1684894 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

「計量計測データバンク」とその情報

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カテゴリ

カテゴリ未分類

(1124)

東日本大震災から4年7カ月 三陸沿岸の現在

(44)

計量と計測を考察する「計量エッセー」

(101)

日本計量新報論説と解説(電子判)

(73)

「今日の計量計測情報ニュース」

(741)

計量計測情報はこちらで

(630)

計量器売れ筋商品

(108)

紀州犬物語

(90)

「web情報報総合サイト」は生活サイト

(10)

計量器

(39)

「日本列島ぶらり旅」甲斐鐵太郎(旅行家)

(1136)

自然・ネイチャーのおはなし(横田俊英)

(728)

エッセー

(999)

写真 デジカメ 銀塩カメラ レンズ

(727)

「計量計測データバンク」運営責任者からのお知らせ

(296)

紀州犬物語オス犬「テツ市」の成長記録

(31)

紀州犬物語(紀州犬はいい犬です)

(126)

情報・インターネット

(120)

犬の飼育の仕方と悩みごと相談室

(64)

柴犬の子犬譲ります

(333)

三菱パジェロ物語(E-V45W)ほか自動車

(7)

新事業および改善課題

(23)

「豆柴」風の柴犬譲ります

(93)

新 野鳥歳時記 (執筆 横田俊英)

(46)

紀州犬の子犬譲ります

(1001)

旅行(旅と自然の日記)

(511)

柴犬物語(執筆 横田俊英)

(83)

紀州犬と柴犬

(329)

紀州犬の成犬の里親探しです。

(111)

有色紀州犬は素晴らしい 子犬情報

(206)

有色紀州犬 子犬出産情報

(207)

紀州犬 子犬 出産情報

(609)

紀州犬・四国犬里親探し情報

(187)

柴犬里親探し

(126)

旅するバイク カワサキW650(甲斐鐵太郎)

(3)

計量が大好き人間のおすすめ商品

(8)

測ること、計量のこと、その雑感とエッセー

(36)

自動車とオートバイと自転車など

(17)

高尾山麓自転車博物館(高尾山麓にある自転車博物館)

(45)

高尾山麓にある自転車博物館による自転車と部品の記録と記憶(販売はしません)

(30)

私の履歴書「陸軍航空士官学校で終戦を迎えハカリ屋になった男の記録」鍋島綾雄

(15)

本日の気になるニュース

(98)

自転車情報

(36)

甲斐鐵太郎の上高地讃歌

(18)

伸子のブログ 旅行と写真ほか

(4)

音楽とオーディオ

(3)

バックナンバー

プロフィール


shunei-yokota

フリーページ

全18件 (18件中 1-10件目)

1 2 >

甲斐鐵太郎の上高地讃歌

2018年07月29日
XML
私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地

穂高連峰に雲が湧いては流れていく。これが山の気候である。
(タイトル)
私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地 執筆 甲斐鐵太郎
(本文)
 旅行にでることは自分が生きていることを確かめることのように思える。旅行をすることはそのための時間を確保していることである。だから旅行は時間があるからできることのように思えるが、本当のところは急ぎ足であちこちでかけることではなく、ひとつところにとどまってそこをうろうろしていることが願いである。

 上高地から槍ヶ岳に登るために槍沢を歩いているときの幸福感はこのうえない。それは八ヶ岳の赤岳などに登るときに歩いているときでも同じだ。適度な明るさの林があって緩い登りであり、足元にはさまざまな花が咲いていることが共通している。

 上高地から小梨平、明神、古池、徳沢、横尾とつづく道はよい道である。人が多いから落ち着かない。人にみられているということで恥ずかしさがある。

 横尾を過ぎて槍沢ロッジまでの道、さきに進んで槍沢の樹林帯が消えるあたり、そして雪渓が始まるところまでは、登山のアプローチとはいえ幸福感につつまれて歩くことができる。

 槍ヶ岳が天にとどかんばかりに聳(そびえ)る雄姿と槍沢の雪渓がおりなす景色は凄い。槍ヶ岳に登ると北穂高岳が壁になっているが岐阜、富山、新潟、長野、山梨、静岡の山々が眺められる。登っとことがある山々とそれをつなぐ稜線を目でたどることは楽しい。上高地から槍ヶ岳はみえない。立山の室堂付近から剱岳が遠目にみえるのとの違いがある。

