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東日本大震災から4年7カ月 三陸沿岸の現在

2019年05月22日
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原子力発電と福島第一原発事故がもたらしている被害の現実-その2-

原子力発電と福島第一原発事故がもたらしている被害の現実-その2-動画など。

NHK特集 福島原発事故は防げなかったのか(その1)2012年7月。

テレビ特集 活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択。2013/01/28 に公開。

2011年05月17日17時30分東京電力工程表会見06TBS米田マシンガントーク炸裂。2011/05/18 に公開。

2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏。2011/05/21 に公開。
推進派の東京大学の大橋弘忠教授が起こらないと見栄を切った水素爆発と水蒸気爆発が実際に発生した。

大橋弘忠、2018年3月東京大学を定年退職。ウィキペディア(Wikipedia)

2005/12/25討論。雲隠れした「プルトニウムは飲んでも安心」の大橋弘忠。2011/05/08 に公開。
九電社員を動員してやらせ討論した後で日本の原発におけるプルサーマルが実施されるようになった。

平成17年12月25日(2005年実施)佐賀県主催プルサーマル公開討論会「玄海原子力発電所3号機プルサーマル計画の安全性について」2011/05/18 に公開。

児玉龍彦氏の発現。専門家の役割(児玉龍彦氏と山下俊一氏の違い)2011/08/09 に公開。

児玉龍彦。ウィキペディア(Wikipedia)

田中三彦氏 福島第一原発は今どうなっているのか。2014/12/06 に公開。

田中三彦-Wikipedia

2015.5.22 田中三彦氏 水素爆発は最初に4階で起きた 福島第一原発1号機原子炉建屋4階現場調査報告。いわき市文化センター。2015/05/22 に公開。

2005年。20シーベルト容認・内閣府審議会 原子力安全委員会・現委員長 班目春樹氏の本音トーク炸裂。2011/05/05 に公開。

班目春樹-Wikipedia

「騙された」大飯原発安全性「妥当」評価に専門家批判(1)。2012/02/21 に公開。

「放射線と放射能」日映科学映画製作所1973年製作 製作:日映科学映画製作所 企画:日本原子力研究所。1973 年カラー11:11。
放射線と放射能を正しく理解し、如何に活用されているかを映像化した作品である。目に見えない放射線も"ウィルソンの霧箱"を使えば、飛跡が飛行雲となって現れる。放射能は、放射線物質が放射線を出す能力のこと。一方、放射線物質から出てくる放射線には、α線、β線、γ線があって、それぞれ質量とエネルギーの差異があるので、物質を浸透する力が違う。こうした放射線には共通して、蛍光作用・写真作用・電離作用があるが、そのひとつ写真作用の実験を2~3紹介している。

福島第一原発から飛散した沈着物分布の推定。2011/05/22 に公開。発信源不明の情報です。

藤田祐幸-Wikipedia

川内原発再稼働は無用!最先端の火力発電は、原発の倍以上のエネルギー効率 物理学者、藤田祐幸先生講演会(2013/7/6)。2013/07/06 に公開。

テレビ朝日放映。川内原発再稼働の安全審査。火山学者が批判。2014/07/12 に公開。

元東電社員のテレビでの原発事故の証言。事故直後。

北海道電力の元社員が話す、原発をやめられない意外な理由その1(1/2) 世の中ゼミナール。2012/07/28 に公開。
2012年7月23日 北海道機関紙印刷所 3・11支援プロジェクト委員会主催 社員セミナー。講師 水島 能宏 様(みずしま よしひろ)北海道旭川市在住。

北海道電力の元社員が話す、原発をやめられない意外な理由その2(2/2) 世の中ゼミナール。2012/07/28 に公開。
2012年7月23日 北海道機関紙印刷所 3・11支援プロジェクト委員会主催 社員セミナー。講師 水島 能宏 様(みずしま よしひろ)北海道旭川市在住。

耳鼻科学会(45分)フクシマの真実と内部被曝。小野俊一。2012/09/08 に公開。

元東電原子力技術者、現医師の独り言。小野俊一。
【目次】(記事一覧)福島第一原発。福島第二原発。柏崎刈羽原発。東京電力全般。東電の思い出(私の履歴書) 。原子力規制。放射能汚染。浜岡原発。JCO。その他。おすすめ。

神戸大学名誉教授・石橋克彦氏、元GE原発技術者・佐藤暁氏 外国特派員協会記者会見。videonewscom。2015/04/27 にライブ配信。

後藤 政志(ごとう まさし、1949年 - )ウィキペディア(Wikipedia)

20110523 参議院 行政監視委員会01_03後藤政志さん~石橋克彦さん。2011/05/23 に公開。

「原子力発電所の真実を語る」後藤政志講演会(2013.3.30/福井市)。2013/03/31 に公開。

川内原発パブコメについて 後藤政志。2014/08/21 に公開。
九州電力株式会社川内原子力発電所1号炉及び2号炉の発電用原子炉設置変更許可申請書に関する審査書案に対する科学的・技術的意見の募集について。

小出裕章氏講演の動画など。

小出裕章(こいで ひろあき、1949年8月29日生まれ )ウッキペディア。

原子力発電、何が本当の問題なのか(上)小出裕章。2011/04/25 に公開。

原子力発電、何が本当の問題なのか(下)小出裕章。2011/04/26 に公開。

熱電対式温度計が故障するほど原子炉の中は過酷な状態ということ。小出裕章氏。videonewscom。2012/02/18 に公開。

005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏。2011/05/21 に公開。
小出裕章氏の事故の危険性の発現がその後に現実のものになった。

2005/12/25討論。雲隠れした「プルトニウムは飲んでも安心」の大橋弘忠。2011/05/08 に公開。
プルトニウムの毒性についての小出裕章氏の説明に納得がいく。吸い込むときの毒性は非常に強い。九電社員を動員したやらせ討論を小出氏は知っていた。

平成17年12月25日(2005年実施)佐賀県主催プルサーマル公開討論会「玄海原子力発電所3号機プルサーマル計画の安全性について」2011/05/18 に公開。
生出裕章氏はプルサーマルをやると危険度は自ずと上がると主張する。事故は起こりうるものだと考えていなければならないとも。

小出裕章氏講演会質疑応答 2012.02.11 佐賀。2012/02/14 に公開。佐賀県主催の討論会ははじめからやらせであった。

小出裕章講演「原発事故後に考える自然といのち」主催日本熊森協会。2013/01/30 に公開。

2013.1.13小出裕章講演会「未来は創れる 今できることを~原発と福井・若狭のこれからの時代~」2013/01/14 に公開。

小出裕章講演会「子どもたちの未来のために、今できること」2013.11.30堺市泉北ファインプラザ大阪にて。小出裕章質疑 放射能食品小学生の孫が食べ続けて大丈夫か。2014/01/04 に公開。

小出裕章講演会「今考えよう未来のエネルギー」(2013.5.18/福井県越前市)。会場:越前市文化センター。主催:小出裕章さんとエネルギーを考える会。2013/05/22 に公開。

2011.06.11小出裕章さん講演のあとの質疑(1)小熊町に戻れるのか。

日本はなぜ、原発を始めたか。溜まったプルトニウムの扱いは。小出裕章先生に解決策を聞く。原発の理由。プルトニウムの行方。2011/04/10 に公開。

【あしたのお話し・湘南】第1話 原子力発電と放射能~あれから7年 第1部 小出裕章先生。2018/04/09 に公開。

小出裕章講演会「子どもたちの未来のために、今できること」2013.11.30堺市泉北ファインプラザ大阪にて。2014/01/04 に公開。

原発事故と福島のこどもたちをみつめて 小出裕章さん講演質疑応答。主催:信州・大町山の子村キャンプ実行委員会。信州大学学生有志。20190302。

8年目の3・11〜サラバ原発長野県大行進 in 松本〜小出裕章さん。主催:脱原発信州ネットワーク・松本。2019/03/10 公開。

サラバ原発トーク 前半。小出裕章さん&田中三彦さんのトークとコメント&質疑応答前半部分です。主催脱原発信州ネットワーク・松本。20190310 。

サラバ原発トーク 後半。小出裕章さん&田中三彦さんのトークとコメント&質疑応答前半部分です。主催脱原発信州ネットワーク・松本。20190310 。

「原発事故から5年 子供の低線量被曝の真実」小出裕章さん講演会2016年4月24日(日)に行われた講演会の録画です。

小出裕章と樋口健二のコラボ講演会 一年ぶりの小出裕章と樋口健二の再会。原発、被曝労働、毒ガス島。20181104。

さよなら原発!続・フクシマの声に向き合う小出裕章さん講演会【さよなら原発!三鷹アクション】事故から8年目の福島第一原発2018/11/03 に公開

放射能汚染の時代を生きる~京大原子炉実験所"異端"の研究者小出裕章さんたち~2012/01/03 に公開。

「日米原子力協定」の裏側を小出裕章さんが語ります。2013/11/04 に公開
日本はなんとしても自力で核兵器をつくる力、技術的な能力を身につけておきたいと思ったそのために1977年、東海の再処理工場というのが動き出した。

