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潮騒の唄を聴きながら…

★No020025 青き頃の大罪(前篇)

☆☆☆ 白木蓮の如き君なりき (始まりは心の弱さから)☆☆☆

前・後篇に亘る長文の精神的呪縛から解放されたくて綴る「独りごとコラム」です。
自虐的で暗い内容の呟きのため、躊躇される方はこの先には進まずお戻り下さい m(__)m



                        (軈て;やがて)
                                  = 高月芙蓉 =


誰しも ひとつ や ふたつ
   忘れたくても 忘れられず
      消したくても 消し切れない
                闇過去ぐらいある・・・


『青き罪 蝉殻にさえ 目をそらす』
  
                                  = トンボ =



















人生年表 半世紀ほど遡った春の頃・・・

描いた近未来の職業に繋がりもしないのに ただ周りに流され不本意なままで地元県立高校に入学して間もない四月半ば・・・
居間で親の会話を何気なしに立ち聞きし…いずれの後に本家へ養子入りする己の運命を知る。

北アルプスの山並みに囲まれた生家の職業はご当地では珍しい酪農家の四人兄弟で歳の離れた末っ子に生まれた自分。
好き勝手ができるのも残りの数年だけ。やがて独り立ちし自分の城を築かなければならない。この地で生を受けた長男以外は皆知ってる未来図である。

さして勉強好きでもなく成績は可も不可もなく平凡でもあり、最初から上(大学)を目指す県内進学高校の選択肢はなかった。
志望校は普通科ではなく、手っ取り早く将来職が見つかりそうな隣市県立U工業高だったが…晩秋の二者面談で担任に地元高校全日制農業科を勧められた。
ここなら今の学力で十分に合格するの口調に…苛立っとして 馬鹿にしてんの?! それに長男でもないし。 そう思ったが口ごたえはしなかった。
勧められた課程卒業後にある農業職に就く気もなく、話が長引き個性の強い担任が苦手で聞き流し終わらせた。
その頃は色々な資格さえ取れば多方面の職業が選択できると思ってた自分。
しかし、見えないところで大人等の思惑が動き、理不尽な十字架を背負わされていたのかも知れない。

過去帳を辿ってみても本家は総本家旧家ではないものの それなりの家歴があり、大きな屋敷や田畑を所有する専業農家。
当時家長の伯父に子は二人(従兄、従姉)いたが、従姉は自分がまだ小学生の頃に隣町に嫁ぎ、伯父亡き後、継承家長の従兄は子は授からなかった。
今にして思えば、分家末っ子の分際で何故に自分だけ名前に本家長子名の一文字を貰い受けていたのか…理解できた。
(命名は本家大爺。兄等は実父の長子名一文字が付く)
未だに封建的で縦社会の風潮のある地方。本家に万が一、何かあったらの代替的な存在が自分だったのかも知れない。


ワクワク感も湧かない学園生活は、日が経つにつれて陰に籠る様になった15の春。
男ばかりのクラスの雰囲気にも馴染めずにいた六月に入って間もない頃…クラスのN沢と言う奴に昼休み時間に屋上まで来る様に言われた。
隣町中卒で馴染みもないし話したこともないのに何の用? 不安げに行ったら…彼女の紹介!? 告げられた名前に心当たりはなかった。

県立地元高校は農業高校として大正11年に創立。昭和23年 高校再編成により総合制高等学校になり全日制普通科、農業科(男)、生活科(女)と定時制農業科(男女共学)の四学科開設。他では定時制夜間普通科もあったが、現在では定時制課程は廃科となり全日制男女共の普通科、農業科だけである。
町の地場産業には大手紡績会社の大規模施設工場があり、全国から就いた職工さんは昼間は工場就労、夜間は定時制普通科で学ぶ勤労学生が多かった。
これの逆で何か家庭や個人の都合で昼間に週に数回登校し四年間学ぶ定時制農業科がある。
その人は定時制 昼間農業科に席を置く自分とは同学年で、N沢とは隣町中学の同級生らしい。


恋患い。記憶にあるのは中学一年に偶々 席を並べた隣りの子に淡い恋心を抱いたぐらいの免疫なし無感染者。
なので興味がないと言えば嘘になる。どんな人か気になり隣町中卒業アルバムを見せてもらった。


『花の色は移りにけり ないたづらに 我が身世に ふるながめせし間に』        
                              小野 小町

季節は梅雨の長雨・・・無駄に通う授業中に見たアルバム写真のその人は色白で透明感のある淑やかな ”面長の一重で切れ長の瞳” 。
内気で大人しそうで自ら告白してくる様な人には見えなかった。それがその人の第一印象だった。
いち面識もないのにどうして自分のことを知っているのか不思議だったが、そんなことN沢には聞けなかった。

定時制夜間普通科の授業は全日制普通科教室を夜間供用使用しており、机の引き出しに手紙とかメモが残されてることもあり
昼間~夜間生徒同士の交際もあるとか言う恋話を聞いたこともあるにはあったが…
自分が席を置く全日制男子農業科は隣の生活科(女子農業科の様なもの)との合同授業はあるが
その人が通う定時制農業科との合同授業もなく、校舎も離れているので知合う切欠はなかった。
もしやと思い、運動部・文化部の所属部員名簿を調べたがその人の名はなかった。
やっぱ何んかの間違いじゃ・・・? 人違じゃ・・・? 本当に自分か・・・? 

さして気も進まないのに ”取り次いでくれたN沢への遠慮”や ”女の方か声掛けしてくれた余計な要らん気使い” で即断せず、
”憂鬱な学園生活”から逃げ出したくて、これまで生きてきて知る由もなかった女友達って…一体どんなもの?
”最後の学園生活での女友達は…有りか 無しか” の身勝手な少し浮ついた気持ちも抑えきれず、何日か考えてからN沢にOK返事をした。
決して誰でも良かった訳じゃないが…当時の取り巻き環境からの逃避には渡りに船だったのかもしれない。

言われてから翌週、下校時に教えられたその人の生家も近い下〇新 丘陵で待つその人に名前・住所・電話番号を書いた紙片を手渡した。
当時、学生等の間で交換日記とか文通が流行ってて、文通ぐらいならと軽い気持ちで始めた付き合い。