 槍ヶ岳の頂に立ったのち穂高に向かえばたいがいは横尾に降りて上高地に向かう。西穂まで歩いて飛騨側に下ってもいい。槍ヶ岳の頂上を踏んだ後に北に向かって長い行程を楽しむのは悪くはない。何日か歩くと身体も心も草臥(くたび)れるから休憩をいれる。長い行程では雨があるから雨の日は休養日にする。

 あれを見たい、これを見たいと短い休みに沢山盛り込むから急ぎ足の旅行になる。上高地にでかける旅行者のほとんどがこのような人々である。駆け足の旅行者の目の動き、心の動き、挙動は山に登る人と違う。二種類の心働きの人が上高地の河童橋で交差する。

 いそがしく穂高に登ってはならない。6月の初めころに岳沢から穂高に登ろうとしたことがあった。新宿からバスに乗って出かけ中一日の日程であった。この年は雪が多く残っていて岳沢の山小屋近くの雪の上にテントを張って過ごした。学齢前の子供を連れていたのでここで引き返した。帰りのバスまでの時間があったので明神まで明るい日のなかを歩いた。子供は上高地散策のツアー客におどけたことをしていた。新宿までの帰りの道は混んでいた。

 勤めていると休日が少ない。限られた時間のなかでの穂高登山の試みであった。もう一日日取りに余裕があれば躊躇なく奥穂高に登っていた。

 上高地には旅行のついでに立ち寄る。平湯に宿をとっていればふらりと出かける。沢渡や松本にいるときも同じである。旅の途中の上高地見物である。上高地にはバスで揺られるかタクシーに乗って行くことになる。運転は任せての風景見物に安らぎを覚える。

 一年に一度の割合で上高地にでかけている。上高地・河童橋付近のライブカメラで天候を確認してから行動する。雨や曇りの日の上高地と晴れた日のそれは違い過ぎる。梓川と穂高連峰がおりなす景観が上高地の醍醐味だ。

 塩尻市には贔屓(ひいき)にしている宿がある。窓は西に向いているので穂高連峰と槍ヶ岳、常念岳そして後立山連峰をみることができる。雪の後立山連峰、夕日を浴びる槍ヶ岳と穂高岳、堂々とした山容の常念岳を遠く眺めて宿でビールを飲んで日本酒を追加すれば旅の喜びは高まる。平湯の宿でも沢渡の宿でもできない塩尻市の宿での楽しみである。

2018-07-29-kamikochi-hymn-part-4-mountain-climbing-yari-hotakaka-and-kamikochi-writing-tetutaro-kai-

(写真と文は甲斐鐵太郎)

私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎








最終更新日  2018年07月29日 13時51分23秒
コメント(0) | コメントを書く
私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地

のしかかっていた雲がちぎれる瞬間があり穂高が顔を出す。






最終更新日  2018年07月29日 13時48分33秒
コメント(0) | コメントを書く
私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地

河童橋と穂高連峰がセットになった上高地の風景である。






最終更新日  2018年07月29日 13時46分51秒
コメント(0) | コメントを書く
私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地

6月24日、雪解けが早い夏の河童橋付近の風景である。






最終更新日  2018年07月29日 13時45分15秒
コメント(0) | コメントを書く
私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地

河童橋付近は上高地の銀座である。人がここに集まる。






最終更新日  2018年07月29日 13時43分49秒
コメント(0) | コメントを書く
私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地

河童橋を渡った岸にあるホテルのレストランのテラス。






最終更新日  2018年07月29日 13時42分03秒
コメント(0) | コメントを書く






最終更新日  2018年07月29日 13時32分27秒
コメント(0) | コメントを書く
2018年07月26日
私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地

6月‎24‎日、日曜日、昼ころ。‏‎上高地河童橋付近のにぎわい。
私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎

