カテゴリ:都内近郊散策
![]() ![]() ![]() 駅のそばにある品川寺。ほんせんじ、と読む。 ![]() 江戸六地蔵の第一番に列せられる地蔵菩薩。 ![]() 青物横丁から京急線で2駅、立会川駅で下車。 ![]() 駅から歩いてすぐの公園には「20歳の坂本龍馬」像がある。 ![]() ![]() そこからさらに少し歩くと、浜川砲台跡に出る。今は閑静な公園になっている。 かつて土佐藩の下屋敷があり、ペリー再来航後の安政初年に立会川河口左岸に砲台が設置されました。 新浜川公園に2015年に復元設置された「浜川砲台の大砲」は、この砲台に据えられた8門の大砲のうちの1つ「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」を原寸大(全長 3メートル、車輪の直径 1.8メートル)で再現したものです。品川龍馬会のメンバーを中心に地元の人々が資金を集めて造り、区に寄贈されました。 ![]() 立会川からさらに東海道を歩くと、町名が大井に変わる。 ![]() 浜川橋というこの橋は、何の変哲もない橋に見えるが… ![]() 通称「涙橋」と呼ばれていたそうだ。この地で、鈴ヶ森刑場に搬送される罪人の親類縁者がこっそり別れを惜しんだからだという。 ![]() その鈴ヶ森刑場跡は、旧東海道が国道15号と合流するところにある。 ![]() 江戸の刑場は鈴ヶ森と小塚原(と八王子)が知られている。 最初は三田にあった刑場が、江戸の町が拡張するのに従って南に移動し、鈴ヶ森に移転したそうだ。 ![]() 刑場跡には多くの供養塔が建てられている。 ![]() 題目供養塔といって「南無妙法蓮華経」と刻まれているようだ。建てられたのは元禄11年(1698)年とのこと。 ![]() 火炙りと磔に使われた台石の跡。実は、鈴ヶ森で行われていたのはもっぱら火炙りや磔など見せしめ的な処刑で、通常の死刑である斬首刑の多くは小伝馬町の牢屋敷で執行されていたそうだ。 ![]() また、獄門の場合は小伝馬町で死刑を執行した後に、首だけ運ばれてきて鈴ヶ森刑場で晒されていたという。 ![]() #こちらのサイトを参考にさせていただいた。 鈴ヶ森刑場跡の題目供養塔 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2025年06月21日 17時50分05秒
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