カテゴリ:障害者・人生・自分史
1月24日の初地蔵祭から日が経ってしまいましたがアップ
![]() 町内では5つか6つのお地蔵さんが祭られています しかし地蔵祭をおこなっているのはうちの地蔵さんだけかもしれません 地蔵祭が終わり親戚一同が 地蔵さんの近くに座り直会が始まり お供えのお酒をさげて 湯飲みで酒のみ、肴は ○なます ○こんこ(世間ではタクアン) ○地豆(じまめ・世間では落花生)の煮 ○煮ころ ○かきまぜ寿司(世間では混ぜご飯・ちらし寿司)のおにぎり 約60年前の頃には親戚が14人から20人参集 お地蔵さん近くの町民の方も、一緒に餅をほらしてと 祭りに参加してくれる方も毎年おられ 地域の皆のお地蔵さんでした 家で餅つきできない体、同級生が経営する和洋菓子店に頼んだ餅 妻が地蔵祭後に近所の家々に配って回る ![]() 当家の親戚でもないのに毎年お供えしてくださったSさん(女性) 4年位前に亡くなりましたが 子供夫婦に毎年お供えするように言い残していったそうで お供えが続いています ありがたい 地蔵祭 親戚が集まるいい機会だったのに 今は私と妻と母 そして祖父の兄の子(親父と従兄妹)三男、その子の長男ひとり 紀伊勝浦からきてくれて寂しいたった4人です 直会もなく餅ほりもない 昔を知る私には・・・ 今の社会、技術、信仰、・・・伝承していこうと言う人はまれです 私が子供の頃、お地蔵さんに親父が一度だけ帰ってこれず 母と私と弟の三人でお地蔵さん用の餅つき 小学校5年生の時? 55年前? はっきり覚えていません 「くど」にくべる割り木を5本6本 裏の差し掛け軒下からもってきて 羽釜に水を9割5分入れ 羽釜の淵一周に日本手ぬぐいの切れ端を置き、蒸気もれパッキンの役目 木製二段せいろを置いて 杉シバに火付け、小枝、そして割り木の焚き木にと火を移し 中間で火力を落としてしまうともち米は蒸せませんので 火の番は大事な仕事 ※せいろは二升入り 二升餅は「もろぶた」が3個必要になります ここまでは親父がいなくてもできますが 小学生の体、加えて股関節の悪い私 三人で石うすを運び台に据えた時の場所や、光景は今でも覚えています 町内のお地蔵さんの餅ほり順番 ①しょんべん地蔵 有名なお地蔵さん(観光や熊野の地蔵歴史書) 最初にお餅やお菓子ほり 現在は守りする人おらず 地蔵祭も行われていない しょんべん地蔵さんの餅ほりで賑わう声が聞こえてきたら うちは直会を終えて餅ほり準備 しょんべん地蔵さんで餅ひろいした人々が うちの地蔵さんに集まりだす ②○○家地蔵(うちのお地蔵さん) 人の集まり状況を見て、本家に人の「ほるぞ」の言葉で 餅、お菓子、お金を ③松の平地区のお地蔵さん ④大高見地区のお地蔵さん ⑤上地地区のお地蔵さん ○呂家の方が守りしていました 神々が宿るくまの お地蔵さん、庚申さん、山の神さん、いのこさん、いなりさん お不動さん 餅ほり文化のくまの 存続の危機です 最近の人、暦をみないのでしょうかね 信仰とかは別にして知識の得るのにいい書物と思います おかしなもので 大安や仏滅やと言っている人が 暦なんか信じないと言うのです 信じているのにね 大安日でもすべての易がそろっていい日なんて年2日位しかありません 追記 墓地入り口の六地蔵さん 事故とかで亡くなられた方の場所に建つ地蔵さん これらのお地蔵さんとは別です うちのお地蔵さんは山岳信仰の山伏の方の書いた物が地中に 地域の子供達を見守るお地蔵さんです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2025年02月09日 01時03分03秒
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