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仙石 和三

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2019/12/03
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カテゴリ:反日
詐欺映画に騙されて出演した、なでしこアクション 代表 山本優美子氏からメールを頂戴していたので内容は転載フリーとのことですのでこの場で以下に掲載させていただきます。
------
本年4月20日から一般公開されている出崎幹根監督のドキュメンタリー映画「主戦場」において、私山本優美子は出演者の一人となっています。
私は2016年5月に「件名:上智大学院の出崎幹根のドキュメンタリーインタビューご協力のお願い」というメールを受信しました。メールは丁寧な日本語で、こう書いてありました。


「私は日系アメリカ人で、現在上智大学で大学院生をしております。」
「慰安婦問題をリサーチするにつれ、欧米のリベラルなメディアで読む情報よりも、問題は複雑であるということが分かりました。慰安婦の強制に関する証拠が欠落していることや、慰安婦の状況が一部の活動家や専門家が主張するほど悪くはなかったことを知りました。私は欧米メディアの情報を信じていたと認めざるを得ませんが、現在は、疑問を抱いています。」
「大学院生として、私には、インタビューさせて頂く方々を、尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務があります。」
「これは学術研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません。」
「よって、公正性かつ中立性を守りながら、今回のドキュメンタリーを作成し、卒業プロジェクトとして大学に提出する予定です。」


《この内容のリンクも貼っておきます。ココからどうぞ。》
--------------------------------------------------
しかし、ミキ・デザキは合意書を無視して作品全体が仕上がった段階で連絡せず、確認させず。上映段階になってから連絡してきたのです。
実際に仕上がった内容は当初に反して公正・中立性を欠き、初っ端から大きく「右翼!」「歴史修正主義者!」などのレッテル貼り。
「主戦場」は大学院生という立場を利用して詐欺的に制作されたものです。
ミキ・デザキ監督の弁明がユーチューブに流れていますが都合の悪い箇所は一切語っていません。
このミキ・デザキは悪いやっちゃでぇ~ 騙された保守の先生方は人が好すぎです。
それとです。
歴史は当時の状況下で語るものです。
まぁ、今更頑張った処で所謂慰安婦だった女性が合法で「娼婦=売春婦」で高給を稼いでいたことには間違いはないです。当然ですが今では強制連行説が捏造であったことが判明しています。
この日系ミキ・デザキに限らず、日本人としての誇りを持たない馬鹿の存在が歴史歪曲に加担して国と日本人を陥れようとしているのです。
韓国の歴史が嘘だらけと知れ渡っていても韓国が好きな反日分子たちです。(爆
反日パヨは嘘つきばかりです。近くで見かけたらご用心あそばせ~♪(爆






Last updated  2019/12/04 04:12:04 AM
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カテゴリ:左翼はパヨク
詐欺映画に騙され出演した、なでしこアクション 代表 山本優美子氏からメールを頂戴していたので内容は転載フリーとのことですのでこの場で以下に掲載させていただきます。
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本年4月20日から一般公開されている出崎幹根監督のドキュメンタリー映画「主戦場」において、私山本優美子は出演者の一人となっています。
私は2016年5月に「件名:上智大学院の出崎幹根のドキュメンタリーインタビューご協力のお願い」というメールを受信しました。メールは丁寧な日本語で、こう書いてありました。


「私は日系アメリカ人で、現在上智大学で大学院生をしております。」
「慰安婦問題をリサーチするにつれ、欧米のリベラルなメディアで読む情報よりも、問題は複雑であるということが分かりました。慰安婦の強制に関する証拠が欠落していることや、慰安婦の状況が一部の活動家や専門家が主張するほど悪くはなかったことを知りました。私は欧米メディアの情報を信じていたと認めざるを得ませんが、現在は、疑問を抱いています。」
「大学院生として、私には、インタビューさせて頂く方々を、尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務があります。」
「これは学術研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません。」
「よって、公正性かつ中立性を守りながら、今回のドキュメンタリーを作成し、卒業プロジェクトとして大学に提出する予定です。」


