カテゴリ:音楽
ヱヴァ破の再上映、六本木はSCREEN2つ増やしたのに全部SOLD OUT、府中も売切。川崎は回数増やしてるし、なんだか完全にオタ共のイベント化の様相…。いや、その中にちゃっかり混じるんだけどさ、なんだかすごそう…。
それはそれとして。こんなインタビュー(その1、その2)を見つけた。珍しい、平沢進のインタビュー。 普段取材とか滅多に受けない人なので、こういうのがとても新鮮。そして言ってること、とっても「まとも」。いや、その独特の世界観に付いていけるファンと平沢の関係は、しばしば宗教にたとえられるほどで、確かに歌詞なんぞ何を言ってるのかさっぱりわからん、ということも多い。それでも何故か引き込まれ、虜になる彼の世界。 ファンであることを差し引いても、その声と音は他の追随を許さない、と言ってもいいくらいの出来。っていうか55歳にしてこんな声出せるって反則や!(笑)CDの音源よりもライヴの声の方が良い、っていうのもこの人の凄さ。(例、ちなみにこれはライヴのアンコール) JASRACと決別し、独自の路線に入ってから随分と長い月日が流れ、彼の活動がインターネット中心になってから10年。私が彼を知ったのはここ1年とかで、あんまり偉そうなことは言えないんだけど。(^_^; 音楽は資本主義と相容れない性質を持っているから、音楽として生きつづけられるんでしょ? だから誰もがある種のビジネスモデルを踏襲すれば成功するというもんじゃないですよ。音楽のそういう性質をきちんと見続けて維持しつづけること。あえてビジネスモデルというならそこから発想しなければ駄目でしょう。パラドックスでしょ? ミュージシャンが既存のメディアに頼らなければ情報を発信できない時代はとっくに終わっているでしょう? ミュージシャンというタダ同然の資源をめぐる利権構造はもう成り立たないという事実が見えない連中が、いまだに「掲載してやる」という立場を捨てられないのは滑稽ですね。(以上、上記リンク先記事より引用) この既存のビジネスモデルから脱却し、インターネットの世界で自分を素材として流布させたことに成功の鍵がある、みたいなことをその後語っている。まあ、その中で自分の楽曲が使われることに関しては黙認だとか、自分のDVDにはコピーガード付けてないとか、そんな爆弾発言かましたりもしていて、そこがこの人の「萌え」なとこなんだよ、と突っ込みを入れてみたくなる。(笑) でもそうやっていく中で、ネットの向こう側にいるリスナーと作り手の間に絶妙なバランスが生じるんだ、と。素材として消費されていく中で、同時にCDも買われていく、収益として成り立つ、という絶妙なポイントがあるんだ、と。それが新しいスタンダードとして定着していく。「ビジネスモデル」として作為的にやってしまったら決してできない、そうとも言っている。なかなか難しい。 しかしそうやっていく中で、インタビューの端々から、今まで自分が進んできた道、これから進んでいく方向、全てにおいて毅然とした覚悟というか、信念に裏付けされた自信のようなものを感じ取ることができた。結局何をやるにしても、何を始めるにしても、そこなんだろうなぁ…。 平沢進に出会ったのが、今年の初め。だったと思う。去年?今年?記憶が曖昧でなんとも言えない…。(´・ω・`) って今調べたら多分2007年12月に初めて「平沢進」の文字がこのブログに現れている模様。うーん、記憶って本当にアテにならん。('A`) そうか、もうそんなになるのか…。(遠い目) 彼の楽曲を色々聴いて、口に合わないものも正直言って多いけれど、それ以上に心に浸透してくる曲も多くて、だんだんその色に染まってくるというか、例えて言うなら、oasisが栄養ドリンクだとしたら、平沢は日々摂取するサプリメントのような、そんな感じ。 そんな日々の栄養源として聴いている平沢だけど、本人はなんとなく孤高という感じで取っつきづらかった。ツンデレなんだろうけど、謎めいていてちょっと怖いしw言ってみれば遠い存在。そういうところが「宗教的(教祖様?)」とか言われる要因なのかな…? でもこのインタビューで少しその距離が縮まったと思う。馬の骨の勝手な言い草だけど。少し階段降りてきてくれたかな、と。一部分でも彼の意図が明瞭になって、立ち位置というか、少なくとも雲の上に立っているわけではない、ということが分かったわけで。(笑) 今年はこれで締めようと思っていた。ヱヴァが割り込んできたので前にずれたけど、それでも平沢という音楽に出逢えたことは、私のおそらく長くはない人生の中で、大きな喜びだったと思っている。多分ずーっとそう思っている。 ということで、師匠!来年もよろしく♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.31 03:14:48
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