(本文)
 北アルプスの縦走に心が動いて槍ヶ岳をめざして裏銀座だの表銀座だのに夏休みになるとでかける。三日も山にいると街に帰りたくなる。

 裏銀座の縦走コースでは尾根道から街はみえない。大町市の扇沢からさらに先に進んでブナ立て尾根にとりつく。重い荷を背負っているからきつい登りになりやっとのことで稜線にでる。これで山は俺のものだと思う。ところが雨がつづくと苦渋の縦走になる。雨具を着ていても山靴に水が入りちゃぷちゃぷしている。山小屋に駆け込むと人があふれている。難儀な登山になった。

 北アルプスを槍ヶ岳をめざしての縦走コースに表銀座コースがある。安曇野ののどかな風景が眼下にずっと見えている。裏山にでかけた気分でいられるから有難いのか物足りないのかは考え方による。表銀座コースは大天井から槍ヶ岳に向かう。大天井あら真っすぐ常念岳に向かうのも表銀座コースになる。大天井から一度大きく下って登り返すの常念岳へコースは思ったよりきつい。百名山の踏破を意識した山登りでなければ行きたくない。

 表銀座コース、裏銀座コースは槍ヶ岳を終着点にしている。槍ヶ岳山荘はそのようにきっぱり言い切る。体力と気力が満ちていれば穂高連峰に向かう。槍ヶ岳、大喰岳、中岳、南岳、北穂高岳ヘトつづくルートの最後のところにナイフ状の尾根がつづく。これが大キレットだ。剱岳の岩場とならんで北アルプスの難所の一つである。

 本にはそのように書かれているが怖いのは人が落とす石である。ゴロンゴロンと矢鱈に落ちてくる。大キレットの下を一匹の犬を連れた男女が歩いていた。長靴を履いて岩場と雪渓を跨いでいる。ウォルター・ウェストンを案内した上条嘉門次は岩場は猫のように歩けと教えた。斜面を歩く長靴姿の人をみて上条嘉門次の山歩きを想像した。

 槍ヶ岳や穂高岳からの飛騨方面へのルートがある。関西の人は飛騨川に降りたい気持ちになるか知れない。関東の人はあるいは多くの人は上高地に降りる。槍沢には万年雪が残っていて下り道は7月と8月には夏の花がよく咲いている。イワカガミなどがその代表だ。植物に詳しい人は退屈しない。

 槍沢を下ると槍沢ロッジ、横尾とつづく。奥穂高岳から涸沢経由でおりると横尾にでる。そして徳沢、明神、小梨平ののち上高地のバスターミナル。

 小梨平まで下るともう安心だ。タクシーもバスも使える。ある夏には小梨平にテントを張ってビールを飲んでいるとプロ野球オールスター戦のラジオ放送が途切れ途切れに聞こえていた。梅雨明け一週間、山の天気の安定したころ北アルプスの縦走にでかける。帰りにはプロ野球はオールスター戦をしている。朝には多くの人が山に向かう。小梨平にいることが気詰まりで上高地のバスターミナルに向かう。私の最初の上高地であった。

 山岳の本が深田久弥氏の百名山を囃(はや)し立てる。影響された人は何が何でも百名山になる。近くにその山があれば何度かしたがる。北アルプスには百名山が幾つもある。

 山には岩峰の達人やら一瞬にして天を駆ける人がいる。芳野満彦氏は岩峰の人だ。私には芳野満彦と上高地が連結されている。同氏が著書で冬場の小屋番をしていて目にした美しい雪景色が印象にあるからだ。芳野満彦氏は、早稲田中学(旧制)2年、17歳 (1948年、昭和23年)のとき八ヶ岳の主峰赤岳で遭難した。凍傷で両足の指すべて失う。1957年(昭和32年)3月の前穂高岳IV峰正面壁積雪期初登攀をしている。1965年(昭和40年)に渡部恒明氏とマッターホルン北壁の日本人初登攀。新田次郎氏の小説『栄光の岩壁』の主人公のモデルだ。芳野満彦氏の油絵は八ヶ岳美術館で見た。

 芳野満彦氏が冬の小屋番をしていたその上高地は今では年間120万人の観光客が訪れる。交通の便は変わり、通信も整のい、思わぬ土砂崩れなどなければ上高地は旧安曇村と同じだ。

