森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之(その5-3-)
森の生活―ウォールデン― ソーロー著 神吉三郎訳WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS Henry David Thoreau森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之森夏之森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之(その5-3-)森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之外目には暖炉の様相であるが薪をくべる部分に鋳物製の薪ストーブが設置されていて暖炉の煙突は薪ストーブの煙突として使われたことになる。一人用のベッドと机一つ、椅子三脚が見える。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ウォールデン・森の生活を描く絵は実際のそれよりも物語風に美化されている。建物も大きいし、自然を美しく描いている。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ウォールデン・森の生活を描く絵は実際のそれよりも物語風に美化されている。建物も大きいし、自然を美しく描いている。冬には雪が降りモミの木が白くなる。ログハウスの二階建ての絵になっているが実際には漆喰造りの5坪(15平方メートル)のワンルーム。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之解体前の石小屋の写真が残っていたことは幸いである。石小屋と並んで薪小屋が造られていた。この薪小屋の大きさでは一冬の薪の保管には小さすぎる。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之アメリカの超絶主義者のヘンリー・デイヴィッド・ソロー。ヘンリー・デイヴィッド・ソロー - Wikipediaウォールデン 森の生活 - Wikipedia森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ウオールデン湖は大きくはない。池という場合もあるが日本では湖に類する。空の青、緑の樹木、湖水の三要素。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ウオールデン湖は大きくはない。池という場合もあるが日本では湖に類する。空の青、緑の樹木、湖水の三要素。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ウオールデン湖は大きくはない。池という場合もあるが日本では湖に類する。空の青、緑の樹木、湖水の三要素。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ウオールデン湖は大きくはない。池という場合もあるが日本では湖に類する。空の青、緑の樹木、湖水の三要素。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ウオールデン湖は大きくはない。池という場合もあるが日本では湖に類する。空の青、緑の樹木、湖水の三要素。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之11月に入ると八ヶ岳高原は秋が終わろうとしている。11月3日の降雪で八ヶ岳連峰の尾根筋は根雪が付いた。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ウオールデン湖は大きくはない。池という場合もあるが日本では湖に類する。空の青、緑の樹木、湖水の三要素。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ソローは小屋は漆喰だと言っているが解体され、あるいは崩れた家の残骸は石のように見える。それが小屋跡の横に積まれている。小屋跡は石で囲われていてそれとわかる。解体前の石小屋の写真が残っていたことは幸いである。石小屋と並んで薪小屋が造られていた。この薪小屋の大きさでは一冬の薪の保管には小さすぎる。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ソローは小屋は漆喰だと言っているが解体され、あるいは崩れた家の残骸は石のように見える。それが小屋跡の横に積まれている。小屋跡は石で囲われていてそれとわかる。解体前の石小屋の写真が残っていたことは幸いである。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ソローは小屋は漆喰だと言っているが解体され、あるいは崩れた家の残骸は石のように見える。それが小屋跡の横に積まれている。小屋跡は石で囲われていてそれとわかる。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之ソローは小屋は漆喰だと言っているが解体され、あるいは崩れた家の残骸は石のように見える。それが小屋跡の横に積まれている。小屋跡は石で囲われていてそれとわかる。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之再建されたソローの石小屋。ソローは小屋は漆喰だと言っているが解体され、あるいは崩れた家の残骸は石のように見える。それが小屋跡の横に積まれている。小屋跡は石で囲われていてそれとわかる。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之再建されたソローの石小屋。1ソローは小屋は漆喰だと言っているが解体され、あるいは崩れた家の残骸は石のように見える。それが小屋跡の横に積まれている。小屋跡は石で囲われていてそれとわかる。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之解体前の石小屋の写真が残っていたことは幸いである。石小屋と並んで薪小屋が造られていた。この薪小屋の大きさでは一冬の薪の保管には小さすぎる。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之一人用のベッドと机一つ、椅子三脚が見えるが部屋の配置図には四脚が描いてある。衣装ケースもない。生活するとなるとあれこれが要るものなのだがこれらを省いてソr-の生活を描いている。一種のウソが含まれている。大工道具だって必要であり、農機具も要る。靴置き場もしかり。バケツや雑巾も。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之外目には暖炉の様相であるが薪をくべる部分に鋳物製の薪ストーブが設置されていて暖炉の煙突は薪ストーブの煙突として使われたことになる。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之両側に窓。夏と冬でベッドの配置が変ることが想像される。外目には暖炉の様相であるが薪をくべる部分に鋳物製の薪ストーブが設置されていて暖炉の煙突は薪ストーブの煙突として使われたことになる。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之薪ストーブの横には薪入れの箱、火かき、箒(ほうき)など。薪ストーブは煮炊き用に使われるからフライパンや鍋。皿の陳列はない。棚も設けられていない。森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之衣装ケースもない。生活するとなるとあれこれが要るものなのだがこれらを省いてソr-の生活を描いている。一種のウソが含まれている。大工道具だって必要であり、農機具も要る。靴置き場もしかり。バケツや雑巾も。(タイトル)(タイトル)森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之冬の池 しずかな冬の夜のあとで、わたしは、何が――いかにして――いつ――どこで? といったような質問を自分が受けて、眠りのなかで何とか答えようとつとめたが答えられなかったという印象をもって目醒めた。しかし、あらゆる創られたものがそのうちに生きている「自然」はいま明けそめつつあり、ほがらかな満足した顔で、彼女の唇には何の質問ももたずにわたしの広い窓からのぞきこみつつあった。わたしは答えられた質問に――自然と白昼の光りとに目醒めた。若い松の点在する地面に深くつもった雪、それからわたしの家がそこに立っている丘の斜面までが、進め! といっているように思われた。自然は何とも質問を発しないし、われわれ人間が問いかけるどんな質問にも答えない。彼女はとっくに決心をきめているのだ。「おお、王よ、われわれの眼は讃嘆をもってこの宇宙のおどろくべくそして多様なる諸相を観じ、そしてそれは魂に移入される。夜はうたがいもなくこの栄光ある造化の一部分を蔽う。しかし昼は来たって、大地から精気のただよう天空にいたるまでにひろがるこの偉大な作品をわれわれに啓示する。」 そこでわたしの朝の仕事がはじまる。まずわたしは斧おのと手桶ておけとをもって――それが夢でないならば――水をさがしに往くのである。寒い、雪の降った翌朝には水を見出すのは鉱脈占いの杖を要する仕事である。あらゆるそよ風に対し敏感であり、すべての光りと影とを映した池の、ながれ、ふるえた表面は、冬ごとに一フィートまたは一フィート半の厚さに固まり、最も重い連畜をもささえることができ、また時としては雪が同じ厚さにそのうえを蔽い、どこの平野とも区別がつかなくなる。周囲の山に住むモルモットのようにそれは目蓋まぶたをとざして三カ月、またはそれ以上も冬眠に入るのである。丘陵のただなかの牧場でもあるかのごとく、雪に蔽われた平地に立って、わたしはまず一フィートの雪を切り開き、それから一フィートの氷を切り開いて、わたしの足の下に窓をうがつのである。そこで水を飲むためにわたしはひざまずき、魚どもの静かな客間をのぞく。それは磨すりガラスの窓を透してさすようなやわらげられた光りにみたされ、夏と同様なかがやく砂の床ゆかをもっている。そしてここに住む者の冷静でむらのない気質に相応した波だちのない永久的なおちつきが、琥珀色こはくいろの夕方の空におけるごとくそこを支配している。天はわれわれの頭上のみならず足下あしもとにもあるのだ。 朝はやく、すべてのものが霜で凍りついているときに、釣糸巻と手軽な弁当とをもった人々がやってきて、コガマスやスズキをとるために雪の原のなかにその細い糸をおろす。かれらは本能的に町の人間のそれとは別なしきたりに倣い、別な権威を信じる野性的な人々である。そしてその往来によってかれらがいなかったら離れ離れになったであろうような地方の村々町々をむすびつける。かれらは丈夫な防水外套を着こんで岸辺の乾いた樫の葉のうえに坐りこみ、弁当をつかう。都会人が人為的な知識に通じているのと同様、自然の事情に通じている人々だ。かれらは書物をのぞいたことがなく、知っていること、人に話せることよりもはるかに多くのことをしている。かれらが実際におこなっていることはまだ十分にわかっていないというはなしだ。ここに、そだったパーチを餌にしてコガマスを釣っている男がいる。彼の桶をのぞいて見ると夏の池をのぞいたようなおどろきにうたれる。あだかも彼は夏を自分の家に閉じこめているのか、あるいは夏が引籠もっている場所をちゃんと知っているようである。いったい、どうして彼は真冬にこれらの魚を獲たのだろう? 地面が凍っているので彼は腐った丸太から虫をつかまえて、それで釣ったのだ。彼の生活そのものが博物学者の研究がとどくよりも深く自然のなかに浸透し、彼そのものが博物学者の主題となっているのだ。後者はそのナイフで苔や樹の皮をそっともちあげて虫をさがす。前者は斧をふるって丸太の芯までたたき割り、苔や樹の皮を八方に飛ばす。彼は樹の皮をはいで生計を獲ているのだ。こういう人間こそ魚取りをする権利をもっているので、わたしは彼において自然のいとなみが行なわれているのを見てよろこぶ。パーチは地虫を呑み、コガマスはパーチを呑み、そして漁師がコガマスを食う。こうして生物の階梯かいていのあいだのすべての隙間はうずめられるのである。 靄もやのかかった日に池のまわりを歩いていると、素朴な漁師が採用している原始的な方法がわたしを興がらせることがある。彼は四、五ロッドぐらいの間隔を置いて岸から等距離の氷のうえに狭い穴をうがちそのうえにハンノキの枝をさしかける。糸が引き込まれるのをふせぐために先端を木切れにむすびつけ、たるんだ糸を氷のうえ一フィートあまりのハンノキの小枝のうえにわたし、それに樫の枯葉をむすびつける。枯葉がさがれば魚が喰いついたとわかるわけである。池を半廻りするとき、これらのハンノキの枝が一定の間隔をおいて靄のなかに浮かびあがって見える。 ああ、ウォールデンのコガマス! それらが氷のうえに横たわり、または漁師が氷のうえに水がはいるようにつくった小さな穴の井戸のなかにいるのを見ると、わたしはいつもお伽噺とぎばなしの魚のようなそのたぐい稀なうつくしさにおどろかされる。かれらは町の巷とは――森とさえ――そんなに懸けはなれている、アラビヤがわがコンコードの生活から懸けはなれているほど。まばゆい超越的な美をもっていて、町でさかんにもてはやされている、屍体のような色をした鱈たらやハドックとはまるで段ちがいである。松の緑色でもなく、石の灰色でもなく、空の青でもなく、そういうものが世の中にありうるなら、もっと貴重な、花や宝石のような色をもっているようにわたしの眼には見える。