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神を感じて 在るがまま  

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全45件 (45件中 1-10件目)

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中国

2019/02/11
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カテゴリ:中国
この記事を読む前に知っておくべきこと。 話は遡るが辛亥革命(しんがいかくめい)で清朝崩壊後は中華民国となりますが、それまでの満州人支配から漢人(漢人の住む地域を支那、支那人と呼んでいた)が支配するようになってから中共(漢人)が他民族の領土を支配して同化政策と称して民族浄化(他民族の血を絶やす)も行われている。 その他民族を絶やす手段が生殖能力がある男たちを理由なく逮捕して収容所に送り込んでいるのです。(表向きは同化のための教育)
【記事】2019.2.10 11:02 トルコ外務省は9日、中国当局に対し、少数民族ウイグル族の人権を尊重し、中国新疆ウイグル自治区のウイグル族収容所を閉鎖するよう求める報道官声明を出した。中国が組織的にウイグル族の同化政策を行っているのは人道上の「大きな恥だ」と、強く批判した。・・・記事元で詳しく読む

【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/02/12 01:54:14 AM
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2019/01/19
カテゴリ:中国
日本が東南アジアの解放者なのは反日、ネットパヨク以外は知っていることだが、中国メディアまでが、どういう風の吹き回しか?

【記事】2019-01-14 05:12 中国メディア・鳳凰網は12日、東南アジアには今もなお日本を「解放者」として扱い、親近感を抱く国があるとする記事を掲載した。・・・記事元で詳しく読む


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昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

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【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/01/19 12:51:07 AM
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2018/10/09
カテゴリ:中国
支那(漢人)は人民開放と称し、他民族の領土(チベット・ウィグル・モンゴル一部)をこれまでも奪い、信教の弾圧・民族浄化(大量虐殺、男たちを殺害、若しくは臓器を売買)をしてきた。 下に動画を貼りますので是非ご覧ください。
【記事】2018.10.8 ドナルド・トランプ米政権が、中国に「人権問題」で圧力をかけようとしている。新疆ウイグル自治区で、イスラム教徒の少数民族ウイグル族が弾圧されている問題で、制裁を検討しているのだ。・・・記事元で詳しく読む



【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2018/10/09 03:56:24 PM
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2018/01/13
カテゴリ:中国
孫子の兵法が戦術の支那は自国より明らかに力が劣る相手には武力も使うのだが、憲法9条が支那の武力から護れるのか〜♪ 護れるなら苦労はシナいわ♪
【記事】2018.1.13 中国軍が悪辣(あくらつ)な挑発行動を仕掛けてきた。沖縄県・尖閣諸島の接続水域で11日、潜航した外国の潜水艦と中国海軍の水上艦が同時に航行したのだ。海上自衛隊は世界屈指の対潜戦能力を保持しており、現実には「潜水艦も中国海軍のもの」と丸裸にしているようだ。
日米が、北朝鮮への対応に腐心する間隙を突く中国の暴挙。憲法9条を維持することの限界が露呈しつつある。
防衛省によると、海自が10日午後・・・記事元で詳しく読む

【日本赤十字社 平成29年7月5日からの大雨災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成28年熊本地震災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしてしまいました。 働くことが幸せで美徳とする日本人には大変な死活問題です。
そこでやむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していきました。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 日本側へ最後通牒とも受け取れるハルノートで無理難題を突き付けました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。 昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
マッカーサーの証言昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。



スカルノ
インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2018/01/13 07:27:31 PM
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2017/12/20
カテゴリ:中国
画像でお判りにのように、CHINAは国際社会で用いられています。 チャイナや支那は差別語ではありません。 何故、「支那」が日本に対して「中国」と呼ばそうとするか、それには理由があります。 中国とは世界で中心の国=お殿様です。 ですから日本に対してお殿様と呼べ!と強要、差別して見下しているわけです。 すると、、家来の物はお殿様の物だ! 文句あるか!、、、 例えば台湾の物だったから「台湾は中国だから中国の物だ!」 とかね?
すでに日本を盗もうと計画しているのですよ(爆。
だ〜か〜ら♪ CHINA(支那)でいいのです。 支那をお殿様と認めたいなら別ですけど?