後に知ったこと…その人が望んていたのは子供染みた文通じゃなく、ちゃんとした男女交際だった。如何に己の考えが幼かったことか。
抱えてる本家養子問題の解決が先なのに、器用でもないくせに 後悔先に立たず…最初にハッキリと断るべきだった。
男女交際のもつ意味も解らず、単なる女友達で学園ドラマで見た有りがちな 青春の一頁の様な出来事と軽い気持ちでいた。
まさかこの時、その人に振り回され 翻弄され、心に罪悪感を隠しながら長き人生路を辿ろうとは思ってもいなかった。



実は人からの物事を頼まれると、はっきり断れない 外面の良い優柔不断な嫌な性格で、養子縁組で悩んでなくとも断ってなかったかもしれない。
付き合うと言っても週に一度、手紙のやり取りをするぐらい…、端から校内は勿論のこと校外でも会わないつもりでいた。


幼馴染の親友宅で恋話で盛り上がったりすると、話の輪に入り自分も彼女が欲しい~など言い
真に受けた奴から彼女を紹介されたり、合同授業で貸した教科書ページに”付き合って”と走り書きされたこともあったが、
何かにと理屈を言って 事が進まない様にして逃げ、既にその人が居ることを口実に断ることはしなかった。
二人の付き合いを知っていたのは四人(当事者二人とその人の幼馴染、取り次いだN沢)ぐらいだったと思う。

在学中の三年間。皆がする誕生日やクリスマスのプレゼントを一度として渡さなかったし、貰うこともしなかった。
(誕生月は確か自分より数ヶ月ほど早かった気がするが思い出せない…そんな程度のものだった)
何かの拍子に噂で親元や本家の知る所となり、学校を辞めさせられ大人の監視下に置かれてしまうことを恐れた。
それ以上に恐れたのは…やがて訪れる別れ(卒業)の時に自身が傷つくのが怖くて、気持ちにブレーキを掛けながら付き合いが始まった。












= 北アルプスの山並みに囲まれた故郷全景(黒部扇状台地) =
上部左側;白馬岳、上部右側;立山連峰
中央上部山間;宇奈月温泉郷と黒部渓谷
中央左側、中央上部;二人の故郷生家
中央下部;田園風景三方が囲まれ日本海に
面した小さな故郷の街、入り口に学び舎
中央上部~右側下部;黒部渓谷から日本海に流れ込む黒部川


数回、手紙のやり取りを初めて間もない頃(もう夏休みに入っていた)突然、家に自転車に乗った客人がやって来た。
牛舎内作業をしていた義姉(兄嫁)が慌てた様子で部屋にいた自分を呼びに来た。玄関先に立つ人を見て驚いた! 何と言うことだ その人じゃないか…。
母親は目を丸くしてこちらを見てた。そりゃそうだよな。酪農家の男四人兄弟じゃ彼女など居ず、ましてや家に呼ぶはずもない。
一番驚いたのは自分。会話は手紙でのやり取りだけ、初めて会うのが自分ちだなんて。それも事前連絡なしで来るなんて…あり得ない!
もし、自分が居なかったら親等に” ◯◯ さんと付き合ってる ◇◇ です”とでも、言うんだろうか…危ない 危ない(怖)
そんな現実にたじろいでしまい その様な大胆行動する奴、もしかして危ない奴(ヤンキー)か…? と思ったりもした。
とんでもない人と関わったと後悔しても後の祭り、取り敢えずこの場を何とかしなければとパニック状態。

さて困った…町の連中等とは違い何処に行く? 近所に洒落た喫茶店もなければ、気の利いた静かな公園もない。
田園風景 真っただ中にある家の周りは、牧草牧場と田畑しかない酪農家だ。
これまで女の子と二人っきりで話しとこもなく、どうして良いのか解らず頭の中が真っ白になった。


  墓の木公園            黒部渓谷宇奈月ダム 

自転車で数分行けば人もあまりやって来ない黒部川があり、河川敷内には「墓の木自然公園」もある。
そこから数十分も足を伸ばせば黒部渓谷があり自然豊かな静かなデートスポットがあるのに行く途中で誰かに見られるのではと考え、
気が動転していて とった行動は…玄関じゃなく、表引き戸を開けてその人を自分の部屋に入れた。外にはその人の靴が置かれたまんま(呆)。
自己紹介みたいな生い立ちや身の上話をして、幼少~中学までのアルバムを見せその場をどうにか取り繕った。
学習机に簡易ベット、壁に掛かる学生服。書棚に収められた教科書。さっきまで聴いていたビートルズのレコード盤が乱雑に散らばる殺伐とした男の部屋・・・
”ここが彼の部屋なんだ” 兄達が使い自分で最後の勉強部屋…母親しか入らない男部屋に女で入ったのはその人だけである。

人生で初めて単なる女生徒としてではなく、それなりに意識した人と二時間ほど話をした。
見た目は大人しそうだが、喋ってみたら 芯が強くて ぶれない考えを持ってる人…だった。
定時制農業科はひとクラスの生徒数は20人と少なく、普段は4日間登校し、農繁期は全休し、修学期間は四年と自分より一年間 長かった。
凡々と平日全日制課程に通う自分と違い、何らかの事情で定時制課程に通うその人はとても同い歳とは思えなかった。

ガラス箱の中の二人。その人が帰った後、牛舎から様子を見ていた母親からコソコソと会うのはダメと注意される。
彼女の方から訪ねて来たことと、直ぐに母親に紹介しなかったことがその人への心象を悪くしてしまう。
前もって付き合ってる彼女がいることを話しておくべきだった。(総てが自分に落ち度がある)

以降、その人の話題は外では勿論のこと、家でも口にせず、繋がっていた手紙も月に一度か二度しか書かなくなった。

偶にその人と校内の廊下などですれ違がっても、うつむき加減に頭を下げ 挨拶するのが目一杯。
通り過ぎ、背にその人の視線を感じながらも、振りかえることはしなかった。
放課後の部活中に校舎窓からこちらを見てることもあったが、後ろめたさから気づかぬ振りもした。

今にして思えば…本家や親への遅めの反抗期だったのかもしれない。その人には心も開かず訳も言わず巻き込んでしまった。
何ひとつ落ち度はないのに この先、二年にも亘り辛く寂しい思いをさせることになる。