まるで真珠であり、ウォールデンの水が動物化した結晶のようである。かれらはもちろん全面的に、底の底までウォールデンである。かれら自身動物界における小さなウォールデン池であり、ウォールデンシーズ Waldenses〔一一七九年頃、フランスのピエール・ヴァルドーがはじめた革新的なキリスト教の一派〕である。かれらがここに囚とらえられていること――ウォールデンの道をゴロゴロ音をたてて通る荷馬車や馬車や鈴を鳴らす橇のはるかに下の、この深いひろびろした泉のなかにこの大した金とエメラルドの魚が泳いでいるとはおどろくべきことだ。わたしはどこの市場にもついぞこの種類を見たことがない。もしそこに出れば衆目の嘆賞の的となるだろう。容易に、二つ三つ痙攣けいれん的にうごめくかと思うとかれらはその水の魂を死にゆだねる。時ならぬに天国の稀薄な空気に移される人間のように。 わたしは長いこと見失われていたウォールデン池の底をさがし出そうと欲したので、一八四六年のはじめ、氷が解けないうちに磁石と鎖と測線とをもってていねいにそれを測量した。この池の底――あるいは、底のないこと――についてはいろいろな説が従来あったが、それらの説自身はたしかに根柢のないものであった。人々が測量の労をとりもせずに、底がない池をいつまでも信じていることはおどろくにあたいする。わたしはこの近辺のそういう底なしの池を一度に二つもおとずれたことがあった。多くの人はウォールデンが地球の向う側までずっと突きぬけていると信じている。氷のうえに長いことうつ俯して、水という見さだめにくい媒介物をとおし、そして、ことによるとおまけに水っぽくうるんだ眼をもってのぞき、あるいは胸から風邪をひくことを恐れて早計な結論にかりたてられたある人々は、「そのなかに車一台の乾ほし草くさを押し入れうる」――それを持って行ける人間がいるなら――ほどの大きな穴を見た、と称する。これはうたがいもなく冥府の河スティックスの源であり、このあたりから地獄の国に到る入口であろう。他の人々は村から「五十六ポンド」錘おもりと荷車一台分の一インチ繩の荷をもって出かけたが、とうとう底をつきとめえなかった。なぜならば「五十六ポンド」錘りが途中で休んでいるのに、かれらは繩をどんどん繰り出して自分たちの不可思議を受け入れうる真に無限な能力を空しく測りつつあったからである。しかしわたしは諸君に、ウォールデンは異常に深くはあるがありうべからざるほどではないところに相当しっかりした底をもっていることを保証することができる。わたしは鱈釣りの糸と一ポンド半の重さの石とでわけなくそれを測量してしまった。水が石の下にはいってわたしを助ける前に、今までより、ずっと強く引っぱらなければならなかったので、いつ石が底を離れたかをわたしは正確に告げえた。最大水深は百二フィートであった。それにその後の増水の五フィートを加えて百七フィートということになる。これは、こんなに狭い面積としてはおどろくべき深さだ。しかもそのうちの一インチをも想像は他に割愛できないのだ。もし池がみんな浅かったらどうだろう? それは人間の心に影響しないだろうか? わたしはこの池が、象徴として、深く清くできていることを感謝するものである。人が無限なものを信じるかぎり、ある池は底がないと考えられるであろう。 ある工場の主人はわたしの測った深さを聞いてそれはほんとではありえないと考えた。なぜなら堰堤えんていについての彼の知識から判断するとそんなに急な角度には砂があるはずはない、というのであった。しかし、最も深い池でもその面積に比例して考えれば、多くの人が考えるほどは深くはなく、水を排除してみれば大した谷をなしはしないだろう。それは山の間のコップのような形ではない。面積にしては異常に深いこの池でも、中心を通しての縦断面においては浅い皿以上に深くはないのだ。たいがいの池は水を空からにしてみれば、われわれがよく見るもの以上にはくぼんでいない牧草地をのこすことだろう。こと、風景に関するかぎりはなはだ嘆賞にあたいし、またたいがい正確であるウィリアム・ギルピンは、スコットランドのファイン湖――それを彼は「深さ六、七十尋ひろ〔一尋は六フィート〕、幅四マイルの塩水の湾」で長さはおよそ五十マイルあり、山々によって囲まれていると叙述している――の起点に立って、こう述べている、「もしわれわれが、洪積期の破壊、またはどんなものにもせよそれを惹き起こした自然の大変動の直後、水が奔入しない以前にそれを見ることができたとしたらば、どんなにおそるべき深淵にそれは見えたことであろう!『高まる丘陵がそびえる高さだけそれだけ低くくぼんだ底は沈んだ――広く、深く、ひろびろした水をたたえる床――』」〔ミルトンの『失楽園』からの引用〕 ところが、もしファイン湖の最も短い直径をもちいてその比例をウォールデン――それはすでに御承知のとおり縦断面においては浅い皿としか見えないのだ――にあてはめてみれば、四分の一の浅さになってしまうのだ。空からにされたファイン湖の深淵の割増しづきの怖れについては話をこれだけにとどめよう。いうまでもなく、ひろびろしたトウモロコシ畠をもった多くのほほえむ谷は水の退ひいた、こういう「恐ろしい深淵」をなしているのだが、何にも知らない住民にこの事実を納得させるには地質学者の洞察と達見とを要するのである。探究ずきな眼はしばしば低い地平の丘のうちに原始的な湖水の岸を見いだすもので、その素性を隠すためには後日平野が盛りあがる必要はなかったのである。しかし、道路工夫が知っているとおり、くぼんだ場所はにわか雨のあとの水溜りによって最も簡単にわかる。要するに、想像はすこしでも手綱をゆるめられると、自然そのものよりも深く潜り高く翔かけるものなのだ。だから、たぶん大洋の深さもその広さの比例からするときわめて些々ささたるものであろう。 わたしは氷を通して測量したので、凍らない港を測量する際に可能であるよりも一層正確に水底の形を決定することができたが、それが概して規則的であるのにおどろいた。最も深い部分には、太陽と風と鋤とにさらされているほとんどどの畠よりも平坦な幾エーカーかの土地があった。一例をとれば、任意にえらばれた一線において、三十ロッドにわたって深さが一フィート以上の変化を示さなかった。そして一般に中心ちかくでは、わたしはどっちの方向にでも百フィートごとの変化を予測して三、四インチ以上の誤差を出さなかった。ある人々はこのような静かな砂底の池においてさえ深くて危険な穴があるようなことをよくいうものだが、こういう状態の水の作用はすべての凹凸おうとつを平坦化するものである。水底が規則的であり、岸や近くの山並みと一致していることはたいへん徹底的で、遠くはなれた岬も対岸の浅瀬となってあらわれ、その方向は対岸を観察することによって決定できた。突角は洲となり、平野は浅瀬となり谷と峡谷とは深い水と水路とをなした。 わたしは十ロッドが一インチの縮尺で池の地図をつくり、総計百以上の測深を記入したとき、次の著しい一致を見出した。最大水深を示す数字が見たところ池の中心にあるのに気がついてわたしは定規を縦にあて、それから横にあてて、最大縦線が、最大横線と正確に最大水深の点で交叉しているのを発見しておどろいた。――中央部はほとんど平坦にちかく、池の輪郭は決して規則的ではなく、かつまた、最大縦線も最大横線も入江までこめて計ったのにもかかわらず。そして、わたしはこのヒントは池や水溜りだけではなく大洋の最深部をもみちびき示すものではあるまいか、と独語したのである。これは谷の反対物として見られた山の高さに対する法則にもなっているのではあるまいか。われわれは山がその最も狭い部分においては最高になっていないことを知っている。 五つの入江のうち三つは――三つだけをわたしは測深したのだ――その入口をずっと横ぎって水面下の洲をもちその内部に、より深い水をもっていることを観察した。つまり湾は、水平にだけでなく垂直にも陸地内への水の拡大をなし、内湾もしくは独立した池を形づくる傾きがあり、二つの突角の方向は水面下の洲すを示しているのであった。海岸の港もすべてその入口に洲をもっている。入江の口がその長さに比例して広ければ広いほど、見えない洲のうえの水は、内湾のそれとの比例において、より深かった。だから、入江の縦と横、それから周囲の岸の形状さえ知ればすべての場合に対する算式をつくるにほとんど十分な諸要素がととのうことになる。 この経験から推して、池の水面の輪廓とその岸の形状だけを観察することによって池の最深点をどの程度まで正確に計ることができるかを知るために、わたしはホワイト・ポンドの略図をつくった。およそ四十一エーカーの広さのこの池はウォールデンと同様、なかに島がなく流入口も流出口も見あたらない。そして最大横線は、そこで二つの相対する突角がお互いに接近し、二つの湾が引込んでいる最小横線のごく近くにきたので、わたしは試みに後の線から少しはなれておるがやはり最大縦線のうえにある一点を最深点として印しをつけた。実際の最深点はこの点から百フィート以内にあることがわかった。それはわたしが片寄った方向にさらに遠くあり、それよりたった一フィートだけ深く――すなわち六十フィートあった。もちろん川が流れこんでいたり、中に島があったりすれば、問題をさらに複雑にするだろう。 もしわれわれがすべての自然の法則を知っているとすれば、その点におけるすべての特殊な結果を推測するにはただ一つの事実または一つの現実の現象の叙述を必要とするだけであろう。ところがわれわれはわずかに二、三の法則を知っているにとどまるので、われわれの結果は、自然の側の何らかの混乱または不規則によってではもちろんなく、われわれが計算における必要要素を知らないことによってそこなわれてしまうのである。われわれの法則または調和の概念は通常、われわれの発見しうる場合だけにかぎられている。しかしまだわれわれが発見していない、はるかによりたくさんある、一見矛盾しているが実は合致している法則から結果する調和はさらに一段と驚嘆すべきものである。個々の法則はわれわれの観点のようなものであり、山が絶対に一つだけの形をもっているのに、旅行者には一歩ごとにその輪郭が変り無数の横顔をもつようなものである。それを割ってみたり、穴をうがってみたりしても山の全容は把握できない。 わたしが池について観察したことは倫理においても同様に真実であるといえる。それは平均の法則である。二つの直径の法則のごときものが、太陽系における太陽や人間における心臓にむかってわれわれをみちびくのみならず、人間のそれぞれの日常の行状や生活の波の全体の縦横に線を画してその湾や入江におよび、それらの線の交叉するところに彼の性格の高みと深みとが存するであろう。たぶんわれわれは彼の岸辺のまがりぐあい、近くの地形や環境を知りさえすれば、彼の心の深みや隠された心底を推測することができよう。もし彼が山岳重畳する環境、高くそばだつ岸辺にかこまれ、そのいただきがその胸におおいかぶさってそれに影を映すようならば、それらは彼の心にもそれに相応する深みがあることを暗示する。これに対して低く平らな岸辺は彼がその側において浅いことを証する。われわれの肉体においても、思い切って出ばった額ひたいは次第に引いてそれに釣合うほど深い心を示す。のみならず、われわれのすべての小湾、すなわち特殊な傾向の入口にはかくされた洲が横たわっている。それぞれはわれわれが、そのなかにしばらくのあいだ引留められ部分的に閉じこめられるわれわれの港である。これらの傾向はたいがい気まぐれなものではなく、その形と大きさと方向とは岸の岬、昔からの隆起の軸によって決定される。このかくれた洲が、嵐や干満や潮流によって次第に高まったり、水面が後退したりして表面に露われるようになると、最初はそのなかに思想が停泊していた岸辺の屈曲にすぎなかったものが、外洋とは独立した別個の湖水となり、そこに思想はおのが独自性をつなぎ、おそらく塩水から淡水に変じ、新鮮な、あるいはよどんだ海や沼となる。一つの個性がこの世にあらわれたときには、われわれはどこかでそのような洲が表面にまで高まったのだと考えてよくはないか。ただし、われわれは拙劣な航海者にすぎないので、たいがい港のない海岸を附いたり離れたりし、「詩」の湾の屈曲を知っているにとどまり、あるいは公けの輸入港にむかって舵をとり、そこではただこの俗世界のための改装をするだけで、自然な潮水がそれを個性化するために協調しない、科学という乾ドックにはいってしまう。 ウォールデンの入口出口については、わたしは雨と雪と蒸発と以外には何も見いださなかった。しかし寒暖計と紐ひもとをもってすればそういう場所が見いだされるかもしれない。なぜならば水が池のなかにそそぎこむところはたぶん夏はいちばん冷たく冬はいちばん暖かいであろうから。一八四六年から七年にかけての冬に氷切出し人夫がはたらいていた時、岸にはこばれる氷の断片を積みあげていた人間が、ある日他のものとうまくならばないほど薄いといってそれを拒絶したことがあった。そのために切出し人夫はほんの小部分の氷が他の場所よりも二、三インチ薄いことを発見して、そこに水の入口があるとかんがえた。かれらはまた別の場所においてかれらが「底穴そこあな」だとかんがえているものをわたしに示した。池の水がそこを通じて一つの丘の底をくぐって近所の牧場まで洩れているというのだ。そしてそれを見るようにとわたしを氷のうえに押し出した。それは水の下十フィートにある小さな穴であった。だが、それよりもひどい洩れ口が発見されるまではこの池はハンダづけの必要がないとわたしは保証できると思う。そういう底穴が発見されたら、それと牧場との連絡は、その穴の口に何か色のついた粉か鋸屑おがくずを持っていき、一方牧場の泉の上に濾過器を仕掛ければ、水の流れによってはこばれる粉粒がそれに引っかかるだろうからそれで判る、と提案した人があった。 わたしが測量していたとき、十六インチの厚さの氷はわずかな風のもとで水のような波動をしめしていた。氷のうえでは水準器が用いられないことはよく人に知られていることである。