小出裕章 小泉発言をどう理解するのか。大阪堺市泉北ファインプラザ大阪にて2013.11.30。

最終回スペシャル【拡大版 小出裕章ジャーナル】(ラジオフォーラム#168)2016/03/27 に公開

20170103 松本駅前でのアベ政治を許さない 小出裕章先生。2017/01/03 に公開。

小出裕章氏(元京都大学原子炉実験所助教)講演の動画など

【木内みどりの小さなラジオ Vol.1】ゲスト:小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)2018/07/06 に公開

原発推進の自民党への小出裕章さん怒りのメッセージ。2013/07/18 に公開。

もんじゅを動かしたい理由 小出裕章(音声)2012/09/30 に公開。

2013/10/3 小出裕章インタビュ:凍土壁 電気が切れたら終り。2013/10/03 に公開。

放射能のゴミ 六カ所村の再処理工場とは 小出裕章さん。2013/10/27 に公開。
再処理とは原爆の材料のプルトニウムを作るためのもの。日本は原子力後進国。再処理工場は作ったが現在動いていない。再処理工場は膨大な放射性物質を撒き散らす。

高速増殖炉「もんじゅ」の問題について 小出裕章さん。2013/10/22 に公開。
もんじゅは莫大なお金をかけて電気を生み出していない。地震があり断層があちこちに走っている日本に原発を作るのが間違っている。

小出裕章講演会「余りに愚かな原発再稼働」In松本。2015/11/29 に公開。

2013年5月31日(金)生活の党・小沢一郎党首と京都大学原子炉実験所・小出裕章先生の対談。場所 大阪府泉南郡熊取町 京都大学原子炉実験所。2013/06/01に公開。

2013.05.31 小出さんとの対談終えてインタビュー小沢さん。2013/06/01 に公開。
【大阪】生活の党 小沢一郎党首と京都大学原子炉実験所 小出裕章先生との対談後の囲みインタビュー。

2014.06.12。小出裕章さんにきく。「美味しんぼ」問題について。2014/06/12 に公開。

放射能とは放射性物質が放射線を出す能力のこと 小出裕章さん。2013/10/20 に公開。
放射能の強さの単位がベクレル、放射線の被ばくをはかる単位がシーベルト。被ばくがどれだけ危険か。8シーベルトの被ばくをすると人間は100%亡くなる。放射線のエネルギーはものすごく大きい。遺伝情報も壊れてしまう。

小出裕章氏講演など文書コンテンツ。

小出裕章(こいで ひろあき、1949年8月29日生まれ )ウッキペディア。

<福島原発事故>今も緊急事態宣言は解除されていない〜「もし、私が安倍さんであれば、まず真っ先にやることは子供たちを汚染地帯から避難させるということです」小出裕章氏4/25日本外国特派員協会(全部文字起こし)

「実験用の原子炉と、核セキュリティについて」自由なラジオ おしどりマコケン・小出裕章(文字起こし)2016年6月11日

小出裕章の「使用済み核燃料の再処理」の説明がわかりやすい

講演録「熊取六人組と批判的科学」小出裕章。人文書院。2016年11月11日。

「終焉に向かう原子力と温暖化問題」京都大学原子炉実験所 小出裕章。日本カトリック教会・正義と平和協議会・地球環境をまもる会。2010 年 1 月 19 日(火)。(pdfファイル)

ライター平井有太が京大を退職し長野に移住した小出裕章先生に聞く「政治は大嫌い、でも圧倒的に大切」2015-06-17 10:00。

フクシマ事故と東京オリンピック」小出裕章(罪のない人を棄民したままオリンピックが大切という国なら、私は喜んで非国民になろう)2018-11-11。

5月3日【内容起こし】小出裕章氏:「日本に帰る前に知っておきたい『放射能』のこと」in NY【その①】2012年05月07日11:49。

5月3日 【内容起こし】小出裕章氏:「日本に帰る前に知っておきたい『放射能』のこと」in NY【その②】2012年05月07日11:52。

5月3日【内容起こし】小出裕章氏:「日本に帰る前に知っておきたい『放射能』のこと」in NY【その①】2012年05月07日11:49。

10月3日 小出裕章氏 敷地外のプルトニウム・ストロンチウム、セシウムの首都圏汚染地図、避難準備区域解除の意味。2011年10月03日22:48。

1月8日【内容起こし】小出裕章講演会:『山梨と福島はつながっている~子供の未来のために知ってもらいたいこと』【その①】2012年01月15日11:41。

1月8日【内容起こし】小出裕章講演会:『山梨と福島はつながっている~子供の未来のために知ってもらいたいこと』【その②】2012年01月16日01:42。

1月8日【内容起こし】小出裕章講演会:『山梨と福島はつながっている~子供の未来のために知ってもらいたいこと』《即刻原発は止められる!》【その③】2012年01月16日04:57。

【内容起こし】小出裕章氏『今の原発事情』政権交代と原発政策、モンゴルの核廃棄物と日本の原発輸出の条件、事故対策ロボット、田中正造さん等。ラジオフォーラム。
2013年01月13日13:04。


原発は電気のためではなく、核兵器を作るために導入された/小出裕章(こいでひろあき)助教。
2014年2月3日に行われた、「IWJ・岩上安身(いわかみやすみ)氏による、京都大学原子炉実験所 助教・小出裕章(こいでひろあき)氏インタビュー。

【小出裕章・京大助教 定年インタビュー】『反原発 私自身のため』(東京新聞 こちら特報部 3/23)2015/3/23(月) 午後 3:46。

今中哲二講演の動画など。

なぜ、日本はチェルノブイリの教訓を生かせなかったのか?(ラジオフォーラム#162)今中哲二さんゲスト。

2013年5月25日(土)【使い捨て時代を考える会40周年記念連続トークセッション第1弾】2013/05/26 に公開。
「見えない放射能とたたかう 『サイレント ウォー』今中哲二さんとのトークセッション」キャンパスプラザ京都。

2013年5月25日(土)「見えない放射能とたたかう 『サイレント ウォー』今中哲二さんとのトークセッション」キャンパスプラザ京都。2013/05/26 に公開。
【使い捨て時代を考える会40周年記念連続トークセッション第1弾】講演 今中哲二氏(京都大学原子炉実験所 助教)「放射能汚染への向き合い方」

ベクレルとはシーベルトとは。今中哲二 20110727 衆議院_厚生労働委員会 参考人意見。2011/07/31 に公開。
今中哲二:京都大学原子炉実験所助教、工学研究科都市環境工学専攻助教。広島市出身。熊取六人衆の1人。

映像ドキュメント。放射能汚染調査から見た福島とチェルノブイリ(今中哲二)2011/04/18 に公開。
FoE Japanなどが開催した「原発震災から子どもたちを守れ!院内セミナー」より、今中哲二さん(京都大学原子炉実験所 助教)の発言。3月28日~29日に原発の北西25キロから45キロ飯舘村で行った空中放射線および土壌の放射能汚染調査結果の報告。空間放射線では最大30マイクロシーベルト/時が測定されるなど、避難が必要なレベルの汚染が広がっている。原子力安全研究グループ。http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/。

2011/10/14京大原子炉実験所・放射性廃棄物管理研究室での議論の様子。林剛平報告+小山昭夫・小出裕章・今中哲二各氏。2011/10/25 に公開。
内容:福島の雨水、福島市水道水、セシウム減衰、根から?空気中から?、福島の雨水、カリウムとセシウム、セシウム移行しやすい時期、キノコとセシウム、カリウムポンプ、キノコ・ベリー類、果物セシウムは表面から? アスファルトの汚染、分流式と合流式、菌を使って分別、雨水の放射能とその由来、2号機の状態、土壌浄化、セシウム移行の阻害、カリウムの放射能、カリウム40とセシウムの体内挙動の違い、水田のセシウム、放射能環境下の生物(撮影:宮腰吉郎)

熊取六人組(くまとりろくにんぐみ)ウィキペディア(Wikipedia)

今中哲二文書コンテンツ。

最近の福島産農産物の測定結果 2017 年 6月 17日 今中哲二 京都大学原子炉実験所(pdfファイル)

(核の神話14)原発の影見つめた 今中助教の47年。朝日新聞デジタル。核と人類取材センター・田井中雅人 2016年2月16日15時19分。

低線量被曝とその発がんリスク 今中哲二 (京都大学原子炉実験所,原子力工学) いまなか てつじ(pdfファイル)http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/etc/Kagaku2005-09.pdf

「20ミリシーベルト」と幻の安全・安心論 (特集 被曝影響と甲状腺がん)今中 哲二 科学 87(7), 681-689, 2017-07など関連図書など

「20ミリシーベルト」と幻の安全・安心論 (特集 被曝影響と甲状腺がん)今中 哲二 科学 87(7), 681-689, 2017-07

「20ミリシーベルト」と 幻の安全・安心論 今中哲二(いまなか てつじ)京都大学原子炉実験所(pdfファイル)