【記事】2017.12.19 使ってはいけない言葉を政府が決めるという馬鹿げた話が中国で大真面目に進んでいる。呉智英氏は背景に日本への差別意識があると看破する。・・・記事元で詳しく読む

【日本赤十字社 平成29年7月5日からの大雨災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成28年熊本地震災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、何とか票決にこぎつけて、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしてしまいました。 働くことが幸せで美徳とする日本人には大変な死活問題です。
そこでやむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していきました。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 日本側へ最後通牒とも受け取れるハルノートで無理難題を突き付けました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。 昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
マッカーサーの証言昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。



スカルノ
インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

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Last updated  2017/12/20 11:16:02 PM
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2017/12/16
カテゴリ:中国
中国にとって韓国は今も属国か〜♪ 八方美人の文在寅(ムン・ジェイン)(韓国)では見透かされるわ(爆
流石に中国は韓国の扱い方をよく御存知♪

【記事】2017.12.16 中国を訪問している韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領一行が、中国・習近平政権の「超冷遇」を受けている。当初予定していた4泊5日という日程は、中国サイドの「塩対応」で短縮を余儀なくされ、出迎え者のレベルも格下げされた。
加えて、同行取材の韓国紙のカメラマンが中国側の警備員から集団暴行を受ける事件まで勃発した。文氏の訪中は、韓国が中国の従属下にあることを印象付ける結果に終わるのか。・・・記事元で詳しく読む

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昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、何とか票決にこぎつけて、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしてしまいました。 働くことが幸せで美徳とする日本人には大変な死活問題です。
そこでやむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していきました。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 日本側へ最後通牒とも受け取れるハルノートで無理難題を突き付けました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。 昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
マッカーサーの証言昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。



スカルノ
インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2017/12/16 09:38:57 PM
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2017/09/04
テーマ:ニュース(81197)
カテゴリ:中国
大東亜戦争が敗戦後の極東国際軍事裁判(別名:東京裁判)で日本側の証拠としてまともに採用されなかった「通州事件」があったのだが御存知でしょうか。 日本人居留民などが●裸にされ、、撲殺、強●、眼球えぐり取り、内臓引き出しなど集団虐殺された事件で、この残虐な殺害方法は漢民族特有の殺害方法で後の台湾であった国民党軍による228事件などでもありました。 他にも南京大虐殺の捏造写真にもありました。
【記事】2017.9.4 昭和12(1937)年、盧溝橋事件から3週間後の7月29日未明、中国・北京郊外の通州(現・北京市通州区)に在住していた400人の日本人同胞は、本来、居留民を守る任務を帯びていた地方政府の中国人部隊に、突如襲撃された。「日本人は皆殺せ!」と呼号する3000人の反乱部隊は城門を閉鎖したうえで、日本人家屋から罪のない老若男女を次々と引きずり出した。
群衆の面前で●裸にし、撲殺、強●、眼球えぐり取り、内臓引き出しなど、天人ともに赦さざる猟奇の蛮行を繰り広げた。処刑場では集団銃殺があり、女性多数が惨殺された日本旅館は血の海となった。民間邦人の犠牲者は225人にのぼった・・・記事元で詳しく読む

【日本赤十字社 平成29年7月5日からの大雨災害義援金】 受付開始しています。
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【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、何とか票決にこぎつけて、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とアメリカでした。

【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜けて三国同盟(日独伊)を結びます。
しかし、それを脅威としたアメリカは日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしてしまいました。 働くことが幸せで美徳とする日本人には大変な死活問題です。 そこでやむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していきました。
欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 日本側へ最後通牒とも受け取れるハルノートで無理難題を突き付けました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)