岸から十五、六フィートのところにおけるその最大波動は、陸上の水準器から氷の上の目盛り竿に向けて観察したところによると、四分の三インチであった――氷は岸に密着しているように見えたのであったが。中央部においてはそれはたぶんより大であったろう。もしわれわれの計器が十分鋭敏であったら地殻における波動をも発見しえないものともかぎるまい。わたしの水準器の二脚が岸にあり、のこる一脚が氷のうえにあり、照準がその一脚を越えて向けられたとき、きわめて微小な氷の上下運動が対岸の木立ちに幾フィートかの視差をあらわした。わたしが測深のために穴を掘りはじめたとき、氷をそこまで沈めていた深い雪の下の氷の上には三、四インチの水があった。しかし水はたちまちこれらの穴に流れこみはじめ、深い流れをなして二日間流れつづけ、それが到るところの氷を溶かした。このことは池の表面を乾かすに主要ではないまでも重要な寄与をした。なぜならば、水が流れこむとき氷を持ち上げ、浮かせたからである。これは水を排除するために船の底に穴をうがつのに幾分似ていた。そのような穴が凍り、つづいて雨が降り、そしてついに新しい寒気がすべてのうえに新たな滑かな氷を張ると、各方向から中心にむかって流れた水のために溶かされた水路によってできた、氷の薔薇模様ともいうべき、いくらか蜘蛛の巣に似た、黒い物の形がその内部に美しくまだらをつくる。また、時折り、氷が浅い水溜りでおおわれると、一方が他のものの上に載せられた、わたし自身の二重像を見た。――一つは氷の上に、も一つは木立ちか丘の斜面の上に。 一月のまだ寒いさいちゅう雪と氷が厚く堅いうちに、用意のよい地主は彼の夏の飲み物を冷やすための氷を取るために村からやってくる。一月の今、七月の暑さと渇きとを予想する、感銘すべく、悲壮でさえある賢明さをもって――厚い外套と手袋をして!――準備されていないそんなに多くのことがあるのに。彼は次の世で彼の夏の飲み物を冷やすべきいかなる宝をもこの世で積もうとしないだろう。彼は固まった池を切り、鋸のこぎりで引き、魚の家の屋根を取はずし、まさしくかれらの要素であり空気であるものを車ではこんで往ってしまう。薪の束のように、鎖と杭くいとでしっかりと留め、都合のよい冬の空気のなかを、冬の穴蔵にまではこび、そこに横たわって夏までもたせるわけである。それが街を通って遠くはこばれていく様子は固体化された青空のように見える。これらの氷切り人夫は陽気な人種で冗談をとばしふざけていた。わたしがかれらのなかに往くとかれらはよくわたしを誘って、炭坑式にわたしを下に立たせて氷をいっしょに鋸引きさせてくれた。 一七四六年から七年にかけての冬、百人の北極人がある朝われわれの池に突然あらわれた不細工な格好をした農具――橇そりや鍬や畦車あぜぐるまや、芝土ナイフや鋤や鋸や熊手やを何台も車に積んで、まためいめい『ニューイングランド農業家』にも『耕作者』にも載ってないような二つ尖ったところのある槍で武装していた。かれらは冬のライ麦を蒔まきにきたのか、それともアイスランドから近年持ち込まれた他の種類の穀物を蒔きにきたのか、わたしには見当がつかなかった。肥料は見あたらないから、かれらはこの辺の土壌が深く、そして十分長く休耕状態にあったと考えて、わたしがしたと同様、上側うわがわだけ浅く耕すつもりだろうと判断された。ところがかれらの話によると、背後には一人の紳士農業家がいて、彼はすでに五十万ドルにのぼる金を貯えたといううわさだがそれを二倍にしようと思い、彼のもっているおのおののドルの上にもう一つのドルをかぶせようと思い立って、寒い冬のさなかにウォールデン池のたった一枚の上着、いな、身の皮を剥はいだのだ。かれらはただちに仕事にかかり、見事な順序で、耕し、耙まぐわをかけ、転子ころで均ならし、畝うねをたてて、ここを模範農場にせずにはおかぬ意気ごみのようであった。しかし蒔き溝に何を蒔くのかとわたしが眼を皿のようにしていると、わたしのすぐそばのひと組の人間は、奇態な鍬の打ちかたで、砂、いや、水のところまで――それは非常に水っぽい土であったから――実際、そこにあった、しっかりした土地そっくりを――処女土壌を根こそぎ引っさらって橇に載せはじめた。そこでわたしはかれらが泥炭地で泥炭を掘っているのにちがいないと思った。こうしてかれらは毎日、機関車から特殊な叫びをあげて、どこか極地の一地点から、そしてそこへと――どうもそうらしく思えたのだ――一群の北極の雪の鳥のように往復した。だがウォールデン婆さんも時にはその復讐をして、荷馬車のうしろについて歩いていた雇われ人夫が地面の割れ目にすべりこんですんでのところで地獄の穴に落ちこみかかり、今までえらく元気だったのがたちまち悲鳴をあげ、生き物たる熱をほとんど失い、わたしの家にほうほうの態ていで這いこみ、ストーヴというものはなるほどありがたいものだということを認めた。あるいは時には凍った土が鍬からその刃をもぎ取り、または鋤が畝に喰いこんでうごかなくなり、それを切り起こさなければならぬ仕儀となった。 即実的にいえば、ヤンキーの監督者たちにひきいられた百人のアイルランド人が氷を切り出しに毎日ケムブリッジからやってきたのだ。かれらの改めて説明を要しないほどよく知られている方法で、氷を四角に切りわけ、それらが橇そりで岸にはこばれ、氷置き場にどんどん引きずっていかれ、馬の力でうごかされる鉄鉤てつかぎと滑車と捲揚げ機とによってそれだけの粉の樽たるでもあるかのようにあぶなげなく山に積みあげられ、出はいりなく平らに、層一層と列をととのえ、雲までとどかせるつもりの方尖碑オベリスクの巌畳がんじょうな礎いしずえでもあるかのような観を呈した。かれらの話によると、仕事がはかどる日には一千トン、すなわち約一エーカー分だけの氷を切り出すことができるそうだ。同じ道を何べんも通る橇によって、陸地と同様に氷の上にも深い轍跡やくぼみができ、馬どもはみんな氷の切石をバケツのように刳くりぬいたものからかれらの燕麦えんばくを喰った。人々はこうして氷の切石を側面は三十五フィートの高さをもつ六、七ロッド平方の塚をなして大気中に積みあげ、風がはいらないように外側の層の間には藁わらをつめこんだ。どんなに冷たい風にもせよ、それを吹き抜けるとそこここにわずかな支えばしらをのこして大きな空洞をうがち、ついにはそのために全体が崩れ落ちてしまう。最初それは巨大な青い要塞か、オーディン神の住むヴァルハラ宮殿のように見えた。が、やがて人々が隙間に粗い牧草をはさみこみはじめ、それが霜や氷柱でおおわれると空色そらいろの大理石でつくった尊げに苔むした灰色の廃墟と見え、また「冬」の神――暦に画かれたあの老人――が住んでいる仮小屋とも見え、彼はそこでわれわれとともに夏まで過ごすつもりかと思われた。人々はこの氷の山のうち二十五パーセントまでは目的地に達しまい、また二、三パーセントは汽車中で消えてしまうだろうと見積った。ところがこの山のうちのもっと大きな割合が最初のもくろみとはちがった運命をたどった。いつもより一層多くの空気を含んでいたために氷が予想ほどもたないことが判ったからか、あるいは何か他の理由からか知らないが、それは結局市場へ持ち出されなかったのだ。一八四六年から七年にかけての冬につくられた、一万トンはあると見つもられたこの氷の山はとうとう乾草と板がこいでおおわれた。七月になって蔽いを取られて一部ははこび去られたが、残りは太陽にさらされたままでその夏と次の冬とを持ちこたえ、一八四八年の九月まではすっかり溶け切らなかった。かくして池はその大部分を取りもどしたわけである。 ウォールデンの氷はその水と同様、近くで見ると緑色を呈していたが離れて見ると美しい青で、河の白い氷やほかの池の単に緑がかった氷とは四分の一マイルの距離で見てもたやすく区別ができた。時にはそれらの大きな四角い氷の一つが氷人夫の橇から村の道にすべりおちて大きなエメラルドのように一週間もそこに横たわり、通る人々をおもしろがらせた。わたしは、水の状態においては緑であったウォールデンの一部が、凍ったばあいにはしばしば同じ観点からしても青く見えることに気がついた。同様に、この池のまわりのくぼみで冬において時々、池のそれにほぼ似た緑がかった水でみたされていたのが翌日は青く凍っていることがあった。水や氷の青い色はそのうちにふくまれている光りと空気とに起因するものらしく、最も澄明なものが最も青かった。氷は興味ある観察の対象である。フレッシュ・ポンドの氷室には五年もたった氷があるが、それはすこしもはじめと変わらないという話である。バケツの水はじきに腐るのに、凍ればいつまでもちゃんとしているのはどういうわけだろう。これが愛情と理性との相違である、とはよくいわれることだ。 こうして十六日間わたしは窓から、百人の人間が、連畜と馬と、それから見たところあらゆる農具とを持ちだした忙しい農夫のようにはたらいているのを見ていた。それは暦の最初のページに載っている画のようであった。わたしはそれを眺めやるごとに「雲雀ひばりと刈り入れびと」の寓話や「種蒔く人」の譬話たとえばなし、そのほかを思い出した。しかし今はかれらはすべて去ってしまった。そしてたぶんもう三十日もすれば、この同じ窓から、そこに澄んだ海緑色のウォールデンの水が雲や木立ちを映しつつ、そしてひっそりとその水蒸気をたちのぼらせつつあり、人間がそのうえに立ったなどという形跡はすこしものこしていないのを見ることだろう。たぶん、わたしはただ一羽のカイツブリが水に潜もぐり、羽づくろいをしながら笑うのを聞き、またはただよう木の葉のようなボートのなかの孤独な釣師が、つい先頃まで百人の人間が安全に働いていたところの浪のうえに自分の姿が映っているのを眺め入るのを見ることだろう。 かくしてチャールストンやニューオーリンズの、それからマドラスやボムベイやカルカッタの、暑さにあえぐ住民がわたしの井戸の水を飲むことかと思われる。朝、わたしは、それが作られてから神々の幾年月が経過し、それにくらべればわれわれ近代の世界とその文学とは小びとのごとく取るに足らぬものに思われる、古インドの叙事詩『バガヴァッド・ギーター』の巨大にして宇宙的な哲理にわたしの知性を浴ゆあみさせる。その崇高さがわれわれの観念からはそんなに懸けはなれているので、わたしはこの哲理は前の世にむすびつけて考えられるべきものではないかとの疑念をもっているのだ。わたしは書物を伏せ、水を飲みにわたしの井戸に行く。すると、見よ! わたしはそこでバラモンの召使いに出会うのだ。バラモンはブラフマとヴィシュヌとインドラとの僧であり、今なおガンジス河のほとりの彼の寺に坐ってヴェーダの経を読み、あるいは彼のパンの皮と水の壺とをもって樹の根がたに住む。わたしは彼の召使いが主人のために水を汲みにくるのに出会い、われわれのバケツはいわば同じ井戸でこすれあうのだ。清らかなウォールデンの水がガンジスの聖なる水とまざっている。追い風に乗ってこの池の水はアトランティスやヘスペリデスの昔語りの島の境をすぎ、カルタゴの航海者ハンノーの周航のあとをたどり、テルナテとティドルの島々とペルシャ湾口のほとりをただよい、インド洋の熱風に溶けてアレキサンダー大王がその名のみを聞いた諸港に上陸するのだ。[#改ページ]春 氷切出し人夫が広い面積を切りひらくとたいがい池はいつもより早く解氷期にはいる。なぜならば水は寒い季候においては風にゆるがされて周囲の氷をすり減らすからである。しかしその年はウォールデンはそうならなかった。彼女は古いのに代わる新しい厚い着物を早速にまとったからである。この池は深くもあり、氷を解かしすり減らす流れもはいりこまないために、この近辺の他の池のように早く解氷することは決してなかった。わたしはまだ冬のうちにそれが解氷したのを記憶しない。非常な試煉を方々の池にあたえた一八五二年から三年にかけての冬も例外ではなかった。それは通常、フリント・ポンドやフェア・ヘーヴンより一週間から十日おそく、四月一日ごろに解ける。結氷と同じく、北の岸と、より浅い部分とからはじまって解けだすのである。それは一時的な温度の変化に影響されることがより少ないので、この辺のどの水よりも季節の絶対的進行をよりよく示す。三月に数日間ひどい寒さがつづくと他の池の解氷をいちじるしく遅らすものだが、ウォールデンの温度はほとんど引つづいて上昇する。一八四七年三月六日にウォールデンの中央部に差しこんだ寒暖計は三十二度、すなわち氷点を示し、岸近くでは三十三度あった。同じ日にフリント・ポンドの中央部では三十二度半であり、岸から十二ロッドはなれた浅い水の、厚さ一フィートの氷の下では三十六度であった。後の池の深い水と浅い水との温度のあいだに示された、この三度半という差と、その大部分が比較的浅いという事実とは、なぜそれがウォールデンよりそんなに早く解氷するかを語っている。このとき、最も浅い部分の氷は中央部におけるよりも数インチも薄かった。真冬には中央部が最も暖かく氷はそこが最も薄かった。同様にまた、夏に池の岸のあたりを渡渉した人は誰でも、三、四インチの深さしかない岸の近くでは、少し外に出たところよりもずっと水が暖かいということ、また深いところで底近くよりも表面の方がずっと暖かいことを認めたにちがいない。春になると太陽は空気と大地との上昇した温度によって影響をおよぼすばかりでなく、その熱は一フィートまたはそれ以上の厚さの氷を通過し、浅い水のところでは底から反射して、それによってもまた水をあたため、直接上方から溶かすと同時に氷の裏側を溶かし、かくして氷を不平均にし、またそれがなかに含んでいた気泡が上に下にふくれ出てついには氷をすっかり蜂の巣のようにさせ、やがて氷はただ一回の春の雨にたちまち消えてなくなるのである。氷は木材と同様に木目をもっており、氷塊は崩れ、あるいはすが入りはじめる――すなわち、蜂の巣のような外観を呈しだすときには、その位置がどうあろうとも空気の孔あなは水の表面だったものと直角になる。水面にちかく岩なり丸太なりがもちあがっているところではその上の氷はずっと薄く、しばしばこの輻射熱で全く解けていることがある。