田舎のブログ

2024/04/05(金)02:41

大根の漬物 茶店のインベーダー

料理 食品 お菓子(77)

漬物が大好きな私 大根の漬物を行きつけの喫茶店で貰ってきました 季節的に遅いのか前回貰ったのより 旬が終わりとうが上がったのか少し硬め でもおいしかった       行きつけの茶店 マスターの人柄に惚れ通い出し40年 マスターは、障がい者組織の運営に携わり 県との協議にも熱心に参加 発言通りに行動もともない、なにより議論していて楽しかった 当地方の喫茶組合の発起人でもあり、皆をまとめる力もある はっきりする人間でした しかし言動不一致が一つだけありました 私に、「俺が動けぬようになったなら腹切りして死ぬ」と やりかねない信念の持った人でしたが 結局、腕も動かせない病人に 入院見舞いで何度も行っていたある日の事 ママさんが私に「ひげ剃ったてくれん」と言うので 電気シェーバーでマスターのひげ剃り 私がマスターに 「腹切って死ねんの」と言うと 意識がないのに聞こえているのか 私の方に顔をほんの少し動いたような気がしてびっくり そして涙を少し流すのです  ママさんもびっくり マスター亡くなって20年以上経ち ママさんもお祖母ちゃんに ひ孫まで居られます 家族ぐるみの付き合いをさせて頂いています 大根菜、イタドリ炒め、タケノコの煮物、キュウリの漬物 ぞの他総菜ものをよく貰っています 昔の家のようです 妻は漬物は梅干し位 しかし私が子供の頃は裏納屋の土間に木製樽がいくつもあり 一番大きい樽には大根、次に大きい樽には自家製の麦味噌 らっきょは手間がかかりましたが、海苔の角瓶数個に漬け 茶店の常連客の高齢化と減少 社会の縮図です まず、儲からない、客居ない、 茶店で軽食食べない食文化に変化 人口減 チェーン店の進出も熊野、御浜、紀宝ではないと思う 多くの茶店が閉業していったですね 当地域の茶店営業ピークは 昭和50年頃かと推測 約50年前の1975年頃でしょう 以降、まず違法的な喫茶店が消えていきました 不良高校生が寄り集まって喫煙や男女関係・・・ 警察や補導員に捕まったら 初犯で3日間自宅謹慎、以降 無期謹慎 なので高校時代は、疑われても嫌であり、近くの道は利用せず あの時代 かなりの学生が捕まっていました 喫煙だけでなく、喧嘩、オートバイでの交通違反も 私が社会人になり、隔年で2期2年間 青少年補導委員 二度、高校生の喫煙を・・・ それました その後、一時的に減少傾向が約15年少しの間 止まった 空前のブームになったインベーダゲーム機の出現 ほとんどの茶店に置かれ、特に若者か熱中しすぎ(私も) 社会問題化にもなりましたね 金融機関勤務時代、100円硬貨をもってきて欲しいと 茶店からの電話が多くいやでした 直ぐに店舗に戻ってもいいけれど、珈琲1杯位は飲まないと 顧客ですしね、高額預金者やかたい借り手を紹介してくれる期待もあり インベーダーゲームブームが落ち着くと 賭博ゲーム機が主流に、表向き獲得ポイントの現金化はダメ しかし、多くの茶店は現金交換をしていました 健全なお店は 公安委員会の講習を受け 認可された台数のみ設置し 獲得ポイントの現金化はされていませんでした 取り締まり強化で 飲食より儲けていたゲーム機がおけなく店が減りだし  一方ではパチンコブームが起きましたね ゲーム機卸し業者 当地方ではいくつかのルートがあったと思います その一つ  和歌山の東牟婁郡地域や三重県の南牟婁郡地域の茶店等においていた会社? 売上上げの4割か5割を吸いあげ? あるA社長とは知り合い 羽振りがよかったものですが反社組織ではありませんよ やっている事は悪い事ですが、ゲームするほうも儲ける意思で どっちもどっちもでdすね    ※茶店珈琲 40年位前、一杯200円       現在   今言っているお店 350円 他店 450円~500円       150円前後の缶コーヒーの方が 価値観の問題ですね 要望   大根のぬか漬けは、タクアンと言わず「こんこ」と言いましょう   サンマのすしは、「サイレの寿司」と言いましょう   めはり寿司は「高菜のニギリ」 干芋は「きりめ」   国鉄ではないけど   使って残そう金山弁 もう午前2時半を過ぎていますね お休み 男性にセブンティースリー 女性に エイティーエイト

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