《この内容のリンクも貼っておきます。ココからどうぞ。》
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しかし、ミキ・デザキは合意書を無視して作品全体の仕上がった段階で連絡せず、確認させずに上映段階になってから連絡してきたのです。
実際に仕上がった内容は当初に反して公正・中立性を欠き、初っ端から大きく「右翼!」「歴史修正主義者!」などのレッテル貼り。
「主戦場」は大学院生という立場を利用して詐欺的に制作されたものです。
ミキ・デザキ監督の弁明がユーチューブに流れていますが都合の悪い箇所は一切語っていません。
このミキ・デザキは悪いやっちゃでぇ~ 騙された保守の先生方は人が好すぎです。
それとです。
歴史は当時の状況下で語るものです。
まぁ、今更頑張った処で所謂慰安婦だった女性が合法で「娼婦=売春婦」で高給を稼いでいたことには間違いはないです。当然ですが今では強制連行説が捏造であったことが判明しています。
この日系ミキ・デザキに限らず、日本人としての誇りを持たない馬鹿の存在が歴史歪曲に加担して国と日本人を陥れようとしているのです。
韓国の歴史が嘘だらけと知れ渡っていても韓国が好きな反日分子たちです。(爆
反日パヨは嘘つきばかりです。近くで見かけたらご用心あそばせ~♪(爆






Last updated  2019/12/04 04:00:29 PM
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2019/11/23
カテゴリ:政治について
安倍晋三首相主催の「桜を見る会」の前日に開かれた「前夜祭(夕食会)」をめぐり、左派野党は「会費一人5000円は安すぎる」と追及しているようですが参加者の人数と料理の内容と参加者の中からホテルに宿泊する人数によってトータルで割が合えばホテル側は安くもできます。
立憲民主党の安住淳国対委員長の資金管理団体が、安倍首相の後援会と同じホテルニューオータニ(東京都千代田区)で開いた政治資金パーティーの会場使用料が、対価を支払った人、一人当たりで1739円程と産経が報じていましたが、その額に3千円そこそこ足せば5千円で飲み食いの夕食会もできて不思議ではありません。どうにも馬鹿なパヨどもと野党はその論理が解からないようです。(爆 パヨどもが倒閣を過剰に意識して単純なことも判断できない馬鹿どもであることには笑えますぅ~♪(爆
それと・・・
野党議員が指摘する高級すしが振る舞われたとする銀座久兵衛の主人が否定「うちのすしは出していない」とのことです。また野党もパヨも馬鹿丸出しで終わるのかな?
ただ、元々は人気があるから集まるのでしょうけど参加者が膨らみ過ぎたことや参加者の人選は見直すべきでしょう。


【記事】2019.11.21
また野党にブーメランか…立憲民主・安住氏、ニューオータニで開いたパーティーが一人当たり「1739円」!?
安倍晋三首相主催の「桜を見る会」の前日に開かれた「前夜祭(夕食会)」をめぐり、左派野党は「会費一人5000円は安すぎる」などと追及している。こうしたなか、立憲民主党の安住淳国対委員長の資金管理団体が、安倍首相の後援会と同じホテルニューオータニ(東京都千代田区)で開いた政治資金パーティーの会場使用料が、対価を支払った人、一人当たりで1739円だったと、産経新聞が21日報じた。・・・続きを記事元で詳しく読む



“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。


終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/11/23 02:05:05 PM
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カテゴリ:政治について
安倍晋三首相主催の「桜を見る会」の前日に開かれた「前夜祭(夕食会)」をめぐり、左派野党は「会費一人5000円は安すぎる」などと追及しているようですが参加者の人数と料理の内容と参加者の中からホテルに宿泊する人数によってトータルで割が合えばホテル側は安くもできます。
立憲民主党の安住淳国対委員長の資金管理団体が、安倍首相の後援会と同じホテルニューオータニ(東京都千代田区)で開いた政治資金パーティーの会場使用料が、対価を支払った人、一人当たりで1739円程と産経が報じていましたが、その額に3千円そこそこ足せば5千円で飲み食いの夕食会もできて不思議ではありません。どうにも馬鹿なパヨどもと野党はその論理が解からないようです。(爆 パヨどもが倒閣を過剰に意識して単純なことも判断できない馬鹿どもであることには笑えますぅ~♪(爆
それと・・・
野党議員が指摘する高級すしが振る舞われたとする銀座久兵衛の主人が否定「うちのすしは出していない」とのことです。また野党もパヨも馬鹿丸出しで終わるのかな?
ただ、元々は人気があるから集まるのでしょうけど参加者が膨らみ過ぎたことや参加者の人選は見直すべきでしょう。