そしてあっと言う間の二年・・・

味気ない日々が過ぎてあっと言う間に三年生。返事を途絶えさせてしまい、その人との手紙のやり取りはしなくなっていた。
正直言ってそれどころではなかった。タイムリミットはもう一年を切り焦っていた。
梅雨入りした頃だったかな…日々の行動は就職活動に明け暮れしていて、
今日の様なnet情報などなく、まさか学生の身分で職業安定所にも行けない。唯一頼りにしていたのは…、
情報源の進路担当教務室に入りびたりで、県外在籍会社を最優先で正直、職種は何でも良かった。

夏休み前、担任から東京の国営某通信業界から就職募集案内が来てることを知り 飛びついた。
内心、父親には猛反対されるのを覚悟の上で話したら…自分で決めたお堅い公務員なら と同意してくれたことに驚いた。
後に母親から聞いた話…『兄が分家で弟が本家じゃ 後々の付き合いも苦労する』と本家養子話に乗り気じゃなかった父親。
本家・分家の古いしきたりよりも子等のこの先の絆を大切にし、自分の我儘を黙認してくれた。
そんな無表情で寡黙な父親の愛情に、今も感謝の気持ちは忘れてはいない。

今夏休み中に普通課程の同学年生と共に上京し採用試験を受け、一次合格後に関連出先の金沢で身体検査を受け運良く内定を貰った。
残り学園生活の七ヶ月間は息を潜め 目立たず、賞罰なく 無事卒業することだけを考え過ごした。

そして迎えた三月上旬。卒業式の数日後、まだ学友等は名残り惜しむ日々を過ごす中、自分は一人 故郷の駅ホームにいた。
前の日、その人に連絡して駅で待ち合わせ、せめて学ラン第二ボタンだけでも渡そうかとも考えたが、
この二年間、無礼でいて終いだけ格好つけることなど許されず、ポケットに忍ばせただけ。
故郷の思い出も その人への想いも 駅舎待合所に残し置き 上野行き列車の飛び乗った。
”この学園生活三年間の闇歴史は忘れたい。振り返ることはない。もう消す。この町には戻らない”






遠距離恋愛…始めの年(十八歳)

自分が本家の快諾なく上京したことで本家の水稲仕事まで請け負うことになり、酪農と農業の兼業農家を強いられ、父と兄には苦労をかけてしまう。

数年後、どうにか本家に立寄ることを許される様になり・・・
帰省する際は上野駅で手土産(雷おこし)を買い、本家屋敷に立寄るのが当たり前になっていた。
「親の意に反して故郷を離れてしまって…」と、自分が勝手に決めたことで父・兄に責任はないといつも大婆に言い訳をする。
その度に大婆は『街の暮らし楽しんどいでぇ~ 気が済んだら戻っておいでぇ~ うちに入いるのはそれからでもいいんだよぉ~』と言うが…
自分は笑って誤魔化し、出してもらったお茶、茶菓子にも触れず お仏壇のご先祖様に挨拶だけして屋敷から逃げた。


話を少し戻して・・・
物事を冷静に考えられる様になったのは、上京して二ヶ月も過ぎたGW明けの六月。
振りかえれば本家との養子縁組話さえなければ、こうも面倒くさい性格にならなかった。
その人とも生涯に残る青春の思い出も 学友等との学園生活も楽しめたはず…。
思い出も沢山ある故郷は懐かしく、総てが恋しくて忘れることなどできない。
”二度と故郷には戻らない” 例え一時でもそう思った自分が情けない。親への感謝もその人への想いも忘れるところだった。
やはりこのままではいけない。男として心も傷みその人に手紙を書いた。

何故に心も開かず、自分から進んで会うこともせず、別れも言わずに故郷を離れたのか…
正直に具体的な(母親が二人の付き合いに反対だった。自分自身はその人が好きでもなく単なる友達と思い真剣さがなかった)ことは流石に書けなかったが、
二年余りにも亘る自分の所業 素行の悪さを唯々 心から詫び綴った。そして故郷を離れ素直な今の気持ちも追伸に残した。

あれだけつれなくしたのだから 返事どころか、手紙は読み捨てられてるかもしれない。たとえ返事を貰えたとしても
”二年も放っておき今更 謝られても無理!”  ”もうあなたのことなど何とも思ってない!” ぐらいは覚悟していた。
半月が過ぎ、やはり返事は貰えないか…と 諦めかけた頃に届いた手紙・・・

『どこの誰とも知れない私から恥ずかしくもなく、あなたに告白してしまったこと』
『会えない日々に自分を抑えきれず、衝動的にあなたの家を訪ねてしまったこと』
『軽率な私の行動であなたの家の方に、あなたにふさわしくない私と思われてしまったこと』
『そのせいで あなたからの返事も頂けなくなり、後悔の日々を過ごしたこと』
『あなたが卒業する日、在校生席でひと目もばからず嗚咽を上げて泣いたこと』
…等々

四つ折りの便箋に書かれた記憶にあるペン筆文字の 一言一行 が全て切なくて、胸に刺さった。

卑屈に心に被せ覆っていた殻が、その言葉の矢に”パキパキ”音をたてて割れて壊れて墜ちた。
何も話さず心を閉じてきた自分に総ての原因があるのに、付き合いよりも本家から離れることばかりを考えてた三年間の学園生活。

普通に付き合ってる間柄なら、相手の家族構成とか趣味や好みぐらいは共有してるものだが・・・
自分は何ひとつとして知らない(覚えていない)。その人も相談したり、話したいことも沢山あっただろうに。
ただただ 自分本位に無駄に三年の月日を費やしたことは、彼氏として最低だった。

折り返し手紙に 『これから遠距離になるけど 真剣に 真面目に付き合いたい』と一行だけ書いて投函した。


七ヶ月後…

故郷の立山連峰が白銀に着替えた頃。御用納めもそこそこに帰郷し実家に帰るや否や、初めてその人の家に電話をかける。
翌日(大晦日前日)の正午。ミゾレ降る中、約束した時間に町立図書館前で傘を差しその人は待っていた。

切欠はその人から声を掛けられて始まったものの…丸々三年もの空白年月を経て初めてのデート。
互いに顔を真面に見つめ合うのは…あの高一の夏休み、家に突然やって来た以来の二度目である。
こんな形が果たして付き合いと言えるかどうか分からないが…当人等の胸の内はハラハラものだった。
ぎこちなく挨拶してから小さな町に唯一ある娯楽施設 映画館に入った。館内の観客は疎らで、二階中央 後方席に着いた。
どうしていきなりの映画? 正直、その人の顔を正面から見れず、映画館なら薄暗く席も横だから動揺せずに済むと思った。

