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仙石 和三

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2019/11/02
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名古屋市の河村たかし市長が「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で芸術監督を務めた津田大介氏らへの法的措置を検討していると明らかにした。
昭和天皇の写真をバーナーで焼き、灰を足で踏み付けるような映像作品などを意図的に隠して(騙して)展示が行われたようです。津田大介は確信犯! アウト~!

【記事】2019.11.1
河村市長、津田大介氏らに法的措置検討 不自由展「事前の申告と異なる作品を展示した」・・・。
名古屋市の河村たかし市長が動いた。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で、昭和天皇の写真をバーナーで焼き、灰を足で踏み付けるような映像作品などを意図的に隠して展示が行われたとして、10月31日、芸術監督を務めた津田大介氏らへの法的措置を検討していると明らかにしたのだ。
「津田氏らは事前の申告内容と異なる作品を、だまして展示した・・・続きを記事元で詳しく読む




“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。


終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/11/02 01:12:00 AM
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2019/10/31
本日は大村秀章知事に関する記事と記事下に大村秀章知事の性格を姓名判断で一刀両断しました。
あいちトリエンナーレで昭和天皇の御真影をバーナーで燃やし踏み潰す動画の展示を許し、天皇家までを不快にして内容はヘイトと同様。それに対抗した「在日特権を許さない市民の会」元会長が代表を務める政治団体が27日、県の施設で開いた催しの展示作品については許さないというのはダブルスタンダードではないのか。大村秀章知事はヘイトかどうかも判断ができない自分に甘いだけのアホってことです。偏った政治色の展示は税金でやるな!

【記事】2019.10.30
大村知事「ダブルスタンダード」か? 愛知県施設での「ヘイト」催しには法的措置も検討
愛知県の大村秀章知事は29日の定例記者会見で、「在日特権を許さない市民の会」元会長が代表を務める政治団体が27日、県の施設で開いた催しの展示作品について「明確にヘイトに当たる。内容が分かった時点で中止を指示すべきだった」と述べ、法的措置も含め、対応を検討する考えを示した。催しは、14日に閉幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」に対抗するような内容だった。・・・続きを記事元で詳しく読む

【大村秀章の性格】 村7+秀7=14画
[14画]▼
"この数を人格に持つ人は権力や名誉への欲望が強く、リーダーシップをとろうと躍起になるのですが他人から信頼を得られません。労多くして功の少ない人なのでいじけた性格になりやすく、常に心の中に不平不満を持つようになります。それが原因で犯罪に走ることもあるので注意する必要があります。"
"わがままで気分屋なところがあり、理想と現実が伴わず常に不満をつのらせて周りとの争いが絶えず、自分を苦しめることになります。家庭環境も冷たい家庭になりがちです。身体も病気がちで呼吸器系の疾患や心臓病に注意が必要です。"
"異性関係に平穏な関係を保つことができない傾向が見られます。人当たりは悪くないのですが、広く浅い関係しかできず腹を割った友人ができにくいようです。社会的になかなか認めてもらえない暗示があり苦労が絶えないようです。"
"孤独の暗示があり特に晩年は寂しい境遇になります。また気が弱いので不利な状況に置かれるとすぐに逃げ出してしまいます。その場では何も言わないのですが、後になって愚痴をこぼすような人です。精神的にも経済的にも不安定で、性格もひがみっぽいところがあり凶運を招くこととなります。"


“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。


終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/10/31 12:19:32 AM
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2019/10/09
表現の自由は何でもかんでもが認められないことを憲法12条で定められている。
(第十二条)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

たとえ二代前の昭和天皇であっても侮辱する行為は現天皇家への侮辱であるだろうし、それ自体が理解できない愛知県の大村知事はアホとしか言いようがない。良識ある日本国民への嫌がらせにしか映らん偏った政治的意図をもった展示には補助金を出すべきでない。
芸術監督の津田大介は悪質なことに、補助金を目当てに「展示会の体」をしてやると暴露していたのです。(展示会なら補助金が出るからです。)
一部の偏った思想、政治目的に税金を使うべきでないのは至極当然なことです。


【記事】不自由展再開 河村市長が座り込み「不自由展でなく不愉快展」
2019.10.8 16:22 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が8日に再開されたことを受け、名古屋市の河村たかし市長は同日午後、同展の会場がある愛知芸術文化センター前の広場で抗議の座り込みを行った。河村氏は芸術祭の実行委員会の会長代行だが、再開についての協議はなかったといい、「(再開決定は)無効だ」と批判している。
河村氏はこの日・・・続きを記事元で詳しく読む



“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/10/10 02:52:01 AM
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2019/10/08
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の中止問題で、愛知県の大村秀章知事は7日の定例記者会見で、再開に向け不自由展の実行委員会と協議を継続中とした上で警備対策として、手荷物の検査や金属探知機の導入も検討していると明らかにしたようだが、これに対して河村たかし名古屋市長は当日に座り込みを決行するようだ。
頑張れ河村たかし名古屋市長~!!

愛知県の大村秀章知事って何処か抜けていると思うわ。真の芸術展なら開催にこれほどまで反対される筈もないだろう?アホでないか?頭をぶん殴ってやりたいわ。反日左翼の嫌がらせには反吐が出るわ。偏った思想の展示目的に補助金は不要!