この4年間の飯舘村放射能汚染調査の報告 今中 哲二, 遠藤 暁, 菅井 益郎 他 東京 : 岩波書店 冊子体 掲載誌 科学 85(6)=994:2015.6 p.608-612

『技術と人間』論文選 問いつづけた原子力 チェルノブイリ原発事故によるその後の事故影響(今中哲二)1972-2005

チェルノブイリ原発事故:何が起きたのか-事故の概要、放射能汚染、被曝、健康影響-今中哲二(京都大学原子炉実験所)原子力資料情報室第57回公開研究会 文京シビックセンター2 006 . 3. 4

今中哲二さんの最近の仕事について 2014年4月21日「メルマガ金原No.1703」

チェルノブイリ事故の被害調査に終わりはない 今中哲二(pdfファイル)

福島原発事故自主避難者裁判(千葉地裁)への「意見書」 2017 年 5月 26 日 今中哲二(pdfファイル)

チェルノブイリを見つめ直す 20年後のメッセージ 今中哲二(pdfファイル)

2018.9.14 いまなか ソーラー発電の電力収支と金銭収支:この2年間のまとめ(pdfファイル)

放射線と原発事故関連の文書コンテンツ。

菅谷昭-Wikipedia

10月14日 【内容起こしUP】菅谷昭(医師・長野県松本市長)『チェルノブイリから学ぶこと』講演会【その①】2011年10月15日03:18。

10月14日 【内容起こしUP】菅谷昭(医師・長野県松本市長)『チェルノブイリから学ぶこと』講演会【その②】2011年10月15日04:49。

10月14日【内容起こしUP】菅谷昭(医師・長野県松本市長)『チェルノブイリから学ぶこと』講演会【その③】2011年10月15日07:03。

講演・動画まとめ一覧講演・動画等(一部文字起こしあり)2017年10月11日09:55。

7月24日 【動画で見る炉心溶融】をご紹介【内容紹介】炉心溶融(メルトダウン)していく様子がシミュレーションされています。

5月14日 なぜ子どもの被曝を避けなければならないか。<追記あり>【内容紹介】子供が生殖器に被曝してしまうとどういうリスクがあるのか、説明しています。

6月8日名古屋大沢田昭二名誉教授×岩上氏@IWJ【その①】広島・長崎から続く低線量被曝軽視の歴史【内容紹介】数々の被爆者認定訴訟を勝訴に導いてきた沢田昭二先生が、原爆と原発の歴史をまじえながら、なぜ世界で低線量被ばくの評価が認められないのか紐解きます。

7月22日【削除される前に見てください】山本太郎氏が報告-福島の現実【その①】【内容紹介】放射能から子どもを守ることの重要性を福島のレポートをまじえながら山本太郎さんが報告します。

7月23日 小出氏講演:「原爆・原発と憲法9条」@堅田9条の会【その①】【内容紹介】小出裕章先生が原爆と原発の歴史と仕組み、日本で原子力政策がやめられない理由を講演します。

7月2日 日本原子力文化振興財団:原発推進へ国民分断・メディア懐柔-これが世論対策マニュアル@新聞赤旗内容紹介】原発が推進されてきた中、政治家や官僚がどのように国民をコントロールしようとしたか、つぶさに判ります。

6月30日 武田邦彦×岩上安身@IWJ 【議論に対する姿勢と「自分だけよければいい」教育】【内容紹介】武田邦彦先生が日本の教育の問題点について提起します。インタビュアーは岩上安身さん。

7月6日【動画追記】『東京ディスカッション第2章』おもしろき こともなき政治を おもしろく~第一部【その①】池上彰さん、上杉隆さん【内容紹介】池上彰さんが会場の来場者同士で行う議論をとおして、人と議論するときの注意点、議事進行の重要性などが見えてきます。後半は上杉隆さんを迎えて、市民とメディアの在り方について対談されます。

7月27日 児玉龍彦氏:7万人が彷徨っているときに国会は何をやっているのか!@衆議院厚生労働委員会【内容紹介】児玉龍彦先生が、国会であまりの政治の不甲斐なさに憤ります。

8月27日 【動画・要点】「原発」国民投票、やるべし、やれるよ、やりましょう!飯田哲也×杉田敦×マエキタミヤコ×宮台真司&今井一【その①】【内容紹介】民主主義の本質とは何でしょうか?原発についてどうするのか、国民投票への可能性を考えます。

10月14日 【内容起こしUP】菅谷松本市長『チェルノブイリから学ぶこと』講演会@福島【その①】【内容紹介】チェルノブイリで子どもたちの甲状腺がんの手術をしてきた菅谷昭さんが、福島事故を経た私たち日本人に、いま何が必要なのかお話されます。

12月11日 【動画・内容起こし】石橋克彦氏講演会「『若狭原発震災』前夜の私たち」@名古屋市女性会館ホール【その①】【内容紹介】地震学者・石橋克彦先生が、地震大国・日本において、原発を稼働することがどういうことなのかお話されます。

12月15日 【日本外国特派員協会主催】元福島第一原発作業員 鈴木智彦氏(ジャーナリスト)の告発会見【内容紹介】ジャーナリスト・鈴木智彦さんが事故後の福島第一原発へ作業員として潜入し、現場の状況を訴えます。

1月1日 【内容起こし】ニュースの深層SP『2012年原発の運命』【その①】~隠され続けている真相~【内容紹介】おしどりマコさん、今西憲之さん、柿沢未途議員を迎え、福島第一原発の事故報道や政府対応について振り返ります。司会は上杉隆さん。

1月25日 【内容起こし】日隅一雄氏:世界と日本の仕組みの違いと主権者が主権を行使するために@CNIC【前半】【内容紹介】日隅一雄弁護士/ジャーナリストが、日本の政策決定プロセスにおける問題点と情報の大切さを提起してくれています。民主主義とは何か、主権者として必要なことが何なのか見えてきます。日隅さんは2012年6月12日逝去。

10月5日【冒頭書き出し】福島第一原発事故時の東京電力TV会議映像・5時間48分の冒頭部分:武黒フェロー「暇な時に~」「ギャンギャン言われる」「今日は帰ろう!」3月12日22時59分~【内容紹介】2011年3月12日午後11時頃の東京電力テレビ電話会議の様子です。1号機爆発当日にも関わらず、福島の現場と東京本店との認識の違いや温度差がはっきり出ています。

10月5日【要点書き出し】福島第一原発事故時の東京電力TV会議映像・5時間48分【3月13・14日】「炉心溶融の可能性の把握」「氷を入れよう」「ホームセンターに買い物」「口裏合わせ【内容紹介】2011年3月13・14日の事故対応の状況をテレビ電話会議の様子で知ることができます。周辺への被曝予測が出ていても発表されず、ホームセンターに買い出しにいかなければいけないような対応しか取れなかった事故当時の対応に、原発が本当に日本で管理できる代物なのか、問題提起します。

各講演・映像まとめ一覧

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各講演・映像まとめ一覧その⑲【506~530】

各講演・映像まとめ一覧その⑱【481~505】

各講演・映像まとめ一覧その⑰【456~480】

小出裕章(原子力工学) (202)

後藤政志(元東芝・格納容器設計者) (23)

田中三彦(元原子炉製造技術者) (4)

上原春男(工学者・3号機設計者) (4)

武田邦彦(地球環境・資源材料工学) (12)

今中哲二(原子力工学) (1)

矢ヶ崎克馬(物性物理学者・内部被曝) (1)

沢田昭二(素粒子理論物理学者・内部被曝) (4)

崎山比早子(内部被曝・医学博士) (1)

肥田舜太郎(医師・広島被爆者) (1)

木村真三(放射線衛生学) (15)

山内知也(放射線物理・計測) (4)

菅谷昭(医師・長野県松本市長) (3)

児玉龍彦(医学者・生物学者) (7)

石橋克彦(地震学者) (4)

渡辺満久(変動地形学者) (10)

大島堅一(経済学者) (6)

朴勝俊(環境経済学) (2)

井野博満(金属材料学者) (3)

飯田哲也(ISEP所長) (4)

田中優(環境問題・文筆家) (4)

野呂美加(チェルノブイリのかけはし代表) (3)

広瀬隆(反原発活動家・作家) (6)

伴英幸(原子力資料情報室共同代表) (6)

澤井正子(原子力資料情報室) (2)

河田昌東(分子生物学・チェルノブイリ中部) (4)

岩上安身(IWJ代表・ジャーナリスト) (16)

日隅一雄(弁護士・ジャーナリスト) (4)

青木理(フリージャーナリスト) (3)

神保哲生(ビデオジャーナリスト) (7)

上杉隆(元ジャーナリスト) (15)

守田敏也(ジャーナリスト) (2)

今井一(フリージャーナリスト) (8)

池上彰(ジャーナリスト) (5)

宮台真司(社会学者) (5)

マエキタミヤコ(環境保護運動家) (4)

宮崎哲弥(評論家・コメンテータ) (3)

鈴木智彦(フリージャーナリスト) (2)

後藤正文(ミュージシャン / Asian Kung-fu Generation) (6)

山本太郎(俳優) (9)

孫正義(実業家) (9)