 放映していたのは「北国の街」と言う青春映画。
 映画のあらすじ~手織り織物の町として有名な越後十日町を舞台とした男女学生の純愛物語。
 春、上京し大学に進む女子学生(白血病)と、
 頭が良いのに進学せず地元に残り織物家業を継ぐ男子学生の悲恋もの。

 何 話すこともなくストーリーに引き込まれて見入り、時だけが流れていく・・・
 終焉も近くなり何ともなし隣りを見たら、
 スクリーンを見ることなく下を向いたまま泣いていた その人。

 「大丈夫?」 って声かけたら
 いきなり左肩に両手をあてがわれ 顔を伏せて嗚咽をあげ泣かれてしまう。
 映画ストーリーに感動して? と思った自分…
 そうではなかったことに この時は気づけなかった。

少し落ち着くまで館内に留まり、次に向かったのは、在学中に出入りしてた懐かしい喫茶 「ブルーマウンテン」。
在校生はこうした喫茶店への出入りは校則違反だが、自分等は悪友等と時間潰しに時々 使ってた たまり場。
その人はこう言う場所に入るのは初めてらしく、戸惑いながら自分の後に従い付いてきて
隅っこの薄暗いボックスシートに座る。マスターに注文したのはこの店で自分が少しだけ学び、コーヒー通ぶったブルーマウンテンコーヒー。

高い香りと仄かな甘みが特徴のブルーマウンテンコーヒーをひとくち 口に含み 初めて~こんなに深くて美味しいの って呟いたその人。
自分と言えば、これまでの空白歳月を埋め戻そうと、東京暮らし(昼 仕事、夜 夜学)の話をするが その人は頷き相槌をうつだけ、話題が広がらない…。
訳は解っている。 ”付き合う” と言っておきながら、どうして三年間余りも放っておかれてたか知りたいのだろう。
今更、二人には関係のない 封建的な十字架話(本家養子縁組み) を口にしたところで、言い訳にしかならないが、もう隠し事はしない。腹を括った。

言葉を選びながら しどろもどろで話す。そんな自分の口元をじっと見つめてたその人。


入学直後の環境変化と、大人の身勝手な養子話で心が一番揺れてた時期に代志に声掛けられ・・・
 「気持ちにゆとりはなかったのに、唯々 現状から逃げたくて付き合いをOKした」
疎遠の切欠となったのは あの出来事・・・
 「家に訪ねて来たことで 二人が付き合ってることが親に知られ、代志のことを根掘り葉掘り聞かれ」
何よりも我慢が出来なかったのは・・・
 「どうして定時制の子と付き合うのか しつこく聞かれ、母親の差別発言に言葉を失くした。全日制の子なら誰でもいいのかと、初めて口答えしてしまった」
どの様な思いをして家を訪ねて来たか…、またどんな事情により定時制課程に通うのかも知りもせず、母親が反対したことに失望した。

ならばと有り得ない人間性を疑う行動を起こした・・・
 「もっと反対され様と 普通課程の足の悪い女生徒と付き合おうとして、中学時代の女友達が仲立ちしてくれるも…当然、断られて恥を掻いただけだった」
仕方なく隣りのクラスとの合同授業で・・・
 「誰でも良いから付き合って、本家ともども愛想をつかれよう考えたが…」「そんなことしても心のわだかまりは消えず、前より増して後ろめたさが残った」
そんな無茶苦茶な素行に普段は何も言わない兄まで・・・
 「本家の手前、軽率な行動は慎むように注意された」
そして一番のショックだったのは、翌年の二年生になった晩夏に・・・
 「弟の様にいつも相談相手になってくれた身重の義姉が不慮の事故で他界し、家でも独りぽっちと思い込み、総てに消極的になった」

で、出した答えは・・・
 「本家への養子入りは勿論、古い封建風習の残るこの町が嫌になり、県外就職先を見つけ ここを離れると決めた」
 「本家に知られず、波風立てず、賞罰もなく卒業するため、代志のことを後回しにしてしまった」こと等々を話した。


これまで知り得ることも叶わなかった様々な出来事を聞き、絡んでいた心の中の糸が解きほぐされたが…しかし
未だにこの一部の地区に残る封建的で時代遅れの家風と世間体を気に嫌な部分を知ることになり、瞳を伏せて身体を揺らし動揺しだしたその人。

あの三年間、悩み続けてた養子話とか、既に悟ってるであろう二人の付き合いを母親が反対してたことは口にしても良いのだろうが…
定時制がどうとか、学歴がどうとか、古い年寄りのしきたり等は口にすべきじゃなかった!! そんな差別的なことを言って何になる!!
馬鹿正直に言えば良いってもんじゃない・・・しかし、遅かった。

うつむいていた瞳から溢れた涙が頬を伝い、膝に落ちて薄藍色スカートに濃く滲み広がっていくのに
それでも涙を拭おうともせず、ハンカチを握りしめ肩を小刻みに震わせていた その人。
彼の家の人にそんな風に見られていたなんて…悲しかったのだろう。

自分が口火を切ったくせに…心が締め付けられ、可哀想で、愛おしくやるせなく辛かった。慌てて・・・
「決して代志のせいじゃなくて、これまで心を開かず、何も打明けてなかった俺が悪いんだ」
「本家には入らないしこの町にも住まない。もう誰の気兼ねもせず ひとりで生きていく。心を入れ返えて代志と東京でやり直したい」
”あの出会った頃の二人に戻って、やり直したい” ”初めに戻って、やり直したい”
 パニクリってしまい、繰り返し言う場違いなピエロ。
先んじて自らの考えを言わなず逃げてばかりの男だが、初めて自分からこの先どうしたいと口にした。

重苦しい時が流れ やがて すくっつと顔を上げ、瞳を真っ赤にさせながら
「私はもうあなたと出会ってます。四年前に戻らないで ここから今から あなたと また一緒に歩きたいです」