わたしはまた、ケムブリッジにおいて木製の浅い池で水を凍らせることを実験したところ、冷たい空気は下を流通して上下から冷やすことになったものの、底からの太陽の輻射熱がこの利益を相殺そうさいしてあまりがあったと聞いている。冬の中頃に降った暖かい雨がウォールデンから雪氷を溶かし去って、中央に堅くて暗い、または透明な氷をのこすときは、岸のあたりにこの輻射熱でつくられた一ロッドまたはそれ以上の幅の、より厚いけれどもすのはいった白い氷の帯ができる。なおまた、氷のなかの気泡そのものがその下の氷を溶かす天日取りレンズの役をすることは前にのべたとおりである。 一年の現象は毎日池において小規模にあらわされる。毎朝、概していえば、浅い水は深い水より一層すみやかにあたためられ(結局あまり暖かくならないにしても)、毎夕それは朝まで一層すみやかに冷やされつつあるのだ。一日は一年の雛型ひながたである。夜は冬で、朝と夕とは春と秋とであり、昼は夏である。氷がピシピシと、そしてバリバリと音をたてるのは温度の変化を示すものである。一八五〇年二月二十四日、寒かった前夜のあとのさわやかな朝に、一日を過ごすためにフリント・ポンドに出かけたわたしは、氷を斧の頭でたたくと、それがドラのように、またぴんと張った太鼓の頂きを打ったように周囲何ロッドにわたって鳴りひびくのにおどろいた。池は日の出から一時間ばかりして、丘の上から斜めにさす日ざしの影響を感じたときに音をたてはじめる。それは目を醒ましかけた人間のようにのびをし欠伸あくびをして次第にさわがしくなり、それが三、四時間つづく。それは真昼にはみじかい昼寝をし、夕方かけて太陽がその勢力を収める頃にもう一度バリバリ音を立てた。気候の適当な時期においては池は非常に規則的に夕べの時砲を発射する。しかし日中には、バリバリいう音にみちており、空気も弾力性によりとぼしいのでそのひびきの良さは完全にうしなわれ、その上を打ちたたいても魚やジャコウネズミがおどろいて茫然となることはないだろう。釣師たちは「池のとどろき」は魚をおびえさせ、喰いつきを悪くするという。池は毎夕とどろくわけではなく、いつとどろくかを確かに予言することもわたしにはできない。気候には格別相違がなくてもとどろくことがある。こんなに大きく、冷たく、厚い皮をもったものがそんなに敏感であろうとは誰にも思いがけないことであろう。けれどもそれは莟つぼみが春になってふくらむように確実に、そうすべきときにそれに服従してとどろく己が法則をもっているのだ。大地はどこからどこまでも生きており、小乳頭状突起でおおわれている。最も大きな池でも大気の変化に対して、管のなかの小球状水銀とおなじぐらい敏感である。 森にきて住むことの一つの魅力は、春がおとずれるのを見る閑暇と機会とがもてるだろうということであった。池の氷にはとうとう蜂の巣型の孔があきはじめ、歩きながら踵かかとをそのなかに踏みこむことができる。霧と雨と暖かくなった太陽とはおもむろに雪を溶かしつつある。日ははっきりわかるほど長くなった。もうさかんに火を起こす必要はないから、わたしの薪の山を補充しないでも冬が過ごせるという見込みがついた。わたしは春の最初のきざし――何かわたり鳥のゆくりない調べ、あるいはもう貯えがほとんど尽きたにちがいない縞しまリスのさえずりを聞こうと、あるいはヤマネズミがその冬ごもりから思い切って出てくるのを見のがすまいと待ちかまえる。三月十三日、わたしがすでにアオコマドリとウタスズメとアカバネを聞いたのちにも氷はほとんど一フィートの厚さがあった。気候はだんだん暖かくなっても、それは水のために眼に見えてはすり減らされず、河におけるように割れくだけてただよい去ることもなく、岸のあたり幅半ロッドばかりは完全に溶けてしまっても、中央は単に蜂の巣のような孔があいて水でひたされ、そのために六インチ厚さの氷でも踏み抜くことができるだけであった。しかし翌日の晩までにはたぶん暖かい雨とそれにつづく霧ののちに、それは全く消え、神隠しに会ったように霧とともになくなってしまうことだろう。ある年、わたしは氷が全体消えてしまうわずか五日前に中央部をよこぎったことがあった。一八四五年にはウォールデンは四月一日にはじめて完全に解氷した。四六年には三月二十五日、四七年には四月八日、五一年には三月二十八日、五二年には四月十八日、五三年には三月二十三日、五四年には四月七日前後であった。 寒暑のそんなにはげしい気候に住むわれわれにとっては、河と池との解氷や季候の定まりと関係したあらゆる出来事は特に興味をそそる。暖かい日がくると、河の近くに住む人々は、氷の枷かせがはじからはじまで裂けたように、砲声ほど大きい、びっくりさせるような音をたてて、夜中に氷が割れるのを聞き、数日中にそれが急速に解けていくのを見る。鰐わにはこういうふうに地面を揺がして泥のなかから出てくるのだ。長年、自然の精密な観察者であり、自然は彼の少年時代に造船台にのぼせられ彼は彼女の竜骨のくみ立ての手つだいをしたとでもいうほど、彼女のあらゆる作用について残る隈くまなく通じており――もう一人前に生長してしまって、たとえ彼が九百歳以上の齢をかさねたメトセラの年まで生きるとしても自然に関する知識をこのうえ加えることはできそうもない――といったような一人の老人が次の話をしたのだが、わたしは彼と自然との間柄にはもはや何の秘密もないのだとばかり思いこんでいたのだから、彼女の作用のどれかに対して彼が驚異を示すのを聞いてわたしは意外の感にうたれたのである。――彼はある春の日にボートと銃とを持ち出し鴨猟をきめこもうとした。牧草地にはまだ氷があったが、河からはすっかり消えうせていたので、彼の住んでいるサッドベリーからフェア・ヘーヴンの池までは何のさまたげもうけずに流れを下っていったが、そこについて見ると池は意外にも大部分堅い氷の原であった。それは暖かい日だったので、こんなに大きな氷のかたまりが残っているのを見るのはおどろくべきことであった。鴨は見あたらなかったので彼は池のなかの一つの島の北側、あるいは裏側に彼のボートをかくし、自身は南側の茂みのなかにかくれて鴨が来るのを待った。氷は岸から三、四ロッドまでは溶けていて、そこにはおだやかな、暖かい水をたたえ、鴨が好みそうな泥ぶかい底を潜ひそめていた。彼はじきに何羽かやってくるにちがいないと思った。一時間もじっと横たわっていたころ、彼は、低くだいぶ遠くであるがまだ聞いたおぼえのないほど異様に大がかりでものものしい音が徐々にひろがり強まるのを聞いた。それは何か大々的な記憶すべき結果になりそうな気がした。その凄味をおびた襲来ととどろきとを聞いた彼はたちまち、それがここに下り立とうとしている鳥の大群の羽音らしいと気がつき、銃をおっ取って、あたふたと飛びだした。ところがおどろいたことに彼は自分が横たわっていたあいだに氷の全体のかたまりが動き出し、岸の方にただよってきたのを見いだした。彼の聞いたのはその縁ふちが岸にこすれる音であった。――はじめのうちは少しずつ噛みくだかれていたが、ついには盛りあがってかなりの高さまで岸に沿うてかけらをはねとばしたのちにようやく動かなくなったのであった。 やがて太陽の光線は適当な角度に達し、暖かい風は霧と雨とを吹きはらい、土堤の雪を溶かし、日は霧を追いのけて小豆色あずきいろと白との交錯した、水蒸気の香煙のけぶる風景にほほえみかけ、旅びとはそのなかを島から島へと道をひろっていく――彼の耳は、その脈管にそれがはこび去りつつある冬の血がみちている、一千のせせらぐ小川と小流れの音楽によってよろこばされつつ。 それによってわたしが村にかよった鉄道線路の深い切通しの崖を、雪溶けの砂や粘土が流れおちる際にあらわす姿ほどわたしをよろこばす現象はすくなかった。――鉄道が発明された以後、あつらえ向きな材料をもった、新たに曝露された土堤の数はぐっと多くなったにちがいないが、これほど大規模なのはざらにはない現象であった。材料はいろいろな程度の細かさと各種のゆたかな色彩をもった砂で、たいがい少しの粘土を混じている。春の日に霜がむすぶと――冬のあいだの氷が融とける日でもそうなることがあるが――砂は溶岩のように斜面を流れ落ちはじめる。時には雪のあいだからほとばしり出て、前には砂がちっとも見あたらなかったところにあふれだす。無数の小さな流れが重なり、編みあわされ、半ばは流れの法則にしたがい、半ばは植物の法則にしたがった一種の間あいの子この産物の状態を呈する。流れるにしたがってそれは水気の多い葉や蔓の形となり、一フィートもしくはそれ以上の厚みのパルプ状の枝のかたまりをなし、上から見おろしたところ、何かの苔の、ぎざぎざな縁のある、弁状の、鱗型に重なりあった葉状体に似ている。あるいは、珊瑚さんご、豹ひょうの趾あしか鳥の足、脳や肺臓や腸、それからあらゆる種類の排泄物を思わされる。それは真にグロテスクな植物で、その形と色とは青銅で模倣されているアカントス、チコリー、常春籐きづた、葡萄ぶどう、そのほかいかなる植物の葉よりも古代的で典型的な建築用唐草模様の一種であって、次第によっては未来の地質学者の頭をなやます謎となるかもしれない。切通し全体は、その鐘乳石が[#「鐘乳石が」はママ]明るみにさらけだされた洞窟といった感じをわたしにあたえた。砂のとりどりな色彩は、いろいろな鉄の色――褐色、灰色、黄色がかったもの、赤みをおびたもの――をふくみ、いかにも豊富で快かった。流れおちるかたまりが土堤の裾の溝に達するとそれはより平たく拡がって砂丘をかたちづくり、各個の流れはその半円筒形をうしなってより平たく、より幅ひろくなり、より多く水気をふくむにつれていっしょにまざりあい、ついには、まださまざまな美しい色合いをもったまま、ほとんど平たい砂地になるが、そこには当初の繁茂の形態がまだ跡づけられる。最後にいよいよ水のなかにはいるとそれらは河口の先にできるような堆砂と変わって、繁茂の形態は水底にきざまれたさざ波模様に消されてしまう。 二十フィートから四十フィートの高さのある堤防全体は、ただ一日の春の日の産物であるこの種の唐草模様のかたまり、または砂の噴出によって、片側または両側を四分の一マイルにわたっておおわれることがある。この砂の唐草模様を特にめずらしいものにするのはそれがこのように突然に湧き出ることである。一方の側には何の活気もみとめられない堤を見――太陽は最初は片側だけに作用するので――もう一方の側にはたった一時間で創りあげられたこの豊麗な木の葉模様を見るとき、わたしはある特殊な意味で、世界とわたしとを作った、あの「芸術家」の工房にはいったような――彼がまだ仕事をつづけ、この土堤をもてあそびつつ、精力がありあまって彼の新しい模様を撒きちらしているところにきあわせたような気持になる。わたしは地球の内臓により近くきたような感じがする。この砂の溢あふれいでは動物体の内臓にいくらか似た、木の葉のかたまりのようなものであったから。すなわち、われわれは砂そのもののなかに植物の葉の前駆を見いだすのだ。大地が外側においてみずからを葉の形で表現するのは少しも不思議ではない、それは内側においてそういうアイディアにみちてうずうずしているのだから。原子はすでにこの理法を知っており、それを孕はらんでいるのだ。垂れさがる葉はここにその原型をもっている。地球においても動物体においても、内部的には、それは湿しめった厚い葉ローブ lobe ――この言葉は特に肝臓や肺や脂肪の葉にあてはまるものである(λε※[#鋭アクセント付きι、U+1F77、378-1]βω, labour, lapsus は、下に流れ、または滑ること、陥ること。λοβ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、378-2]※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57), globus に対して lobe〈葉〉、globe〈地球〉があり、また lap〈重なりかかる〉、flap〈垂れさがる〉、そのほか多くの言葉がある。)――であり、外部的には、乾いた薄い葉 leaf である――ちょうど f や v は b を圧しつけて乾かしたものであるように。lobe の根基は lb であり、b の軟かいかたまりを(b は一葉で B は双葉である)流音の l が後から前に押し出している形である。globe においては根基は glb で喉音の g はその意味に咽喉のはたらきを加える。鳥の羽毛や翼はさらに乾いたさらに薄い葉である。同様にまた、ずんぐりした地中の蛆虫うじむしから空中にはばたく蝶に辿られるのである。地球そのものも絶えず自らを超越し変形しつつ、その軌道を翔かけるようになる。氷でさえ、水中の植物の葉が水という鏡のうえに印刻した型にながれこんだような、繊細な結晶的な葉からはじまるのだ。樹全体も一つの葉にすぎず、もろもろの河はより大きな葉であり、その葉肉は間にはさまれている陸地であり、都市は葉柄ようへいの附け根にひり出された昆虫の卵である。 日が没すると砂も流れるのをやめるが、翌朝には流れはふたたびはじまり、枝から枝が出て幾万となく殖えていく。われわれはたぶんそこに、いかにして血管がつくられるかを見るであろう。よく気をつけてそれを見ると、溶けゆくかたまりから、まず第一に指の腹のような、水滴のような先端をもった軟かくなった砂の流れが押し出てくるのを見るであろう。それはのろのろと盲目的に下の方にさぐりすすみ、やがて日が高くなるにつれて、より多くの熱と湿り気を獲て、そのうちの最も流動的な部分は、最も遅鈍な部分もやがてはやはり服するところの法則にしたがおうと努力して後者から分離し、その内部で自らのために曲りうねる水路または動脈をつくる。そのうちにおいては小さな銀色の流れが、肉の多い葉または枝の一つの段階から他の段階へと電光のように閃ひらめいてつづき、それが時折り砂のうちに呑みこまれるのが見られる。