各国の専門家 (11)

行動記録 (105)

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2014年11月23日おしどりマコさん発表分『原発事故3年半の現実』@第4回市民科学者国際会議

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後藤政志-Wikipedia

後藤政志(元東芝・格納容器設計者) (23)

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『原発は滅びゆく恐竜である─水戸巌著作・講演集』水戸巌[著]後藤政志あとがき。2014.3.30 出版。
[内容]原子核物理学者・水戸巌は、世界中が原子力発電の夢に酔っていた時代に、いち早く専門家として原子力発電の危険性を力説し、建設反対運動の現場に寄り添い、地域を駆け巡って反対を説き、反原発運動の黎明期を切り開き、その生涯をかけて闘いぬいた。原発推進派や御用学者たちの冷笑と中傷の中で、水戸巌は破局的事故が起きる可能性について理路整然と指摘し、周辺で生じる被害についても警告を発し続けた。彼の分析の正しさは、チェルノブイリ原発事故、福島第一原発事故で悲劇として、本人がもっとも望まない形で、ものの見事に実証された。本書は、彼の論文・講演・裁判関連の文章を集め構成したものである。その文章の端々から、フクシマ以後の放射能汚染による人体への致命的影響が驚くべきリアルさで迫ってくる。

原発は滅びゆく恐竜である─水戸巌著作・講演集 水戸巌[著]A5判上製/328頁/2800円。ISBN978-4-8461-1403-9 C0036。
内容構成
まえがき 小出裕章
Ⅰ 反原発入門
 17の質問にこたえる 原子力発電はどうしてダメなのか
 原発はいらない
Ⅱ スリーマイル島とチェルノブイリの原発事故から何を学ぶか
 働かない安全装置! スリーマイル島事故と日本の原発
  TMI原発事故とBWR
 チェルノブイリ原発事故の汚染規模
 チェルノブイリで一体何が起こったのか
 チェルノブイリ事故の衝撃 日本の原発も危険である
 もし東海原発が暴走したら……
Ⅲ 原子力──その闘いのための論理
 原子力発電所──この巨大なる潜在的危険性
 原子力におけるエネルギーの諸問題
 原子力発電は永久の負債だ
  原発は原水爆時代と工業文明礼讃時代の終末を飾る恐竜である
 原子力──その闘いのための論理
 原子力船むつの「物理の次元」と「社会心理の次元」
Ⅳ 東海原発裁判講演記録
 原発はこんなに危険だ
 原発の事故解析と災害評価
 チェルノブイリ原発事故と東海
あとがき 後藤政志
水戸巌に捧ぐ(1) 最も謙虚で、最も勇敢な人 武谷三男
水戸巌に捧ぐ(2) 水戸さんと私 久米三四郎
水戸巌に捧ぐ(3) 最後の思い出 高木仁三郎
水戸巌に捧ぐ(4) 水戸さんと学術会議闘争 菅井益郎
水戸巌に捧ぐ(5) オリオンは闘う 小泉好延
水戸巌に捧ぐ(6) 水戸さん、わたしは本当に悲しいよ 中山千夏
水戸巌に捧ぐ(7) 水戸様 追悼します 槌田 敦
特別寄稿
「原発は滅びゆく恐竜である」発刊に寄せて─水戸巌と息子たち─水戸喜世子

被曝回避のためにワーキングホリデービザで下見なしの海外避難。

品川寿男、高田渡ら武蔵野タンポポ団-ウィキペディア(Wikipedia)。

小出裕章&品川寿男 対談。2013/07/17京都にて。2013/08/24 に公開。

2014/9/24。小出裕章対談品川寿男。京都大学原子炉実験所にて。2014/10/23 に公開。

2015/09/04対談。小出裕章『原子力緊急事態宣言下』品川寿男。松本市にて。2015/10/09 に公開。

品川寿男の歌。音楽。

品川寿男 歌。Hisao Shinagawa - More Money , More War。2014/02/26 に公開。

品川寿男 歌 戦争賛歌 Hisao Shinagawa。2014/01/14 に公開。
ボタンを押しちゃえ
戦争をしよう
平和? そんなの古過ぎる
話し合い? そんなの諦めた

西は東と
北は南と
貴方の片方の手にはペンが
もう一方の手にはピストルが
御金が必要なんだから
戦争をするしか無いんじゃないの
御金が必要なんだから
戦争をするしか無いんじゃない

働くのではなくて
冒険なのです
どうですか? 経験の一つに
自衛隊は貴方を必要としてます

家族を守る為に
国を守る為に
我政府としては御金を節約するには
そして、 もっと、 もっと、御金を増やすには
勇気或る貴方が必要です
戦争には是非、貴方の参加を
勇気或る貴方が必要です
戦争には是非、貴方の参加を

品川寿男 歌。さようなら! Sayonara! by 品川寿男 Hisao Shinagawa。2014/05/02 に公開。
寝る前か
ふっと笑った
夢心地

ひょっと爲りゃ
こんな感じで
彼の世へも?
なら良いな!すーっと抜けて、然様なら!

一曲の
為に人生
費やして

生の声
路上ライブ
命より
敵うまい 大義名分 左様なら!

Or before
going to sleep
dreaming laughed suddenly

Also to the other world
for such a feeling
If perchance?
Why not good! If it's comfortable!

Spending
life for
one song

Fresh voice
as a street singer
bigger than life
If just cause it good enemy

聞こえるよ
権力者等に
依る舌禍

見えて来る
隠せば隠す
程、比例して
バス通い 既成概念 さようなら!

I hear it
slip of the tongue by
men of power

See it; be proportion
so as to cover it
if cover it
Bus commute if stereotype goodbye!

寝る前か
ふっと笑った
夢心地

放射線の単位ベクレル、グレイ、シーベルトなどの動画コンテンツ。

ベクレルとはシーベルトとは。今中哲二 20110727 衆議院_厚生労働委員会 参考人意見。2011/07/31 に公開。
今中哲二:京都大学原子炉実験所助教、工学研究科都市環境工学専攻助教。広島市出身。熊取六人衆の1人。

放射能とは放射性物質が放射線を出す能力のこと 小出裕章さん。2013/10/20 に公開。
放射能の強さの単位がベクレル、放射線の被ばくをはかる単位がシーベルト。被ばくがどれだけ危険か。8シーベルトの被ばくをすると人間は100%亡くなる。放射線のエネルギーはものすごく大きい。遺伝情報も壊れてしまう。

「放射線と放射能」日映科学映画製作所1973年製作 製作:日映科学映画製作所 企画:日本原子力研究所。1973 年カラー11:11。
放射線と放射能を正しく理解し、如何に活用されているかを映像化した作品である。目に見えない放射線も"ウィルソンの霧箱"を使えば、飛跡が飛行雲となって現れる。放射能は、放射線物質が放射線を出す能力のこと。一方、放射線物質から出てくる放射線には、α線、β線、γ線があって、それぞれ質量とエネルギーの差異があるので、物質を浸透する力が違う。こうした放射線には共通して、蛍光作用・写真作用・電離作用があるが、そのひとつ写真作用の実験を2~3紹介している。

放射線の単位ベクレル、グレイ、シーベルトなどの文書コンテンツ。

2019-05-21-the-reality-of-the-damage-caused-by-nuclear-power-generation-and-the-fukushima-daiichi-nuclear-power-plant-accident-


原子力発電と福島第一原発事故がもたらしている被害の現実-その1-(遅ればせながらに知る原発と放射線被害

小出裕章氏東京都北区での講演会「3.11から7年 放射能のいま」湯川秀樹氏は原爆開発に従事していた。2018.1.20。2時間23分。
小出裕章氏の上の話は原子力発電と放射線被害の現実を理解するために役立つ。この話を聞けばすべてがわかる。
湯川秀樹氏が原爆開発に従事していたことにも触れる。タービンを回すための蒸気を発生させるために何故原子力を使うのか、愚かしいことだという。原子炉を動かすのは日本が核兵器を余裕することの狙いとワンセットになっている。小出裕章氏は2015年3月京都大学を定年退職後に信州の松本市付近にに住むようになった。
小出裕章氏講演「原発事故後に考える自然といのち」2013/01/30 に公開。2時間14分。
小出裕章氏敦賀市での講演会「未来は創れる、今できることを」(2013.1.13)2時間。
小出裕章氏参考人として証言、参議院・行政監視委員会「原発事故と行政監視システムの在り方」2011年5月23日(月)午後1時開催。15分。
小出裕章氏、原子力発電は核燃料製造過程で二酸化炭素を大量にだす。そして死の灰をだす。2011/04/26 に公開。34分。
小出裕章氏、原子力発電は海水を7度温め、海の生態系を破壊する。2011/04/26 に公開。34分。
小出裕章氏、松本駅前でのインタビュー。ヘリコプターのブレードの損傷検知機にストロンチューム放射線が使われている。2017年1月3日。
東京新聞 こちら特報部 2015年3月23日。小出裕章・京大助教 定年インタビュー。「反原発 私自身のため」
小出 裕章、2015年3月で定年退職。退職後は信州で暮らす予定。ウィキペディア(Wikipedia)

