カテゴリ:読書
![]() ![]() 今日までしか観れないので「第四回 病や死と向き合う」をNHKプラスで拝見。 日蓮の手紙を深く読み解いていくと、「苦悩をどう乗り越えていけばよいのか」「人間が一番に大切にしなければならないものとは何か」等々、現代人の心を揺さぶる問いをつきつけられる。仏教思想研究家の植木雅俊さんは、日蓮の手紙の最大の魅力は、「相手に応じて、文体、文章、表現を自在に変えながら、徹底的にその人自身に寄り添うことを考え抜いている」ところだという。 日蓮は、生と死が生命の二つのあり方であると考えた。波が生まれたり消えたりしても海そのものがなくならないのと同じように、人間はある時は生きているというあり方をとり、ある時は死というあり方をとるが、その人の「生命本体」は一貫している。この「生死不二」という立場に立つとき、私たちは死というものと本当の意味で向き合うことができると日蓮は考えたのではないか。 植木さんは「霊山浄土」というキーワードをもとに、見事に明かにする。そこには、日蓮独自の深い死生観があった。 「相手に応じて、文体、文章、表現を自在に変えながら、徹底的にその人自身に寄り添うことを考え抜いている」で思い出したのは、河合隼雄さんの日本文化に根ざした心理療法、カウンセリングの講義。 子供の頃、池上本門寺のお会式には何回も行ったのでその記憶もあるので親近感も湧いて、「日蓮の手紙」には魅かれた。日蓮さんが亡くなられた、弘安5年(1282年)10月13日の前の1か月くらいにようやく辿り着いた武蔵国荏原郡の池上周辺の描写も番組後半であった。ちなみに、10月11日~13日の3日間がお会式で12日夜が「万灯練供養」。 一時期、網野善彦さん、石井進さん、笠松宏至さん、勝俣鎭夫さんの論じる中世史に凝っていたので、 「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか」 を今回のシリーズ「日蓮の手紙」で連想。 (参考)網野善彦著『無縁・公界・楽』の序文より 歴史学を一生の仕事とする決意を固めるのと、ほとんど同じころ、私は高等学校の教壇に立った。私にとって、これが初めての教師経験であり、生徒諸君の質問に窮して教壇上で絶句、立往生することもしばしばであったが、その中でつぎの二つの質問だけは、鮮明に記憶している。 「あなたは、天皇の力が弱くなり、滅びそうになったと説明するが、なぜ、それでも天皇は滅びなかったのか。形だけの存在なら、とり除かれてもよかったはずなのに、なぜ、だれもそれができなかったのか」。 これは、ほとんど毎年のごとく、私が平安末・鎌倉初期の内乱、南北朝の動乱、戦国・織豊期の動乱の授業をしているときに現われた。伝統の利用、権力者の弱さ等々、あれこれの説明はこの質問者を一応、だまらせることはできたが、どうにも納得し難いもの、私自身の心の中に深く根を下していったのである。 もう一つの質問に対しては、私は一言の説明もなしえず、完全に頭を下げざるをえなかった。 「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。他の時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象がおこったのか、説明せよ」。 この二つの質問には、いまも私は完全な解答を出すことができない。 ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.03.08 15:20:48
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