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カテゴリ:ふと見かけたもの
10/15(金)午後から 都内巣鴨に出掛けた。 二週間ぶり、三回目のリハビリ治療…。 平日の午後の電車は空いてる~ 予約時間より早めに到着したので… 目的地の反対側出口(北口)を出て 地蔵通り向こう側に渡り 東方向に歩く。 一度は訪れて見たかった地・・・ 巣鴨 とげぬき 地蔵尊 TV等ではよく見る商店街入口に あっあった!還暦祝い赤いパンツを売る店。 自分には必要ないアイテムだ (もうとっくに過ぎてしまったから…) 数分 歩くと見えてきた 「曹洞宗 萬頂山 高岩寺」 境内左側に立つ石造の聖観音(しょうかんのん)像 通称「洗い観音」を身を清めてから 自身の治癒したい部分に相応する観音像の部分を洗う。 自分の場合は腰と右膝である。 = 元祖塩大福&柚羊羹 = 「元祖 塩大福みずの」で 塩大福と柚羊羹をお土産に買う。 もはや何が目的だったか忘れてる。 危ない危ない 時間がない。 慌てて整形外科に向かう・・・ ”モミモミ” ”スリスリ” 気のせいか…右膝の痛みは薄らいできた気がする。 だが今は腰(脊髄)の痛みはある。 久々に雑踏を歩いたせいかな。 次回四度目となるの予約をとりご帰還と相成った。 帰り道、久々に「崎陽軒 シュウマイ弁当」でも 買おうと上野駅で途中下車したら 傷害事件発生 (キャッシュスペンサー前で二人が刃物で刺される) で大混乱の真っ最中で買えず。 先々週は久々の釣行であの千葉北西部地震に遭い この日は上野駅で殺傷事件・・・ 出掛けるのがトラウマになりそうだ(>_<) 慶長元年(1596年)、扶岳太助が江戸神田湯島に創建。のちに下谷屏風坂(現・岩倉高等学校)に移る。 1891年(明治24年)、巣鴨に移転。1945年(昭和20年)、東京大空襲で建物を全焼し、現本堂は1957年(昭和32年)に再建されたものである。 江戸時代、武士の田付又四郎の妻が病に苦しみ、死に瀕していた。又四郎が、夢枕に立った地蔵菩薩のお告げにしたがい、地蔵の姿を印じた紙1万枚を川に流すと、その効験あってか妻の病が回復したという。これが寺で配布している「御影」の始まりであるとされる。 その後、毛利家の女中が針を誤飲した際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだ所、針を吐き出すことができ、吐き出した御影に針が刺さっていたという伝承もあり、「とげぬき地蔵」の通称はこれに由来する。そこから他の病気の治癒改善にも利益(りやく)があるとされ、現在に到るまでその利益を求めて高齢者を中心に参拝者が絶えない。 本尊 本尊の地蔵菩薩像(延命地蔵)は秘仏につき非公開である。本尊の姿を刷った御影(おみかげ、縦4センチメートル、横1.5センチメートルの和紙に地蔵菩薩立像が描かれている)に祈願・またはその札を水などと共に飲むなどしても、病気平癒に効験があるとされる。「巣鴨のお地蔵様」として信仰されている。 洗い観音 境内に立つ石造の聖観音(しょうかんのん)像で「洗い観音」と通称される。自身の治癒したい部分に相応する観音像の部分を洗う、または濡れタオルで拭くと利益があるという。かつては像の表面をタオルでなくたわしで擦っていたため、摩耗が激しく、2代目の像が製作された。現在の像は1992年(平成4年)に奉納されたもので、彫刻家・八柳尚樹の作。 当HP内の文章及び画像の著作権は当管理者に帰属します。 無断で複写・転載・使用することを固く禁じます。 ★blog等への『騙り投稿』『誹謗・中傷投稿』はお断り致します。 またblogコメント投稿者同士のやり取りも荒れ防止のため禁止致します。 それとおぼしき投稿と判断した場合は当管理者権限にて削除致します。 尚、該当者ドメインは当管理者で把握しておりますので以後、 当サイトへの投稿規制処置をさせて頂きますのでご承知おきください。 thank you トンボが今は亡き大先輩から譲り受けた座右の銘 当hpも掲載中! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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