社員育成(コンピテンシーによる人材育成研修)・就業規則・人事制度で会社を元気にする日々…

2011/03/22(火)14:59

備忘録・3月11日のできごと(その3)

思い出(13)

今日もご来訪の証に、まずはポチッとクリックして下さいね。 緊急地震速報を読み終えた頃には、ものすごい揺れが始まっていました。 同時に、列車が駅に停車していることが分かりました。 駅前は何もなく、少し離れたところに、比較的新しい住宅が並びます。 そんな風景が窓越しに見えるのですが、その住宅に至る電柱・電線がものすごい揺れ方をしています。 もちろん、自分が乗っている列車も揺れているのですが、もともと列車は揺れる構造なので、それほど恐怖心はありませんでした。 また、仙台に向かって左側は土手のような形状になっており、右側にはホームがあったので、転覆の恐れはなかったのは幸運でした。 もちろん揺れている時には、そんなことを考える余裕がありませんでしたが…。 とにかく長かった。揺れがなかなか収まらない。 収まったと思ったら、また余震が始まるみたいな感じ。 そうこうしているうちに、ようやく気付いたのが今止まっている駅が常磐線・逢隈駅ということ。 たまたま事前にJR東日本の路線図をプリントしたものを持っていたので、その駅が東北本線と常磐線が交わる岩沼駅の1つ手前の無人駅だと分かりました。 ずっと沿岸線を走っている常磐線が少し内陸に入ったところです。 地名で言うと宮城県亘理町になります。 列車は駅に停車したまま、ずっと余震が続きます。 とりあえず、発生直後にかみさんにメールで「無事」は知らせました。 列車のドアは自分で開閉する形式だったので、しばらくはホームに出たり車内に入ったりもできました(そのうち停電で、運転席からしか出入りができなくなりました)。 それと、僕は土手側に座っていたのですが、反対のホーム側に座っていた人がラジオを持っており、皆に聴こえるように掛けてくれました。 おかげで、震源地や津波の情報もキャッチできました。 ただ、マグニチュードや大きな津波が10分後に押し寄せるとか言われても、ピンと来ませんでしたね。 なぜなら、先に書いたとおり、駅から見える住宅は比較的新しいようで、見る限りは倒壊したような住宅がなかったからです。 結果として、この逢隈駅で被災したのが不幸中の幸いでした。 亘理町在住の方のHP(こちら)が周囲の悲惨な状況を伝えております。 途中に見える浜吉田駅は、2つ手前の駅です。 ここで止まっていたり、あたりを走っていたら、大変なことになっていました。 でも、この時点では情報源は車内のラジオだけですから、周囲の状況は全く掴めていませんでした(つづく)。

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