その時はその人の言った意味も深読みもせず、ただただその場を早く収めたくて 気だけが急ぎ ”わかった! わかった!”と手を広げてた気がする。

店内の客が二人だけだったこともあり、角に座る意味深な二人が気になるのか店マスターがチラチラ見てる。
神妙な会話を続ける二人には知る由もなく、これまで三年間の空白を補うかの様に二時間あまり過ごし、
ミゾレが雪に変わり街角には誰も居なくなった終バス時刻。来春、東京での再会を誓い駅前ロータリーで別れた。
この時、心の中のその人の存在は 恋人未満、好きな女友達ぐらいに思っていた。






遠距離恋愛…二年目(十九歳)

1968年 春、桜の蕾が膨らみ始めた頃。定時制課程に四年間通ったその人は、自分より一年後に卒業した。内定していたのは在京の繊維業界関連会社。
再会する日を心待ちにしていると…名古屋営業所に配属変えを知る。運命の悪戯か・・・。

よこした手紙に…『あの子 あんたのことを待ってるのやろ』『かわいそうに…』”あの子?”『ごめんね、母が言ってたの。あの子って あなたのことなの』
先に上京してた自分の事を気遣って、茶化した母娘の会話に見えるが、本当は行く末の娘のことを気遣っていたのだろう。
もしかしたら娘の恋(遠距離恋愛)は成就しないのでは?と母親は感じていたのかもしれない。
どうしてだか解らないが…何でもない会話文に思えるが、自分はそんな気がしたのを今も覚えている。


そして翌四月。19年間住み慣れた故郷を離れて名古屋で初めての一人生活を始めた。
もし、配属が当初のままならその人も自分も、人生の荒波に遭遇しても乗り越えて 互いに人生年表航路を漕ぎ進めていたと思う。
そして、この陰気臭い「独り言コラム」など書くこともなかったろう。


一足先に社会人になった自分の落ち着き先は、二番目の兄が用意してくれた勤め先まで30分の都心近郊の海浜地区の民間アパート。
四畳半ひと間の極狭部屋には風呂どころかトイレもない。家電もまだ付けておらず掛けるのは公衆電話、掛かるのは大家さん宅の呼び出し。

入社教育期間を終え、墨田地区統括に育成配属勤務となる。終業後、時間を持て余してると先輩等から遊び(酒、麻雀)に誘われる様になり、
断りの口実に某大学二部(九月入学、会社には届けを出し特待扱い)に通い始める。帰宅が22時半…ほぼ付き合いはしなかった。
その後、育成現場実習も修了して江戸川・小岩管内に転勤辞令が出て、スタッフ、上司にも恵まれて自分時間も空けられる様になる。

週末(土・日曜日)ともなれば近所の公衆電話BOXから、その人(会社女子寮のピンク電話)に掛けるのが習慣に…。
しかし、その人からは会社にも、アパートにも電話は掛かって来ることはなかった。
これまであれほど積極的だったのに…。もしかしたら自分の方から付き合いを申し込んだことで 安堵したのか…一度としてなかった。







勤めて二ケ月経った六月…

突然! 新幹線に乗り上京した。(事前に電話で会いたいとは言っていたが、でも自分はないその人の行動力には驚いた)
多分、頂いた給料を二ケ月分を貯めて、会いに来てくれたのだと思う。嬉しかった。
知らされていた東京駅新幹線到着ホーム停車位置で待ってると、ドアが開き明るいブルーのワンピースを纏う女性が降り、近づく…!? えっつ!!
校服や大人しい色合いの洋服を身に付けてた印象しかなかったが…初めて動揺し心が震える自分に気づいた。
これまで何処を見てきた? いや…何も見やしなかった。見かけても視線を反らし気づかないふりした。自分のことしか考えてこなかった。
それが…今更ながらに笑顔が素敵な可愛い女性であることに気づき、恥ずかしくて耳椨が赤くなる。

振りかえり見れば…突然、家に訪ねて来た時を除けば…思いやりのなさで泣かせてばかりきた。言葉足りずの心の冷たいダメな奴だ。

半年振りに会うその人は、前よりも増してハクモクレンの様に色白に思えた。
自分も雪国育ちのせいか色白の方だが その人の隣に並ぶと…色黒に見えるほど、その白さは きわだっていた。
”もしかして、何か病気に掛かってるのでは…?”(当時、雪国出身者に白血病発症確率が高いと言われてた)
この時の直感を大切にして、いつもその人を見守っていたならば、後に知る悲しみなど起こるはずがなかった。

 東京が初めてと言うので、
 丸の内出口から はとバスで都内観光地巡り を選んだ。
 浅草~銀座~皇居~東京タワー・・・
 見知らぬツアー客と共に半日ほどかけて都内の名所を巡る。
 皇居二重橋前で撮ったはとバスツアー記念写真
 整理したはずの古いアルバムに一枚だけ残っていた。

 嬉しそうに微笑むその人とは対照的に
 尖って小生意気そうに口を真一文字の青い頃の自分。
 初めて撮ったこの一枚の写真。
 最初で最後の唯一 二人が写った写真である。
 (本来ならモザイク処理するが せめてもの詫び…生写真)



楽しかった はとバスツアーも終え、東京駅に戻り「今夜の宿は?」って聞いたら・・・
「とってない」 の返事。「狭いけど俺んところのアパートに来る?」 って聞いたら、”コックリ”と首を振り微笑んだその人。
初めて恋人と一夜を共にするのか・・・最初からそのつもり? 何と言う大胆な行動をとる人なんだろう。

頭の中はパニック~!! 直ぐにアパートに帰ってもどう時間を過ごせば良いのか解らず落ち着かなくなる。
何とかして落ち着こうと思い、当時、二番目の兄夫婦も同町内に居たので夕刻に訪ねてその人を紹介することにした。
初対面の身内にもしかしたら嫌がるかなと思ったが…嫌がるどころか嬉しそうにしてくれたのを見て妙な緊張も薄まった。
この二番目の兄とは九つも歳が離れており、一つ屋根の下で暮らしたのは小学生の時まで、自分がどんな青春時代を過ごした知らない。(本家養子話も…)
なので学生時代の知合いが東京見物に来た…と言ったら素直に歓迎してくれた。しかし、帰り際 義姉に ”あの子、彼女でしょ!” とバレていた。(女の感は鋭い)

夕ご飯を御よばれした後にアパートに戻り、少し照れながら近くの銭湯へ出掛けた。「神田川」の唄みたいに手拭いぶら下げて…。
宵闇に紛れて 初めて腕組みして歩く帰り道。すれ違う人等には二人はどう見えたろう?
その際、背中まで伸びた艶黒髪が風に揺れて自分の頬に触れ、仄かに香るシャンプーの匂いに理性がぶっ飛びそうになる。