大東亜戦争は連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でした。
【ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここからお話は一気に省略で飛んで、皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されてしまいました。 昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。 東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
マッカーサーの証言昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■連合国側のABCD包囲網に対しての合法な自存・自衛の戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でした。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。



スカルノ

インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2017/09/04 10:31:33 PM
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カテゴリ:中国
大東亜戦争が敗戦後の極東国際軍事裁判(別名:東京裁判)で日本側の証拠としてまともに採用されなかった「通州事件」があったのだが御存知でしょうか。 日本人居留民などが●裸にされ、、撲殺、強●、眼球えぐり取り、内臓引き出しなど集団虐殺された事件です。 この残虐な殺害方法は漢民族特有の殺害方法で後の台湾であった国民党軍による228事件などでもありました。 他にも南京大虐殺の捏造写真にもありました。
【記事】2017.9.4 昭和12(1937)年、盧溝橋事件から3週間後の7月29日未明、中国・北京郊外の通州(現・北京市通州区)に在住していた400人の日本人同胞は、本来、居留民を守る任務を帯びていた地方政府の中国人部隊に、突如襲撃された。「日本人は皆殺せ!」と呼号する3000人の反乱部隊は城門を閉鎖したうえで、日本人家屋から罪のない老若男女を次々と引きずり出した。
群衆の面前で●裸にし、撲殺、強●、眼球えぐり取り、内臓引き出しなど、天人ともに赦さざる猟奇の蛮行を繰り広げた。処刑場では集団銃殺があり、女性多数が惨殺された日本旅館は血の海となった。民間邦人の犠牲者は225人にのぼった・・・記事元で詳しく読む

【日本赤十字社 平成29年7月5日からの大雨災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成28年熊本地震災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、何とか票決にこぎつけて、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とアメリカでした。

【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜けて三国同盟(日独伊)を結びます。
しかし、それを脅威としたアメリカは日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしてしまいました。 働くことが幸せで美徳とする日本人には大変な死活問題です。 そこでやむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していきました。
欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 日本側へ最後通牒とも受け取れるハルノートで無理難題を突き付けました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)

大東亜戦争は連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でした。
【ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここからお話は一気に省略で飛んで、皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されてしまいました。 昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。 東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
マッカーサーの証言昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■連合国側のABCD包囲網に対しての合法な自存・自衛の戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でした。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。



スカルノ

インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2017/09/04 10:02:44 PM
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2016/12/17
テーマ:ニュース(81197)
カテゴリ:中国
アメリカ海軍は何をやっているんだ、、(笑
【記事】
米国防総省のジェフ・デービス報道官は16日、南シナ海で米海軍の無人潜水機が、中国海軍の潜水艦救難艦に奪われたと明らかにした。米政府は国際法違反と非難し、中国政府に即時返還を要求している。
事件があったのは15日、フィリピン北部ルソン島にあるスービック湾の北西約93キロの海域。米海軍の測量艦「バウディッチ」が、2機の無人潜水機を回収しようとしていたところ、潜水艦救難艦が約450メートルのところまで近づき、小型ボートを出して1機を奪った。
バウディッチは無線で返還を求めたが、、、記事元で詳しく読む

2016.12.17 08:26

【日本赤十字社 平成28年熊本地震災害義援金】 受付開始しています。



プロパガンダ

【南京大虐殺は捏造】
(当時を知る 元ニューヨークタイムズ東京支局長)証言!!
【字幕設定で字幕入れて動画をどうぞ】

・当時でも外国人報道向けにも一行も南京大虐殺の事は支那側からも出なかった・・
不自然である。
・30万人の遺体は何処に消えたのか?
・証拠写真が捏造されたものばかりであること。



