私の履歴書 安斎正一(計量士)-その11-寺岡精工CIは「新しい常識を創造する」
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その11-寺岡精工CIは「新しい常識を創造する」 寺岡精工CIは「新しい常識を創造する」 自分のパイを焼こう CI(Corporate Identity)とは、企業イメージを統合化することを意味するものであります。 私は、寺岡精工で多くを学ぶことができたことに感謝の気持ちでいっぱいです。 とにかく、寺岡和治社長は仕事に活かせるアイデアを好み、人まねを嫌い、自分が食べるパイは自分で焼けというのです。つまり、自分の仕事は自分で工夫してより一層効果を上げよということなのですが、私も寺岡精工勤務中に改善提案して仕事に活かしたアイデアがあります。 寺岡精工CIは「新しい常識を創造する」 提案当初は画期的なアイデアとして新鮮で貴重ですが、やがて仕事の中に定着してしまいますとそれは常識になってしまいます。これが正に“新しい常識”なのです。 私が仕事に活かしたアイデアの事例を簡単に紹介しますが、現在も後輩たちが使っています。 仕事に活かしたアイデアの事例 (1)世界各国・各都市の重力補正値一覧表を作成 当時は、電気抵抗線式はかりが世界各国へ輸出されるようになり、それぞれの国や都市向けに重力補正して出荷するために必要と判断して、理科年表地学部「国際測地基準網一九六七の重力式」を利用してパソコンで世界中の重力補正一覧表を作成したのです。 標高が特異なメキシコシティなどは標高を補正して計算したのです。 (2)内容を申し上げることはできませんが、郵便局窓口のポスタルスケールに関しては数々の計量技術的な提案をして現在も活かされている案件があります。 (3)今から十数年前のことですが計量法改正後、電気式はかりでは「多目量はかり」なるものが主流を占め複雑な検定公差や使用公差を記憶することが困難になったため、「ひょう量と目量をインプットすればたちまち目で見る検定公差グラフ、及び使用公差グラフができる」というようなことも提案したのです。 エクセレントカンパニー寺岡精工 今から二十年ほど前のこと、風邪を引いて自宅近くの病院窓口へ健康保険証を出した途端、受付の女性が「先生、週刊誌の優秀社員が見えました。」と言い、奥から院長先生が出てきて、「あなたの会社のことを週刊誌で読みましたよ、給料とボーナスはどのくらいですか、どんな仕事をしているのですか。」などと矢継ぎ早に質問攻めに会ったことがありました。 その週刊誌を私は見たことがなかったのですが、「小粒だが、ピリッと締まった優秀社員の優良企業」と給料やボーナスがかなり高いというような記事が載っていたようです。 2005年5月に日本経団連が発表したこの夏の鉄鋼のボーナス初の百万円台という新聞の見出しを思い出したのですが、私は知人から「男、一生に一度でいいから百万円のボーナスを貰ってみたいものだ」と言われたことがあります。 実は、私は寺岡精工社員当時、何度となく百万円を超える夢をかなえさせていただきました。 社員の海外旅行では、シンガポール、タイランド、ハワイ二回、北京と計五回も連れて行っていただきました。 とにかく、他の会社より仕事は厳しいかも知れませんが、寺岡社長は、一番苦労している社員の努力に精一杯報いてやりたいというこころ配りがあるため、やり甲斐ある会社に対して社員が一丸になって、サッカー選手が一つのボールを必死に追うように今日も社員の皆さんの奮闘が続いていることでしょう。 (つづく) 私の履歴書 安斎正一 目次 私の履歴書 安斎正一(計量士)-その1-本欄の執筆をなぜ私が? 私の履歴書 安斎正一(計量士)-その2-私の職場 私の履歴書 安斎正一(計量士)-その3-私が生まれた日と父母兄弟について 私の履歴書 安斎正一(計量士)-その4-夜間高校生と計量士との出会い 私の履歴書 安斎正一(計量士)-その5-大学進学と空腹の日々 私の履歴書 安斎正一(計量士)-その6-妻との出会い 私の履歴書 安斎正一(計量士)-その7-寺岡精工へ入社 私の履歴書 安斎正一(計量士)-その8-計量教習所と計量士資格取得 私の履歴書 安斎正一(計量士)-その9-計量士資格取得 私の履歴書 安斎正一(計量士)-その10-計量士会入会から役員35年間続く 私の履歴書 安斎正一(計量士)-その11-寺岡精工CIは「新しい常識を創造する」