ひと組しかない布団の中で二人の将来とか自分の夢とか、夜遅くまで語り合った。
そして、 ”ある告白” をされて固まり凍りついた自分・・・

四年間にも亘りこんな自分を慕ってくれる人柄と気持ちに堪えたくて、ほかの誰よりも大切にしたい、
これまでの行動を見てきて解ったこと…心のままに一途に走りがちな性格なその人。このままでは情に流されそうだ。
それを抑えるためにいずれ二人が添い遂げる日まで出会いの頃の純な仲でいたい と話した。正直、猪突猛進する女心が怖かった。
もし、一線を越えたりでもしたら親御さんに顔向けできない。青い自分は弱気でヘタレな人間だった。

 自分から切り出した手前、男の意地~背を向けて寝たのだが…
 そんな思いなど知ってか 知らずか、旅の疲れも出て
 その人と言ったら、自分の背中に抱きつく様に腰に両手を回し、
 指を絡めて離れない様にしっかり組み、
 オデコをつけ安堵の表情で眠りに落ちていた。
 
 心臓バクバクもの~背に胸のふくらみと
 自分とは異なる体温、首筋に寝息を感じながら
 柔らかな白い手を上から握りしめ、
 悶々と眠れずに朝を迎えた。

翌日、その人の幼馴染が勤めてると言う都内軽食「銀座◯スター」に寄り、暫し談話した後に東京駅新幹線ホームまで行き見送った。
閉まるドア越しに身振り手振りで ”また来て いい?” に答えるかの様に首と手を振った自分。

この先は 東京~名古屋と遠距離恋愛が続くのだが・・・まだその頃は真実の愛の形など知ろうともしないバカな男である。
今の自分なら即断で大意のないW生活(夜学)等やめ、周りの目も気にせず、その人の望みを叶えていたろう。




会えない日が続き秋が過ぎ・・・

その年の暮れクリスマスツリーに明かりが灯る頃、数ヶ月ぶりに故郷で会う約束をした。
ところがその人は輪番変更で帰れなくなり、それを知った自分は我儘を言い 困らせた。
三年も待ち続けたその人に比べ、たった一度だけのすれ違いを愚痴った自分は子供である。







遠距離恋愛…三年目(二十歳)

その人が勤めて丸一年過ぎ、長い地下生活を過ごした蝉が地表に出て再び鳴き始めた夏・・・
「あなたの同級生N島さんと名古屋で偶然に会って、お茶を飲みしました」
いつもの週末電話でその週にあった事を互いに話す中で言われた。
N島は高校クラスメート。時々、放課後につるみ遊んだ数少ない友達のひとり。確か就職先は名古屋だった。
これまでの自分なら”あいつも代志と同じだったな、元気そうだった?”で済むのに・・・

「どんな切欠で…?」 って聞いたら…「県内在住富山県人会に出席して、新規会員紹介の席で知り合って…」
そんな所に出かけた…予期もしてない返答にこの時、頭の思考回路が乱れた自分。
冷静さを失い取り乱し、様々な事を勝手に想像し どんな事を言ってしまったのかさえ覚えてない。
”どうして会が終わってまで 誘われてお茶まで付き合ったのか”
”何でも素直に話せば良いってもんでもない” ”言わない優しさだってある”
”もし立場が逆だったらどんな気分になるか” ”大事にしてる週いち電話でそんなこと聞きたくない”
とか…
苛立った口調で矢継ぎ早に言ってしまった気がする。

初めての喧嘩…。その人は黙ってしまい、受話器から伝わる息づかいで泣いてることに気づき ”はっと我に返った”
虚空な時間が続き…いつもなら ”じゃまたね~” で終わる電話も、黙って切ってしまった。

その人の真意も解らず、信じられなくなり 身勝手な妄想とジェラシーだけが残った。
言葉で人の気持ちを試したり、傷つけたりが大の苦手…言い換えれば自分はそうなりたくない。人には見せない弱み。

約束した歳より早く迎えに来て欲しくて、慌てさせたかったのか…
それとも口下手な恋人の気持ちを確かめたくて、鎌をかけたのか…
偶然に知り合ったN島が恋人とは高校の同級生。それも仲の良い友達と知り…
一方的な疎遠により知ることの出来なかった恋人の学生談義を聞きたかっただけかもしれない。

しかし、心の狭い当時の自分は浮ついた行動としかとれず、何でもないお茶だったのかも知れないのに、穿った風にしかとれなかった。

その人から声かけされて五年目。
これまで気にもとめもしなかった些細な事が気になる。気づいたら心の中にその人がいつもいた。







遠距離恋愛…四年目(二十一歳)

夜学も多忙を極めたことも重なり、身も心も日増しに優れず、気だるく憂鬱に過ごしていた。
それでも週末になると自然に公衆電話BOXへと足が向く。ただ これまでと少し違い その人を代志(愛称)呼びはやめ、つまらない冗談も口にしなくなる。
気丈に平然と冷静さ装い、如何にも動揺してない振りする自分がいた。

その週にあった事を話すのは自分。しかし、その人はこれまでの様な出来事や感じた事を何も話さなくなり気づくと聞き役になっていた。
毎週この様な一方通行の会話ばかりに これまでの様な心の温かみは感じられず、自分が電話して来るから電話口に出てる…と思い始めた。
これがそもそも間違い 勘違いの始まり。。。

これが遠距離恋愛のデメリット、意思疎通が上手くいかないと言うことなのか?
やっぱ傍に居てやれず 近くに居るN島に心変わり?
それとも… 二股? 無理だ! 冷静になれない。


身勝手な思い込みにより自分自身を傷つけ、負の連鎖エンドレスの堂々巡りに嵌り込み、GW過ぎた頃から公衆電話には近づかなくなった。



故郷じゃお盆過ぎには涼しい北アルプス下ろし風が吹くが、東京は残暑もまだまだ厳しい頃…。
『”ごめんなさい” ”あなたをそれほどまでに苦しめるとは思わなくて軽はずみなことをしてしまい 本当にごめんなさい”』
届いた詫び手紙。馬鹿な自分はそれでも意地を張り、返事も出さず 電話も掛けず何告げるでもなく距離をおき続けた。