砂が、その進路の尖った先端を形づくるのにおのがかたまりのうちから獲られる最適の材料を用いながら、どんなに速く、しかもどんなに完全に流れ、自らを組織していくかはおどろくほどである。河の源もそのようなものである。水が沈下する珪土性物質のなかにはたぶん骨質組織があるのであろうし、よりこまかな土と有機的物質のなかには肉質繊維または細胞組織があるのであろう。人間そのものとても溶けつつある粘土のかたまり以外の何であろう。人間の指の腹は水滴が凝固したものである。手の指、足の指は肉体の溶けつつあるかたまりからかれらの行くところまで流れるのである。もっと快適な空のもとにおいては人間のからだはどこまでふくらみ流れ出て、どういう形になるか誰も見当がつかない。手は葉片と葉脈とをもった、ひろげられたシュロの葉 palm〔たなごころ、の意味もある〕ではないか。耳は想像をたくましくすれば lobe(耳たぼ)またはたれさがったものをもっている、頭のわきにはえた蘚苔類 umbilicaria と見なすことができる。唇―― labium〔ラテン語で「唇」〕は labour〔骨を折って進む〕から出たもの(?)――は洞窟のような口のわきから重なり、または垂れる。鼻は明らかに凝固した水滴または鐘乳石で[#「鐘乳石で」はママ]ある。頤あごはより大きい垂れさがりで、顔の各部が合流してぶらさがったものである。頬は額ひたいから、顔の谷間にすべりおちたものが頬骨にあたってひろがったもの。植物の葉の丸味をおびた葉弁もそれぞれ、厚い、今は道草を喰っている大小のしずくである。葉弁は葉の指である。葉はその葉弁の数だけの方向にむかって流れる傾向をもち、温度があがるなり、あるいはそのほかの都合のよい影響のもとにおいてはもっと止めどもなく流れたはずである。 すなわち、この一つの丘の斜面は自然のすべての作用の原則を例証しているように見える。この地球の製作者は一枚の葉の特許をもっているだけである。いかなるシャムポリオン〔一七九一―一八三二年。フランスのエジプト学者〕が、ここに表された象形文字をわれわれのために解読し、われわれに新生面をひらくを得しめてくれるだろうか? この現象はわたしにとっては葡萄ばたけの豊饒さよりもさらに愉たのしいものである。じっさい、それがいくぶん排泄物のような性格をもっているのは事実であり、肝臓、肺臓、腸が山のごとく無数にあり、地球が裏返しにされた観がある。しかしそのことは少なくとも自然が肺腑をもっていることを暗示するものであり、その点から見ても自然は人類の母である。これは地中から霜が這い出たものであり、これが春である。それは緑の、そして花の咲く春に先駆ける――神話が普通の詩に先立つように。冬の食いもたれと悪ガスを掃除するにはこれに越したものは考えられない。それは地球がまだその襁褓むつき時期にあり、その嬰児えいじの指をあらゆる方向にさし出していることをわたしに信ぜしめる。新しい捲き毛は恐れを知らない大胆な額ひたいから生えだす。そこには無機的なものは少しもない。これらの簇葉そうようのようなかたまりは炉のなかの鉱滓かなくそのように土堤にそうてよこたわり、自然がまだ内部においては「さかんに吹き分けられ」つつあることを示している。地球は、書物の紙葉のように層をなして重ねられ、主として地質学者と考古学者とによって研究されるべき単なる死んだ歴史の断片ではなく、花や果実に先がける木の葉のごとき、生きている詩である――化石した大地ではなく生きている大地であり、その偉大な中心の生命にくらべればすべての動物的および植物的の生命は単に寄生的なものにすぎない。その陣痛は人間の脱け殻をその墓場から立ちあがらせるであろう。人はその金属を熔かし彼ができるかぎりの最も美しい鋳型いがたに鋳こむかもしれないが、とてもこの熔けだした土が流れて形づくるものほどにはわたしを興奮させることはできない。大地のみでなく、そのうえにある諸制度も陶工の手のうちの粘土のように思いのままの形になしうるものである。 まもなく、ここの土堤ばかりでなく、すべての丘や野原のうえ、すべてのくぼみのなかでも、霜は穴から這いだす冬眠していた四足獣のように地中を出て、音楽にともなわれて海におもむき、または雲のなかなる別の国土に移住する。そのおだやかな説得力をもった「霜解けソー」は大槌おおづちをもった雷神ソールより力づよい。前者は溶かしてしまうが後者はこなごなにくだくにとどまる。 地面の雪がまだらに消え、暖かい日が二、三日つづいてその表面をいくぶん乾かしたとき、わずかにのぞきかけた幼い年の最初のやわらかな徴候を、冬に抵抗してきた枯れ木の堂々とした美とくらべて見るのはたのしい。そこには不死草、キリン草、ハリグサ、その他の、しばしば夏においてよりもかえって目だち、また趣きのある優雅な野草があり、その美はそのときになってはじめて円熟するかのごとくである。ワタグサ、ネコノオ、モウズイカ、ジョンスワート、ハードハック、メドースウィート、そのほかの丈夫な茎をもった植物――いちばん早い鳥をもてなす食べきれない穀倉――もある。それらは少なくともやもめの「自然」が身にまとう格好な服〔「雑草」の意もある〕である。わたしは特に羊毛草の、アーチ形の穀物の束のような頂きに心を惹かれる。それはわれわれの記憶に夏を呼びもどすものであり、芸術が模写することを好む形の一つであり、また、人間の心のうちにすでに存在する原型に対して天文学がもっているのと同じ関係を、植物界においてもっている。それはギリシャのよりもエジプトのよりももっと古い様式である。多くの冬の現象はたとえようもないやさしさと脆もろいほどの繊細味をおびている。われわれはこの王が荒々しくやかましい暴君であるように聞き慣れているが、彼は愛する者のやさしさをもって夏の髪を飾ってやるのである。 春が近づいたころ、わたしが坐って読んだり書いたりしているすぐ足もとの床下に二匹の赤リスが一度にはいりこんで、今まで聞いたことのないような不思議なしのび笑いとさえずりと声の旋舞と喉をならす音とをつづけた。わたしが足を踏みならすと、なおさら声だかく、チュッチュッと啼き、かれらの気ちがいじみた悪ふざけにすべての恐れと敬意とを忘れ、人間の止めだてを馬鹿にしているふうであった。こらっ。やめろ――チュッチュ――チュッチュ。かれらはわたしの抗議に全然耳をかさず、あるいはその力を認めず、とめどのない悪口雑言の調べにふけるのであった。 春の最初のスズメ! 一年は前よりもさらに若い希望ではじまるのだ! 半ば露あらわになった湿った野のうえに聞えるアオコマドリ、ウタスズメ、アカバネからのかすかな銀のさえずりは冬の最後の雪ひらがこぼれおちて鳴るかのよう! そのようなとき、歴史は、年代学は、伝統は、そしてすべての書かれた啓示は何であろうか。小川は春への讃歌と歓びを歌う。牧草地のうえを低くとんでいるヌマタカは、目醒めた最初のぬるぬるした生き物をすでにあさっている。溶ける雪のしたたりおちる音はすべての谷あいに聞かれ、氷は池で解けいそいでいる。草は丘の斜面で春の炎のように燃えたっている――「最初の雨にうながされて草ははじめて萠もえそめる〔原文ラテン語〕」――あだかも帰りきたる太陽にあいさつするために大地が内部の熱を送り出したかのように。その炎の色は黄色ではなく緑である。永久の青春の象徴である草の葉は長い緑のリボンのように土から夏のなかに流れ入る。一時は霜のために抑えられるがやがてまた押し出し、去年の枯草の穂を下なる新たな生命で持ちあげる。それは地面から水の流れがにじみ出るようにどんどんそだつ。それはほとんど水の流れとおなじものである。なぜならば茂りそだつ六月の日々、水の流れが涸かれたときには草の葉がその水路となり、来る年々に家畜群はこの常緑の流れで飲み、草刈りは時期を失せずかれらの冬の飼料をそこから汲みこむのである。同様にわれわれ人間のいのちも根ぎわまで死ぬだけで、いつまでも永遠にその緑の葉をさし出すのである。 ウォールデンはすみやかに解けつつある。北側と西側とに沿うては二ロッド幅の水路ができ、東のはじではそれがもっと広くなっている。大きな氷のひろがりが主体から欠けおちた。わたしは岸辺の茂みからウタスズメが歌っているのを聞く――オリット、オリット、オリット――チップ、チップ、チップ、チーチャー、――チー、ウィス、ウィス、ウィス。彼も氷を割る手つだいをしているのである。氷のふちの大きくのびる曲線は何と見事なものだろう! それは岸のそれとある程度まで呼応しているが一層規則的である。それは先頃のきびしい、しかし一時的の寒さのために異常に堅く、宮殿の床のように一面に波紋状のつやを帯びている。しかし風はその不透明な表面のうえを東にむかって空むなしく滑り、その先に出はずれてはじめて生きた水面に達する。この日の光りにひらめく水のリボン――内部の魚と岸の砂とのよろこびを語っているような愉しさと若さとにみちた池の素顔、ウグイの鱗うろこのように銀色をおびて、全体が一つの生きた魚のような水のかがやきを見るのはすばらしい。これが冬と春との対照である。死んでいたウォールデンが生きかえったのだ。しかし今年の春は、前にいったとおり、それはいつもより着々と解けたのである。 嵐と冬とから晴れやかでおだやかな気候への変化、暗くもの倦うい時間からかがやき、はずみのある時間への変化は、すべての物が宣告する記憶すべき危機である。それは結局は、見たところ瞬間的である。突然――夕方が近いのに、そして冬の雪がまだ垂れさがっているのに、そして軒には霙みぞれのような雨がしたたりおちているのに――光りのみなぎりがわたしの家をみたした。わたしは窓の外を見た、――見たまえ! 昨日まで冷たい灰色の氷のあったところに今は澄んだ池があった――すでに夏の夕べのようにおだやかに希望にみちて、そのふところに夏の夕空を映して――それは頭上には見えないのだが、池がどこか遠い地平と消息を交したかのごとく。わたしは遠くにコマドリを聞いた。それは何千年ぶりで聞いたものであり、これから何千年ものあいだ忘れられないような気がした。むかしながらのうつくしく力づよい歌であった。おお、ニューイングランドの夏の日の終わる夕方のコマドリよ! 彼がとまっている小枝を見いだすことができたら! わたしはその彼を、その小枝を意味するのだ。これは少なくとも単に Turdus migratorius の学名で代表される鳥ではないのだ。そんなに長いあいだうなだれていた、わたしの家のまわりのヤニマツや灌木カシは急にそれぞれの性格をとりもどし、雨によって十分に浄きよめられ元気づけられたように、より明るく、より緑に、そしてよりまっ直ぐに、より生き生きと見えた。わたしは雨がもうたしかにあがったことを知った。森のどの小枝を見ても、いや、薪の山を見てさえ、その冬が去ったかどうかがわかる。もっと暗くなってから、わたしは森のうえを低く飛びながら啼くガチョウの声におどろかされた。南の方の湖水から遅くたどりついた疲れた旅びとのように、そしてやっと心置きなく愚痴をこぼし、おたがいに慰めあうことができるといった態ていで。わたしは戸口に立ってかれらのせわしい羽ばたきを聞くことができた。かれらはわたしの家の方にむかって飛んできながら、突然わたしの灯を見つけると、抑えるような啼き声をたてて旋回し池に下り立った。わたしは家のなかにはいって戸を閉ざし、森のなかの最初の春の夜を過ごした。 翌朝、わたしは戸口から霧をとおして、五十ロッド沖あいの池の中ほどにガチョウどもが泳いでいるのをながめた。そんなに大きく、そしてしきりにさわぎ立てるのでウォールデンはかれらの遊楽のための人工の池かとおもわれた。けれどもわたしが岸まで出ると、かれらはたちまち、指揮官の合図のもとにおそろしい羽ばたきで舞いあがり、やがて隊列がととのうと、総数二十九羽がわたしの頭のうえを旋回し、それから指揮官の一定の間隔をおいた啼き声のもとにまっ直ぐカナダを指して飛んで往ってしまった。もっと泥ぶかい池で朝めしにありつけることを信じつつ。一隊のカモも同時に飛び立って、かれらのさわがしい従兄弟たちの後を追いながら北への道を取った。 それから一週間ばかり、霧のふかい朝々に、わたしは一羽の取のこされたガチョウが仲間をさがしもとめて輪をえがき、さぐりまわる啼き声で、自分のような大きな鳥はやしないきれない森につきまとっているのを聞いた。四月にはハトが小さな群をなしてすみやかに飛ぶのがふたたび見られ、そうこうするうちにイワツバメがわたしの伐採地のうえでさえずるのが聞かれた。村にはわたしのところにまで廻してよこすほどこの鳥がありあまっているようには見えなかったが。わたしは、これらの鳥は白人がこの地にやってくる前に木の洞うろに住んでいた特別な古い種族なのだと想像した。ほとんどこの土地でも亀と蛙はこの季節の先駆者であり伝令である。鳥は歌い羽をひらめかせて飛び、植物は芽ぐみ花咲き、風は吹いて、地軸のこの少しばかりの片寄りを訂正して自然の平衡を維持しようとつとめる。 四季は順々にわれわれにとっていちばん善いものに思われるもので、春の到来は「混沌」から「宇宙」が創成されたように、また「黄金時代」が実現されたように思われる――“Eurus ad Auroram, Nabathaeaque regna recessit,Persidaque, et radiis juga subdita matutinis.”「東風エウルスは、東のくに、ナバテアとペルシャに、朝の日ざしのもとの山なみにしりぞいた。………………………………人はうまれた。あらゆるものの造り主、より善き世の大元おおもとが彼を神の種より造ったのか、それとも、高い精気から近頃分たれた大地が同種である天の種子をもどしたのであろうか。」〔オヴィディウス『メタモルフォセス』よりの引用〕 ただひと雨で草は幾段も緑を増す。そのように、よりよい思想が流れこむとわれわれの前途の見込みはかがやく。もし、われわれが常に現在に生き、わがうえに降るごくささやかな露の影響もそっくり示す草のように、われわれのうえにふりかかるあらゆる偶然事を活用するならば、そして過ぎ去った機会をなおざりにしたことの償つぐないをするためにわれわれの時を過ごし、それが義務をはたすことだと呼ぶようなことをしないならば、われわれは祝福されるであろう。