ある程度は知っていたかもしれないが、その取扱い方はその後に知られるような放射線の毒性を知らないかのごとくである。

 8グレイを被曝すると人は死ぬ。茨城県東海村のJCOという燃料加工工場で18グレイと10グレイ浴びた作業者二人がが死んだのは1999年秋のことであった。ウラン溶液の混合作業中に臨界となって放射線を浴びたのである。一人は事故数日後に手に火傷をした程度であった。身体の内臓や骨髄をも損傷していたのである。手厚い医療と看護もむなしく被曝後80日ほどで死亡した。放射線医学の専門医は18グレイと10グレイ浴びた二人の生存はできないと見立てて治療法放棄したため、東大病院に運ばれたのであった。

 東京電力福島第一原発の事故のあとの周辺地域の放射線量は元京都大学原子炉実験所助教小出裕章など原子力業務従事者の年間被曝量20ミリシーベルトを超えている。国が許容被ばく量を変更したからといって人の健康への影響の評価は変わらない。ICRP(国際放射線防護委員会)の2007年勧告では「約100ミリシーベルト以下の線量においては不確実性が伴うものの、癌の場合、疫学研究および実験的研究が放射線リスクの証拠を提供している」としている。ICRP(国際放射線防護委員会)は実際には原子力発電を擁護し推進する組織であると小出裕章は述べる。そのICRPが低線量被曝の危険性に触れているのだ。

 タービンを回すための水蒸気を発生させる。燃やせば処理できない核廃棄物が出てしまうのが原子力発電である。核廃棄物という負の産物だけではなしに放射性物質を人が住む世界に放出してしまった。全電源喪失をおこさない対策はあるか。地震と津波に発電機が耐える保証はなく送電線も切れるとなると原子力発電のどこにも確実性はない。東電の柏崎刈羽原発は地震によって外部のトランスが燃え出しているのに気付かず消火もしない様子がテレビで同時中継されていた。専門家は二重の安全性としてのフェイルセーフを確保した設計になっていると豪語していた。想定が違えば意味をなさないことを事故が物語った。水素爆発も水蒸気爆発も起こさないと見えを切った原発工学の東大教授がいたのだから原発の安全の程度が知れてしまう。





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最終更新日  2019年05月27日 12時02分45秒
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