【記事】2019.11.21
また野党にブーメランか…立憲民主・安住氏、ニューオータニで開いたパーティーが一人当たり「1739円」!?
安倍晋三首相主催の「桜を見る会」の前日に開かれた「前夜祭(夕食会)」をめぐり、左派野党は「会費一人5000円は安すぎる」などと追及している。こうしたなか、立憲民主党の安住淳国対委員長の資金管理団体が、安倍首相の後援会と同じホテルニューオータニ(東京都千代田区)で開いた政治資金パーティーの会場使用料が、対価を支払った人、一人当たりで1739円だったと、産経新聞が21日報じた。・・・続きを記事元で詳しく読む



“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。


終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/11/23 12:13:33 AM
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2019/11/15
カテゴリ:左翼はパヨク
名古屋市の河村たかし市長が「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で芸術監督を務めた津田大介氏らへの法的措置を検討していると明らかにしましたが当然です。津田大介本人が政治活動では補助金が出ないことを知っていて「表現の不自由展という展覧会をもってくる体にして」、つまり、政治活動で補助金までも狙ったことが過去の発言からも発覚しています。津田の偏った政治活動に公金(税金)を使うべきでないですし、そもそも偏った政治的要素を含んでいて公共の芸術の場に相応しくなく、過去に公共の美術館から撤去された物ばかりです。表現の自由だからといっても濫用は憲法第12条に反することになります。津田が騙して展示した物もあったのですから悪質で計画的です。それに手を貸した愛知県の大村知事はアホ丸出しです。下の動画の内容は津田大介の自爆箇所です。




“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。


終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/11/15 03:08:00 PM
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2019/11/05
カテゴリ:慰安婦問題

所謂 従軍慰安婦の捏造を広めたのは利己主義な作家(吉田清治)が知られるところだが、他に日本人弁護士たちと、捏造話を掲載し続けた朝日新聞でその責任は重い。当時、朝日新聞の記者だった植村隆の義理の母親が韓国人で訴訟原告団の団長だった。そのため植村の記事は誤報でなく意図的に挺身隊と慰安婦をゴッチャにして捏造した疑いが濃い。
そして悪質なのは高木健一(弁護士)と捏造話を指導したりテレビで嘘を垂れ流した福島瑞穂(当時、若手弁護士)だ。この福島瑞穂は調査もしていないのに調査をしたかのように平気でテレビ出演して嘘をついたのである。福島瑞穂は悪いやっちゃで~。クズってこういう奴のことを言うのだ・・。
日韓併合時代は同じ日本人。当時の所謂 慰安婦は高給取りの娼婦=売春婦であったが、運営は民間業者だった。韓国側にまんまと乗せられて、1993年8月4日、内閣官房長官だった河野洋平が所謂 河野談話を発表したが韓国側が約束どおりに静かになるわけもない。
韓国との合意はこれまでも反故にされてきたので韓国を金輪際信用しないことだ。韓国を相手にするなら強気に困らせるくらいの気持ちでちょうど良いと思う。


“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。


終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/11/06 08:25:32 AM
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2019/11/02
名古屋市の河村たかし市長が「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で芸術監督を務めた津田大介氏らへの法的措置を検討していると明らかにした。
昭和天皇の写真をバーナーで焼き、灰を足で踏み付けるような映像作品などを意図的に隠して(騙して)展示が行われたようです。津田大介は確信犯! アウト~!

【記事】2019.11.1
河村市長、津田大介氏らに法的措置検討 不自由展「事前の申告と異なる作品を展示した」・・・。
名古屋市の河村たかし市長が動いた。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で、昭和天皇の写真をバーナーで焼き、灰を足で踏み付けるような映像作品などを意図的に隠して展示が行われたとして、10月31日、芸術監督を務めた津田大介氏らへの法的措置を検討していると明らかにしたのだ。
「津田氏らは事前の申告内容と異なる作品を、だまして展示した・・・続きを記事元で詳しく読む




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昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/11/02 01:12:00 AM
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2019/10/31
本日は大村秀章知事に関する記事と記事下に大村秀章知事の性格を姓名判断で一刀両断しました。
あいちトリエンナーレで昭和天皇の御真影をバーナーで燃やし踏み潰す動画の展示を許し、天皇家までを不快にして内容はヘイトと同様。それに対抗した「在日特権を許さない市民の会」元会長が代表を務める政治団体が27日、県の施設で開いた催しの展示作品については許さないというのはダブルスタンダードではないのか。大村秀章知事はヘイトかどうかも判断ができない自分に甘いだけのアホってことです。偏った政治色の展示は税金でやるな!