われわれはすでに春が来たのに冬のうちにさまよっている。こころよい春の朝のうちではすべての人の罪は赦される。このような日は悪徳に対する休戦である。そのような日がもえつづけるあいだは極重罪人も戻りうるのである。われわれ自身の恢復された無罪を通じてわれわれは隣人の無罪をも見わけることができる。われわれは昨日われわれの隣人を盗人として酔漢として肉欲者として知り、単に彼をあわれみさげすみ、世の中に絶望したかもしれない。しかしこの最初の春の朝、日は世界を再創造して明るく暖かく照り、われわれは彼が何かほがらかな仕事をしているのに出あい、いかに彼のつかれけがれた脈管がしずかな歓よろこびでふくらみ、新しい日を祝福し、幼年の無邪気さをもって春の影響を感じているかを見ては、すべての彼の罪科は忘れられてしまう。彼の身辺には善意の雰囲気がただよっているばかりでなく、たぶん新たにうまれた本能のように盲目的に非効果的にではあろうがかすかに神聖さの香りすら表現をもとめてまさぐりつつあり、しばらくのあいだは南の丘辺はいかなる野卑なざれごとをもこだまさせない。彼の節くれ立った外皮からは、無垢な、うるわしい新芽が、最も若い植物のようにやわらかく新鮮に萠えだして新たな一年の生活をこころみようと準備しているのが見られる。彼もまた彼の主なる神のよろこびに参入しているのである。なぜ牢番は彼の牢獄の戸を開けはなたないのか――なぜ判事は彼の事件を中止しないのか――なぜ説教師は彼の集いを解散しないのか! かれらは神がかれらにあたえる暗示にしたがわず、神がすべての者に惜しみなくさし出す赦ゆるしを受け入れないからである。「毎日、朝のおだやかなめぐみぶかい空気のなかではぐくまれる善への復帰は、人をして、善を愛し悪を憎む点においては、伐りたおされた森の木の新芽のように、人間の本性にいくらか近づかしめる。同じように一日のうちに人がなす悪は、ふたたび芽ぐみはじめた善の萠芽がそだつことをさまたげ、それをほろぼす。「善の萠芽がこのように何日となくそだつのをさまたげられると夕べの恵みぶかい空気もやがてそれを維持することができなくなる。夕べの空気がもはやそれを維持するに足らなくなると人間の本性はたちまち畜生のそれと多く異なるところのないものになる。人々はこの者の本性が畜生のそれと異ならないのを見て、彼は固有の理性のはたらきをはじめからもたなかったとかんがえる。それが人間の真の、そして自然の情であろうか?」「黄金時代ははじめに創られた、それは復讐者なくして、自然に、掟なくして、忠実と端正とをはぐくんだ。懲罰と恐怖とはなかった、そして人をおびえさせる言葉が、吊るされた真鍮板に、読まれることはなかったし、平ひれふす群衆が判官の言葉を恐れることもなく、復讐者なくして世は安全であった。未だ、山の上で伐りたおされた松が、見知らぬ世界を見るために海の波まではこばれたこともなく、人々はおのれの国の岸よりほかは知らなかった。………………………………そこにはとこしえの春があった、おだやかな西風ゼフュルスはあたたかいそよ風で種なくしてうまれた花をなぐさめた。」〔オヴィディウス『メタモルフォセス』よりの引用〕 四月二十九日、ナイン・エーカー・コーナー橋近くの河岸で、ジャコウネズミが潜んでいる、うごめく草と柳の根のうえに立って釣りをしていたとき、わたしは子供が指でもてあそぶ木片れのそれにいくらか似た、異様な音を聞いてふり仰ぐと、ヨタカに似た、非常にすらりとして優雅なタカが、さざ波のように飛ぶかと思うとまた一、二ロッドの距離を何度も何度もころげおち、日光のなかの繻子しゅすのリボンのように、あるいは貝殻の真珠色の内側のように光る翼の裏を示すのを見た。この光景はわたしに鷹狩りと、この遊びにむすびついたあらゆる高貴さと詩とを思いおこさせた。それは Merlin〔ハヤブサの類〕と呼んでよいものかと思われたが、名前は何でもかまわない。それはわたしが今までに見たことがないほど霊妙な飛びかたであった。蝶のように単に羽ばたくのではなく、さりとてもっと大きなタカのように飛びかけるのでもなく、空気の原のなかで誇らかな自信をもってたわむれるのである。その不思議な含み笑いとともにそれは何度も舞いあがり、そこから自由で美しい落下をくり返し、凧たこのように何回もまろびおち、それから、大地にはその足を一度も触れたことがないかのように、その大きな落下から舞いあがるのであった。それは宇宙間に仲間をもっていないように見えた――ただひとりそこであそんでいるようで――それがたわむれている朝とその精気とのほかには仲間はいらないようであった。それはさびしくはなく、かえってその下のすべての大地をさびしげに見せた。それを孵かえらせた親は、その身寄りは、天なるその父はどこにいるのだろうか? 空の居住人であるこの鳥は、いつか岩の割れ目において孵った卵によってのみ地とつながっているようである。あるいは、その生まれた巣は雲の一角に作られ、虹のふち飾りと夕焼けの空とで織られ、地上からすくいあげられたやわらかい真夏の靄もやで裏うちされたものであろうか? そのタカの巣は今どこかの雲の断崖である。 そのほかにわたしはひとさしの宝玉のように見える金色と銀色とかがやいた銅色との魚の、得がたいひと漁を獲た。ああ! わたしは多くの最初の春の日の朝、あの牧草地に踏みこみ、高みから高みに、柳の根から柳の根へと跳びわたった。そのとき自然のままの河谷と森とは、もし死者がある人々の想像するようにその墓場で眠っているのだったら、それを目醒ましたであろうほど浄らかで明るい光りをあびていた。これより強い、不死の証拠は不必要である。このような光りのなかではすべての物は生きているにちがいない。おお、死よ、なんじの刺とげはいずこにありしや? おお、墓場よ、しからば、なんじの勝利はいずこにありしや? われわれの村における生活は、それを囲む、人の踏みこまぬ森や草原がなかったならば沈滞することであろう。われわれは荒野の強壮薬を必要とする――時にゴイサギとバンとがひそむ沼をかちわたって、シギの太い啼き声を聞き、もっと野生的で孤独な鳥だけが巣をかけ、黒イタチが地面に腹をすり寄せて這うところで、そよぐ菅すげの香をかがなければならぬ。すべてのものを探索し学び知ろうと熱心になると同時に、われわれは、すべてのものが神秘であり、探索しがたいことを、陸地と海とが無限に野性的で、未踏査で、測り知れないが故に、われわれによって測量されずにあることを要求する。われわれは決して自然をこれで十分というほどもつことはできない。われわれは無限の活力のすがた、巨大な超人的な光景――難破船のうちあげられた海岸、生きている木、朽ちかかった木をもつ荒野、雷雲、三週間つづいて洪水を起こす雨――によって元気づけられねばならぬ。われわれはわれわれ自身の限界が超えられるのを、われわれが決してふみ入らないところで何かの生き物が悠々と草をはむのを見る必要がある。われわれはわれわれを嫌悪させ落胆させる死屍しかばねをハゲタカがついばんで、この食事から健康と力とを引き出すのを見て元気づけられる。わたしの家に往く道に馬の死んだのがあってわたしは時々廻り道をさせられたが、自然の強い食欲とやぶることのできない健康との保証をそれによって示されてわたしは埋め合せがされたのを感じた。わたしは自然がそんなに生き物にみたされていて、何万でも犠牲にされ、おたがいに取食うままにされる余裕があるのを見るのが好きだ――軟かい組織物が果肉のように平然と押しつぶされてほろぼされ――オタマジャクシがアオサギに呑みこまれ、カメだのヒキガエルだのが道路で轢ひきころされ、時には肉と血が降る! 事故はとかく起こりやすいものであることをかんがえて、われわれはいかにそれを軽くあしらうかを悟らねばならない。賢い人にあたえられた感銘は全般的の無罪である。毒は結局有毒でなく、いかなる傷も致命傷ではない。同情はきわめて支持しがたい拠点である。それはその場その場のものでなければならない。その訴えは定型化されるに堪たえないであろう。 五月のはじめには、カシ、ヒッコリー、カエデ、その他の木が池のまわりの松林のなかで芽ぐみはじめて風景に日の光りのような明るさをあたえ、特に曇った日には太陽が霧をとおして洩れて丘の斜面のそこここにかすかに照っているようであった。五月三日か四日かにわたしは池のなかにカイツブリを見、この月の第一週にはヨタカ、トビイロツグミ、ヴィーリ、モリオオルリ、チウインク、その他の小鳥を聞いた。モリツグミはずっと前に聞いた。フィービーはすでにふたたびやってきて、わたしの家が、自分がすむのに十分洞穴のようだかどうかを見るために戸口や窓からのぞきこんだ。爪をまげ、つばさをはためかせて身をささえ、宙にういているようにしてあたりの様子を見わたしたのである。まもなくヤニマツの硫黄のような花粉が、池や岸にそうた小石や朽ち木をおおい、ひと樽もひろいあつめられそうであった。これらは話に聞く「硫黄の雨」である。かくして、だんだん高くのびる草のあいだにはいりこむように季節はめぐって夏に入るのであった。 こうして森の中のわたしの最初の年の生活は終わった。第二年も似たようなものであった。わたしは一八四七年九月六日にウォールデンを引きはらった。[#改ページ]むすび 医者は病人には賢明にも空気と場所とを換えることを勧める。ありがたいことにこの土地ばかりが世界ではない。トチノキはニューイングランドには生えず、モノマネドリはここではめったに聞かれない。野生のガチョウはわれわれより世界人であって、彼はカナダで朝食をし、オハイオ河で昼食をとり、南部の大河の緩流バイユーで羽づくろいをして寝につく。野牛バイスンさえ、ある程度まで季節と歩調を合わせ、コロラド河の牧草地の草をはむのは、イェローストーン河畔の草が緑を増し甘さを増して彼を待つときまでである。だが、われわれはわれわれの農場の木柵が引き抜かれ、石の塀が立てられると、その後はわれわれの生活に限界が立てられ運命が決定されたと考える。じっさい、もし君が町の書記に選ばれると、君はこの夏はティエラ・デル・フエゴ〔南米の南端の島〕には往かれない。ただし、それにもかかわらず地獄の火の国には往くことになるかもしれない。宇宙はわれわれの視野よりも広大である。 けれどもわれわれは好奇心のある船客のようにわれわれの船の欄干からもっとしばしば眼をはなち、まいはだをむしってばかりいる愚かな水夫のように航海すべきではない。地球の他の半分はわれわれの通信者の住居であるにすぎない。われわれの航海はただ大きな円をえがく航海にすぎず、医者はただ皮膚病の処方をしてくれるだけである。人はキリンを猟するために南アフリカにいそぐが、たしかにそれは彼が心から追いたい獣ではない。じっさい、人はそうすることができても、いつまでキリンを追っかけていたいだろうか? シギやヤマシギも良い獲物でもあろうが、自分自身を射あてることはもっと高尚なあそびであろうとわたしは信じる――「君の眼を内に向けよ、しからば君の心のなかにまだ発見されなかった一千の地域を見出すであろう。そこを旅したまえ、そして自家の宇宙誌の大家となれ。」 アフリカは――西部はいったい何を意味するのか? われわれ自身の内部は海図のうえで白いままになっているではないか? もっとも、発見して見れば海岸地方のように、黒い、ということがわかるかもしれないが、われわれが発見せんとするものはナイル河の、ニジェール河の、ミシシッピ河の水源、あるいはこの大陸の北西航路であるのか? これらは人類にとって最も重大な問題なのだろうか? フランクリン〔サー・ジョン・フランクリン。北西航路を発見するために一八四五年に探険に出かけ行方不明となる〕は行方不明となった唯一の人で、その妻のみがそんなにやっきになって彼を見いだそうとしているべきなのだろうか? グリネル氏〔フランクリン捜索をした人〕は自分自身がどこにいるのか知っているだろうか? むしろ諸君自身の流れと大洋とのためのマンゴー・パークたり、ルーイスおよびクラークたり、フロビッシャー〔以上はみな探険家〕でありたまえ。諸君自身のもっと高い緯度の地帯を探険したまえ――もし必要なら、食いつなぐべき保存食肉を船につんで、そして目印しに空罐あきかんを山と積みたまえ。保存食肉は単に食肉を保存するために発明されたのだろうか? いや、諸君の内なるすべての新大陸と新世界とのためのコロンブスとなり、貿易のではなく思想の新しい航路を拓ひらきたまえ。すべての人は、それにくらべればロシア皇帝の地上の帝国も氷によってのこされた塚のようなちっぽけな国にすぎない王国の主人である。しかし自己に対する尊敬をもたない、小さいもののために大きいものを犠牲にする愛国者もいくらかはありうる。かれらはかれらの墓場になる土地を愛するが、今かれらの肉体に活力を与えうる精神に対しては何の同情ももたない。愛国心はかれらの頭のなかの蛆虫である。あのように仰々ぎょうぎょうしさと費用とをもってした南洋探険隊〔英国のサー・ジェームス・ローズが率いた一八三九―四三年の遠征〕の意味したことは結局、精神世界には、それに対して各人は自ら探険していない地峡であり入江であるところのいくつもの大陸と海とがあるという事実、しかしただひとり各個人の海、自己の実体の大西洋と太平洋とをさぐるよりは、五百人の成年と少年とともに政府の船に乗って寒気と嵐と喰人種とのあいだを幾千マイルも航海する方がやさしいという事実を間接に認めたことにすぎなかった――“Erret, et extremos alter scrutetur Iberos.Plus habet hic vitae, plus habet ille vitae.”「かれらをしてさまよい、遠きはてなるオーストラリア人を観察せしめよ、われは神をより多くもち、かれらは路をより多くもつ。」 ザンジバルの猫の数をかぞえるために世界を周航するのはやり甲斐のないことだ。