だが心では、その人のことは全然 責めてなどいなくて、ただ強がってばかりで素直になれなかった。
悟られず、知られずに もう少し頼られる男になって迎えに行きたい。そのためには少し冷静で己を厳しく見れる時間が欲しかった。

丁度その頃、借りてたアパートが大家の都合(アパート老朽建替え)により、勤め先に近い都内葛飾(高砂)に引っ越しすることに。
転居した部屋はトイレ・風呂付・1LKの間取りは独り身には贅沢だったが…それは後のその人との生活とも考えてのこと。
前の住所には郵便転送手続きだけして、越したことは知らせなかった。来秋に名古屋から越してた時のサプライズのつもりでいた。
気分一新! 環境も変わり 兎に角、雑念を捨て生活基盤を安定させようと仕事だけに打ち込んだ。

そんなことで この年の後半六ケ月はあっと言う間に過ぎていった・・・。







遠距離恋愛…五年目(二十二歳)

いよいよ節目の二十二歳。
入社四年目。春新卒の後輩も着任して心機一転、責任ある業務に就いた八月半ば。初長期出張の命を受け青森に発った。

その人に連絡を絶つこと一年間。出張不在中の勤め先に初めてその人から電話が掛かって来た。
「名古屋の〇〇さんから電話あり」のメモがデスクに貼られていた。
要件も言わず、掛け直し依頼もなかったが、何か報告したかったみたいだった…と電話を受けた上司の話。
急用? それとも長く連絡して来ないので心配になり掛けてきた?

一ケ月半後。東京に戻ってそのことを知ったが直ぐには電話を掛け返さなかった。
実は月末に漸く大意のない夜学修業を迎え、終わったら直ぐに連絡するつもりでいた。

そして翌日(十月に入り)直ぐに名古屋に電話をかけた。
平日昼間の休憩時間だったせいか、寮の電話に出た人は ”その人は今は居ない” の一点張りで取り次いではもらえなかった。
東京から電話があったことを伝えて欲しい と伝言を頼んだが、掛かって来ることはなかった。

運が悪い時は重なるもので、ほどなくして二度目の長期出張命を受け、九州長崎の離島対馬に派遣されることになった。
主業務は委託郵便局の電話交換機メンテナンスと技術支援で、平日は多忙、休日は地元局員から教わった磯釣りの面白さでその人への連絡をしなかった。

年の瀬12月。御用納め前日に漸く東京に戻ると郵便受けに不在通知入っていた。  何だろう?
年が明けて仕事始めも終わり、正月ボケ、出張ボケもどうにか冷めつつある一月半ば・・・
再配達されて来たものは定形外郵便物 「創立記念発行の同窓会名簿」だった。 何か胸騒ぎを感じた。
咄嗟に捲った頁はその人の卒業年度で、もどかしくなぞる人差し指がその人が載ってる行で止まった。

”えっつ! 現住所が新潟の糸魚川?” ”苗字にカッコ書き付き?”
”結婚したのか?!”  ”どうして~~いったい何があったんだ!!”
”それも相手はあのN島じゃなく、全く知らない苗字じゃないか・・・”


W生活が終わったら今度は自分が名古屋に出向き約束(一緒に住もう)は守る。だがもう胸の中で飛ばし続けていた恋玉は音をたてて割れ消えた。
うやむやに距離をおいておきながら身勝手な話だが、二十二の秋まで待つって誓ったはず。
その時は必ず連絡して迎えに行くと言ったのに…”どうして信じ待てなかった? 何故にそうも結婚を急ぐ?
自分の心を試したあの電話の件は女心の可愛さで許せるが ”これは駄目、許せない! 許さない!

所詮、遠距離恋愛など長続きも成就もしない! いずれどちらかが身近にある偽りの幸せにすがり 裏切る!
『心変わり者! 裏切り者!』と狂った様に部屋で叫び続け、初めてその人を 羨み、憎み、もう純愛など信じないと心に刻んだ。
『一番好きな人とは添い遂げられない』と言う俗説が現実となり、本来の持つその隠れた真意を間違って記憶した。





心閉ざし荒んだ暮らし…三年目(二十五歳)

のちの暮らしは仕事に影響するほど私生活は乱れ、飲めない酒にも手を出し、荒んだ心は立ち直る切欠さえ失っていた。
それが災いしたのか…翌春 人事移動で慣例より短期在職年数での発令があり、隣区拠点に移動させられる。(多分、ペナルティ人事である)
前の管轄と違いユーザ数も多く、対応する職員も多いが…季節によっては休み返上での勤務もあり、夜学を終えた自分には断る理由もなく出ることも屡々あった。
そんな多忙環境のお陰で悶々としていた しだらくな生活は減り、与えられた仕事だけは消化していく日々…。

移動して半年過ぎた秋口の頃…あるお得意様にやや派手気味で明るい性格のオペレーターがいた。
これまで自分が出会ったこともない垢抜けした都会人の苦手なタイプだったが…これも仕事の一環と割り切っていた定期巡回業務に就いていた。
その人は既婚者ともあって話し上手で面白く、世間話ぐらいには応じられる様になったある日…
仕事とは無関係なプライベートな相談事(離婚話)をされ、自分には別次元の痴話に巻き込まれたくなくて、その都度 避け逃げていたが…
身内もいなくて相談する人もいなくて困ってる姿に 断り切れずその事情とやらを聞いてしまい後悔することに…。
現在、妊娠中で離婚にするにあたり堕胎手術の同意書承認者になって欲しい と頼まれ…気の毒に思いハンコを付いてしまった。
(普通、そんな同意書に当該者でもないのにハンコ等付くバカはいないと兄から怒鳴られた)
本当に優柔不断なお人好しで世間知らず…そんな常識なことも判らない大馬鹿な男である。

それが切欠でプライベートでも話しする様になり、新年を迎えて間もない頃、付き合って欲しい と告白されてしまう。
DV離婚の経歴のある過去謎のありそうな人で、考え方も相性も合わなさそうだし 断りたかったが…
明日への希望もなく やけを起こしていたこともあり、兄等の反対を押し切って また同じ過ち(優柔不断な気持ち)で付き合ってしまう。
これで良いんだ、これで良いんだ と自分を誤魔化し、ボタンの掛け違いにも気付きもしないで、
違うパートナーとそれぞれの人生路を歩き出し、もう振り回される恋人ごっこは懲りごりと自身に呪文をかけた。