児玉龍彦氏の説く放射線の人体への影響とその害毒のこの話は知っていなければならない。
児玉龍彦氏参考人として証言、衆議院厚生労働委員会「放射線の健康への影響」2011年7月公開。11分。
児玉龍彦氏、内部被曝「低線量被曝でも危険」放射線がどうやてDNAを切断するか。がんができる訳。12分。
児玉龍彦氏、緊急記者会見。放射線による内部被曝でDNAが壊れ癌化する。2011年8月12日。15分。
児玉龍彦氏、日本記者クラブでの記者会見。放射線被害、除染。2011/09/30 に公開。45分の説明とその後の質問。
児玉龍彦氏、テレビ出演。専門家は本当のことを言う。本質論を語れ。それが専門家の責任だ。2011/08/09 公開。3分30秒。
児玉龍彦。ウィキペディア(Wikipedia)

2005年、大橋弘忠氏は佐賀県での公開討論会で原発はフェイルセーフの考え方にたった二重の安全構造であり原子炉は壊れない。水蒸気爆発も水素爆発も起こらない。専門家の間でこのことは一致しているの公言した。大橋弘忠氏は東大を出て東京電力に勤めて、班目春樹元原子力安全委員長は東大を出て東芝に勤めて、ともに後に東大教授になった人である。原子力マフィアと小出裕章氏が呼ぶ世界の人である。下の動画は大橋弘忠氏の出鱈目な言説が露わにされた動画である。
大橋弘忠氏プルトニュームの無害性を説く。小出裕章氏プルトニュームの害毒性を説く。「九州電力プルサーマル公開討論会」2005年。13分。
大橋弘忠氏原子力発電は安全なものであり格納容器が破壊するということはあり得ない。「九州電力プルサーマル公開討論会」2005年。14分。
大橋弘忠氏水蒸気爆発は起こりえない。小出裕章氏原子力発電はそれ自体が危険なもの。「九州電力プルサーマル公開討論会」2005年。15分。
大橋弘忠氏、私は水蒸気爆発の専門家である。格納容器は壊れないし水蒸気爆発は起こらない。「九州電力プルサーマル公開討論会」2005年。15分。
小出裕章氏、確率論的安全評価をしてはならないことを米国は決めた。「九州電力プルサーマル公開討論会」2005年。15分。
大橋弘忠、2018年3月東京大学を定年退職。ウィキペディア(Wikipedia)

広瀬隆氏インタビュー。福島第一原発のお釜はGEの設計。全電源喪失の事態。2011/03/20 に公開。1時間17分。
広瀬隆講演会「原発再稼働と大地震」茨城県土浦市。2017/04/22 に公開。2時間31分。
広瀬隆。ウィキペディア(Wikipedia)







最終更新日  2019年05月22日 03時02分01秒
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2019年03月21日
東日本大震災 2011年4月2日の東日本大震災 2011年4月2日の女川町と石巻市のようす
東日本大震災 2011年4月2日の東日本大震災 2011年4月2日の石巻市のようす
日本計量新報社「計量計測データバンク」が撮影した映像です。
(写真をクリックすると動画を閲覧できます)

東日本大震災-JR石巻駅、石巻市役所付近
1,733 回視聴


東日本大震災-石巻市湊町と吉野町付近
715 回視聴


東日本大震災_2011年4月2日の石巻市湊町のようす
762 回視聴


東日本大震災_2011年4月2日の石巻のようす
705 回視聴


東日本大震災 宮城県石巻市駅前商店街を西に向かう
643 回視聴

東日本大震災・三陸沿岸の地震と津波被害と原発の姿(執筆 論説員橫田俊英)



「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2019年3月21日号「日本計量新報週報デジタル版」






最終更新日  2019年03月21日 13時03分09秒
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2017年05月15日
岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在がよく読まれております。

大津波から4年半のそのとき、高田市の市街地の柿の木が育って実を付けておりました。

岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在(震災から4年7カ月)-その13-。嵩上げ工事が大がかりな土木工事として行われている。






最終更新日  2017年05月15日 13時56分50秒
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岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在がよく読まれております。

大津波から4年半のそのとき、高田市の市街地の柿の木が育って実を付けておりました。

岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在(震災から4年7カ月)-その13-。嵩上げ工事が大がかりな土木工事として行われている。






最終更新日  2017年05月15日 13時55分34秒
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最終更新日  2017年05月15日 13時40分39秒
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2015年12月25日
大津波の被災地であっても釣りをする人がいる。写真は2015年10月11日昼過ぎに女川港で撮影。
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大津波の被災地であっても釣りをする人がいる。写真は2015年10月11日昼過ぎに女川港で撮影。
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女川港から陸地を眺める。住居は津波のこない高台に造成されている。
(女川町では防潮堤をつくらず海が目の前に広がる景色を保存する)
写真は2015年10月11日昼過ぎに女川港で撮影。
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女川港の漁協の風景。サンマの水揚げでは日本有数の地。写真は2015年10月11日昼過ぎに女川港で撮影。
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女川港の漁協の水槽には魚とカニが入れてあった。この何気なさは如何にも漁港の風景だ。
写真は2015年10月11日昼過ぎに女川港で撮影。
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(タイトル)
女川町は水産の町であり、魚介類の水揚げと連動して水産加工業が盛んである。

(駅前の新商店街は復興の第一歩であり、町全体としてはまだまだ人が活動する気配に乏しい。)

(JR女川駅前の新商店街が地元の人々が歓喜するなか2015年12月23日に店開きした。)

(JR女川駅前に新たにつくられた商店街が2015年12月23日に店開きした。)

(第一次産業と第二次産業から第三次産業への就業人口の移動の玉突き現象)

(本文)

日本有数サンマの水揚げ漁港である宮城県女川町は2011年3月11日の大津波で死者574名(H27.3.1現在)、死亡認定者253名(震災行方不明者で死亡届を受理)をだした。当時の町の人口は10,014名であった。人口は平成27年11月30日現在6,885であり、震災時から3割以上も減少している。現在の世帯数は3,163。

この女川町に土盛りして再建されたJR女川駅前の新商店街が地元の人々が歓喜するなか2015年12月23日に店開きした。女川町は防潮堤はつくらない。代わりに土盛りして嵩上げした地域に商店等の施設をつくり、山を切り崩した高台に人が住む推進している。駅前の新商店街は復興の第一歩であり、町全体としてはまだまだ人が活動する気配に乏しい。水産の町として再興するにふさわしく女川漁協の水揚場には新規に二基のトラックスケールが設置されていた。

 女川町は水産の町であり、魚介類の水揚げと連動して水産加工業が盛んである。その女川町の人口減少が他の被災地に比べて大きい。女川町の隣は石巻市でありこちらは漁業と工業と商業が盛んで15万人規模の人口がある。石巻市は宮城県内で仙台市に次ぐ第2の都市。被災した石巻市の人口は2015年11月末現在149,972人。3,052人の死者、270人の行方不明者があった。同市はの人口は震災後1年間に約1万人減少、その後も人口流出がつづいている。石巻市の人口が一番多かったのは1市6町が合併した2005年4月の171,107人。毎年平均で1,600人減少している。震災直前の11年2月は16,2822人だった。石巻市内では津波到達地点から退去して内陸部に住居が移動している。

東北地方の最大の都市である仙台市の人口は2015年(平成27年)9月現在1,075,813 523,557人で世帯数は496,470。宮城県民の46%ほどが仙台市に居住する。2015年4月1日現在の政令市の人口の順位は次のとおり。
1、横浜市3,711,450
2、大阪市2,686,990
3、名古屋市2,277,595
4、札幌市1,943,723
5、神戸市1,537,237
6、福岡市1,521,881
7、川崎市1,466,444
8、京都市1,465.994
9、さいたま市1,252,569
10、広島市1,185,739
11、仙台市1,073,926
12、千葉市966,639
13、北九州市962,624
14、堺市839,624
15、新潟市807,89

首都圏の政令市と仙台市とでは人口の意味が違う。仙台市への東北および北海道地域からの人口流入(主に若者人口の流入)が鈍っているなか、東京都の人口は増えている。農林水産業の第一次産業や加工業などの第二次産業の産業全体に占める割合が低下して、情報通信サービスなど第三次産業が増加している。女川町の人は隣の石巻市に移り、石巻市の人は仙台市に移り、あるいは一足飛びに東京都に移って生業に就くという現象がおきていると想定される。

第一次産業の多い地域の人口が減少し、第三次産業がある県庁所在地などに地域に集中するようになった。東北地方の中心地である仙台市への若者人口の流入の低下傾向がでている。このことは仙台市の勢いを衰えさせると市長は警戒する。地方の町村の人口減少は避けがたい状況にある。これに対応してすべての市町村が人口減少に苦肉の策で取り組んでいる。それでも日本国の人口は減りつづける。第二次世界大戦の終結時の人口7千2百万人ほどまで経るのが何時になるか。与える要素によって時期が変わるとはいえ少子高齢といった状況があるりこれが人口減少に連結する。