しかし、他にもっと善いことができうるまではそれでさえやった方がよく、たぶん諸君はついに地球の内部に降りていくべき「シムスの穴」〔ジョン・シムス(一七八〇―一八二九年)は地球が中空で両極に穴があるという説を立てた〕を発見するかもしれない。イギリスとフランス、スペインとポルトガル、黄金海岸と奴隷海岸――すべてはこの各個人の海に接している。しかしそこからはいかなる船も陸地の見えないところまではあえて出航しない――それはうたがいもなくインドへの直通路であるのに。もし君がすべての国語を話しすべての国の慣習に倣うことをまなぼうと欲するなら、もしすべての旅行家よりも遠く旅し、すべての風土に住み馴れ、スフィンクスの謎を解いて彼女をして岩でその頭をくだかしめようと欲するなら、まさにいにしえの哲学者の教えにしたがって、「君自身を探りたまえ。」ここにおいては明らかな眼と強い勇気とが必要とされる。敗れた者、逃亡した者のみが戦争におもむく、脱走して兵籍に身を投じる臆病者たちだ。今ただちに最も遠い西の道に出発せよ。その道はミシシッピ河でも太平洋岸でもとどまらず、また陳腐になったシナまたは日本にむかってもみちびかず、この地球と直接の切線をなしてはてなくつづくのだ。夏も冬も、昼も夜も、日が落ち、月が落ち、ついには地球そのものが落ちてなくなるまで。 ミラボーは「社会の最も神聖な掟にわが身を公然たる反抗におくためにはどの程度の決意が必要かをたしかめるために」追いはぎを事とした。彼は「隊伍のなかで戦う兵士は追いはぎの半分の勇気も要しない」と、また「名誉と宗教とは十分考えた牢固たる決心の邪魔には決してならなかった」と公言した。これは世間なみにいえば男らしい言葉であるが、しかも、やけでないまでも無益なえらがりである。もっと健全正常な人間は、さらに神聖な法則にしたがうことによって、「最も神聖な社会の法則」と見なされているものに対し「公然たる反抗」にわが身が十分にしばしばおかれるのを見いだし、そうすることにより己れの道を逸それることなくして自分の決心を試みることになったであろう。それは社会に対してそのような態度を取ることではなくして、彼の本性の法則に随順することによって見いだされる態度を、それがいかなるものにもせよ、堅持することである。それは正しい政府――もし彼がたまたまそういう政府に出あうならば――に対しては決して反抗の態度とはならないであろう。 わたしは森にはいったのと同じぐらいもっともな理由があってそこを去った。どうも、わたしには生きるべき幾つかの別の生活があって、そこの生活にはこれ以上時間をさくことができないような気がしたからであろう。われわれが一つの特殊な筋道にどんなに容易に、そして知らず知らずのうちにはまりこみ、自らのために踏みならされた道をつくるかはおどろくほどである。わたしがそこに住んで一週間とはたたないうちにわたしの足は戸口から池のへりまで小道をつくった。そしてわたしがそれを踏んであるいた頃から五、六年にもなるがまだそれははっきり見わけられる。じっさい、他人もその道におちこみ、それもあって、今までその道がつづいたのではないかともわたしは恐れるのである。土地の表面はやわらかくて人の足によって印しがつけられる。心が旅する路もまた同様である。しからば、世界の公道はいかに踏みへらされ埃ほこりっぽくなっていることだろう――伝統と妥協との轍あとはいかにも深くなっているにちがいない! わたしは船室におさまって航行することを好まず、人生のマストの前、甲板の上にあることを欲した――そこでは山々のあいだの月光を最もよく見ることができたから。わたしは現在、下に降りていくことをのぞまない。 わたしはわたしの実験によって少なくともこういうことをまなんだ――もし人が自分の夢の方向に自信をもって進み、そして自分が想像した生活を生きようとつとめるならば、彼は平生には予想できなかったほどの成功に出あうであろう。彼は何物かを置去りにし、眼に見えない境界線を越えるであろう。新しい、普遍的な、より自由な法則が、彼の周囲と彼の内に確立されはじめるであろう。あるいは古い法則が拡大され、より自由な意味において彼の有利に解釈され、彼は存在のより高い秩序の認可をもって生きるであろう。彼が生活を単純化するにつれて、宇宙の法則はより少なく複雑に見え、孤独は孤独でなく、貧困は貧困でなく、弱さは弱さでなくなるであろう。もし君が空中の楼閣を築いたとしても、君の仕事は失敗するとはかぎらない。楼閣はそこにあるべきものなのだ。こんどは土台をその下に挿しこめばよい。 君のいうことを人が理解できるように君が話すことをイギリスなりアメリカなりが要求するのは馬鹿げたことだ。人間だって茸きのこだってそう簡単にそだつものではない。いかにもそれが重要なことであるかのごとく、かれらのほかには君を理解する者が十分ないかのごとき態度だ。あだかも自然はただ一つの理解の秩序しか支持できないかのごとく、四足獣と同時に鳥を、這う物とともに飛ぶものを容れえないかのごとく、ブライトが解しうる「しずかに!」と「誰?」とがいちばん良い英語であるかのごとくだ。安全は痴愚のうちにのみあるかのごとくだ。わたしはわたしの表現が十分に法外でないこと――わたしが確信する真理に相当するほど、わたしの日常的経験の狭い限界から十分に遠くさまよい出ないことを主としておそれているのである。法外! それはいかに人が囲われているかによって決する。別の緯度にある新しい牧草地をもとめて移住する野牛は、乳をしぼられるときに桶を蹴けたおし、牛置き場の柵をとび越え、自分の子牛のあとを追う牝牛ほどは法外ではない。わたしはどこかで限界なしに語りたいと思う――目醒めつつある人間が、目醒めつつある人々にするごとく。なぜならばわたしはわたしが真実な表現の基礎を置くためにさえ十分誇張できないことを信じているからである。ひとふしの音楽を聞いた人間は誰が、その以後永久に自分が法外に語りはしないかということをおそれたろうか? 未来、またはありうべきことを眼中において、われわれは前面においては全く放漫に漫然と生きるべきであり、われわれの輪郭はその側においてはぼんやり霞んだものにしておくべきである。ちょうどわれわれの影が日に向かってはとらえがたい蒸発を示すように。われわれの言葉の揮発性の真実は、残滓ざんしのような陳述の不備を絶えず曝露すべきである。真実はたちまちに転移して、字義だけの記念碑のみがあとに残る。われわれの信仰と敬虔を表現する言葉は明確ではない。しかしそれらは高級な性情にとっては意義ふかく乳香のように馨しいのである。 なぜいつもわれわれの最も鈍い知覚にまでさがっていって、それを常識としてほめたたえるのだろうか? 最も卑近な常識は眠っている人間の意識であり、かれらがいびきによって表現するものである。われわれはときどき、一倍半の知慧のあるものを半分の知慧しかない者ときめる傾きがあるが、それはわれわれがそういう人間の三分の一の知慧しか理解しないからである。ある人々はめずらしく早く起きると朝焼けの茜色あかねいろに難癖なんくせをつけるかもしれない。「カビール〔十五世紀のインドの神秘家〕の韻文は四つの相異なる意義――幻想・精神・知性・およびヴェーダの表向きの教義――をもっていると人々は称する」とわたしは聞いたが、世界のこの部分では人の書いたものが一つ以上の解釈をゆるすとなると苦情の理由になりうると考えられている。イギリスではジャガイモの腐れをふせごうとさわいでいるが、誰か、それよりももっとずっと広くそして致命的にはびこっている頭の腐れをなおす工夫くふうをする者はいないかしら? わたしはあいまいにまで到達しえたとは思わない。しかしこの点においてはウォールデンの氷についてそうされた以上に致命的な欠陥がわたしの書いたものに見出されないならば、わたしはそれを誇りとするであろう。南部の顧客はそれの純粋であることの証拠である青い色をにごっているとでも思って嫌い、白いが草の味がするケムブリッジの氷の方をえらんだ。人間がこのむ純粋さは地上をつつむ霧のようなもので、そのうえの蒼空の精気のようなものではない。 ある人々はわれわれアメリカ人、そして一般に近代人は、古代人――エリザベス時代人にくらべてさえ、知性的な小びとであるということをやかましくわれわれの耳にがなりたてる。が、それがどうだというのだろう。生きている犬は死んだライオンより良い。自分が小びとの種族に属するからといって、自分がなりうる最大の小びとになろうとしないで、首を縊くくるべきであろうか? 各人をして自分の仕事に意をそそぎ、彼が作られたものになろうとつとめしめよ。 なにゆえわれわれはむやみに成功をいそぎ、またそのように死にものぐるいな企てをしなくてはならないのか? 人が彼の仲間と歩調をともにしないとすれば、それはたぶんかれらとちがった太鼓手を聴いているからだ。人は、いかに遠くとも、またどんな調子のものであっても、自分の耳で聞く音楽に合わせて足をはこぶことだ。彼は林檎の木や樫の木と同じように早く成熟しなければならないということはない。彼は自分の春を夏にしなければならん、ということはない。われわれがそうあるように作られた諸条件がそなわらなければ、われわれが代用しうる現実が何の役に立とうか? われわれはむなしい現実の海で難船したくはない。われわれは骨を折って頭上に青ガラスの天を作るべきだろうか――それができあがったら、あだかもそんなものはないかのように、相かわらずはるかにその上のほんとうの、精気にみちた天を見つめるにちがいないのに。 クールーの町に完全を志した工匠がいた。ある日彼は杖をつくろうと思いたった。不完全な仕事においては一つの成分であるが完全な仕事のなかには時ははいりこまないことをかんがえて、彼は、それをあらゆる点で完全なものにしよう――たとえ生涯、他には何にもしないにしても、と心にちかった。不適当な材料でつくってはならないと決心したので、彼はさっそく材木をもとめるために森におもむいた。彼が一本一本さがしもとめてそれを斥しりぞけているあいだに、彼の友だちはそれぞれの仕事に老い死んで、しだいに彼から欠けおちたが、彼は少しも年寄りにならなかった。彼の目的と決心との純一さ、彼の高い敬虔は知らないうちに彼に永久の青春をあたえた。彼は時と妥協しなかったので、時は彼の道に差出ることをはばかり、彼を屈服することができないのでただ遠方でため息しているだけであった。彼があらゆる点から見て適当な材木を見つけだした前にクールーの町は白い廃墟となり、彼は塚の一つに坐って杖をけずりにかかった。彼がそれに適当な形をあたえた前にカンダハルの王朝は終りをつげ、彼はその杖の尖端で砂のうえにその一族の最後の者の名を書き、また仕事にとりかかった。彼が杖をけずってなめらかにし、みがきあげた時にはカルパ〔ブラフマの一日で人間の四十三億三千万年にあたる〕はもはや規準ではなかった。そして彼が石突きと宝石で飾られた杖の頭とをとりつけた前に、ブラフマ神は何度も眠りかつ目醒めた。だが、なぜわたしはこんなことをくどくどのべるのか? 彼の作品に仕上げのひと触れがあたえられると、それは忽然こつぜんとして、おどろく工匠の眼前にブラフマ神のすべての創造物中の最もうるわしいものとしてひろがった。彼は杖をつくることにおいて新しい天地、充実した、うるわしい均斉をもった世界を作り出したのだ。そしてそのうちにおいては、あとかたもなくなった古い町々や古いいくつかの王朝の代りにもっとうるわしくもっと光輝あるそれらが生まれたのであった。そして今、彼は足もとにまだ真新しくちらかっている削りかすの山によって、彼と彼の仕事にとっては、今までの時の経過は幻にすぎず、ブラフマ神の頭脳からのただ一つの閃きが人間の頭脳の引火奴ほくちに落ちて燃えつくに要する時だけしか経過しなかったことを悟った。材料は純粋であり、彼の技術は純粋であった。どうしてその結果が驚異であらざるをえようか? われわれが事物にあたえることのできるいかなる表面も、結局は真実ほどよくわれわれを支持してはくれない。これのみが長持ちするものだ。概してわれわれはわれわれの在るところに在らず、いつわりの立場にある。われわれの本性の弱さからして、われわれは一つの場合を想像しわれわれをそのなかにはめこむ。したがって同時に二つの場合においてある。それだからそこから抜け出ることは二重に困難である。正気の瞬間においてはわれわれはただ事実のみを、ありのままの事情のみを注目する。世間体せけんていから見て君がいわねばならないことではなく、君のいいたいことをいえ。どんな真実でも見せかけよりはまさる。鋳掛屋いかけやのトム・ハイドは絞首台に立って、何かいいたいことはないか、と、訊きかれた。彼はいった、「裁縫師たちに、最初のひと針を縫うまえにその糸に結び玉をつけることを忘れるな、といってくれ。」彼の仲間のお祈りは忘れられた。 君の生活がいかに賤しくてもそれにまともにぶつかり、それを生きよ。それを避けたり、悪口いったりするな。それは君自身ほどは悪くない。それは君が最も富んでいるときに最も貧弱に見える。あら探し屋は天国においてもあらを探す。貧しくとも君の生活を愛したまえ。君はたぶん救貧院においてさえ、何か愉しく、心を躍らす、かがやかしいときをもつことであろう。入日は富んだ人の邸宅からと同じくかがやかしく養育院の窓からも反映される。春になればその戸口の前の雪は同じく早く溶ける。悠々たる心はそこにおいても宮殿におけると同じく満足して生き、同じく愉快な思いをもつことができないという理由はあるまい。町の窮民は往々にしていちばん独立的な生活をしているとわたしは思う。ことによるとかれらは単にためらわずに物を貰うことができるほど偉大なのかもしれぬ。たいがいの人間は町によって扶助されるのをいさぎよしとはしないのだとかんがえているが、かれらはそれよりもっと不名誉なことである、不正な手段によって自らを扶助せざるをえないことが多いのだ。賢人らしく、菜園の野菜のように君の貧困をたがやせ。衣服でも友人でも新しいものを手に入れようとあせるな。古いものに向かえ、それに戻れ。事物は変わらない、変わるのはわれわれだ。