【記事】2019.10.30
大村知事「ダブルスタンダード」か? 愛知県施設での「ヘイト」催しには法的措置も検討
愛知県の大村秀章知事は29日の定例記者会見で、「在日特権を許さない市民の会」元会長が代表を務める政治団体が27日、県の施設で開いた催しの展示作品について「明確にヘイトに当たる。内容が分かった時点で中止を指示すべきだった」と述べ、法的措置も含め、対応を検討する考えを示した。催しは、14日に閉幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」に対抗するような内容だった。・・・続きを記事元で詳しく読む

【大村秀章の性格】 村7+秀7=14画
[14画]▼
"この数を人格に持つ人は権力や名誉への欲望が強く、リーダーシップをとろうと躍起になるのですが他人から信頼を得られません。労多くして功の少ない人なのでいじけた性格になりやすく、常に心の中に不平不満を持つようになります。それが原因で犯罪に走ることもあるので注意する必要があります。"
"わがままで気分屋なところがあり、理想と現実が伴わず常に不満をつのらせて周りとの争いが絶えず、自分を苦しめることになります。家庭環境も冷たい家庭になりがちです。身体も病気がちで呼吸器系の疾患や心臓病に注意が必要です。"
"異性関係に平穏な関係を保つことができない傾向が見られます。人当たりは悪くないのですが、広く浅い関係しかできず腹を割った友人ができにくいようです。社会的になかなか認めてもらえない暗示があり苦労が絶えないようです。"
"孤独の暗示があり特に晩年は寂しい境遇になります。また気が弱いので不利な状況に置かれるとすぐに逃げ出してしまいます。その場では何も言わないのですが、後になって愚痴をこぼすような人です。精神的にも経済的にも不安定で、性格もひがみっぽいところがあり凶運を招くこととなります。"


“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。


終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

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Last updated  2019/10/31 12:19:32 AM
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2019/10/09
表現の自由は何でもかんでもが認められないことを憲法12条で定められている。
(第十二条)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

たとえ二代前の昭和天皇であっても侮辱する行為は現天皇家への侮辱であるだろうし、それ自体が理解できない愛知県の大村知事はアホとしか言いようがない。良識ある日本国民への嫌がらせにしか映らん偏った政治的意図をもった展示には補助金を出すべきでない。
芸術監督の津田大介は悪質なことに、補助金を目当てに「展示会の体」をしてやると暴露していたのです。(展示会なら補助金が出るからです。)
一部の偏った思想、政治目的に税金を使うべきでないのは至極当然なことです。


【記事】不自由展再開 河村市長が座り込み「不自由展でなく不愉快展」
2019.10.8 16:22 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が8日に再開されたことを受け、名古屋市の河村たかし市長は同日午後、同展の会場がある愛知芸術文化センター前の広場で抗議の座り込みを行った。河村氏は芸術祭の実行委員会の会長代行だが、再開についての協議はなかったといい、「(再開決定は)無効だ」と批判している。
河村氏はこの日・・・続きを記事元で詳しく読む



“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/10/10 02:52:01 AM
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2019/10/08
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の中止問題で、愛知県の大村秀章知事は7日の定例記者会見で、再開に向け不自由展の実行委員会と協議を継続中とした上で警備対策として、手荷物の検査や金属探知機の導入も検討していると明らかにしたようだが、これに対して河村たかし名古屋市長は当日に座り込みを決行するようだ。
頑張れ河村たかし名古屋市長~!!

愛知県の大村秀章知事って何処か抜けていると思うわ。真の芸術展なら開催にこれほどまで反対される筈もないだろう?アホでないか?頭をぶん殴ってやりたいわ。反日左翼の嫌がらせには反吐が出るわ。偏った思想の展示目的に補助金は不要!

【記事】河村市長が抗議の座り込みへ 不自由展再開を批判
2019.10.7 23:18 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が8日午後から再開されることに対し、名古屋市の河村たかし市長は7日、抗議の座り込みを行うと記者団に明らかにした。8日の再開に合わせて名古屋市内の会場を訪れ、実施するという。・・・続きを記事元で詳しく読む



“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






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