元々、最初からその人の歩く本当の未来路に自分など影も形もなかったのだろう。
居たとすれば陽炎の自分。総ては自分に罪があり、優柔不断な心がその人の人生を迷わせ歩かせ遠回りさせただけ。
持って生まれた運の悪さ、背負わされた十字架のせいにして、素直な自分の心を封印し 誤魔化した。
後ろめたさから その人との思い出を心の奥深くに封じ込め 壁を塗り、これまでその人と歩いた人生年表を空白にし記憶から消した。








そして・・・数え切れぬほどの歳月が流れた2017年

既に本家は長子相続はなく、婿養子もしなくて 代は絶えていた。責任の一端、自分にもあるのか…。
血縁外の養子縁組でも良かったんじゃない? 代が絶えてしまうよりは…と帰省の度に参る本家 墓石前で大婆に呟く…。

二十歳後半。四年毎に催される小・中学同級会は出席しても、どうしても高校同級会は出席できなかった。仲間達に何も告げずに故郷を離れた後ろめたさもあったが、何よりも嫌だったのは…帰省の折、その人が嫁いだ新潟 糸魚川の町や山の風景が否が応でも視界に入ってくることだ。

しかし、時が解決した。三十歳代には「苛まれた過去の重荷や負い目」も忘れ、平然を装い高校同級会返信用葉書きにも「出席◯」を付けていた。
”あいつは県外組なのにいつも顔をだす皆勤賞もの” 皆が口を揃えて言う…。だが自分が隠してる闇過去など誰も知らない。
以降…車で長野~白馬~大町…塩の道を通り日本海に出るか、電車で帰省しても視界に入る糸魚川の街や山々に愚かな心は揺れもしなくなる。
歳月が「青き頃の罪」を忘れさせてくれ、もう何があってもトラウマにならない。



そう吹っ切れたと思っていた・・・今初夏。
「高校卒業五十年の節目の同級会」に出席するために帰省。会場は同級生が支配人役を務める定宿「バー〇ン明日温泉ホテル」。
一次会は大宴会場、二次会は館内のカラオケ喫茶。三次会は気の合う男等で幹事部屋に集まり飲み会。
その席で誰かが言い出した「中学同級会には出る? 出ない?」 の話で盛り上がった。
流石にこの歳にもなると不慮の事故や病気で亡くなってて、物故会員が何人いるかと言う 下世話な話になり、
隣町中学卒の奴が指折ながら口にする見知らぬ名前に興味もなく聞き流してたら…突然にその人の名前が出てきて驚いた!!

”事故? 病気?” って 冷静を装いながらそいつに聞くと…何だお前知ってんのか? 遠うの昔、病気(癌だか、白血病)で。まだ若いのにな、気の毒に… の返事。
愕然とし頭の中が真っ白になる。酔いを醒ます振りして座をはずし、テラスに出て頭上に光る月を呆然と眺め・・・

”もしかしたら とんでもない勘違いしたまま 今日まで生きてきたのではなかろうか” そう自問自答した。

これまで同級会に顔を出す様になり、N島の姿を幾度か見かけ、名古屋でその人と会った経緯を聞きたかったが…やはり出来なかった。
今度こそはと参加したある年の同級会…幹事から彼が病いで逝ったことを知り、真実は解らず仕舞いで今に至っている。

”やはりあの電話は…自分の行動と心を試したんだろうな”
それも解らずに、青い穿った気持ちで素直になれず、最悪な判断をして大事な歳月を空けてしまった。




胸の奥深いどこかで 何かが音をたてて 壊れて 崩れた。
罰! 消し去ったはずのあの青い頃がフィードバックする。


思い出されるその人との出会い…節目節目にはいつも蝉が鳴いていた気がした。
人には清涼感のある蝉の鳴き声も、蝉時雨ともなると蝉達が一斉に過去の自分を責めてる気がして
青き頃にフラッシュバックする切欠となる嫌いなものにしか思えなくなってしまった。

「その人の人生」「蝉の一生」をダブらせる。

どうしょうもない自分がまだこの世に居て心優しいその人は短命で この世にもう居ない。
弱幸じゃない 例え短くとも多幸な一生を過ごしたことを心から願い、心から祈った。


暦はもう九月。この事を知った日から既に二ヶ月も過ぎた。
夜釣りをしていて東の空から北斗七星が昇り、北西の海側に傾きかけると自然と手を合わせる。
多分、南房磯からその方角はその人が眠る新潟 糸魚川。
所詮、独りよがりな黙祷供養でしかないのに、今はそうすることしかできない自分が居る。






人生に "もしも" はない。ないが…もし戻れるなら、タイムマシンにでも乗りあの青い歳の頃に戻りたい。

初夏、事の始まりである15の自分に言ってやりたい…、
その人に紙片は渡さずに「今は自分の都合(痴話事)でガタガタしており つき合えない」って傷つけない様に断れ と。

それができなかったら三年後の18の春…、
せめて故郷を離れる日、駅で第二ボタンを渡し、これまでの経緯と自分の気持ちをしっかり伝えろ と。

もしそれすらもできず二十歳のあの告白の夜まで来てしまったならば…、
世間体など気にせず 自分に素直になれ。そして、腹を括り田舎の両親を説得して一緒に棲めよ と。

もしも、それさえもできずに22の初夏まで行ってしまったなら…、
躊躇なく田舎まで出向いて 心から詫びて迎えに行け と。

でも一番の後悔はやはり、2017年の秋…、
「同級会案内はがき」の返事は、不参加に◯をつけ投函しろ と言いたい。
そうすれば、その人が逝ったことなど友等から聞かずに済んだ。
総てが保身的で出来るはずもないから 身勝手なことが言えるのかも・・・。




自分が青春時代を過ごした故郷。良きも悪きも思い出が一杯詰まった故郷。
時は無情にも既に両親・兄達は他界してしまい、年齢を重ねると共に故郷が遠のくこの頃。
次に開かれる高校同級会で帰省する際、その人が眠る新潟 糸魚川(姫川)に立ち寄ろうか 迷っている。


青臭い子供じみた茶番な昔話に年甲斐もなく落ち込み、
この夏、以前にも増して蝉が嫌いになった。

                      = 2017.09.21 up =



そして四ヶ月後・・・









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