松下幸之助、井深大、盛田昭夫の各氏が仕事をした分野は第二次産業であった。孫正義氏は第三次産業としての情報・通信・サービス産業の新たな勃興期に出くわして偉業をなしとげた。第二次産業が盛んになった1950年代後半には白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が「三種の神器」と呼ばれ、1960年代半ばのいざなぎ景気時代にはカラーテレビ(Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car) の3種類の耐久消費財が新三種の神器とされた。次ぎにこれをつくれば売れるという見通しがあったから、学校を卒業したこの方面の人材を集めて仕事をすればよかった。

 女川町、石巻市の人口現象あるいは流出は、第一次産業と第二次産業から第三次産業への就業人口の移動とみてとれる。そのようなことで仙台市など地方主要都市と東京への人口の集中がある。割合の変化ということではそのようなことであっても第一次産業と第二次産業が不要ということではなくそれぞれが調和してできあがるのが産業と社会である。

 計測という技術と計測器製造といった分野はこのような社会においてどのような位置にあってどのように役割を果たしていくのか。計測技術は計測機器屋の側にあるようにみえるがこれは産業現場ほかの人々の側にも同じようにある。計測機器の製造という仕事は産業現場ほかの人々の要望や要求などを上手に繁栄してこそ上手くいく。また産業現場ほかの人々が気づいていない新しい価値を形にして提供することでもある。






最終更新日  2015年12月25日 06時21分46秒
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2015年12月23日
南三陸町防災対策庁舎は平成40年までの20年間は宮城県の所有物として保存することになった。

写真は2015年10月11日撮影。宮城県南三陸町の現在。

南三陸町防災対策庁舎は平成40年までの20年間は宮城県の所有物として保存することになった。
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南三陸町防災対策庁舎は海に近い川のそばにある。
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南三陸町では市街地の嵩上げ工事が進行している。
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志津川港では秋鮭の水揚げが行われていた。
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(タイトル)
南三陸町防災対策庁舎は平成40年までの20年間は宮城県の所有物として保存することになった。

(二重三重の安全構造と「間違っても大過なし」の考え方が大事だ)

(本文)
 津波警報がでたので職員約30名と佐藤仁(さとう じん)町長は南三陸町防災対策庁舎に移動して業務をしていたところ、津波は屋上に達した。屋上のアンテナにしがみつくなどして波に耐えた佐藤町長ら10名ほどの命は助かった。

屋上までの高さが12メートルの鉄骨造り3階建ての防災対策庁舎は志津川町の町役場の行政庁舎の一つとして建設された。同地におけるチリ地震の浸水深2.4メートルであったから津波の想定高さをこれを元にしていたのだろう。

 南三陸町防災対策庁舎は平成40年までの20年間は宮城県の所有物として保存することになっている。地元の人には被災を思い起こすから撤去したいという声があるなかでの決定であった。被災の建物などを震災遺構にするかどうかということはこうした声との折り合いで決まるようで残されるものは多くはない。

三陸地方では明治三陸大津波(1896年(明治29年))と昭和三陸大津波(1933年(昭和8年))があり、明治三陸大津波では津波高さが気仙郡吉浜村(旧・気仙郡三陸町吉浜、現・大船渡市三陸町吉浜)で22.4m、岩手県気仙郡綾里村(現・大船渡市三陸町の一部)で28.7m、ほかの地点で最高津波高さは38.2mを記録した。昭和三陸大津波では最高28.7mであった。

その津波高さがどの場所であったかということは別にして似かよった津波が襲うことを想定しなければならない。南三陸町の防災対策庁舎がチリ地震の浸水深2.4メートルには対応しても明治三陸大津波と昭和三陸大津波には十分であったか疑問であり、実際に2011年3月11日の大津波はこの地点で12メートルを超え、防災対策庁舎の屋上に届いた。

山、海、川といった日本の自然と人の住や諸設備のかんけいはどうであろうか。山が崩れれば道路が埋まる。川を堤防で閉じこめたつもりが大雨によって溢れてしまった。静かな海は40メートルほどの高さまで盛り上がって濁流と化す。大風、竜巻、落雷は茶飯事である。

 日本の海岸線はすべて津波が押し寄せる危険地帯である。沿岸部のコンビナートといった工業地帯はすべて津波が押し寄せたことのあるところだ。大丈夫なのか、大丈夫ではない。これを大丈夫だと決めれば大丈夫になるのだ。福島第一原発は大丈夫だと決めて運転してきたのであった。原発の安全のことに門外漢が口を差し挟むことはできないが、安全の構造をつくってこなかった経緯があるから原発や怪しいという感情がわく。

文部科学省の所管の日本原子力研究開発機構の研究用原子炉である高速増殖炉「もんじゅ」は、これを正常に運転する能力が欠けているために止まったままである。日本の福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉である。研究用原子炉との位置付けから、商用原子炉と異なり、文部科学省の所管となる。プルトニウム・ウラン混合酸化物を使用し、消費した量以上の燃料を生み出すことのできることから国家プロジェクトとして取り組んでいるにしてはお粗末すぎる。原発のある場所を福井県などの自治体は観光地図から除去してしまっている。福島県の放射線汚染地帯に乗り入れると身がすくみ精神は正常でいられなくなる。嘘だと思ったらこれをしてみたらいい。

 「安全と安心」という言葉が行政機関でもさまざまな分野でも流行言葉のように使われている。岩手県山田町の町の再建と復興の計画を語る核となる言葉として「安全と安心」が使われているがこれは願いとして受け止めるべきなのだろう。地方議員と国会議員が「安全と安心」というの及んでは具体策のない政策案を誤魔化すために利用されているように思われる。行政機関がこの言葉を使うときも事情は同じであり「安全と安心」は耳障りのよい誤魔化しとして聞こえる。そのような意味で「重宝」な言葉が「安全と安心」である。

 物事には絶対はない。安全にも絶対はない。安全でないことを如何にして排除するかという考えが大事である。食品への金属や異物の混入を避ける対策を講ずるとともに、混入した異物を検出して排除することが第二次の対策として行われる。いまの社会のように異物の混入などがあれば全品回収や出荷停止という措置を取らざるを得ない状況にあっては第三次対策を講ずることもしなければならない。二重三重の安全構造がこれであり、「間違っても大過なし」で済ますようにすることが大事だ。






最終更新日  2015年12月23日 07時17分51秒
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2015年12月07日
岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在(震災から4年7カ月)-そのA-自分の足で立ち、働ける者は働き、求められる工夫をして、前に進んでいるのが被災者と被災地の人々である。

土盛り工事のためのベルトコンベアーが今の陸前高田市を象徴する。やがてこれが撤去され、嵩上げ工事された台地に住居などの施設ができる。
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高台につくられた仮設住宅からは嵩上げ工事中の土地と海が見える。ここは海の街なのだ。
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仮設住宅だ。隣に新築された岩手県立高田高校がある。
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仮設住宅から街にでるには坂道を下る。


ダンプカーが走る。
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(はじめに)

 三陸を襲った大地震と大津波。被災後1カ月してこの地をおとづれてから4年と6カ月を経過した。震災からは4年7カ月である。

 被災直後に陸前高田市はどこよりも広く破壊されていた。

 女川町、大槌町、山田町、釜石市鵜住居地区、宮古市田老地区は市街地のすべてが津波に飲まれて破壊されていた。

 山田町と宮古市田老地区に防波堤は無惨に破壊されていた。人が想定し、人がつくった津波対策の堤防が壊されているのをみた。人が考えるとはどういうことなのか。その考えの限界をここにみた。

 復興とその再建計画が進行している。

 どの被災自治体も応急の再建計画を立てて復興に取り組んでいる。震災から4年7カ月が経過しても女川町、大槌町、山田町、釜石市鵜住居地区、宮古市田老地区では復興がかたちになっているのは、土盛りして嵩上(かさあ)げされた見上げるような台地である。

 街には人の姿はない。

 三陸は漁業を主体とすることでなりたっている。これに附随して魚介類の加工業がある。それぞれ1次産業と2次産業である。

 使う車の油を売り、暮らしのための灯油やプロパンガスが売られる。

 地元消費用の鮮魚店があり、お肉と野菜を売る店があって、これをまとめたコンビニエンスストアが担うこともある。スーパーマーケットもある。文具、生活用具がここで供給される。

 山田町では復興の第1番というように居酒屋と料理屋が店を構えていた。復興工事の人々がここで労を癒す。復興工事の人々は現地に建てられた仮設の住居に寝泊まりする。

 これら全てが仮のものであり復興の本物はこれから始まる。

 その本物の復興をしようとしたら予定していた数量の計画ではこれが過大になっていることが見えてきた。

 大槌町では当初の計画どおりに復興策を打っていくとそれに見合う人口が足りなくなっていることを問題にするようになった。

 高齢者が多い。放っておいたら、いや対策らしきことをしても人が減るという過疎現象につづく。若者人口が減ってこのもの数は地域の現在の状態を継続するには不足している。

 自治体を運営する費用が追いつかない。

 復興という課題の前に農業、漁業といった第一次産業が主体になっている地域の将来にのしかかる難問には触れないでいるが、いつまでもそのようにはしていられない。

 復興の財源の地方公共団体の持ち分を冷静に見ていくと土地の嵩上げを無批判に無条件に推し進めることはできない事情がある。

補助金が出たとしても自分で持ち出す分は少なくなく、その費用の負担は将来に先送りされているとは地元住民のお金によって決済される。

 それでもこの機会にこうしたことをしなければまた同じことが繰り返される。

 縄文時代のささやかな暮らしと生産方式であれば自然の条件に寄り添った形でやっていられる。

 現代は魚を獲って、これを加工して、全国各地に輸送して、暮らしを立てるという一次産業と二次産業と輸送などの第三次産業が複合した産業方式になっているから、これに見合う地元の体制をとらなくてはならない。