【記事】河村市長が抗議の座り込みへ 不自由展再開を批判
2019.10.7 23:18 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が8日午後から再開されることに対し、名古屋市の河村たかし市長は7日、抗議の座り込みを行うと記者団に明らかにした。8日の再開に合わせて名古屋市内の会場を訪れ、実施するという。・・・続きを記事元で詳しく読む



“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/10/08 06:43:19 AM
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2019/09/01
トランプさん?気付くのが遅いですぜ?韓国の文在寅(ムン・ジェイン)に初回の韓国訪問で利用され所謂慰安婦を抱擁させられたことをもうお忘れなさったのかい?(笑
北鮮に制裁加えても抜け駆けで緩和しようとする韓国ですぜ?約束を守るのは日本ってことをお忘れなく。韓国なんぞトンスル文化のクソです。(爆

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G7で異例の罵倒…トランプ氏が気付いた「文政権の正体」・・・
【記事】2019.9.1 ドナルド・トランプ米大統領が、フランスで開かれたG7(先進7カ国)首脳会議の席で、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を一方的に破棄した韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領を罵倒する一幕があった。
米大統領が同盟国の首脳を国際会議の場で公然と批判するのは、極めて異例だ。文政権はこれに慌てたのか・・・続きを記事元で詳しく読む



“強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

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Last updated  2019/09/01 01:20:08 PM
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2019/08/15
今回のあいちトリエンナーレの騒動の記事です。一件の騒動はこの両名の配慮に欠けた浅はかさに尽きるだろう。昭和天皇の拡大画像をバーナーで焼き、その様子の動画を見せ付けることが芸術なのか?偏った思想からの嫌がらせとしか映らんし、韓国側のプロパガンダの少女像の展示をすることはプロパガンダの手伝いをすることになる。それも津田大介はヤバイことになると知っていた。それだけでない・・津田大介は自身の芸術監督就任に批判的な発言をした人を、具体名を挙げずに『殺す』というリストに入れていた。
大村秀章(愛知県知事)は税金でこんな展示を許したことによる責任をどう考えているのか。きちっとした説明をするべきだろう。

両名の共通点は外運(副運)の14画です。
『大村秀章』大3+章11=14画
『津田大介』津10+介4=14画 (※サンズイは4画)
-----
他に厳しく自分に甘く、勝手な思い込みやリーダーシップを発揮しようと躍起になって評価されず僻む暗示。
----------------
前川喜平氏もそうです。
それと
反則タックル事件で日大前監督ら「容疑なし」
選手は傷害容疑で書類送検。この選手も同じ外運14画。

-------------------
【記事】2019.8.14 あいちトリエンナーレ問題で大村知事に批判殺到! ツイート削除し責任丸投げ…和田政宗議員「展示の意図、説明するべきだ」
愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展で、昭和天皇の写真をバーナーで焼いて灰を踏み付けるような映像作品などが展示され、開幕3日で展示中止になった問題をめぐり、実行委員会会長である愛知県の大村秀章知事に批判が殺到している・・・続きを記事元で詳しく読む


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【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
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1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

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Last updated  2019/08/15 04:13:20 AM
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2019/06/01
普段から思うことがある。 韓国人はプライドは高いが韓国人に欠けている物は誇りではないだろうか・・。 プライドも誇りも同じようだが何か違うような気がする。 プライドは面子と言うか自尊心に近い物ではないだろうか・・。時に自尊心は傷つき・折れたり・失ったりするけど、誇りは培った物として残る。 今回、またまた誇りから縁遠い馬鹿チョン丸出しで素養の低さが露呈した内容の記事です。

【記事】5/31(金) 12:38配信
中国『新浪体育』が優勝トロフィーを踏みつけるなどの行為を行ったU-18韓国代表を批判するとともに、日本との比較についても言及している。・・・記事元で詳しく読む


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/06/01 08:34:06 PM
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2019/05/27
トランプ大統領が安倍首相との時間を満面の笑みで楽しまれたようで何よりです。 それもツイッターしてくれて「シンゾーありがとう」とまで。 それにしても二人とも面白い顔してるわ。(爆

【記事】2019.5.26 22:35
来日中のトランプ米大統領は26日、立て続けにツイッターへ投稿した。・・・記事元で詳しく読む


【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/05/27 06:06:13 AM
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2019/01/16
日本人の素養の高さは世界に知られていますが、今回、「世界一頭がいい国」、それが日本だそうです。

【記事】2019年01月16日 08時12分 記事は、英国のポータルサイトVouchercloudが作成した「世界で最も賢い頭がいい国・地域ランキング」を紹介。ノーベル賞受賞者数、人びとの平均知能指数(IQ)、小学生の学習成績という3つの指標に基づいてランキング化したもので、その国・地域における現在、過去、未来の知力を示すと説明した。
そのうえで、このランキングで1位に日本が入り・・・記事元で詳しく読む

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終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






Last updated  2019/01/16 04:35:32 PM
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2018/08/24
今回の記事は知っている方が多いと思いますが、知らない方のために下に動画も貼り付けておきます。 何故、ポーランドが親日なのか? 心温まる出来事があったのです。
【記事】2018.8.24 第一次世界大戦(1914~18年)末期、同盟国・ロシアで起きたロシア革命に干渉すべく、日本は、米国、英国、フランスなどの連合国とともにシベリアに派兵した。世にいう「シベリア出兵」である。
最終的に、兵力7万3000人と戦費10億円を投じ、約3000人もの戦死者を出しながら、得るものがなかった対外戦争だったと酷評されてきた。だが、結果として、765人のポーランド孤児を救うことができたことをご存じだろうか。・・・記事元で詳しく読む

【動画】【感動の実話】ポーランド孤児765人を救った日本、ポーランドが驚くほど親日である理由とは・・・


【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。



終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示
昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしてしまいました。 働くことが幸せで美徳とする日本人には大変な死活問題です。 日本を絞めつけても話し合いに応じません。
そこでやむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していきました。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 日本側へ最後通牒とも受け取れるハルノートで無理難題を突き付けました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自衛戦争を訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------






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