「生命40億年全史」・リチャード・フォーティ著、渡辺政隆訳を読んで
「生命40億年全史」・リチャード・フォーティ著、渡辺政隆訳を読んで (上の画像の説明・本のカバー表紙をスキャンしました。ドイツ、フランクフルト近郊のメッセル油頁岩から出土した、始新世のクイナの仲間の化石です。) 地球上の生命は、今からおよそ40億年ほど前に誕生しました。 そしてそれ以降の地球上では、さまざまな生命体がそれぞれの生を謳歌してきました。この40億年という歴史の中で、紛れもない人類、すなわちわれわれホモ・サピエンスが登場したのは、たかだか10万年ほど前のことです。 さらに言うなら、恐竜の絶滅により、哺乳類が本格的な進化を開始したのは今から6,500万年前、原始的な哺乳類と最初の恐竜がほぼ同時に出現したのは1億9,000万年ほど前、脊椎動物の直接の祖先とおぼしき動物の化石は、5億数千万年前の地層からしか出現していないのです。(上の画像の説明・「生命40億年全史」6ページの地質年代表をスキャンしました。) 46億年の年齢を持つ地球に、単細胞の原生生物が生まれたのは、40億年前でした。 それから10億年間は原生生物だけの時代が続き、やっと光合成を行うバクテリアが現れ、少しずつ酸素が増加し、20億年前に多様な生物が出現可能な多細胞生物が現れました。 しかし、それから15億年近くは藍(らん)藻(そう)類などの植物だけの世界であり、5億4,500万年前のカンプリア紀に至ってようやく動物が出現したのです。 気の遠くなるような生命の積み重ねです。 遺伝情報のセットを備えたバクテリアの起源によって生物の歴史の第一段階が開始され、第二段階は光合成の時代の幕開けだったとすれば、第三段階は複雑な細胞の出現によって始まったのです。 さらに驚くべきは、現在も生き残っている単純な生物のなかに、各段階の立役者を見つけられることです。 太古の出来事の証人が今なお健在だというのに、人類は創造の頂点に立つ生きものであるなどと考えるのはあまりにも尊大なことなのです。 著者の言葉を借りるなら、「陸上競技の頂点に立つのがマラソンだとすれば、桿状や糸状をしたバクテリアこそ、史上最強のマラソンランナーということになる」のです。 時計の文字盤が地球の歴史をあらわしていると考えると、人類の仲間の登場は真夜中の1分前、まもなく魔法がとけてしまうことをシンデレラがハッと思いだしたその瞬間に現れたことになるのです。 地球の歴史・46億年、人類の仲間誕生、鮮新世・520万年前 520万年÷46億年=0.0011 0.0011×1,440分(24時間×60分)=1.58分 著者は、生命の進化の物語のなかで、その物語を寸断した重大な出来事として、2回の大量絶滅を取り上げています。 一つは、今から2億5,000万年前のベルム紀末に起こった大量絶滅であり、一つは今から6,500万年ほど前の白亜紀と第三紀の境界で起こった大量絶滅です。 私は、第10章「終末理論」が扱う、6,500万年前の白亜紀末の恐竜を含む大量絶滅の原因追究のストーリに大変興味を惹かれました。 それ以前にも大量絶滅は起こっていたのですが、このときのそれは、とりわけ人々の想像力を刺激してきました。 このとき、繁栄をしていた恐竜が、鳥に変わったものを別にすれば、白亜紀で滅んでしまったのです。しかもその終り方はあまりにも唐突だったのです。 巨大な爬虫類の突然の死は、この惑星においてわれわれ人類が置かれている立場の危うさの象徴となってきました。 われわれも変わらなければ、適応しなければ、恐竜の二の舞だぞといった警告が巷にあふれたのです。 今や定説の感がある隕石衝突説に至る、天変地異をめぐる大激論、隕石衝突説の結果として、生き残った生物はどうして生き延びることができたのか、そしてその隕石の衝突跡はどこにあるのかにまで言及されていて大変面白いです。 ついでに言えば、その衝突跡はメキシコ、ユカタン半島のチクチュルブにあるとしています。 ユカタンはマヤ文明の本拠地であり、その神殿は今も木々に埋もれた状態で残っています。 マヤ人は天文学を重視し、天体観測をもとにつくった暦で生活をしていました。しかし、神々に捧げたピラミッドを建設したその地中に、彼らがもっとも恐れていた天空から降りかかる災難によって想像を絶するほどの被害がもたらされた時代の証拠が埋まっているとは、知る由もなかったのです。 考えて見れば、なんとも不思議な一致であるといえます。(上の画像の説明・「生命40億年全史」378ページのK・T境界の大惨事(白亜紀と第三紀の境界で起きた大量絶滅)を生き延びた硬骨魚をスキャンしました。) 著者は、生物の進化というのは、無数の偶然と必然からなり、生命は常に勝ち抜いてきたのだと言っています。 以下は、著者の最後の言葉です。<<たしかのはただ、この先も変化は続くということのみである。変化の原因として人間が関与することはまちがいない。私が生命の一代記を語るなかで紹介したたくさんの出来事のどれとも異なる点は、人間には影響を予測することができるということだ。人間が賢明に振る舞うことを期待しよう。偶然に翻弄される運命の歯車も、われわれの運命を左右するだろう。火の玉が落ちるかもしれないし、気候変化は必ずや起こるだろうし、前例のない事件だって起こりうる。それでもおそらく、生命はなんとか対処してゆくことだろう。>>と、これまでの生命とは異なる、人間の可能性を強調して筆を終えています。 生命誕生から人類出現まで、実に40億年の歴史を493頁に、劇的かつ壮大なスケールにまとめ上げています。 本の厚さが気にならない、そして専門知識のないものでも読める良質の本でした。