 北方領土のことは詳しくは知らない。

 災害を契機に三陸地方を捨てることになればこの経済的な得失は北方領土のそれとどのように比べられようか。

 三陸を復興させることは日本の復興でもある。見捨てることがあってはならない。このことと日本人同士の仲間への思いやりということを土台にして、三陸の復興を自分のこととして考えることが大事であろう。

肉親を失い、親族を失い、その悲しみを悲しみとして捉えることができないでいる人は多い。

 それでも自分の足で立ち、働ける者は働き、求められる工夫をして、前に進んでいるのが被災者と被災地の人々である。

 議会は地域住民の総意をまとめるようにみえる。その総意の中に費用負担のことがどれだけ意識さているか確かめるのは困難だ。そのような状況で復興計画が進められている。

三陸を横に通して、東北道と繋げる自動車道路の建設は復興の要の一つである。このための道路建設がさかんに行われている。釜石山田道路建設の標識を掲示したダンプカーが頻繁に走っている。盛岡と宮古の道路も整備されている。花巻と釜石の道路建設も急だ。

 そのようなことをとりとめなく考えながら車を走らせてシャッターボタンを押していた。



(タイトル)
岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在(震災から4年7カ月)-そのA-


(副題)
東日本大震災から4年7カ月 三陸沿岸の現在。地震と津波被害からの復興の現状を街道からカメラでとらえる。岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在(震災から4年7カ月)-そのA-


(本文)

陸前高田市は奇跡の一本松として取り上げられる。この松は枯れたがこの木からつくりだした4本の苗が育っている。その奇跡の一本松は復興の象徴として残されている。幹を防腐処理し心棒を入れて補強し、枝葉を複製したものに付け替えて立てられている。ここには観光物産施設「一本松茶屋」ができ、訪れる人の休憩地になっている。


 震災時陸前高田市の人口は24,246人であり、死者・行方不明者は1,757人。平成27年10月31日現在の人口は20,200人だ。三陸沿岸のどの被災地でも震災前から4,064人減っている。震災による死者・行方不明者1,757人を差し引くと2,307人が減っていることになる。

津波によって中心市街地が壊れてしまったのが陸前高田市だ。広田湾に沿って開けた低地につくられて旧高田町にある岩手県立高田病院、市役所、陸前高田高校が津波で壊された。付近に建てられていた中層のアパートは最上階付近まで浸水した。壊された施設は高台の新しい場所に移っており、市街地は土盛りによる嵩上げ工事がすんでから再度つくられる。

広田湾にそそぐ気仙川に沿って津波は奥地まで駈けのぼった。川が大きく流れが緩やかなほどに津波の遡上は平地でたっする地点より更に奥にとどく。この現象が陸前高田市の気仙川でおこった。被災直後に市内にはいるために気仙川の上流にのぼってそこからくだることになった。

 土盛りによる嵩上げ、山を切っての高台に住居地をつくる工事が被災地ではどこでも行われている。
 岩手県の宮古市田老地区、山田町、大槌町、釜石市の鵜住居地区、陸前高田市、宮城県の南三陸町、女川町は市街地がまるごと津波によって破壊され発生した火災によって焼かれたために家や事業所の建家は撤去されていた。津波到達区域は土盛りによって嵩上げ工事がすすめられ、ある区域は高台を削ってここに移る。土盛り工事による嵩上げがすんでいるところでは、これから家が建つ。家が建てば市街地ができる。

 陸前高田市では高台にある仮設住宅とそこに住む人々の暮らしぶりを見た。この地には校舎が津波で破壊された高田高校が2015年3月27日に新校舎を建てて移転している。それまでは中学校を仮校舎としていた。高田高校と仮設住宅からは津波が押し寄せた市街地をみおろす高台(陸前高田市高田町長砂)にある。景色はよい。眼下に消え去った高田の松原がある。その松林は消えた。

 見下ろす景色は嵩上げした台形の住居と商店などの予定地だ。そこには何もない。大がかりな屋根付きのベルトコンベアーが架設されて土盛り工事を今なお行われている。コンベアーは海岸部の火力発電所に石炭などを運ぶ施設や鉱物を陸揚げするそれと同じだ。現代の工業力あるいは土木技術をつかって山を削り、土地を嵩上げしている。昭和の初めにはしたくてもできなかった土木工事だ。いまはこれをやっている。自然に対する人の心の変化がここにある。その昔は津波を経験すると高台に移転して暮らした。山田町などの縄文遺跡の住居は丘陵地や峠の鞍部などに限定されている。災いの教訓を掟として置き換えて津波がくるところには住居をつくらなかった。

 八戸港、宮古湾、山田港、大船渡港、広田湾、気仙沼港、志津川湾の志津川漁港、女川湾、石巻湾を回った。どの漁港も魚を水揚げしていた。仲買人と加工業者がこれを買う。山田町、大槌町、陸前高田市、南三陸町、女川町は市街地が消えていて、そこに人の生活の気配がないなかにおいてである。

 女川町の漁協には最新のトラックスケールが二基設置されていた。一基は稼働していて一基は調製中であった。ある漁協ではステンレス製の架台のトラックスケールを検察する計画中である。南三陸町の志津川漁協では海獲の鮭の水揚げが行われていた。ここでは電気式のハカリが使われていた。ある小さな漁港の施設には機械式のハカリが置いてあった。漁港の施設でみる機械はハカリだけといってよい。

 魚を獲って市場に水揚げするまでは第一次産業に属する。これを加工すれば第二次産業になる。鮮魚店で魚を売ればこれは商業であり第三次産業になる。山田では町中に一軒だけ鮮魚店が開業していてここには二台の電気式ハカリが置いてあった。

 鮮魚店の店主は二間の仮設住宅暮らしであり、嵩上げした土地に店舗兼住居を建てたくても高齢であるために建築費用の融資を受けられない。「復興」という言葉をつかって震災からの再建を語るのはよい。鮮魚店の店主にとっての復興と再建への素直な思いはどのようなことだろう。被災地でみる機械は、素朴でありふれたハカリとガソリン計量器だけだ。






最終更新日  2015年12月07日 16時02分06秒
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岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在(震災から4年7カ月)-その15-。震災後に芽をだした柿の木が4年ほどで赤い実をつけた。そばで嵩上げ工事がすすんでいく。
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嵩上げ工事の足下で震災後に育った柿の木が赤い実をつけている。この木は踏みつぶされるのだろう。一本松は大事でこの木は気にならないのが人なのかも知れない。
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震災後に育った柿の木が赤い実をつけている。その向こうに嵩上げした台地が広がっている。土木工事の力の凄さは現代の工業力なのだろう。移転して新築された高田高校の校舎が見える。以前はこの付近に高田高校はあった。
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津波によって破壊された岩手県立高田高校は高台に校舎を新築して2015年の新年度からここに移った。その高台から海と市街地を見下ろす。
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岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在(震災から4年7カ月)-その15-。嵩上げ工事が大がかりな土木工事として行われている。

(副題)
東日本大震災から4年7カ月 三陸沿岸の現在。地震と津波被害からの復興の現状を街道からカメラでとらえる。岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在(震災から4年7カ月)-その15-

(本文)

陸前高田市は奇跡の一本松として取り上げられる。この松は枯れたがこの木からつくりだした4本の苗が育っている。その奇跡の一本松は復興の象徴として残されている。幹を防腐処理し心棒を入れて補強し、枝葉を複製したものに付け替えて立てられている。ここには観光物産施設「一本松茶屋」ができ、訪れる人の休憩地になっている。


 震災時陸前高田市の人口は24,246人であり、死者・行方不明者は1,757人。平成27年10月31日現在の人口は20,200人だ。三陸沿岸のどの被災地でも震災前から4,064人減っている。震災による死者・行方不明者1,757人を差し引くと2,307人が減っていることになる。

津波によって中心市街地が壊れてしまったのが陸前高田市だ。広田湾に沿って開けた低地につくられて旧高田町にある岩手県立高田病院、市役所、陸前高田高校が津波で壊された。付近に建てられていた中層のアパートは最上階付近まで浸水した。壊された施設は高台の新しい場所に移っており、市街地は土盛りによる嵩上げ工事がすんでから再度つくられる。