君の着物を売りとばせ、そして君の思想をとって置きたまえ。神は君が交友に不自由しないように計らうだろう。もしわたしが蜘蛛くものように終日屋根裏部屋の一隅に閉じこめられるとしても、わたしの思想さえ失わなければ世界はすこしもその広さを減じはしない。哲人はいった、「三軍もその帥をうばうべし、匹夫ひっぷもその志こころざしをうばうべからず。」そんなにやきもきと進歩発達をもとめ、多くの勢力に翻弄されるべく身をまかせるな。それはすべて放蕩である。謙遜は暗黒と同じく、天のもろもろの光りをあらわし示す。貧困と卑賤の蔭は身のまわりをとざすが、「しかも見よ! 宇宙はわれらの視野に展ひらけゆく!」クロイソスの富をあたえられてもわれわれの目的はやはり元どおりであり、手段も本質的には元どおりであることをわれわれはしばしば思い知らされる。のみならず、人はその貧しさによって活動範囲を局限されれば――たとえば書物や新聞が買えないというように――それは最も意義ふかい重要な経験にかぎられることにすぎない。彼は最も多くの糖分、最も多くの澱粉をあたえる材料を相手にせざるをえない立場におかれるのだ。それは、骨に近い、最も美味な肉の部分の生活なのだ。彼はむだなくらしをすることからふせがれる。低い水準に身をおいても高い水準の精神生活をもつことによって何ぴとも損をすることはない。余分な富は余分なものをしか買うことができない。金銭は魂の一つの必要物を買うにも入用でない。 わたしは鉛の壁をめぐらした一隅に住んでいるが、その成分には鐘をつくる合金がすこしばかりまざっている。そして時折り、わたしが昼やすみをしていると外の世界からチャランチャランというもつれた音がわたしの耳にとどく。それはわたしの同時代者たちの物音だ。わたしの隣人たちは有名な紳士淑女との重要事件、かれらがどんなえらい人たちと正餐せいさんの食卓で出会ったかをわたしに話す。しかしわたしはそんな話には『デーリー・メール紙』の内容以上には興味がもてない。かれらの関心と会話とは主として衣服や風俗についてである。しかもどういうふうに装うとも鵞鳥は鵞鳥以上の何物でもない。かれらはカリフォルニアやテクサスの話、英国やインドの話、ジョージアまたはマサチュセッツの何某閣下の話など、すべてその場かぎりでたちまち過ぎさる現象を語り、わたしはやがてマムルークの騎兵隊長のように彼等の中庭から跳んで逃げだしたくなってしまう。わたしはわたしの立場に帰ってほっとする――人目につくところで、はでな見せびらかしの行列でねり歩くのではなく、できるならこの宇宙の創作者とともに歩きたい――この落ちつかない、神経質な、せわしない、こせこせした十九世紀に生きるのではなく、それが過ぎていくのを見ながら考えぶかく立ち、または坐っていたいのだ。人々は何を祝っているのだろうか? みんな準備委員会に加わって一時間ごとに誰かの演説を待っている。神は当日の会長にすぎず、ウェブスターが彼の代弁者なのだ。わたしはわたしを最も強く最も正当に引きつけるものを量り、それを解決し、そっちの方に引寄せられたいのだ――秤桿はかりざおにぶらさがって目方を軽くすることはしたくない――事実を仮想するのではなく実在する事物を受取りたいのだ。わたしの往きうる、そこではいかなる権力もわたしに刃向うことのできない唯一つの道を行きたいのだ。確乎たる土台を手に入れるまではアーチを築きはじめる気になれないのだ。薄氷のうえのダンスはやめようではないか。どこにだってしっかりした根底はあるのだ。旅行者が少年にむかって、ここの沼の底は堅いかどうか、と問いかけた話がある。少年は、堅い、と答えた。けれども、やがて馬は腹帯のところまで沈みかけたので彼は少年にいった、「君はこの沼の底は堅いといったのじゃなかったのかね。」少年は答えた、「堅いんですよ、だけれど、おじさんはまだ半分までもいかないのです。」世の中の沼や流砂もこのとおりである。けれどもそれを知っているのは達人のみである。ある、めったにえられない好機に、考えられ、いわれ、なされたことのみが価値をもつ。愚かにもただの木舞いや漆喰に釘を打ちこむ者になりたくない。そのような所為は夜わたしを寝つかさないであろう。わたしに金槌をあたえ、壁の骨組みをさぐらせてくれ。パテをあてにすることはできない。釘を十分に打ちこみ、それを入念に締めつけ、夜なかに目が醒めたとき自分のした仕事を満足をもって思い出せるようにしたいものだ。それはそのために詩神ミューズを呼びよせてもはずかしくない仕事だ。こうあってこそはじめて神もわれわれを助けるであろう。打ちこまれる一つ一つの釘は宇宙の機械の鋲であるべきであって、われわれがそれをはたらかすのである。 愛よりも、金銭よりも、名誉よりも、むしろわたしに真実をあたえてもらいたい。わたしは結構な料理と酒がふんだんにあり追従的な客の居ならぶ、しかし誠実と真実とは見あたらない食卓につらなった。わたしは冷ややかな食卓から餓えをいだいて立去った。款待かんたいは氷のようにつめたかった。かれらを冷やすために氷の入用はないとわたしは思った。かれらは酒の年代や製造元の名声についてわたしに語った。しかしわたしはかれらが手に入れられず、買うことのできない、もっと光栄ある製造元の、もっと古い、もっと新しい、もっと純な酒のことを考えた。その様式、その家と庭と「接待」とはわたしにとっては何物でもない。わたしは王を訪れたが彼はわたしを控室で待たせ、客もてなしの能のない人間のごとくふるまった。わたしの近所には木の洞うろに住んでいる人間がいた。彼の態度は真に王者のふうがあった。わたしはむしろ彼をおとずれた方がよかった。 いつまでわれわれはわれわれの玄関に坐りこみ、何でも実地の仕事をして見ればたちまちぼろを出すような、たあいない黴かびくさい美徳をおこなわなければならないのか? あだかも長々しい苦労で一日をはじめ、ジャガイモ畠の草取りをするために人を雇わなければならないかのように。そして午後には出かけていって前もって思案をめぐらした殊勝さでクリスチャンの柔和と慈善とをおこなう! 人間のシナ的高慢と停滞した自己満足とを思ってみよ。今の世代は立派な系統の当主であるということを自ら祝う傾きが少々ありすぎる。そしてボストンやロンドンやパリやローマにおいて、その長い伝統をかんがえて、得意になって芸術・文学におけるその進歩を語っている。そこには哲学協会の記録があり「えらい人々」の公けの頌ほめたたえがある! それは善人アダムが自らの善に見入っている図である。「そうだ、われわれは偉大な仕事をし、神々しい歌を歌った。それらは決してほろびないだろう。」――だが、それはわれわれが覚えていられるかぎりの話だ。アッシリアの学会とえらい人々――それらは今どこにあるか? われわれは何という若い哲学者であり実験家であることだろう! わが読者諸君のうち誰ひとり人間の全生涯を生き終えた人はいないのだ。今は民族の生活における春の季節にすぎないのかもしれない。われわれは「七年間つづく疥癬かいせん」はわずらったかもしれないが、まだコンコードにおいては「十七年間生きる蝉」は見たことがない。われわれは自分たちが生きている地球のほんの薄皮を知っているだけだ。たいがいの人間は地面から六フィートの深さまでも掘ったことがなく、それだけの高さを跳んだこともない。われわれはどこにいるのだか見当がつかない。おまけにわれわれの時間のほとんど半分はぐっすり眠りこけているのだ。しかもわれわれは自らを賢いと思いこみ、地上に一定の秩序をたてている。まことにわれわれは深遠な思想家であり、われわれは大望ある魂である! わたしが、森の地面に散り敷いた松の針のなかを這はいながらわたしの視野からかくれ去ろうともがいている虫を見おろして立ち、どうしてそれがそういったちっぽけな考えをいだき、次第によっては彼の恩人となり彼の同族に何かよろこばしい知らせをあたえるかもしれない、このわたしからその頭を隠そうとするのかを自らに問うとき、わたしは人間という虫であるわたしのうえに立っている、より大きな「恩人」と「知慧」とに思い到るのである。 世界には新奇なものの絶えまない流入があるのに、しかもわれわれは信ぜられないほどの退屈さを我慢する。わたしはただ、最も進歩した国々においてさえ、どんな種類の説教がまだ耳傾けられているかを指摘しさえすればよい。そこには喜びとか悲しみとかいう言葉はある。しかしそれらは鼻にかかった声で歌われる讃美歌の折返しにすぎず、実はわれわれはありふれたもの、卑俗なものを信仰しているのだ。われわれはただ上に着る衣服だけを取りかえることができると思っているのだ。英帝国はたいへん大きな立派な国であり、合衆国は第一流の強国であるといわれている。われわれは、めいめいうしろに、もし各人がそれを自分の心に汲み入れさえすれば、英帝国を芥のようにただよわすことのできる大きな潮が満ち干していることを信じない。どんな種類の、十七年生きる蝉が次には地中からあらわれるか、誰が予測できよう? わたしの住んでいる世界の政府は、英国のそれのように一杯やりながらの正餐せいさん後の会談ででっちあげられたものではないのだ。 われわれの内にある生命は河の水のようなものである。それは今年はかつて誰も覚えがないほど水嵩みずかさがまし、乾いた高地を水びたしにするかもしれない。この今年が特別の年となり、すべてのジャコウネズミを溺おぼらしてしまうかもしれない。われわれの住んでいるところはむかしから乾いた陸地だったわけではない。科学がその洪水を記録しはじめない前、水の流れが洗った岸を、ずっと内陸の場所にわたしは見うける。ニューイングランドじゅうにひろまっている次のような話は誰でも聞いたことがあるだろう――はじめはコネティカット州、後にはマサチュセッツ州の一農家の台所に六十年間置いてあった林檎の木の古テーブルの乾いた袖板から、その上に重なった幾つもの年輪をかぞえてみると、それよりもっと長年前その木が生きていた時分に産みおとされた卵から丈夫な美しい虫が生まれ出た。たぶんコーヒー沸しの熱にでもあたためられて孵かえったのであろうが、その虫が板をカリカリ嚼かじって出ようとしているのは数週間前から聞かれていた。この話を聞いて復活と不死とに対する自分の信念が強められるのを感じない人間があろうか。その卵は最初緑なす生きた木の白木質に生みつけられ、その木が次第にそのままの格好の枯れ切った残骸に変わってしまうまで、長年のあいだ社会の死んだような乾燥した生活のなかで多くの木質の年輪層に閉じこめられていた――この数年は一家の者がたのしい食卓のまわりに坐ったときに、外に出ようとするカリカリ嚼る音をたててみんなをおどろかしたこともたぶんあったろうが――どんな美しく翅はねある生命が、世上に最もありふれたお祝いの貰い物の家具のただなかから思いもかけず立ちあらわれて、ついにその申し分のない夏の日の生活をたのしむということがないでもない! わたしはジョンなりジョナサンなりがこの間の消息を解しうるとはいわない。しかしながら、単なる時の経過では決して曙あけさせることのできない、あの朝の性格はこのようなものなのだ。われわれの眼を盲めしいさす光りは、われわれにとっては闇にすぎない。それに対してわれわれが目醒めうる日のみが曙けるのだ。さらに新たな日が曙けんとしている。太陽は夜明けの明星にすぎない。底本:「森の生活」岩波文庫、岩波書店 1979(昭和54)年5月16日改版第1刷発行 1994(平成6)年11月15日第30刷発行※「註文」と「注文」、「痩」と「瘠」の混在は、底本通りです。※ページを参照している箇所は、該当する見出しを記載しました。入力:Cavediver校正:砂場清隆2019年6月28日作成青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。●表記についてこのファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。[#…]は、入力者による注を表す記号です。「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。アクセント符号付きラテン文字は、画像化して埋め込みました。この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。鋭アクセント付きι、U+1F77 378-1鋭アクセント付きο、U+1F79 378-2ヘンリー・デイヴィッド・ソロー - Wikipediaウォールデン 森の生活 - Wikipediaソーロー Henry David Thoreau 神吉三郎訳 森の生活――ウォールデン―― WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS2025-11-15-walden-orife-in-the-woods-by-henry-david-thoreau-├森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之(その1) | 「計量計測データバンク」ニュース - 楽天ブログ├森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之(その2) | 「計量計測データバンク」ニュース - 楽天ブログ├森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之(その3) | 「計量計測データバンク」ニュース - 楽天ブログ├森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之(その4) | 「計量計測データバンク」ニュース - 楽天ブログ├森の生活―ウォールデン― ソーロー著(神吉三郎訳)とその解説 森夏之(その5-1-) | 「計量計測データバンク」ニュース - 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