上高地讃歌-その2-上高地散策(写真集-C-)執筆 甲斐鐵太郎
夏の盛りの河童橋。向こう岸から撮影。穂高連峰は見えない。上高地に向かうとき穂高連峰は見えていた。山の天気は変わる。からまつの林に入りて、また細く道はつづく上高地の散策路だ。水辺を歩く上高地の散策路は手入れが行き届いていて快適だ。梓川の清冽な流れが常に付いて回る。急いで歩いては勿体ない。(タイトル)上高地讃歌-その2-上高地散策(写真集-C-)執筆 甲斐鐵太郎(本文) バスは釜トンネルを通過する。上高地はここから始まる。 左右から張り出す木立が窓に触れる細い緩やかな勾配の道をすすむ。もうここは天然自然そのものの世界である。さまざまな樹木が日を浴びて精一杯に背伸びし他に負けじと励んでいる。バスの窓越しにみる景色は日常のものとは違う。上高地バスターミナルへの道が梓川沿いにたゆたっていることや木々のそれは標高1,500mに生える種類であるからだ。 大正池は昔の絵はがきにある焼岳の噴火で堰き止められた梓川によってできたために川沿いの落葉松などの木が枯れて湖面に樹立するその姿ではなくなっている。洪水防止のためだろうが大正池の浚渫(しゅんせつ)をするようになったために大正池の規模は変わらないから観光のための景観は申し分ない。 大正池でバスは停車するからここで降りて上流に向かって歩くことができる。上高地帝国ホテルで降りてそこから橋を渡って向こう岸を散策して河童橋にでるのもよい。そしてこっち岸を上高地帝国ホテルまで戻るのもよいし、そのまま進んで小梨平、明神池、徳沢、横尾と散策することがこれは負担になるコースだ。 どの散策路を選んでも梓川はつねに道に沿って流れていて見上げれば穂高連峰がある。振り返れば焼岳の赤い山肌がみえる。右手には標高2,646mの霞沢岳、その先に2,450mの標高六百山がある。ともに上高地バスターミナルから見上げる位置にある緑まぶしい山である。 上高地の樹木は標高1,500mの寒冷地に適合した多様性に富むものであり、信濃の国の信州の語源となったと言われるシナノキ、奇妙な枝振りと幹の色をした樹木のイチイほか枚挙にいとまがない。平地は落葉松が多く落葉松とさまざまな樹木が混成して明るい「からまつの林を出でて、からまつの林に入りぬ。からまつの林に入りて、また細く道はつづけり」の散策路だ。 上高地に人が多く入るようになったのは釜トンネルが掘られてバスが通るようになったのは1933年(昭和8年)に乗合バスを大正池まで延長したことと上高地帝国ホテル開業してからだ。1935年(昭和10年)には乗合バスを河童橋まで延長する。旧釜トンネル開通は発電所建設を目的にしていたがこれに便乗する形で帝国ホテルが大正池にホテルを建てた。一つのことが作用してさまざまなことがおこる。 発電所建設と運営に重要な役割をはたした人の子孫が沢渡で酒屋と宿を経営していて宿泊して一緒に食事をした。人づてに来歴を聞いて興味深かった。その主人は急な病で人生を閉じた。 明神池には嘉門次小屋が営業していて散策者はここでビールとイワナの串焼きを食べる。冷たい水が流れる場所に縁台がつくられているなどよい雰囲気のしつらえであり、和室4室があって宿泊できる。 イワナと嘉門次小屋であるが、先祖の上条嘉門次は『日本アルプスの登山と探検』を著したウォルター・ウェストンの北アルプス登山の案内をした人として歴史に名を刻んでいる。嘉門次はウェストンを案内しいるときに夕食のイワナをひょいと1ダースほど釣り上げて焼いて供したことがウエストンの記録に残っている。その写真をみるとみな30㎝を超えるものばかりである。北アルプスの谷にはイワナは釣り針を落とすとすぐ食いつくほどに沢山生息していた。 禁漁区になっている大正池より上流の梓川にはイワナがおり、支流の小さな沢では人影を恐れずに泳いでいる。明神池には大きく育ったイワナがいて人がまく餌に飛びつく。需要と供給の原理がここにみえる。それでも上条嘉門次が簡単に釣り上げたほど状態でイワナ(岩魚)は上高地界隈にはいないように思われる。2018-07-22-kamikochi-hymn-part-2-walking-in-kamikochi-writing-tetutaro-kai-