広田湾にそそぐ気仙川に沿って津波は奥地まで駈けのぼった。川が大きく流れが緩やかなほどに津波の遡上は平地でたっする地点より更に奥にとどく。この現象が陸前高田市の気仙川でおこった。被災直後に市内にはいるために気仙川の上流にのぼってそこからくだることになった。

 土盛りによる嵩上げ、山を切っての高台に住居地をつくる工事が被災地ではどこでも行われている。
 岩手県の宮古市田老地区、山田町、大槌町、釜石市の鵜住居地区、陸前高田市、宮城県の南三陸町、女川町は市街地がまるごと津波によって破壊され発生した火災によって焼かれたために家や事業所の建家は撤去されていた。津波到達区域は土盛りによって嵩上げ工事がすすめられ、ある区域は高台を削ってここに移る。土盛り工事による嵩上げがすんでいるところでは、これから家が建つ。家が建てば市街地ができる。

 陸前高田市では高台にある仮設住宅とそこに住む人々の暮らしぶりを見た。この地には校舎が津波で破壊された高田高校が2015年3月27日に新校舎を建てて移転している。それまでは中学校を仮校舎としていた。高田高校と仮設住宅からは津波が押し寄せた市街地をみおろす高台(陸前高田市高田町長砂)にある。景色はよい。眼下に消え去った高田の松原がある。その松林は消えた。

 見下ろす景色は嵩上げした台形の住居と商店などの予定地だ。そこには何もない。大がかりな屋根付きのベルトコンベアーが架設されて土盛り工事を今なお行われている。コンベアーは海岸部の火力発電所に石炭などを運ぶ施設や鉱物を陸揚げするそれと同じだ。現代の工業力あるいは土木技術をつかって山を削り、土地を嵩上げしている。昭和の初めにはしたくてもできなかった土木工事だ。いまはこれをやっている。自然に対する人の心の変化がここにある。その昔は津波を経験すると高台に移転して暮らした。山田町などの縄文遺跡の住居は丘陵地や峠の鞍部などに限定されている。災いの教訓を掟として置き換えて津波がくるところには住居をつくらなかった。

 八戸港、宮古湾、山田港、大船渡港、広田湾、気仙沼港、志津川湾の志津川漁港、女川湾、石巻湾を回った。どの漁港も魚を水揚げしていた。仲買人と加工業者がこれを買う。山田町、大槌町、陸前高田市、南三陸町、女川町は市街地が消えていて、そこに人の生活の気配がないなかにおいてである。

 女川町の漁協には最新のトラックスケールが二基設置されていた。一基は稼働していて一基は調製中であった。ある漁協ではステンレス製の架台のトラックスケールを検察する計画中である。南三陸町の志津川漁協では海獲の鮭の水揚げが行われていた。ここでは電気式のハカリが使われていた。ある小さな漁港の施設には機械式のハカリが置いてあった。漁港の施設でみる機械はハカリだけといってよい。

 魚を獲って市場に水揚げするまでは第一次産業に属する。これを加工すれば第二次産業になる。鮮魚店で魚を売ればこれは商業であり第三次産業になる。山田では町中に一軒だけ鮮魚店が開業していてここには二台の電気式ハカリが置いてあった。

 鮮魚店の店主は二間の仮設住宅暮らしであり、嵩上げした土地に店舗兼住居を建てたくても高齢であるために建築費用の融資を受けられない。「復興」という言葉をつかって震災からの再建を語るのはよい。鮮魚店の店主にとっての復興と再建への素直な思いはどのようなことだろう。被災地でみる機械は、素朴でありふれたハカリとガソリン計量器だけだ。






最終更新日  2015年12月07日 10時46分53秒
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2015年12月06日
岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在(震災から4年7カ月)-その14-。震災後に芽をだした柿の木が4年ほどで赤い実をつけた。そばで嵩上げ工事すすんでいく。

嵩上げ工事の足下で震災後に育った柿の木が赤い実をつけている。この木は踏みつぶされるのだろう。一本松は大事でこの木は気にならないのが人なのかも知れない。

震災後に育った柿の木が赤い実をつけている。その向こうに嵩上げした台地が広がっている。土木工事の力の凄さは現代の工業力なのだろう。

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岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在(震災から4年7カ月)-その14-。嵩上げ工事が大がかりな土木工事として行われている。

(副題)
東日本大震災から4年7カ月 三陸沿岸の現在。地震と津波被害からの復興の現状を街道からカメラでとらえる。岩手県陸前高田市の2015年10月11日の現在(震災から4年7カ月)-その14-

(本文)

陸前高田市は奇跡の一本松として取り上げられる。この松は枯れたがこの木からつくりだした4本の苗が育っている。その奇跡の一本松は復興の象徴として残されている。幹を防腐処理し心棒を入れて補強し、枝葉を複製したものに付け替えて立てられている。ここには観光物産施設「一本松茶屋」ができ、訪れる人の休憩地になっている。


 震災時陸前高田市の人口は24,246人であり、死者・行方不明者は1,757人。平成27年10月31日現在の人口は20,200人だ。三陸沿岸のどの被災地でも震災前から4,064人減っている。震災による死者・行方不明者1,757人を差し引くと2,307人が減っていることになる。

津波によって中心市街地が壊れてしまったのが陸前高田市だ。広田湾に沿って開けた低地につくられて旧高田町にある岩手県立高田病院、市役所、陸前高田高校が津波で壊された。付近に建てられていた中層のアパートは最上階付近まで浸水した。壊された施設は高台の新しい場所に移っており、市街地は土盛りによる嵩上げ工事がすんでから再度つくられる。

広田湾にそそぐ気仙川に沿って津波は奥地まで駈けのぼった。川が大きく流れが緩やかなほどに津波の遡上は平地でたっする地点より更に奥にとどく。この現象が陸前高田市の気仙川でおこった。被災直後に市内にはいるために気仙川の上流にのぼってそこからくだることになった。

 土盛りによる嵩上げ、山を切っての高台に住居地をつくる工事が被災地ではどこでも行われている。
 岩手県の宮古市田老地区、山田町、大槌町、釜石市の鵜住居地区、陸前高田市、宮城県の南三陸町、女川町は市街地がまるごと津波によって破壊され発生した火災によって焼かれたために家や事業所の建家は撤去されていた。津波到達区域は土盛りによって嵩上げ工事がすすめられ、ある区域は高台を削ってここに移る。土盛り工事による嵩上げがすんでいるところでは、これから家が建つ。家が建てば市街地ができる。

 陸前高田市では高台にある仮設住宅とそこに住む人々の暮らしぶりを見た。この地には校舎が津波で破壊された高田高校が2015年3月27日に新校舎を建てて移転している。それまでは中学校を仮校舎としていた。高田高校と仮設住宅からは津波が押し寄せた市街地をみおろす高台(陸前高田市高田町長砂)にある。景色はよい。眼下に消え去った高田の松原がある。その松林は消えた。

 見下ろす景色は嵩上げした台形の住居と商店などの予定地だ。そこには何もない。大がかりな屋根付きのベルトコンベアーが架設されて土盛り工事を今なお行われている。コンベアーは海岸部の火力発電所に石炭などを運ぶ施設や鉱物を陸揚げするそれと同じだ。現代の工業力あるいは土木技術をつかって山を削り、土地を嵩上げしている。昭和の初めにはしたくてもできなかった土木工事だ。いまはこれをやっている。自然に対する人の心の変化がここにある。その昔は津波を経験すると高台に移転して暮らした。山田町などの縄文遺跡の住居は丘陵地や峠の鞍部などに限定されている。災いの教訓を掟として置き換えて津波がくるところには住居をつくらなかった。

 八戸港、宮古湾、山田港、大船渡港、広田湾、気仙沼港、志津川湾の志津川漁港、女川湾、石巻湾を回った。どの漁港も魚を水揚げしていた。仲買人と加工業者がこれを買う。山田町、大槌町、陸前高田市、南三陸町、女川町は市街地が消えていて、そこに人の生活の気配がないなかにおいてである。

 女川町の漁協には最新のトラックスケールが二基設置されていた。一基は稼働していて一基は調製中であった。ある漁協ではステンレス製の架台のトラックスケールを検察する計画中である。南三陸町の志津川漁協では海獲の鮭の水揚げが行われていた。ここでは電気式のハカリが使われていた。ある小さな漁港の施設には機械式のハカリが置いてあった。漁港の施設でみる機械はハカリだけといってよい。

 魚を獲って市場に水揚げするまでは第一次産業に属する。これを加工すれば第二次産業になる。鮮魚店で魚を売ればこれは商業であり第三次産業になる。山田では町中に一軒だけ鮮魚店が開業していてここには二台の電気式ハカリが置いてあった。

 鮮魚店の店主は二間の仮設住宅暮らしであり、嵩上げした土地に店舗兼住居を建てたくても高齢であるために建築費用の融資を受けられない。「復興」という言葉をつかって震災からの再建を語るのはよい。鮮魚店の店主にとっての復興と再建への素直な思いはどのようなことだろう。被災地でみる機械は、素朴でありふれたハカリとガソリン計量器だけだ。






最終更新日  2015年12月06日 19時59分30秒
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