 上高地の景色は変わらない。大正池の枯れ木立がなくなって池が埋まっている。1996年(平成8年)からは大正池に堆積した土砂の浚渫がおこなわれるようになった。護岸保持などによって梓川の流れはほぼそのままである。梓川支流の小さな沢と湿地帯を流れる小川はそこにちゃんとある。沢と池にはイワナ(岩魚)が泳ぐ。

 小梨平では上高地音楽祭が開かれていた。いまは歌えないらしい山本潤子が穂高連峰と梓川を背にして「笑顔を見せて」や「卒業」を歌っていた。

 釜トンネルの下流は梓川は崖を削る。崖の縁にあった坂巻温泉は対岸に移ったから車道からよく見える。切り立った崖を削るように流れているのが梓川だ。崩れたら補修することの繰り返しでは道路の維持費はかさむ。

 中部縦貫道路がどこを走るかしらないが上高地への入り口までは新たなトンネルを掘って壊れない道をつくれる。沢渡の宿や駐車場経営が絡むから簡単には進まない。

 夏の終わりの土曜日の午後、上高地に向けて都心を出発した。オートバイだけは夏の終わりのある一日、上高地にはいれたのだ。片側通行の旧釜トンネルは赤信号であった。夜の9時、信号待ちをする。15分が倍にも感じられ単気筒エンジン音がトンネルで拡声されて良い気分だ。眠くもなった。後ろに車輛がつくことがないのどかな夏の夜の旧釜トンネルであった。

 上高地へのマイカー規制が始まったのは1975年(昭和50年)であり、7月、8月が規制月であった。1996年(平成8年)には通年のマイカー規制が始る。その後に夏場の観光バス規制が行われる。新釜トンネルは2005年(平成17年)に開通した。

2018-07-23-me-and-kamikochi-part-1-rest-area-after-yarigatake-hotakudake-dake-kamikochi-writing-tetutaro-kai-

(写真と文は甲斐鐵太郎)

私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎








最終更新日  2018年07月26日 07時10分16秒
コメント(0) | コメントを書く
私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎

河童橋そばの売店に一流の山用品が揃えられていた。
私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎

(本文)
 登山は英雄主義とロマンチズムだ。天然自然の美を歌うのは感傷主義でもある。感傷主義は英語の方が伝わりやすい。センチメンタリズムである。このようなものがないまぜになっての山と山登りである。登山雑誌はこれを煽(あお)る。都会に暮らす若者は昭和40年代には山に繰り出した。夜行列車を塩山駅で降りて、そのまま歩いて大菩薩峠いく人が多くいた。大衆登山の黎明期には穂高でもそうだ。穂高岳や槍ヶ岳そして剱岳に登ることが英雄であった。登山はヒロイズムであったのだ。

 登山雑誌に登山をするモデルになっている若い女性を知っている。稽古事をつうじて妻と娘の知り合いだ。応募して選ばれた。夏山登山の編集は一年前に行われる。あの山にはこの人ということでモデルを振り分ける。NHKテレビは女優に登山させて山の番組をつくる。雑誌版のモデルである。妻と娘は雑誌に掲載されたモデルの活躍をうらやましい。その人は東京の下町の出身だが大阪に転勤した。妻は大阪にでかけて食道楽の大阪を楽しんだ。

 ある知り合いは何気なく上高地に遊びにいってそのまま奥穂高岳に登ってしまった。手回り品はない。若い力は奥穂高はものともしなかった。好天であった。

 この人は本式に登山を始めた。そして登山クラブをつくった。登山クラブには妻になる女性がいた。活発な活動をしたあとでの長い休みがつづいていた。2年前に夫人が槍ヶ岳に登りたいといった。夫婦と昔の登山仲間で表銀座を縦走した。中房温泉から燕岳、大天井岳、槍ヶ岳へと尾根筋を歩いた。表銀座コースだ。大天井岳から槍ヶ岳に向かわずに常念岳を経て安曇野に下る順路も表銀座コースになるらしい。70歳を前にして夫婦は山に登った。

 山に目覚めたその人は給与を前借してまで山に足を運んだ。登山用具はゴローの靴をいくつもそろえ山スキーにも熱中した。ザイルを使っての岩登りもするようになった。一人前の山男に変っていった。

