テーマ:ワイン大好き!(30223)
カテゴリ:エッセイ
2006年に前初めて先祖の墓参りをしたときのことを昔のブログ(FC2の方)に書いたことがあります。今回、自分自身の備忘録の意味もあって、再度こちらに掲載することにしました。なお、この記事は2006年の5月のものです。当時は「ひこにゃん」もまだ世に出ておらず、一部の城郭マニアや歴史マニア以外から彦根市が世間の注目を浴びることはあまりありませんでした。今の彦根市はかなり様相が違っているのだろうと思います。
******************* 知っている人は知っていると思いますが、我が家の姓は「渡辺」です。 「ワタナベさんのナベの字は正式には、下が口(邉)ですか、それとも方(邊)ですか?」とよく聞かれますが、実のところ、当人は全くこだわっていなくて、「当用漢字の『辺』でいいですよ。」と答えています。 ちなみに本当はどちらなのかというと、戸籍上は「邉」になっているので、そちらが正しいはずなのですが、祖父や父が入っている多磨霊園の墓には「邊」と記されています。 この墓を造った祖父がなんらかの事情があってそうしたのか、それとも私同様、あまり気に留めていなかったのか、今となっては知る由もありません。 私どもの家は、祖父の代に北海道から東京に出てきました。 では、曽祖父の墓はどこにあるかというと、彦根市にあることは聞いていました(先祖はもともと彦根藩の下級藩士だったそうです‥)が、そうそう彦根を訪れる機会もなく、唯一墓を訪れたことのある祖母も亡くなって久しく、本家筋の遠い親戚とは全くつきあいもありません。 そうなるとお寺の詳しい所在すら定かでなくなり、墓がどうなっているのかを知る由もありませんでした。亡き父がこの手のご先祖ネタに全く興味がなかった、というのが世代間の情報の断絶の大きな原因だったりするのですが、わたし的には、生まれて40年余、曽祖父やご先祖の墓参をしたことすらない、ということが気になっていましたし、渡辺のナベの字のゆかりについても知りたいと思っていました。 それで、たまたま週末に名古屋に出張した際に、土曜日の昼の空き時間を利用して、ぜひ彦根に行ってご先祖の墓参りをしようと思い立ったわけです。 ところが、まずお寺を探すのが難儀でした。祖母はよく「井伊家の菩提寺」と言っていたらしいので、それをたよりにインターネットで検索してみると、「龍譚寺」とと「清涼寺」というお寺が見つかりました。しかし、どちらの寺に電話して聞いても、該当するような墓はありません。そもそもごくごく下級の藩士に過ぎなかった私の先祖が、そんな大層なお寺に埋葬されているというのが変な話で、どこかで誇張されて伝わったのでしょう。 彦根には4000を数えるお寺があるとかで、寺が判らないのではお手上げです。こりゃいきなり頓挫かな、と思っていたら、捨てる神あれば拾う神あり、で、親戚の叔母が、古い手紙の中から、だいぶ前に「園常寺」という寺で法要が行なわれたことを調べ上げてくれました。早速そちらのお寺に電話してみると、たしかに、祖父の兄、およびその子供たちの名前で登録されているとのこと。これでようやくお寺が特定されました。 彦根に行くには、新幹線で「米原」で下車して、そこからひと駅。名古屋からだと約1時間の行程です。時間的には大したことありませんが、新幹線の往復と寺までのタクシー代で約10000円の出費と相成りました。 初めて訪れた先祖の地は、よく言えば静かで落ち着いた、悪く言えば活気のない街でした。(前述のとおり、当時はまだ「ひこにゃん」は生まれていませんでした。) 街の中央に彦根城があり、一部にはタイムスリップしたかのような古い町並みもあったりして、風情があるのですが、東京の喧騒に慣れた身には、あまりにもうら寂しく感じます。 お墓がある「円常寺」というお寺は、「二代目君主のご母堂の菩提寺」だそうです。それで我が家には「伊井家の菩提寺」だと伝わっていたんですね。本尊は快慶作の阿弥陀如来で、立派な庭もあり、なかなか由緒のありそうなお寺でした。墓地に埋葬されているうち、9割は彦根藩の侍だそうですが、彦根藩が幕閣側だったことから、維新後はみな全国に散り散りになってしまったとのこと。 私どもの先祖(曽祖父の父親)も明治維新の後、北海道に渡り、本家は今も札幌に住んでいるそうです。もっとも、その息子が東京在住ということで、年に1度ぐらいは必ず墓参に来ており、お墓も荒れ果てているようなこともなく、手入れが行き届いて綺麗なものでした。 先祖の墓のナベの字はやはり「下が口(邉)」の方でした。 墓誌を確認してみると、曽祖父はもとより、8~9代ぐらい前のご先祖まで、このお墓に埋葬されていることがわかりました。一番最初に記載されいてるご先祖は俗名を「十右衛門」といって、寛保元年(1741年)に亡くなっています。その後も十右衛門または重右衛門という同じ俗名が複数いるところを見ると、当主が通名として十右衛門を名乗っていたのでしょう。生まれて初めて、曽祖父のみならず、先祖代々の墓の前で手をあわせることができたことに少なからず感動を覚えたものです。 ところで、このお墓に埋葬されているのは、寛保元年に亡くなった十右衛門さんだということはわかりましたが、そうすると、それ以前のご先祖はどこに埋葬されているのでしょうか?どこか別のところにお墓があるのか、それとも、墓誌に記載されていないだけで、この墓地内に埋葬されているのか、あるいは今となってはもはやわからないのか‥。もともと曽祖父の墓参りが主目的だった彦根訪問でしたが、ここにきて私は、この古のご先祖のことが気になって仕方なくなりました。 (この項つづきます。) ■ご先祖探し~その1 ■ご先祖探し~その2 ■ご先祖探し~その3 ■ご先祖探し~その4 ■ご先祖探し〜その5(完結篇1) ■ご先祖探し~その6(完結編2) ■ご先祖探し〜その7(完結篇3) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年02月27日 14時10分10秒
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