カテゴリ:私の小説集
「朝、この公園を走るのは気持ち良さそう。私も一緒に走ろうかな。」 公園の近くの喫茶店。たち込めるモーニングコーヒーの香り。パープルカラーの春の花。房総あたりから届いたのだろうか。コーヒーの香りと混ざり合った独特のかぐわしさ。彩奈が僕に一緒にジョギングしたいと言い出したのは、初めて会ってから少し経ったやはり空気の澄んだ朝だった。 「とてもあなたについていけるようには走れないけれど。」 「いや、そんなに僕も速く走れない。すぐに馴れると思う。大丈夫。」 次の日にはもう彩奈は僕と一緒に走っていた。彼女の走るリズムを見ただけで、その運動神経が抜群であることがわかる。 「付いていけるようには走れない」のが僕になるのは、時間の問題のように思えた。体の動かし方がしなやか。天性のものだろう。 「こんなに速く走れるとはびっくりした。体鍛えていたの?」 「お父さんにサッカーを仕込まれたの。最近は、やっていないんだけど。」 「それは珍しいね。女の子にサッカーを教えるなんて。」 「お父さん、息子を仕込みたかったみたいなんだけど。子供は皆女の子。ちょっとお父さん可哀想。3人もいるのに。サッカーボールを蹴らせて、末っ子の私が一番見込みがあるって、お父さん言って、私を仕込んだのよ。だから、サッカーボールを追っかけて随分走ったわ。私もサッカーがかなり好きになったし、きつかったけど、楽しかった。」 リズミカルなドリブル。タイミングよく味方に出すパス。思い切ったシュート。彼女のしなやかな動きには、そのいずれもがピッタリだ。 「お父さん、お前が男だったら最高なのにってよくこぼしていたわ。彼に言わせると、私カンがあるらしいの。小学校までは男の子と混じってやったんだけど、私がボールを取ると、なかなか人には取られなかった。体は大きくなかったけど、ステップが速く踏めるから、一緒にやっていた男の子ついてこれないのよ。その子たちの母親、あんな小さな女の子からボールを取れないなんて情けないって、よく怒っていた。怒ってもしょうがないわ。その子たち一生懸命やっていた。でも、何かが足りないみたい。それが何だかはうまく言えないけれど。」 リスのような女の子にボールを支配されて、もたもた彼女に付いていくだけの男の子。親からはちゃんとしなさいと言われても、カンがないのだからどうすることもできない。こんなに一生懸命やっていると自慢しても意味がない。ご苦労さまと言われて、終り。 「サッカーはいつまで続けたの?」 「中学校2年ぐらいかな。小学校の頃とは違って男の子と混じってやれなくなったから。もうお父さんよりもずっとうまくなったから、一緒にやらなくなったし。サッカーできなくなって、結構淋しかった。でも、ちょうどその頃、ターナーの絵を初めて見たの。それから絵に興味を持って、自分でも描くようになった。私みたいな女の子が言うのも変だけれど、人生ってバランスが取れているなって思った。ちょっと視点を変えれば、いろんなことが楽しいの。」 借りものの言葉でなく、自分の感じていること、考えていることを自分の言葉で表現ができる彩奈。それが彼女の大きな魅力。まだ彼女の描いた絵を見せてもらったことはないけれど、絵にもまたその魅力が素直に表れているはずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.12.25 18:28:25
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