【尖閣諸島領土問題】

李登輝元総統

李登輝元総統「尖閣は日本領。
戦前は日本統治下の台湾漁船が操業、
台湾が琉球の漁業を管轄していただけ」

(2014年7月29日22時21分)

【尖閣諸島関連リンク】
69年製中国地図に「尖閣=日本領」 外務省が公表へ
尖閣諸島について「外務省」
【動画】尖閣諸島に関する動画



3分でわかる中国が沖縄を侵略する手口

沖縄では弾を撃たない戦争が始まっている!!
沖縄を独立させ、支那と併合すると
尖閣諸島も空海もおまけで渡す事になる。

支那を中国と呼んではいけない三つの理由
中国がウイグル族領土奪取した狡猾手法

(私の心配と同じ内容のテキストを見つけたのでコピーして画像にさせて頂きました。)
支那の日本侵略計画の工程表
≪必見≫ 危険!! 現在、最終段階に突入!!
日本が侵略されるまで



韓国人に関する記述 韓国人をDNA検査した結果
竹島が日本領である証拠写真
昭和初期の竹島・日本の缶詰工場
昭和初期の竹島・日本の缶詰工場
(島根県竹島問題研究会提供)
(朝鮮民族特有の精神疾患の原因が判明)
1996年にアメリカが、2011年にはイギリスが行ったDNA検査で人類に30億個在る遺伝子の内で自己修復不能なものが816万箇所(27%のバグ)も存在する事が判り、チンパンジーやアカゲザルよりも相違的である事が判明。 亦た大脳において思考を司る前頭葉が遺伝的に欠損している事実も判明し、本疾患が遺伝性の自律神経系の疾患である事も判明。
試し腹に拠る遺伝子欠陥が原因とも判明。

ベトナム戦争での韓国軍の蛮行

火病=鬱火病 ●ライダイハン ●大韓ナチズム(ファンタジック史観)
【動画】朝鮮人が認めたがらない自国の歴史

韓国領に竹島の記載なし 130年前の宗主国・清の書物
大阪で「竹島」記載、幕末の地図見つかる 島根県に寄贈へ
マッカーサー テレグラム 【翻訳】(韓国が竹島を不法占拠)
【動画】竹島について



大東亜戦争は「植民地解放」と「人種平等」を実現した戦いだった!

≪大東亜戦争について≫
【第一次世界大戦終結後】に新設された【国際連盟】で日本は【人種差別をやめる】事を条文に入れるように提案。 しかし、白人が植民地支配で搾取していた為、アメリカのウィルソン議長に、【11対5の票決】にもかかわらず、この時だけ全会一致でないからと否決された。 日本は、国際連盟を抜けた。 国際連盟を抜けた後に、日独伊の【三国同盟】を結んだ日本を脅威としたアメリカは、日本を【ABCD包囲網】で追い詰め、【ハルノート】で無理難題を突きつけ、アメリカ世論の支持を得る為に、日本側からの最初の一発を撃つのを待った。 【属国か、亡国か】誇りを賭けて、30倍~40倍の力のアメリカの戦力を絶つために、【真珠湾攻撃】で開戦。
【自衛目的】と白人植民地支配から、アジアを解放する【大東亜共栄圏】目的の戦争だった。
しかし、国際法で禁止されている【原子爆弾】を【長崎と広島】に投下されて、ポツダム宣言受諾。 その敗戦後も日本兵が数千名、インド独立軍と共にイギリス、オランダを相手に戦い、インドネシアは、独立を成した。 日本をお手本に、アジアで独立戦争が始まり、15年以内にすべて独立した。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

