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趣味への復帰

趣味への復帰

1つ目 2000.4-2005.3

2000年4月 無事就職
苦情の窓口みたいなとこでした。
係は上司と同僚さんの3人です。

2003年4月 同僚さん異動、新人さんが来る
こころ優しい頑張りやさんです。

2003年8月 上司さん異動
数ヶ月で、私以外の人が入れ替わってしまいました。

新しくやってきた上司は、私の天敵さんです♪
ちなみに、仕事しない事については大歓迎です。
今まで「女は…」ということで、大人しく仕事していましたが、
お蔭様で色んな仕事が出来るようになりました。

2003年秋 体調がおかしくなりはじめる
その後腹部超音波で変なところ2種類発見。
命に関る病気ではないので、適当に共存。

2004年春 何故か上司の仕事を私がやってる
数年後の今、当時の事を周りに話すと、
「そんなこと代わりにやらずに無視してればよかったのに」
といわれます。
当時は、「個人の担当じゃないけど、係としての仕事はしなきゃ」
と必死になっていて、そこまで頭が回らなかったなぁ。

2004年3月 無性に死にたくなる。
仕事帰りや仕事中、無性に死にたくなる。
当時の私は、車で40分の山の中と死場所を決めていました。
死にたいけれども、そこまで行く力がなく生き延びています。

2004年夏 はじめてコタツと夏を越す
夜帰宅して一人になったら、ひたすら泣いていました。
この頃は、ほとんど眠れなくなっていました。
毎晩夜中2時頃目が覚めて、
その後10分ずつうとうとする程度の睡眠です。
体もだるく思いどおりに動けなくなります。
ちょうどオリンピックの年でした。
でも騒々しいテレビは気分が悪くなるので見られない。
食事も食べられなくなります。
「体調管理はできて当然。食事はしっかりしろ」と説教される。

絶えられなくなって病院(内科・職場の産業医)に行きますが、
「食べる事と眠る事で体調を整える事は社会人として当然のこと。
まずは生活習慣をしっかりしなさい」とまたまた説教される。
こちらは食べれない眠れないのが苦しくて助けて欲しくて
病院にいったのに。
「死ぬしかないのかな」という思いが強くなる。

2004年8月 とにかく死ぬしかないと思う
職場に行くと「今すぐ屋上に行って飛び降りたい」という
衝動ばかりが頭のなかに浮かんできて、
仕事が手につきません。
仕事の文書を読んでも日本語の意味が理解できなくなります。
「生きていてもしかたないだろう」と考える。

2004年9月 心療内科にいってみる
死ぬしかないと思う日々を過ごしていました。
でもある日、「普通生物って生存本能ってあるはずで
自分で死にたいなんて考えないかもなぁ」
なんてことをふと思います。

遠ざかっていたネットで自殺についての記事を読みました。
そこでたどり着いたのが、うつ病という言葉です。
「冥土の土産に精神科に行ってみるのもいいかも」と思い、
心療内科に予約をいれてみました。

で、心療内科デビュー
病院にたどりついたは良いが、話す気力は残されていません。
仕事休むかどうか聞かれたけど、
そんな決断も出来ず、とりあえず
セレナールとレスリンという薬を貰って帰りました。

2004年9月 心療内科2回目
相変わらず話す気力はないけど、死にたいことだけ伝える。
デプロメール追加

2004年秋 少し正気に戻る
死ぬしかないという思いは、弱くなってきました。
でも、朝からだが動かずに午前中の仕事は時々お休み。
通院している事は、秘密♪

2005年3月 初めての異動の内示
初めての異動の不安よりも、前の職場を離れられる安堵感が勝る。
「異動が決まってそんなに喜ぶ人は滅多にいない」といわれました。


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