 表銀座コースで槍ヶ岳に登る一年前に事件があった。南アルプスの宝剣岳登山の基地となる千畳敷カールのホテルに滞在して山を楽しもうと計画した。ロープウエイで行けるホテル千畳敷に山登りなどしない友人を誘った。意気込んで千畳敷に向かっているときに急変がおきた。身動きが取れない状態だった。甲府市の公立病院に駆け込んで。そのまま一ヵ月入院した。退院後しばらくして原因がわかった。肺疾患であった。病院を探して治療をおこなった。この夏に肺疾患のため倒れた。別の臓器に疾患が原因だっかかも知れない。

 肺疾患がわかった翌年の5月には諏訪地方は7年に一度の御柱祭りがあった。私は塩尻駅前の宿に1週間泊まっていたの。蓼科山麓の佐久側にその夫婦の別荘がある。御柱の合間に夫婦を訪ねた。5月の真っ青な空の日であった。思い立って秋にも行った。

 夫婦の遅い秋の別荘滞在の水道の凍結防止など冬支度のためであった。肺疾患のことを夫人が語り身体を冷やしてはいけないのだと冗談のように言っていた。病を苦にしていない気配であった。一時間の滞在の間に鹿教湯温泉に宿を手配して辞去した。

 この夫婦の楽しみは老後に別荘で過ごすことであった。とくに夫人はこの願いが強い。普段は東京の下町で暮らしている。

 あくる年、つまりこの5月に夫婦の別荘の近くまでいった。別所温泉への道が別荘の近くであった。迷ったが投宿の時刻を考えて通過した。この2カ月のち、7月に終止符が打たれた。この人は編集の技が優れていて定年後も乞われて職場にでていた。また編集の仕方などの講習を頼まれることもあった。職場ではただ一人髭を生やしていた。生き方に誇りを持っていた。お洒落であった。

 知人のもう一人は脳溢血に襲われた。つづいてに難病を併発した。身体の動きが悪くなった。八ヶ岳連峰の東側に別荘で寛(くつろ)ぐことを楽しんでいた。身体が効かなくなると出かけるのに助けがいる。この人は地方公務員を勤め上げた人であり、人の世話をすることを生きがいにして過ごしてきた。

 人の明日はわからない。明日がわからないからは不安である。明日がわからないから人はだれもが不安なのだ。イエス・キリストはいう「汝、明日を煩うな」と。

 人には大きな願いもあれば取るに足らない楽しみもある。好きだった音楽も心が閉ざされると取り合わなくなる。好きな料理だってそうだし、好きな所にだって行きたくなくなる。

 人の心はいつも悲しい。面白おかしくふるまっていても心の奥底は悲しさに沈んでいる。

 空の輝や、流れる白い雲をみても、森の深い緑に抱かれていても、風の歌を聴いても、人は悲しい。人はやるせなさ、むなしさ、苦しさにもだえる。サトウハチロウが詩をつくり加藤和彦が曲をつけザ・フォーク・クルセダーズが歌う。苦しさは明日につづき、むなしさに救いはない。やるせないモヤモヤは、空をながめ、空に告げて慰めて涙を流すしかない。北山修は精神科医になった。「あの素晴らしい愛をもう一度」と歌う。

 山に行くのも林を散策するのも感傷と諦念が入りまじる。北原白秋は水墨集の「落葉松」で「からまつはさびしかりけり、たびゆくはさびしかりけり、世の中よ あはれなりけり、常なれどうれしかりけり」と歌う。寂しく哀れであるのが世の中である。

2018-07-23-2-kamikochi-hymn-part-2-mountaineering-and-romanticism-and-sentimentism-writing-tetutaro-kai-

(写真と文は甲斐鐵太郎)

私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎







最終更新日  2018年07月26日 00時05分14秒
コメント(0) | コメントを書く
2018年07月25日
私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地

上高地バスターミナルの緑が眩しい。別の世界に来た。

私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義

河童橋そばの売店に一流の山用品が揃えられていた。


私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く

上高地ではモンシロチョウが訳もなく感動を与える。








最終更新日  2018年07月25日 18時55分03秒
コメント(0) | コメントを書く

全18件 (18件中 1-10件目)

1 2 >

カレンダー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

ニューストピックス


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.