≪東京裁判について≫
日本が敗戦後、【東京裁判】が行われたが、これまでにない【事後法】で戦勝国が裁き、(※通常は中立国が裁くべき)
【卑劣な策略の茶番・リンチ】で、日本が悪の国にされた。
日本を愛し、父母、兄弟、妻や子を想い、命をかけて戦った日本軍人の誇りまで、
侵略・戦犯者と汚名をきせられた。 
しかし、発端は、植民地支配での【非道な人種差別】をした連合国側の白人であり、原爆で【無差別大量虐殺】を行ったアメリカであった。
敗れたが、【正理公議は我が国にある。】
【東條英機】大将は、最後まで【自衛戦争】を主張した。
ハリーホワイト【補足】
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイであったことが、ベノナ文書により確認されている。
これは、ソ連(ロシア)に、アメリカも日本も掻き回されたことになる。
そして共産主義を残す結果となったアメリカの責任は重い。

「日本は神国である。 力の強弱を正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。」
≪必見≫ 【動画】人種の平等と世界平和,公正な世界を目指した日本
≪必見≫ 【動画】「日独伊」三国同盟
≪必見≫ 【動画】大東亜会議「大東亜結集国民大会」昭和18年11月
≪必見≫ 【動画】世界が語る大東亜戦争と東京裁判
【日中戦争】(支那事変~大東亜戦争)
≪必見≫ 【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
インドネシア独立戦争

【日本近代史】日米戦争はなぜ起きたか






Last updated  2016/12/19 03:28:51 PM
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2016/08/27
テーマ:戦争反対(1068)
カテゴリ:中国
支那の公船が日本の尖閣諸島周辺での活動を正当化する法執行規定と考えられるのだ、、まことにズル賢い奴らだ。
-------------------------------------
支那 = 漢族の領土
中国 = 漢族の領土+満州族の領土+モンゴル族の領土+ウイグル族の領土+チベット族の領土
(他民族の領土にまで中国の名で覆い、奪う。)
----------------
【中華思想】中国とは世界の中心の意味で中国と呼ぶことはお殿様と呼ぶことになります。
お殿様ですから家来の物はお殿様の物になるのです。
私たちが中国と呼ぶことは侵略の手助けをすることになる、それで支那と呼ぶことで支那の侵略を浮き彫りにしているのです。
-------------------------------------------------------------
【記事】
中国の最高裁に当たる最高人民法院は今月1日、中国の「管轄海域」で違法漁労や領海侵入をした場合に刑事責任を追及できるとする「規定」を定めた。最高人民法院が海洋権益に関し具体的な条文で司法解釈を定めるのは初めて。規定の施行以降、中国は自国領海と主張する尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺での公船の活動を活発化させており、日本の排他的経済水域(EEZ)で公船から乗組員が中国漁船に行き来する「法執行」とみられる行動も確認されている。海事関係者は、背景に規定の施行があるとみて注視している・・・記事元で詳しく読む。

2016.8.27 06:00

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【南京大虐殺は捏造】
(当時を知る 元ニューヨークタイムズ東京支局長)証言!!
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・当時でも外国人報道向けにも一行も南京大虐殺の事は支那側からも出なかった・・
不自然である。
・30万人の遺体は何処に消えたのか?
・証拠写真が捏造されたものばかりであること。



【尖閣諸島領土問題】

李登輝元総統

李登輝元総統「尖閣は日本領。
戦前は日本統治下の台湾漁船が操業、
台湾が琉球の漁業を管轄していただけ」

(2014年7月29日22時21分)

【尖閣諸島関連リンク】
69年製中国地図に「尖閣=日本領」 外務省が公表へ
尖閣諸島について「外務省」
【動画】尖閣諸島に関する動画



3分でわかる中国が沖縄を侵略する手口

沖縄では弾を撃たない戦争が始まっている!!
沖縄を独立させ、支那と併合すると
尖閣諸島も空海もおまけで渡す事になる。

支那を中国と呼んではいけない三つの理由
中国がウイグル族領土奪取した狡猾手法

(私の心配と同じ内容のテキストを見つけたのでコピーして画像にさせて頂きました。)
支那の日本侵略計画の工程表
≪必見≫ 危険!! 現在、最終段階に突入!!
日本が侵略されるまで



韓国人に関する記述 韓国人をDNA検査した結果
竹島が日本領である証拠写真
昭和初期の竹島・日本の缶詰工場
昭和初期の竹島・日本の缶詰工場
(島根県竹島問題研究会提供)
(朝鮮民族特有の精神疾患の原因が判明)
1996年にアメリカが、2011年にはイギリスが行ったDNA検査で人類に30億個在る遺伝子の内で自己修復不能なものが816万箇所(27%のバグ)も存在する事が判り、チンパンジーやアカゲザルよりも相違的である事が判明。 亦た大脳において思考を司る前頭葉が遺伝的に欠損している事実も判明し、本疾患が遺伝性の自律神経系の疾患である事も判明。
試し腹に拠る遺伝子欠陥が原因とも判明。

ベトナム戦争での韓国軍の蛮行

火病=鬱火病 ●ライダイハン ●大韓ナチズム(ファンタジック史観)
【動画】朝鮮人が認めたがらない自国の歴史

韓国領に竹島の記載なし 130年前の宗主国・清の書物
大阪で「竹島」記載、幕末の地図見つかる 島根県に寄贈へ
マッカーサー テレグラム 【翻訳】(韓国が竹島を不法占拠)
【動画】竹島について



大東亜戦争は「植民地解放」と「人種平等」を実現した戦いだった!

≪大東亜戦争について≫
【第一次世界大戦終結後】に新設された【国際連盟】で日本は【人種差別をやめる】事を条文に入れるように提案。 しかし、白人が植民地支配で搾取していた為、アメリカのウィルソン議長に、【11対5の票決】にもかかわらず、この時だけ全会一致でないからと否決された。 日本は、国際連盟を抜けた。 国際連盟を抜けた後に、日独伊の【三国同盟】を結んだ日本を脅威としたアメリカは、日本を【ABCD包囲網】で追い詰め、【ハルノート】で無理難題を突きつけ、アメリカ世論の支持を得る為に、日本側からの最初の一発を撃つのを待った。 【属国か、亡国か】誇りを賭けて、30倍~40倍の力のアメリカの戦力を絶つために、【真珠湾攻撃】で開戦。
【自衛目的】と白人植民地支配から、アジアを解放する【大東亜共栄圏】目的の戦争だった。
しかし、国際法で禁止されている【原子爆弾】を【広島と長崎】に投下されて、ポツダム宣言受諾。 その敗戦後も日本兵が数千名、インド独立軍と共にイギリス、オランダを相手に戦い、インドネシアは、独立を成した。 日本をお手本に、アジアで独立戦争が始まり、15年以内にすべて独立した。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

≪東京裁判について≫
日本が敗戦後、【東京裁判】が行われたが、これまでにない【事後法】で戦勝国が裁き、(※通常は中立国が裁くべき)
【卑劣な策略の茶番・リンチ】で、日本が悪の国にされた。
日本を愛し、父母、兄弟、妻や子を想い、命をかけて戦った日本軍人の誇りまで、
侵略・戦犯者と汚名をきせられた。 
しかし、発端は、植民地支配での【非道な人種差別】をした連合国側の白人であり、原爆で【無差別大量虐殺】を行ったアメリカであった。
敗れたが、【正理公議は我が国にある。】
【東條英機】大将は、最後まで【自衛戦争】を主張した。
ハリーホワイト【補足】
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイであったことが、ベノナ文書により確認されている。
これは、ソ連(ロシア)に、アメリカも日本も掻き回されたことになる。
そして共産主義を残す結果となったアメリカの責任は重い。

「日本は神国である。 力の強弱を正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。」
≪必見≫ 【動画】人種の平等と世界平和,公正な世界を目指した日本
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≪必見≫ 【動画】大東亜会議「大東亜結集国民大会」昭和18年11月
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≪必見≫ 【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
インドネシア独立戦争

【日本近代史】日米戦争はなぜ起きたか






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